−十五章−〜契約〜
「はっくしゅん……」
可愛い声のくしゃみが、部屋に木霊する。
「何だー、ティーシェル。風邪か?」
「ううん、違うと思うけど……―――」
そう言いながら鼻をムズッとさせ、寝間着から普段着に着替える。誰かが噂でもしてたの
かな、などと考えていると、ニックスがこっちをじっと見ている事に気付いた。自分の着
替えもせずに何してるんだと思い、ニックスの方に視線を向ける。
「何?」
「い、いや……前々から聞きたかったんだけど……よ」
「だから何が?」
何やら言いにくそうにしているが、ティーシェルにとってはそんな事知った事ではない。
言いたい事があるならさっさと言えと催促すると、漸く喋りだした。
「お前……細いよな……―――何キロ?」
「なーんだ、そんな事か。38キロだけど?」
「さささ、38ー!?」
「うん」
ニックスが大きな声を出し、ティーシェルの肩をガシッと掴む。
「お前、痩せすぎだ!もっと食え!」
「い……嫌だよ。あんまり食べると気分悪くなるんだ、僕……―――」
「だぁー!―――……あのな、ラフィストでも60キロなんだぞ!?年上のお前がヒョロ
くてどうすんだ!」
知らないよそんな事、と言って肩を掴んでいる手を振り解く。
「じゃあ、ニックスはどうなんだよ!」
「俺は66キロ」
「ニックスの身長にしては、重いんじゃない?」
「痩せ過ぎのお前に言われたかねー!」
「あ、もう六時だ!僕先に下へ降りるから、戸締りよろしく」
尚も噛み付いてくるニックスを無視し、着替えをさっさと済ませ、ティーシェルがドアか
ら出て行く。ニックスは部屋に一人放置され、寂しかったのか急いで服を着替え、その後
を追いかけていった。
「あ」
「―――……あ」
運悪く、そのままレストランに行ったマキノと別れて一人廊下を歩いている時に、ガーネ
ットはサードとばったり会ってしまった。昨日の今日なので、何と話しかけたらいいもの
か迷い、気まずさを感じる。ガーネットのそんな様子に気が付いたのか、サードはガーネ
ットの頭をポンポンと優しく叩いた。
「いつも通りに、していればいい」
こう一言だけ言って、サードは下に下りて行ってしまった。ガーネットはサードに何か言
おうと思ったが、何も言葉が出てこない。昨日逃げた事を謝るのも、昨日考えていた事を
言うのも、何か違うと思った。ただサードの優しさに甘えるだけの形になってしまった事
に、ガーネットは心の中で謝った。
レストランでの食事を終えたラフィスト達は、そのまま次の行き先について話し合ってい
た。世界樹の所に行くにはどうしたらいいか、という事に一同は頭を悩ませている。ここ
から王様に頼んで船を出してもらうという手も考えたのだが、そうなるとアンカース王都
の前をダイレクトに横切る形となる。王都から船は見えるだろうし、ここから世界樹のあ
った島に行くのは少しリスクが大きいような気がする。今はまだ、アンカースと一悶着起
こすのは早い。
「でも、じゃあどうすんだ?」
どこから行こうが、アンカース大陸の近くは通るんだろ、とニックスが言う。再び一同の
間に沈黙が下りた。暫くして、サードが口を開いた。
「ツァラはどうだ?」
地図で場所を確認すると、フォートレス大陸の西にあり、アンカース大陸の南西に位置す
る大陸の帝都だった。ここからならばアンカース大陸を横切る際に、王都の近くを通らず
にすむ。どんな所なんだと聞くと、サードはアンカース王国と並ぶほど騎士団揃いの、大
国家だと答えた。そこにティーシェルが、砂漠地帯の広がる暑い国だと付け加える。
「でもツァラは騎士団も有名だけど、傭兵業が盛んなのも有名だからね。……性質の悪い
奴らに絡まれないように、気をつけないと」
「あら、この面子ならそんな心配は要らないわよ」
「傭兵って、なんですの?」
俗に言う賞金稼ぎ、何でも屋だとサードが答える。大帝国ツァラは小さい島々も占領して
いるから、そういった所と抗争が耐えないらしい。国を守る騎士団をそういう所に多く割
けないので、傭兵を募っているお国事情があるのだという。
「まぁ、ナディアの言う通り、変な事には巻き込まれないと思うし……ツァラから世界樹
を目指そう」
「ねぇ、ティーシェルは、ツァラに行った事はないの?―――……あるならワープで、ス
イーっと!」
「無い」
