−二十九章−〜酒の席で〜
時計の針は六時を指している。既に宿のレストランには仲間全員が揃っており、それぞれ
料理を注文していた。
「あ、ちょっと待って!えーっと、ワイン。赤の辛口ね。年代は……任せるわ」
店員を呼びとめ、ナディアがワインを追加注文する。店員がかしこまりましたと答え、そ
の場から去って行くと、キルトがナディアにかみつく。
「おいおい、アネさん。未成年だろ?いいのか?」
「いいの!何よ、成年だからって……」
「でも、ナディア君。酒は気をつけたまえ」
「あら、アデル……」
アデルの呼び方が気になったのか、ナディアがそのナディア君って何よとアデルに突っ込
むが、アデルは特に深い意味は無いよと軽く流す。その態度に呼び方を変える気は無いら
しい事を汲み取ったナディアが、皆して人を変な風に呼んでと腹を立て始めた。横からマ
キノがまあまあと諌め、サードんよりはいいじゃないとフォローする。それを聞いたサー
ドが途端に顔を真っ赤にし、口をパクパクさせる。どうやらサードとしてはアデルに聞か
れたくなかったらしい。
「へぇ……サード。君、サードんって呼ばれてたのか」
流石のアデルも、愛弟子の呼び名に目が点になっている。
「なっ……マキノ、余計な事を言うな!」
「てへへ。ごめんごめん!つい、ね」
反省の色の無いマキノにサードが顔を真っ赤にしてくってかかるが、アデルがいいじゃな
いか、可愛いぞと言った事でぐうの音も出なくなる。結局サードは、苦虫を噛み潰したよ
うな顔をして黙り込んでしまった。
「それよりラフィー、剣の方はどうでしたの?」
未だにキルトの腕前を疑っている様子のガーネットが、ラフィストに成果の程を尋ねる。
「うん、だいぶと自分の剣が出来上がってきたみたいなんだ。これも練習に付き合ってく
れたキルトのお陰かな」
「いやー、照れるぜー!」
飲み物を飲んでいるラフィストの背中をバンバン叩きながら、キルトが叫ぶ。叩かれたラ
フィストは、気管に飲み物が入ったのかむせ返ってしまっている。
「へぇ……キルトも少しは役に立つんだ?……あ、僕にもワインを。ロマネコンティ、持
ってきて」
「少しはだなんて酷い、ハニー!……ってあれ?ハニーも飲むの?」
ティーシェルの言葉にショックを受けつつも、近くを通りかかった店員にワインを注文し
たティーシェルが気になったのかキルトが尋ねる。未成年だし拙いだろ、とキルトはさら
に続けるが、ティーシェルはカダンツにいた時も飲んでいたから問題ないと、あっさりと
切り捨てる。
「でもどうせあんたは、高級もんしか飲まないんでしょ!」
先に運ばれてきたワインをぐっと一気に飲みほし、あっという間にボトルを空にしたナデ
ィアがつっこむ。そんな事は無いと言うティーシェルと言い合いしているうちに、ティー
シェルが注文したワインも運ばれてきた。それと共に、各自が頼んだ料理も一緒に運ばれ
てくる。いい香りが食欲をそそるが、ナディアやキルトなんかは運ばれてきた料理よりも
酒の方ばかり見ている。店員がボトルを開けて去ると、香りを嗅ごうとナディアが颯爽と
コルクを手に取る。
「んー、いい香り」
「おい、どうでもいいがどうやって金を払うんだ」
ナディアとキルトがコルクを回しあい、香りを嗅ぐ傍らで優雅にワインを飲んでいるティ
ーシェルに、サードが指摘する。こんな高級なワイン一本も飲めば、軽く十万ギルは越え
てくる。言っとくがそんな大金持ち合わせてないぞというサードに、そんなの親の名義に
決まってるじゃないと返す。自分で払う気はサラサラ無いらしい。何ともいえない表情を
しているサードに、ティーシェルがサードも飲むかと尋ね、返事も聞かないうちからグラ
スにワインを注ぎ始める。
「あのな……」
「はい、皆にも」
「きゃー、やった!」
折角のサードの説教も、ティーシェルのおすそ分けによって生まれた歓声によって、かき
消されてしまう。酒の入ったキルトやナディアのテンションが上がり、堅い事言うなと騒
ぎ始めた事もあり、結局はサードも他の皆と同様、ワインを飲む事にしたようだ。自分の
師であるアデルが、ありがたく頂戴しているという事も大きかったのだろう。
「これでは食事をしているのか、お酒を飲んでいるのかわかりませんわね」
「つか、あれで飯味わえてんのか?」
食事をしながらどんどんワインを消化していく彼らの様子を眺め、酒を飲まないガーネッ
トやニックスがボソリと呟く。特に食べるのが好きなニックスにとっては、食事よりも酒
