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番外編・王子殿下の失態

 心臓が、止まるかと思った。

 いつも通りに騒がしいガイザーヴが、執務室代わりにしている私個人の蔵書庫のドアを開けて連れ入った女性の姿。

 おそらく、父君から初対面の貴人と目を合わせるのは非常に不躾だと教えられているのだろう。

 顔を俯け目を伏せてなお、彼女は私を魅了した。

 あの絵師が何度も瞳を描き直した理由を、思い知る。

 どれほど高価な画材を使おうと、彼女の複雑玄妙な瞳を描き切るのは不可能に思える。

 さりげなく気にしないふりで書類にペンを走らせるが、その内容は今までと打って変わってさっぱり頭に入って来ない。

「ウスラバカー、侍女殿をお連れしたよー」

 ガイザーヴが、私をそう呼ばわる。

 私が彼女の登城をせっついてからというもの、彼は私をそう呼んで憚らない。

 うっすらと馬鹿臭いのであってまだ愛想は尽かしてないから安心しろとは言われるが、彼に怒られたら私はこれといった対抗手段を持たない哀れな生贄になり下がる。

 何しろ、ガイザーヴは私自身が選び抜いた近衛騎士達を全て掠め取ってしまったのだから。

 召し抱えた当初、私に誓われていた忠誠は程なくしてガイザーヴへと移ってしまった。

 彼の人となりをよく知る私としては、仕方ない事と諦めざるを得ない。

 例えるなら、ガイザーヴは太陽なのだ。

 人を引き付け、魅了して止まない。

 対する私は、さしずめ月といった所だろう。

 美しくはあるがこれといった特徴がなく、なくなっても誰も気にしない。

 名前の呼び方で揉めている二人を眺めながら、私はそんな事を考える。

 どうやら折り合いがついたらしく、ガイザーヴは輝くような満面の笑みを浮かべた。

「うん。それじゃあね……俺はたいてい近衛騎士隊の詰め所にいるから、気軽に遊びにおいでよ」

 そう言って、彼は退室した。

 その間に私は立ち上がり、彼女のバッグを手に持つ。

「全く、騒がしい男だ」

 思わずそう呟けば、彼女は弾かれたように振り向いた。

 一歩下がって臣下の礼をとりかけた彼女は、珍妙な悲鳴を上げながら私の顔と手を交互に見る。

 そこまで気を使わずともいいものを……。

 私は左手で、彼女の頭を撫でた。

 艶やかな金髪の感触は、手の平に心地いい。

「少し落ち着くといい。君はまだ侍女として正式に着任しておらず、私の方が力持ち。客人に、しかもたおやかな女性に荷物を持たせるなど、男としてあるまじき振る舞いだ」

 優しくなだめると、まるで硬直したように彼女はおとなしくなった。

「いいね?」

「……はひ……」

 思わず、口許が綻んでしまう。

「聞き分けのいい子は好ましいな。では、行こうか……私の部屋を見て回った後、君の部屋に案内しよう」

 そして私は自分の部屋を案内して回り、最後に私室から程近い場所にある彼女の部屋に連れていった。

 寝室と、居間と、納戸と、水回り。

 部屋は小さめだが、十分なものが揃っていると思う。

「気に入っただろうか?」

 居間のテーブルセットに向かい合って腰掛けると、私はそう切り出した。

 持っていたバッグは、テーブルの上に置く。

「へ、あ……」

 彼女がぽかんとしているので、私は言葉を変える。

「この部屋では不満か?なら別の部屋を……」

 どうせ部屋は有り余っているのだから、気に入らないなら違う部屋でも構わない。

 そう考えて申し出ると、彼女はぶんぶん首を振った。

「こ、こんなお部屋までいただけるなんて思いませんでしたので……過分な待遇にびっくりしてしまって」

 王子付きの侍女としては普通の待遇なのだが、彼女には下にも置けないもてなしのように感じられるらしい。

 まあ、謙虚なのはいい事だ。

「ならいいが……勤務はいつ頃からにしようか?私としては早い方がいいが、君が城内に慣れてからでも構わないし……」

 私の事を知って私の好みを学び、私の意に沿うように全てを取り仕切るのが王子付き侍女の仕事だ。

 国王に即位すればいくらか仕事は軽減されて、公的な仕事は爺……侍従長に任されるようになる。

 代わりに後宮の管理や側室の教育など、女性関係が彼女の仕事に紛れてくる。

「とりあえず今日は仕立て屋を呼んでおいたから、採寸して服を作ってもらうといい。侍女としての衣装に夜会用のドレス、私服……相談して、好きなだけ作ってくれ」

 私がそこまでするとは思わなかったらしく、彼女は恐縮した様子で礼を述べた。

 侍女としての衣装は仕立て屋の所にあるストック品をサイズ直しすれば、明後日にも仕事は始められるだろう。

 ……単純に、裕福とは言えない家庭の出である娘に新しく服を誂えるだけの財力はないだろうと思ったから、私が負担する事にしただけなのだが。

 それでも。

「殿下……ありがとうございます」

 何度も礼を言う彼女を……セリフィスを見るうち、それは心の中に染み出した。

 この娘の全てを、自分のものにしたいと。

「……殿下?」

 私の様子に何かを嗅ぎ付けたのか、セリフィスがおどおどし始める。

 小鹿に似たその仕草は、とても愛らしくて。

 立ち上がって彼女を抱きすくめるまで、全く時間はかからなかった。

 悲鳴を上げかけた彼女の唇を、自分のそれで塞ぐ。

 柔らかい……。

 夢中になって、セリフィスの唇を貪る。

 甘い吐息も味わう。

「んん……んんーっ!」

 彼女の喉からあふれる悲鳴に、己を取り戻した。

 ……何て事を……。

 反射的に腕の力を緩めると、左頬が派手に鳴った。

 目の前の翠玉は怒りと怯えを湛え、激しく輝いている。

「こ……このような事をされるためにお仕えに上がったわけではありません!」

 身をよじって私を振りほどきながら、彼女は叫ぶ。

「申し訳ありませんが、お暇をいただきます!」

 そして彼女はバッグを掴み、部屋を飛び出した。

「セ……!」

 止めかけて、唇を噛む。

 連れ戻して、どうしようと……。

「!」

 自分の頬を張り、私は己を叱咤した。

 許しを、乞わねば。

 手酷い仕打ちをした事を、詫びねばならない。

「あの、殿下?」

 騒ぎを聞き付けて顔を出した小間使いに、指示を出す。

「セリフィス殿が出ていった。至急、連れ戻してくれ」


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