なら船で行かなきゃいけないのか、とマキノががっかりする。その時、地図を見ていたラ
フィストがある事に気が付いた。ツァラ大陸に、グレミアという町の名前を見つけたのだ。
グレミアという場所は、以前ティーシェルからお姉さんのいる町だと聞いた所だ。ここな
らば、ティーシェルも行った事があるかもしれない。
「ティーシェル、グレミアは行った事、ないのか?」
ラフィストの言葉に、サードがそうかという顔をする。
「確かに、グレミアから馬車でツァラに向かうって手があるな……どうだ?」
「それなら、あるけど」
「なら決まりだな!」
「よっしゃー!燃えてきたぜー!あ、何か俺、体動かしたくなってきた!出発まで、ちょ
っくら運動でも……―――」
今にも飛び出して行きそうなニックスを慌てて引きとめ、まだ話はあるんだって、と告げ
る。今までと違い人数が大所帯となった事あり、戦闘におけるそれぞれの役割をきちんと
決めておきたかったのだ。これからは闇雲に戦っても、勝てない敵が増えてくるかもしれ
ないと言うと、皆が納得して頷く。
「まず、俺とサードが直接攻撃で敵に仕掛ける。ニックスとナディアが、そのバックアッ
プ。後衛からガーネットは回復、ティーシェルは補助と援護。マキノは素早さを生かして、
攻撃と後衛陣の守りを頼む」
こんな感じでどうかなと言うと、皆がラフィストの意見に同意する。
「僕が後衛っていうのは、ちょっとアレだけどね。まぁ、ナディアは攻撃魔法しか出来な
いし、仕方ないかな?」
「ティーシェル、アンタもうちょっと可愛くなったらどう?」
ナディアがピクピクと眉を引きつらせる。
「ナ……ナディア!私も回復補助と光魔法しか出来ませんし!」
「ナディアは魔法戦士系だから、確かに突っ込むのには向いてるとは思うけど。僕はセイ
ジクラスだから、敵の攻撃食らうのはナンセンスだしね」
「くっ……この子はクラスランクの違いをあげつらって!」
「―――……あ、ランクで思い出した。ラフィストもガーネットもナディアも、クラスア
ップしない訳?」
クラスアップについて尋ねると、ティーシェルがご丁寧に説明してくれる。元々、武器や
魔法を使い始めた時点で、それぞれ当てはまる下級のクラスに分類されるらしい。そこか
ら鍛錬を積み、一定以上の技量レベルに達すると、上のレベルへの昇格が認められる。そ
れが一般的にクラスアップと言うそうだ。
「何か得する事でもある訳?」
魔法なら今でも充分に使えてるわよ、とナディアが突っかかる。
「町で売られてる武具や魔道書があれで全部じゃないの、知ってる?」
「どういう事だい?」
ティーシェルがポーチから、紋章のような物を取り出す。
「つまり、これを持ってる上級クラスの者にしか売れない、特定武具もあるわけ。代表的
な例でいったら……サードの持ってる魔石、なんてそれに当てはまるかな。魔石は魔法剣
士の証を持ってないと売ってもらえない」
さっき言った傭兵なんかはクラスによって報酬も違うし、騎士として仕官出来るのも、上
級クラスの人だけだと付け加える。下級クラスはあくまで自称に過ぎないが、上級クラス
は国が認める形になるので、身分を相手に提示したい時とかにも役立つとも教えてくれた。
「なるほどな……確かに、なれるならなった方がいいかもな。どうやって、クラスアップ
すればいいんだ?」
「王様に許可貰って、神と契約するだけだよ」
「ふーん、簡単なんだな!な、俺は出来ないの?」
ニックスが俺もクラスアップしたいとアピールするが、武闘家はそもそもクラスが無いか
ら無理だと言われる。例外として、剣も扱えればクラスアップする事が出来るらしいが、
使えない二人には関係の無い話だったので、マキノとニックスは出来ないのかと納得する。
「でも、自分のクラスも、アップできる上級クラスもわかりませんわ」
「使ってる武器や魔法の系統で、簡単に分かるよ」
ラフィストはフェンサー、ガーネットはアビィス、ナディアはマージだと言い、さらにア
ップできる上級職についても教えてくれた。例え上級クラスにアップしても、他の系統の
物を極めれば、違う上級クラスに転向する事が出来るらしい。とりあえずクラスアップだ
けでもしておく事を勧められ、ラフィスト達は城に向かう事にした。城に付き、近衛兵に