優先な彼らの食事は信じられないようだ。
「うえー……お酒の匂いキツイー……」
「た、確かにこっちが悪酔いしそうだね……」
いつの間にか追加注文されたボトルが、どんどん空けられていく。その匂いを嗅ぎ、マキ
ノがうえっと顔を顰め、ラフィストが苦笑いする。ラフィストがチラッと見やったボトル
の多くは、ナディアとキルトによって空けられているようだ。逆によくここまで飲めるも
のだと感心さえする。
「よっしゃー!誰が先に酔いつぶれるか勝負だ!」
テンションが最高潮まで達したのか、キルトが高らかに叫んで酒を大量に追加する。これ
を見たラフィスト達は言っても止まらないだろうと思い、さっさと部屋に引き上げていく。
ガーネットやマキノはともかく、ラフィストやニックスは巻き込まれる可能性があるので、
避難の意味合いも強い。それほど酔っ払いの絡みとは恐ろしいのである。
「ほら!飲んでハニー」
あからさまに酔い潰そうとしているのがバレバレなキルト。だが、挑発に乗っているのか
ティーシェルが一気に飲み干す。袖で口元をぐっと拭う様などは、何とも男らしかった。
それを見て、アデルが拍手をしていい飲みっぷりだと笑う。
「アデル!もうその辺にしておいた方がいい……酒にはあまり―――」
強くないはずという言葉の前に、大きな音が響き渡る。テーブルに頭をしたたかに打ちつ
け、アデルが轟沈したのだ。サードはだから言わんこっちゃないとばかりに、溜息をつく。
「あーららー。……アネさんも、そろそろギブすれば?」
「私は酒強いのよ!あんたこそどうなのよ?」
「お生憎様!俺も自信あるんだよなー」
じゃ、勝負するというナディアにキルトが乗り、さらにティーシェルまでそこに混ざる。
他の者がダウンするまで飲んでた者が勝ちというルールの下、一斉に酒を飲み始めた。ナ
ディアに審判を頼むと言われたサードが呆れた風に、ジョッキの数を数えていっている。
小一時間後、辺りに二人の声が響き渡った。
「おえぇぇぇぇ……」
ナディアとキルトが口を押さえて下を向いている。それでもジョッキから手を離さないあ
たり、お互い絶対に負けたくないという思いが強いようだ。その横ではティーシェルが一
人、暢気に酒を飲んでいる。その様子を見やり、サードがげんなりした顔でまだ飲むのか
と尋ねる。
「んー……どういう訳か、僕酔わない体質なんだよね。量を消費するのは無理だけど、一
気に飲むくらいなら全然大丈夫」
確かにティーシェルの言う通り、彼は十杯程度しか飲んでいない。対してナディアとキル
トは、既に四十杯以上ずつ消費している。
「……だと、キルト、ナディア。いくらお前らが酒豪でも、一気飲みは気分悪くするぞ。
……酔いつぶれない分、余計辛いんじゃないか?」
だからもう止めろ、と二人からジョッキを取り上げ、サードがテーブルを片付け始める。
それを見たティーシェルがジョッキの中身を一気に飲み干し、テーブルを片付けるのを手
伝い始めた。ジョッキを手放した事で一気に緊張が解けたのか、ナディアとキルトがぐっ
たりする。そんな二人にティーシェルが懐から出した酔い止めを渡すと、二人は這うよう
な様でトイレへ向かった。残されたサードとティーシェルは、床にまで散乱しているジョ
ッキを見て溜息をつく。
「お前ら三人合わせて約百杯か……よく飲めたな……―――」
相変わらずテーブルに突っ伏したままのアデルを起こすサードの傍らで、ティーシェルが
会計を済ましている。どうやらこの飲み比べの代金全てを、親のつけにするつもりらしい。
ティーシェルは会計を済ますと、ブラリと外に出て行ってしまった。サードも漸く意識が
戻ったアデルを背負って、レストランを後にしようとする。そこに先程の二人がトイレか
ら戻ってきて、椅子に座る。大分気分も良くなってきているのか、先程より辛そうな様子
は無い。
「っー……私とした事が。こんな私、私じゃないわ……」
グッタリしながらも、酔ってトイレに行っていた自分を否定するナディア。その横で、こ
の勝負は引き分けなとキルトが呟く。どんなにグッタリしていても、勝敗に関しては譲れ
ないらしい。
「はぁー、それにしても……ん、サード。ハニーは?ねぇー」
戻ろうとしていた所を呼び止められたからか、若干不機嫌な様子で外に出て行ったと答え
る。その場にいない事をあからさまに嘆いているキルトを、ナディアが横目でじっと見つ
める。何か聞きたい事でもあるのか、考え込んでいるような目だ。相変わらず騒ぎ続けて
