そして現在 十三
「潮時ね、カタギリ君」
十年前の記憶を洗いざらい喋った俺の耳に、聞いたことのある声が聞こえてきた。凛とした女性の声。この口調。
間違いなく、ツチクラのものだった。
「は?」
だが、どこにいる?
ツチクラがどこにいる?
十一年前も十年前も、この屋上で決着がついた。山口大津、甲斐谷京極。十一年前の事件によってトラウマと化した場所だったのだが、十年前の事件によってこの場所は希望と化した。ここに行けばあの女の人に会えるかもしれねえ。そうだそうに違いねえ。入ろうとしても、銃弾をぶちかましてもびくともしないドアーズスルードアの効力により、入れなくなっていたこの屋上だけど。なので、新美教官から『俺が住むアパートは屋上まで昇れる』と聞いた時、一体全体この人はいつの話をしてるんだと思ったことはなんとか記憶に残っている。
ああ、そうか。
俺は、友永さんの瞬間移動によって屋上に来れたのか。「え? てことは……新美教官って、どこまでこの展開を予測してるんだ……?」
「いきなり何言ってんのよ。恥ずかしいったらありゃしないわ」
「…………」
やはりおかしい。どう考えてもツチクラの声がする。でも待ってくれよ、この場には俺とトナカイとカタギリ君しか居ないんだぜ? てかトナカイって。街の人達にばれてなきゃいいけど。
「うん? トナカイ?」
ここで俺は、ふと、気が付いた。
最初にカタギリ君を見た時に思い浮かべた疑問。
サンタでもなんでもないただの大卒でしかないカタギリ君が――何故、十年前の教訓を反省し、サンタしか乗れなくなったトナカイに平然と乗っているのか。
その疑問に対する、答え。「変身……!」
「そのとーり」軽い口調でトナカイが喋る。トナカイが喋っていた。トナカイの口で、ツチクラが喋っていた。カタギリ君に対して「ごめん。降りるね」と言い、その言葉通りにふわりと屋上に降り立つトナカイ。「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃーんって感じかしら。隠しててごめんなさい」
「な、ななななな!」
ツチクラが。
あの、どぎつくて執拗に俺を責め立てる、ツチクラが。
「俺に、謝っただと!」
「「そっちじゃないだろ」」
「すんません」
カタギリ君とツチクラのツッコミコラボレーションというもう二度とお目にかかれないんじゃないかなという奇跡を目のあたりにしながら、俺は心の中で、ぼけるくらいしかこの展開に堪えられると思わなかったんだよと弁解する。
――いや。
思い出せるかわからないけれど、思い出せ、俺。小さな記憶の断片を集めて固めて結集させてこねて、一つの予測へと繋ぎ止めろ。
思い出すのは、七日前と、今日。
七日前。サンタ試験が開始し、サンタクロースになる為の試験の概要を新美教官から教えてもらった、ような気がする。
その後で。
ツチクラは、珍しくうろたえていたような記憶が少しだけある。いや、あれだ、あまりにも珍しくて。ツチクラのそんな姿なんて――珍しい、とかそういうレベルじゃねえ。記憶がほとんどない俺だが、珍しいことなら大体覚えている、筈。
と、いうことは。
あの時見たツチクラのうろたえた表情というのは、初めてみたものだということか。
――そして、今日の昼。
まだ覚えてる。大丈夫。ぎりぎり予測出来る。
ツチクラは、新美教官に伝言を頼んだ。「これ以上弱った姿をあんたに見られたくない」と。
「矛盾が生じてるぞ、ツチクラあああ!」
「な、なにがよ。いきなり叫ばないで。人として恥ずかしいわ」
「トナカイの姿でも酷い言い草だな、おい!」
いやいやそんなことはどうだっていい。とりあえず今のところはスルーだ。考えを纏めろ、俺。早くしないと記憶がなくなる。
つまり。そう、つまり。
ツチクラは――自分が変身出来るということを、隠したかったんじゃないのか?だから、七日前では、弱った姿を見せるしかなかった。弱った姿を見せる演技をした。屈辱を覚えつつもそうせざるを得ない理由が、確かにそこに存在したんだ。
と。
大声を出してツチクラを諌めていた時とは一変、真剣な表情で俺は俯く。それを見ているらしいカタギリ君は「春賀彼方。やっぱり君は、ただ者ではなかったのか」と呟き、ツチクラは「アホのくせに何真剣に考えてんのよ。アホーアホー」と空気を読まずに好き勝手なことを口走っていた。泣きてえ。でも気張れ、俺。負けるでない。「おうおうおうおう何だってんだ二人ともよう!」
「よう、じゃない。様」
「いやいやそれはきついものがあるぞツチクラさんよう! わかってんだろ本当はお前も! だったら黙って俺の話だけ聞いてくれ!」
「嫌よ! 絶対に嫌!」
「全くだ。君の話だけをだらだらと聞くなど洒落にならない」
「ダブルで即決拒否反応来ましたこれ!」
