−二章−〜魔導都市カダンツ〜
机に向かっている人物は、何かに苛立った様にペン軸の先を羊筆紙に叩きつけている。今
日はこの人物にとって何もかも上手くいかない日であった。仕事の一つである古文書の解
読もまったく進まない。このままいっそ知らない振りをして仕事を放りだしてどこかに行
くかと思っていた矢先である、タイミングよくノックの音が響き渡った。
「坊ちゃま…少し休憩にしてお茶に致しませんか?」
「ジャンク、良いタイミングだよ。ちょっと休憩したいと思ってたんだ」
そういうと彼は机の上に散らばった紙を片付け始めた。お茶の準備をしているジャンクと
呼ばれた執事がふとそちらに目をやる。いつもらしくない紙の上の様子に幾分か驚きを込
めて口を開いた。
「珍しいですね…坊ちゃまが全然仕事はかどってないのは」
執事にまで心配される自分に対して情けなく思ったのか、彼はふぅと一つため息をついた。
「まぁ、ね……何かちょっと嫌な予感がするんだよね。大体こういう時ってさ、良い事無
くって。あー…現実にならなきゃ良いけど」
ここはカダンツ、魔導の都。これまでの道中ラフィスト達は何度か魔物に遭遇したが、こ
こ周辺の魔物はあまり強くなく(むしろ弱かった)ラフィスト達は苦労もなくカダンツにつ
く事が出来た。
「ステキ!ここがカダンツですのね!」
周りでは色々な店が出ているようだ。話を聞くとここに出ている店の約8割は魔導に関す
る店らしい。実質的自由都市に近い形を取っているので色々な国の人が往来を行き来して
いる。その様子をガーネットが見て感動顕わに叫ぶ。そしてそれにつられる様にニックス
もはしゃぎ出す。
「おーい!転ぶなよー!!」
とラフィストが言うや否や、ガーネットがもの凄い音でこけた。何かを踏んで滑ったのだ。
「―――――っ!いった〜い!!何ですの!?」
ガーネットが自分の足元にある物を思いっきり引っ張り出す。それは上品な色合いのショ
ールだった。自分が転んだのが恨めしいのかショールに向かってガーネットは涙目で睨ん
でいる。その様子をサードがやれやれといった顔つきで見やり、大きくため息をついた。
「とにかくさ、折角拾ったんだしこれ届けてあげようよ」
「それもそうですわね…さぞや困ってると思いますわ。そうよ!これを私たちで届けて差
し上げましょう!!」
ラフィストがガーネットをなだめている間にニックスがガーネットの手の中にあるショー
ルを受け取り、表や裏をチラチラと見た後、一点を凝視する。
「んー、何て書いてあるんだろ?名前…だよな、これ」
そう言って文字が書いてある部分を指差しながらラフィストを手招きする。ラフィストが
覗き見ると明らかに公用語で書かれた文字であった。一同はニックスの言語力に呆れなが
ら流麗に書かれた名前を読み上げる。
「これは……リ…サ…ドウェー……“リーサ=ミッドウェー”だな」
サードが読み上げ名前にガーネットが首を傾げ、口を閉ざす。何か記憶を巡らしているよ
うだがラフィスト達は彼女の様子に気づいてはいなかった。
「とりあえずさ、これ届ける人と宿の予約取る人で別れようか」
「あ〜、絶対このショールの持ち主は若い美人で年は…そうだなぁ……20〜28ぐらい
とみた!う〜ん、楽しみだぜ〜!な、ラフィー!!」
「おい、ちゃんと前見て歩けよ…それに50ぐらいのおばさんでも嫌な顔するなよ、ニッ
クス」
ショールを持ち鼻歌交じりに歩くニックスに半分呆れつつ、この組み合わせで行く事にな
った事に後悔していた。このニックスの浮かれ調子では何かトラブルを起こすかもしれな
い、と思ったからである。そうこう考えているうちに目的の場所に着いたようだ。道行く
人に場所を聞いたらこの道をまっすぐ行けば直ぐにわかると言われたが、彼らの目の前に
あるのは通り2、3個分の幅を取るような城のような豪邸であった。
「す…凄いな……確かにこれなら直ぐわかるっていうのも頷ける気がする…」
「ま、まぁとにかくこれ届けようぜ!ごめんくださーーいっっ!!」
ベルがあるのにベルも押さず、ニックスが大声で叫ぶ。あまりの大声にラフィストもとっ
さに耳を塞ぐ。すると家(?)の中から、一人の熟老の執事が猛ダッシュで飛び出してきた。
「五月蝿いわ貴様!一体何者だ!!」
「おいおい…貴様はないだろ〜、執事さんよ〜」
明らかにこちらが悪いのにニックスがつっかかり始める。
「ニックス!止めろよ……すみません、このショールを道で拾ったんですが、ここに書い
てある『リーサ=ミッドウェー』さんってここの家の方で合ってますよね?届けにきたん
ですが…」
「ああ、それは確かに奥様の…しかし今家に奥様はいらっしゃらないので坊ちゃまに確認して頂きましょう」