王への謁見を願い出る。すると近衛兵はすぐに伝えてくると言ってくれ、王の所へ向かっ
た。その間、ラフィスト達は控えの間で呼ばれるのを待つ。椅子に座って待っている時、
ナディアがティーシェルの服の裾を掴み、小声で話しかけた。
「ティーシェル……あの、神様と契約するのって……」
「何?」
「絶対、必ずしてもらえるの……よねぇ?」
「は?」
意外な言葉に、ティーシェルが驚く。
「その、ね。―――……私さ……前みたいな感じになったら嫌だなー、なーんて……思っ
てたり、して?」
「あのね、そんな心配要らないよ。契約っていっても形式だけみたいなものだし。まだま
だ技量が足りないとかそういった事が無い限り、失敗する事は無い」
「契約結べなかった人って……」
「今の所いない。そもそも、王だってそんな簡単にほいほい認可下ろさないから、いざ契
約って時に技量不足ですって事は、まずありえない話なんだよ」
それを聞いたナディアは、ほっと安心した表情を浮かべる。何だかんだ言って、世界樹に
拒まれた事を彼女自身気にしていたのだろう。その時、控えの間に先程の近衛兵が入って
きて、王の間にどうぞと告げる。王の間に入ると、フォートレス王がラフィスト達を出迎
えてくれた。
「おお、そなたらか。よくぞ参った!……して、今日は何用じゃ?」
「上級クラスへのクラスアップをしたいので、その許可を頂きに参りました」
「ほう。……まぁ、そなたらのレベルなら、認可を降ろしても問題なかろう。して、何の
クラスになるのじゃ?書付を書いてやるから申すがよい」
王の言葉に礼を言い、ラフィストはソードマスター、ガーネットはプリースト、ナディア
はマージマスターになる事を告げる。側近が持ってきた紙に、王がサラサラとサインをす
ると、それをラフィストに手渡した。
「……よし、これでいいぞ。これを持って、契約の間で契約してくるがいい」
「ありがとうございます。それと……僕達は契約を済ませたら、大帝国ツァラに向かおう
と思ってます」
「ツァラか」
「はい。目的地である世界樹のあった島にも近いですし、何よりアンカースの王都の前を、
横切らずに済むので」
「船を出してやろうかと思っていたが、お前達がそう決めたのならそれでいい。……お前
達の旅の無事を、心から祈っておるぞ!」
何から何まで世話になったフォートレス王に改めて礼を述べ、ラフィスト達は王の間を後
にした。
「ここが契約の間だよ」
廊下でばったり会ったディレス王子が、契約の間まで案内してくれる。ティーシェルは心
なし彼から離れた所にいるが、ラフィストとしては人好きのするフォートレス王に似てい
る彼の事は、嫌いではなかった。もう少しここにいる事が出来れば、友達になれたかもし
れないのにと残念に思う。
「ここで契約するんだ!綺麗ー!」
広々とした空間の中央に丸い台があり、その台の周りには水が張られている。契約の間の
神秘的な雰囲気に、マキノが目を輝かせている。
「……王子、司祭はどこにいる訳?」
「おかしいなー……ダラス司祭がいらっしゃるはずなんだけど」
ティーシェルの指摘に、ディレス王子がキョロキョロと周りを見回す。そこに、一人の近
衛兵が入ってきて、王子に何やら耳打ちをしている。
「どうかしたんですか?」
ラフィストがディレス王子に尋ねると、彼はバツが悪そうに口を開いた。
「いや……あの、ギックリ腰で来れないらしくって。今ブルーバの町まで、別の司祭を呼
びに行かせてるらしいんだけど……―――」
「そんなの待ってたら、夜になるな」
サードが冷静に述べる。
「もういいよ、僕がやる」
カダンツの司祭でもあるティーシェルが、クラスアップの契約を引き受ける。ディレス王
子に儀式用の服を頼むと、傍にいた近衛兵に服を用意するよう命じてくれる。それに着替
える為、ティーシェルは近衛兵と一緒に外へ出て行った。
「そういえばティーシェルはセイジだったっけ」
忘れてたなー、とディレス王子が呟く。多分、今の言葉をティーシェルが聞いていたら、
カンカンに怒っていただろう。ディレス王子によれば、国や都市の司祭には上級クラスの
ビショップかセイジを任命するのが、慣わしらしい。そんな事を聞いているうちに、司祭
の衣装を纏ったティーシェルが、皆の前に姿を現した。
「ティーシェル可愛いー!」
「うっ……やっぱり可愛い……」