いるキルトを煩わしく思ったのか、サードがとっとと帰ろうと席を立ち掛けた時、ナディ
アがポツリと呟いた。
「キルト、あなたさ……。いっつもハニーとか言ってるけど、それって結局同性愛な訳?」
「えっ……」
ナディアの爆弾発言に、騒いでたキルトも、席を立ちかけていたサードの動きもピタッと
止まる。何事も無かったかのように、まあそれは置いといてよと話を続けるナディアに、
流石のキルトとサードも顔が引きつる。
「あなたさ、女の人に対しては誰にでも愛想振りまいてるじゃない?その……心に決めた
人とか、いないの?もしも特定の人がいるんなら、あなた誤解されるわよ」
「んー……特定の人、ねぇ」
一瞬だけ、キルトの表情がサッと変化する。話し方もいつものキルトと違って歯切れが悪
くなり、何やら濁すような感じだ。
「内緒、かな?やっぱそういうミステリアスな部分って、いい男のステータスだろ?」
そういって笑い飛ばすキルトを、ナディアが疑いの眼差しで見やるが、特に突っ込む気も
無いのか、ふーんと軽く流す。
「何?アネさん、俺を疑ってるの?ヒドイー!」
「別に、そんなんじゃないけど……」
「じゃあ……も、もしかして俺の事が気になって!いや、でも俺にはハニーと姫君が!」
はいはいとぶっきらぼうに答えながらも、ナディアは自分の発言を後悔した。きっとサー
ドも、ナディアの質問をいい風には思っていないだろう。二人共、先程のキルトの微妙な
表情の変化を見逃してはいなかった。きっと、彼の過去には何か色々あったのだろう。そ
もそも過去に何かなければ、トレジャーハンターのような職についたりしない。それなの
に、安易に過去を掘り起こそうとする先程の自分の発言は、誉められたものではなかった。
「特定の女……ね。いない訳でもないんだがな……」
僅かに聞き取れるほどの小さな声で呟かれた言葉を、ナディアは聞き逃さなかった。今、
特定の女って言ったわよねと詰め寄るナディアを、キルトがおどけた様子であら、聞いて
た、と茶化し始める。そんなキルトを一睨みすると、かわすのは無理だと思ったのかキル
トが溜息をつく。そして、ポツリポツリと話し始めた。
「……いるっつーか、正確にはいたなんだけど」
キルトがフッと目を伏せる。昔の事でも思い起こしているのだろうか。その顔は、恐ろし
いほど表情が無い。
「リーチェっていってさ……フォートレス一の可愛い子で、俺好きだったんだよね〜。ま
ぁ、俺の片思いだったんだけどな……―――今となっちゃ死んじまってるし、いつまでも
未練タラタラって訳にもいかないんだけどよー……けどなぁ」
「けど、どうしたって言うのよ?」
「やっぱり、好き……なんだよなぁ〜。だからハニーの事も守ってあげたいっていうか、
可愛いっていうか……―――」
ナディアが何でそこでそういくのよ、と頬をついている反対の手を思いっきりテーブルに
叩きつけると、キルトは似てるんだよと間髪いれずに言い切る。
「ハニーとリーチェ、そっくりなんだよ」
「えっ……」
「まぁ……世の中には二、三人は似てる奴がいるっていうからな」
色々な意味で衝撃を受けたナディアを、サードが珍しくフォローする。しかし、その目線
は完全に明後日の方向を向いており、半ば現実逃避気味だ。自分の事でないにしろ、男と
して女性と似ていると言われるのは、複雑というやつである。
「一目見た時、やっぱ守ってあげたいな〜って思ってよ。……けど、流石にショックだっ
たぜ……あの顔で男だなんてな」
「い、言いたい事は分かるわ」
何とも言えない空気がテーブルに流れる。その空気を真っ先に壊したのは、話題の人物で
あるキルト本人だった。
「ま、そういう訳よ!今の話、酒入ったから喋ったと思ってくれて結構なんで〜」
そういって笑うキルトには、暗い影など何もないように思える。しかし、実際には今言っ
た事以上に色々な事があったのだろう。それを乗り越えてきたからこそ、過去を話しても
屈託なく笑える彼が、存在しているのだ。そんなキルトの心の強さを、少しだけナディア
は尊敬した。
「……もうちょっと、真面目に生きた方がいいわよ」
「わかってるって!……んじゃ、アネさんおやすみ〜」
キルトが上機嫌で階段を駆け上っていく。
「ナディア、俺達ももう寝るぞ」
「ハイハイ……ったく」
ナディアは階段を昇りながら、先程の事を思い出す。一途な面を垣間見た事で、今まで何
考えているのか全く分からなかったキルトが、少し身近に感じた。今までより、好感が持