先ほどと全く変わらず真っ白な状態の羊筆紙を眺めてため息をついているとノックの音が
響き渡る。
「あの、坊ちゃま……」
「何?」
お茶はさっき済ませたはずだ、お茶ではないだろう。いささか恐縮したような執事の態度
に一体何の用か疑問だけが湧き上がる。部屋には極力入らないように言ってあるし、長年
一緒に居るこの執事は自分の邪魔になるような事はしないように気をつけてくれている。
その彼が恐縮してはいるが自分を呼びにくるとは客人でも来たのだろうか。
「今…奥様のショールを届けて下さった方がいらっしゃって……申し訳ないのですが奥様
の物かどうか、確認して頂きたいのですが」
告げられた内容を聞き、本日数十回目の溜息がこぼれた。要するに、変な物取りか何かか
も知れないから自分を呼んだのだ。これが多分今日感じていた厄介事なのだろうとペンを
放り投げ、階下へと向かう為席を立った。
ラフィスト達を玄関先の広間に案内して執事は奥にある階段を登っていった後、ラフィス
トは悪戯っぽい笑みを浮かべて『奥様の、だって』と残念がっているニックスに声をかけ
た。その後、暫く座り心地のいいソファでくつろいでいると足音が響き始める。どうやら
呼びに言った執事と、もう一人の人物がやってきたようだ。
「おっと、着たみたいだなラフィー」
ああ…そうだな…と言いかけて言葉が止まるラフィスト。目の前に居るのはどうみてもお
坊ちゃまというよりお嬢様に近かったからだ。
「ふぅ〜ん…で、何のよう?」
「は?」
彼の第一声を聞いてラフィストは思わず困惑する。用件は執事から聞いているはずなのに
いまさら何を言いたいのか解らないからだ。
「もしかしてお金?ま、そうだよね…ただでそれを返したくないもんね」
これには流石のラフィストも相手が何を言いたいのか、理解する事が出来た。届けに来た
ショールと引き換えに金を強請りに来た物取りと勘違いされているのである。
「――っ!?あの!俺達そんなつもりじゃ―――――」
「まぁとにかく座って話そうよ…僕が疲れるし」
こちらの言い分を遮りどっかりとソファに座り執事に何か言いつけている姿を見て、隣に
居るニックスは怒りの限界点がかなり近くなっている。かくいう自分の限界も近くなって
いるのだがニックスは明らかに自分以上に腹を立てているようだ。ブツブツと生意気なヤ
ツだと悪態をついている事からもその様子が窺い知れた。サード以上の生意気且つ自分勝
手振りにラフィストは内心大きな溜息をついた。
「サード!こちらの方がいいんじゃなくって?」
あちらこちらをウロウロ行ったりきたりしていたガーネットが少し離れたところに居るサ
ードを呼ぶ。宿の予約を済ませた二人は旅に必要なものを買出しに来ているのだ。
「馬鹿!値段を良く見てみろ!!安すぎるだろ!?そういうもんは大抵すぐに駄目になる
んだ!!だから多少値がはっても高い方がいいんだよ…ああ、あいつらとお前だけでは絶
対買出しに出せないな……」
「そこまで言わなくても……」
「ガーネット様?もしかしてガーネット様ではございませんか!?」
サードに痛いところをつかれ、ガーネットは涙目になりいじけ始める。そんなガーネット
の背後から女性の声がかかる。
「ほぇ?えっと……」
「私です、リーサですわ。ああ、前にお会いした時はまだ7歳でしたものね」
「あ、あー!聞き覚えある名前だとは思ってましたけど…あのショールはリーサのだった
のね!!町であなたのショールを拾ったのよ。それでさっきラフィーとニックスに届けに
行ってもらったの」
「……もっと早く気づけよ……」
はしゃいだ様子のガーネットにサードがボソリとつっこむ。
「まぁ…それではガーネット様家にいらして下さいな。お友達もそこに居ることでしょう
し……お礼も兼ねてお茶をお出し致しますわ。さ、参りましょう」
買い物が…と文句を言うサードを引きずる形でガーネットとリーサは馬車に乗り込み、ミ
ッドウェー邸へと向かった。
「ちょっと!早く言ってくれない?僕だって暇じゃないんだから!」
「だーかーらー金は要らねぇっつってんだろ!?」
その頃ミッドウェー邸ではニックスと少年が激しく口論している。もういい加減にしてく
れと思っても全くその討論は止む気配がない。溜息をひっそりとつき、横に控えた執事の
方を見ると彼も同じように溜息をついていた。かれこれ一時間以上もこうしていてよく息
が切れないものだと半ば感心するほどである。そんな事を考えていた時、玄関の方で鐘の
音が聞こえた。
「ただいま。……あら?ジャンクいないの?ジャンク!?」
「坊ちゃま…奥様がお戻りになられましたので少し向こうに行って参りますね」