いつも可愛いと言っているマキノはともかく、ディレス王子までもが涙を流している。ど
うやらまだショックから立ち直りきれてないらしい。そんな周囲を無視し、ティーシェル
がナディアに近付く。
「ナディア、僕がやるんだから失敗するはずが無いさ。それに、これは世界樹とは全く別
物だ……あんまり気にする事は無いよ」
「あ、ありがとティーシェル」
そう言うとティーシェルは祭具を持ち、契約の場に置いていく。そして王から受け取った
書類を手に取ると、順番に一人ずつくるように言った。
「神よ、私の声をお聞き下さい」
ティーシェルの声に反応するかのように、燭台が灯る。ガーネットの契約が終わり、次は
ナディアの番だ。
「契約者の御名はナディア=メイカー。この者がマージマスターとなります事を、お認め
下さい。そして、その印をここにお示し下さい」
周りの水に、波紋が起こる。暫くすると水が光り、ある形を描いた。その形を見て、ナデ
ィアがポツリと呟く。
「……ルーン文字」
「確かに、認定の印を承りました」
一瞬にして静寂さを取り戻し、水も元通りとなる。ティーシェルは書類を燃やし、マージ
マスターの印が入った紋章と認定書をナディアに手渡す。
「ね、簡単だったでしょ」
それを受け取りながら、ナディアが頷く。
「次、ラフィストきて」
ティーシェルに呼ばれ、ラフィストがナディアと入れ違いに契約の台の上に乗る。確かに
ティーシェルの言う通り、これだけ早いなら気も楽だなと思った。ティーシェルが言の葉
を紡ぎ始める。先程と同様に、水が光ってある形を描く。それはナディアの時とは違うル
ーン文字だった。ガーネットの時も違ったし、それぞれクラスごとに違った物が浮かび上
がってくるのだろうと単純に思う。ティーシェルが確かに認定の印を、と言いかけた時、
突然浮かび上がったルーンの文字が輝きを強め、周りの水ごとラフィストに迫ってきた。
「なっ!」
「うわっ!」
水がかかると思い、思わずラフィストは目を閉じるが、自身が濡れた様子は無い。恐る恐
る目を開くと、祭壇の周りの水も、ルーンの文字も消え失せていた。
「え……もしかして、失敗なのか?」
ラフィストがティーシェルに尋ねるが、彼は目を見開いて口をあんぐり開けたままだ。テ
ィーシェル、と呼びかけると、ティーシェルはハッとした表情をした後、書類を燃やして
ラフィストに返事をする。
「……こんな事、初めてだ」
「なぁ、失敗なのかこれ」
ティーシェルは首を振り、紋章と認定書をラフィストに渡す。
「そもそも失敗の場合、ルーン自体現れないらしいから。……だからって、ルーンごと周
りの聖水まで体に吸い込まれるなんて話は、聞いた事が無い」
「そ、そうなのか」
磁場が不安定だったのか、それとも……とティーシェルがブツブツ言っているが、失敗し
た訳ではないのだし、ラフィストは気にしない事にした。紋章と認定書をしまい、祭壇を
降りる。すると、皆驚いたのか、ラフィストの元に駆け寄ってきた。
「ラフィスト、大丈夫なのかよ!」
「な、何か水がグアーって押し寄せたように見えたけど!」
「っていうか、成功なのかこれ!?」
慌てふためいて詰め寄ってくるニックスとマキノに、大丈夫だという事とクラスアップの
成功を伝える。それを聞いて、二人は勿論、他の皆も安心したようだ。
「とりあえず僕着替えてくるから。着替え終わったら、早速グレミアに行こう」
祭具を片付けたティーシェルが、契約の間から出て行く。すると、ディレス王子がラフィ
ストに話しかけてきた。
「ちょっと驚いたけど、クラスアップおめでとう」
「ありがとうございます」
懐から何かを取り出し、それをラフィストの手に握らせる。
「これは?」
「邪を弾くアミュレットさ。……もう、行ってしまうんだろ?私は何も手助けしてあげる
事が出来なさそうだし、せめてもと思ってね。貰ってくれ」
「ディレス王子……」
「礼を言うなら、旅を終えた後に無事な姿を見せるのと、土産話を持ってくるのが礼だと
思ってくれ。……それと、王子って言うのと敬語は止めてくれないか?私はラフィスト達
の事を、大切な友人だと思っているんだから」
「ありがとう、ディレス王子……いや、ディレス!」
固く握手を交し合う。再びここに戻る時は全てを終えた時だと心に誓い、ラフィスト達は
ツァラ大陸へと向かった。