てる気もする。それにキルトは好きな人を失っても、それを糧に生きる強さを持っていた。
しかし、自分はどうだろうか。家族を失った今、その上好きな人まで死んだら自分は生き
ているだろうか。
「今度はもう、生きていないかも……ね」
階段を昇りきり、廊下に出た所で後ろを見ると、サードがいない。何しているのだろうと
下を伺うと、サードはアデルを抱えて階段を昇ろうとしている所だった。どうやら一回起
こしたものの、あの後二度寝してしまったらしい。自分の考えに没頭していた事で、その
事に全く気付けずにいた。ナディアは慌てて階段を下りると、サードに手を貸す為、声を
かけた。
「大丈夫?アデル、重くない?」
「大丈夫だ」
大丈夫とサードは言っているが、自分よりたっぱのある人間を担いで、重たくない者など
いない。ナディアが手を貸すと、長身のアデルは案の定ずっしり圧し掛かってきた。
「やだー。結構、重いじゃないの!」
「全く、お前達はろくな事をしないな」
サードが酔いつぶれたアデルを見やった後、ふうと溜息をつく。
「何よぉ、いいじゃないの。だって、もう少ししてもし全てが解決したら、もう皆とこう
して一つの宿に泊まる事も、一つの食卓につく事も……きっと出来なくなるわよ。……ね
ぇ、サードは終わったら何するの?一所に落ち着いたりするの?」
「いや……それは、考えていないが……」
「じゃあ、ガーネットの事はどうするの?」
一段先に踏み出したサードの足が、ピタッと止まる。
「それはもう、結論は出てる……だろ?」
「そう?」
再び、歩き始める。今度は心なしか足取りが速かった。階段を昇りきった所で、サードが
ナディア、と声をかける。
「助かった、ここまででいい。……気分は、大丈夫なのか?」
「うん、もう大丈夫。じゃあ……」
アデルとサードの後ろ姿を見送りながら、サードはわかり過ぎてしまうのだと思った。分
かり過ぎてしまうから、相手が誰を見てるのかもわかってしまうし、それでいいと思って
しまう。良くも悪くも、彼は大人なのだろう。それでも、サードはガーネットと離れる時
が来たらどうするのだろうと思う。自分の好きな人の隣に、違う人がいる事を認められる
のだろうか。
「まぁ、こういう事はいっぺんに解決するもんじゃないか」
私も人の事言えないしと思いながら、ドアを開けようと取っ手に手をかける。すると急に
ドアが開き、ナディアの顔面にドアがぶつかった。その衝撃で後ろに倒れ、お尻をしたた
かに打ち付ける。
「いったぁー……」
「だ、大丈夫?ゴメンねー!血は出なかった?」
中からマキノが飛び出してくる。どうやら、マキノが中からドアを開けたらしい。心配そ
うにするマキノに大丈夫と告げると、ゆっくりと起き上がった。
「ナディアを呼びに行こうと思って……皆もう部屋に帰ったのね」
「ええ。……そういえば、ガーネットは?」
マキノが、今お風呂に入っていると告げる。正直、ラフィストとでも話してるのかと思っ
たので、それには意外だった。話を切るようにそうと簡潔に答えると、ナディアは部屋の
中に入っていく。それと入れ替わるように、マキノが部屋の外へと出て行った。
「私、ちょっとジュース買いに行ってくるけど、何か飲む?」
「今はいいわ」
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
廊下を走っていくマキノを見送った後、ナディアはドアを閉めて部屋の奥へと入っていく。
ガーネットは既に風呂から上がっており、ベッドに腰を下ろしていた。
「ナディア、そんな所に立ってないでお座りになったら?」
「あ、うん……ガーネット、あなた……。私はてっきり、ラフィーと話でもしてるのかと
思ってた」
「え?何でですの?」
「いや、何となーく……」
話す事が何も無い訳じゃあるまいし、と思ったがあえて何も言わなかった。ガーネットの
問題に自分が口を挟む事ではないし、また自分にも言える事だったので、彼女にだけ言う
のも何か変な感じがしたからだ。誰に言う訳でもなく、ま、いいけどねと呟くと、ガーネ
ットが不思議そうに首をかしげる。構わず風呂に入ってしまおうと、ナディアがその場を
後にすると、残されたガーネットはポツリと呟いた。
「ナディアったら……何が言いたかったんですの?」
部屋の隣の浴室で服を脱いでいたナディアが、その呟きを耳にして溜息をつく。それから、
きっとこういった鈍い所がこの子の魅力で、欠点なのよねと苦笑いした。