自分の名前を呼ばれ、この場から解放されるからか足早に去っていった。
「もう!すぐに出てきなさいと言ったでしょう?…お客様はこっちかしら」
そう言いながら入ってきた夫人は若いとは言えないがなかなかの美人だ。そしてその後ろ
から最近では見慣れた者が入ってくる。
「ガーネット!それにサードも!?どうしたんだ、二人共!!?」
入ってきた者を認識し、思わず叫ぶラフィスト。どうやら驚いたのはラフィストとニック
スだけでなくあの少年も驚いているようだ。
「ガーネット姫!?何でこんな所に!!……城出されたという噂は本当だったのか」
「あらあら……ティーシェルじゃない、御久し振り♪前に会った時よりも女の子らしくな
ってきましたわね。……男のく・せ・に!」
「―――〜っっ!それを今度言ったら魔法をお見舞いしてやるからな……っ!!」
ガーネットにティーシェルと呼ばれた少年は何やら嫌そうな顔をする。そんな二人のやり
取りを気にせずに夫人はラフィストとニックスの近くに近づいてくる。
「貴方方ね、ガーネット様のご友人で私のショールを届けて下さったのは」
物腰豊かに話しかけてきた夫人に少し緊張しながらも手に持っていたショールを手渡す。
「……お前達、お金が欲しいんじゃなかったのか」
「ティーシェル。もうちょっと素直になりなさい……さ、お茶にしましょう!喉が渇いた
でしょう?ジャンク、お茶を入れて頂戴」
「僕はティーシェル、ティーシェル=ミッドウェーだ。性別はこれでも男だからね!」
「誕生日は5月24日で双子座のAB型なのよね。それで歳は18歳!私と最後に会った時
は160cmくらいでしたけど……あれから背は伸びまして?」
母親に自己紹介を促され、無愛想に答えるティーシェルの言葉に楽しそうにガーネットが
付けたしを加える。しかし見れば見るほど女の子に見えるほど華奢で可愛らしい顔をして
いる。しかも彼は俺より一つ年上だったという事に驚きを隠せないでいた。
「165cm!……チッ!そんな調子で旅に出るの?さっさとお嬢様は城に帰りなよ!!」
飲んでいたお茶を机に叩きつけてティーシェルがガーネットに罵声を浴びせる。その横で
執事が慌てて布巾を取り出し、こぼれたお茶を拭いている。
「ティーシェル!行儀が悪いですよ!!それにアンカース王国の事は国全体の問題!それ
を解決なさろうとしている立派なガーネット様に対して何て事を言うの!?謝りなさ
い!!」
息子の態度に対して厳しい言葉を浴びせるが、ティーシェルは謝るどころかさらに続ける。
「だいたい、魔法だって誰にも負けない、って言えるのは回復と光魔法くらいじゃないか!
しかも全部ミッドウェー家受け売りの魔法だぞ?……ふんっ!よくそんな実力で旅に出よ
うなんて思ったもんだよね…………」
完膚無きところまで言われて、流石のガーネットも言葉を返せないでいる。そんなガーネ
ットの様子を見て満足そうな表情のティーシェルに向かって、夫人が口を開く。
「あら?そこまで言うのなら…ティーシェル、貴方も調査団に加わりなさい」
「なっ!嫌ですよ!!何でこんなやつらと……」
「これは母親命令です!いいですか!!」
ティーシェルの反論も夫人にかかっては意味がないものになっていた。結局ティーシェル
は渋々ではあるが俺達と共に行く事となった。俺達の意見はそこには皆無だったが、新た
に仲間が増える事は心強い事なので仲間になってもらう事に依存はない。
「僕は司祭レベルの魔導士だ。まぁ、魔導士の中のトップクラスに位置している、って事
だね。魔法は全般使えて苦手は無いし、魔力も高い。だから精々足を引っ張らないでよね!
……ったく!!」
「息子は此処の司教であり、父親であるアルベルトよりも魔力があるんです。だからきっ
と皆さんのお役に立てますわ。特に水を中心とした負属性が得意で……そういえば主人の
教え子で火とかの正属性が得意な子がいたわねぇ…今はもう居ないのだけど確か……」
「…ナディア・メイカーでしょ?確か。僕の嫌いなタイプだから良く覚えてる」
ああ、そうですか…と思いながらラフィスト達は彼の言葉を聞いていた。
「そろそろ宿の方へ戻るぞ……買出しも終わってないしな…」
サードがラフィスト達に声をかけ、帰ろうと挨拶している時夫人に呼び止められた。
「今日は是非うちにお泊りになって。主人にも会わせたいし、主人ならアンカースについ
て多少なりの知識があるはずだからきっと役に立つわ」
アンカース王国と聞いては流石のサードもここに厄介になる事を決めたようだった。まぁ、
情報はあった方が良いから正しい判断だろう。魔導都市カダンツの、日が暮れようとして
いた。