「うるさいよ! 三人揃ってなにほのぼのしてんのさ!」
場の雰囲気を無視して俺達三人称が馬鹿な会話の掛け合いをしていたら、突然俺の後ろから声が聞こえてきた。誰も入れない筈で、誰も居なかった筈のその場所。けれども、彼女――友永さんは右手に瞬間移動装置を携えて、俺達の前に怒った様子で現れた。「何してんの三人とも! 特に、サナカちゃんとシンヤ君の二人! 私のお膳立てが台なしじゃん!」
「いや、だがな友永由里。僕ら二人はそもそも乗り気じゃなかったんだ」
「そうそう。私は違う目的があったから協力したけど」
「言い訳無用、裏切り者は黙ってて!」
どうやら友永さんは本気で怒っているようだった。
というか、そうか。
これで新美教官のヒントが繋がった。何が目的かはわからないが新美教官が友永さんに全てを話し、友永さんがカタギリ君に作戦の内容を伝え、カタギリ君がツチクラにこの作戦の内容を伝える。そうして出来た脆い繋がりが、俺を省いた四人の繋がりという訳か。
だから友永さんは、二人に裏切られた。
「もういい! もういいもん! 色々な衝撃的事実でハルカ君を精神的にぼこぼこにしてから私の作戦を決行したかったのに!」
もう、いい! 最初から人に頼るのが間違いだった! 「私の作戦を決行する! 私の復讐を決行する! 誰にも何にも、文句は言わせないんだから!」
そう叫ぶと、友永さんは右手を大きく高く掲げ始めた。その手の中にあるのは瞬間移動装置。何人かの人達を一度に瞬間移動することが出来る装置。『ある一つの街の技術』という本にしか書かれていない、神秘の技術。
――裏技。
ふと。
俺は、ジーパンのポケットの中に何かが入っていることに気が付いた。何でかはわからない。しかし俺は何の躊躇いもなくそれをポケットから引き抜き、友永さんに見せた。
「な、何よそれ!」と友永さんは叫ぶ。
「見ればわかるだろ」と俺は返答した。「ボイスレコーダーだ。単なるボイスレコーダーだよ」
「わかってるってそんなこと! 私が言いたいのはそういうことじゃ、ない!」
そう言うと、何か覚悟を決めたような顔をして。
友永さんは俺達三人を見ながら、俺だけに言う。「今から私は瞬間移動装置を使って、十年前の反抗グループを牢屋から連れ出す! そして、その人達にどうしたいのかを聞いて、その人達の思った通りにしてあげるの! 瞬間移動でトナカイだって出し入れ自由! あ、安心して! 使ってないトナカイはドアーズスルードアで隔離してあるから!」
「……友永さんさあ」ボイスレコーダーを友永さんに突きつけつつ、俺は毅然とした表情でいう。ツチクラトナカイは白い煙を出しながら元のツチクラに戻り、カタギリ君は無言でその場の展開を眺めていた。「そんなにペラペラ手の内喋って大丈夫なのかよ。おまけに、その、目的ってやらもだ。いいのか、俺達に教えちまって」
「ふん、いいもん! 私は私のやりたいようにやる! 私は復讐がしたい! だから、私は! 春賀彼方に復讐するの!」
「その結果、友永さんが捕まるようなことになってもか」
「そんなこと、構いやしない!」
「そうか。そう、か」
だったら。
これを使うしかねえよな。
この、ボイスレコーダー。甲斐谷京極から新美教官の手に移り、新美教官から俺の手に移ったボイスレコーダー。これに何が録音されていたのかは殆ど覚えていない。それ程重要な内容は入っていなかったってことなのか。
いいや。違うね。
これを再生すればそれで全ての幕が閉じると、俺の中の本能ってやつが確信していたからだ。「……ほら、おしまいだ。これで全て、終わる」
「何言ってんのさ、春賀彼方っ!」
ポチッと。
軽く、音声再生の為のスイッチを押した。
――『これを君に託したのは他でもない。春賀彼方君。新美麗子のように横入りではなく本当の意味で僕を追い詰めた君なら、必ず届けられると思って託したんだ』
ボイスレコーダーから。
十年前と変わらずにカリスマ性を兼ね備えた声を出す、すっかりおっさんと化した甲斐谷京極の声が流れ始めた。
「この声は甲斐谷さんか。変わらないな、あの人は」と言って昔の思い出に記憶を馳せるカタギリ君。
「ふっふーん。けったいなおじ様だこと」と遠回しになんか小馬鹿にしているツチクラ。なんだかあの女の人に似ている気がしたが、気のせいか。
「ははは。どうよ、友永さん。参ったか」と小声で勝利宣言をするのが、俺。
――そして。
「お父さん! お父さんお父さんお父さん!」と俺が手に持つボイスレコーダーに泣き付いてきたのが、友永さんだった。
『いいかい。手短かに言わせてもらうよ。新美麗子から聞いたんだけど、僕の娘がそろそろ何かを起こそうとしているらしい』
尚もボイスレコーダーからは甲斐谷京極の声が流れ続ける。友永さんは俺の手からボイスレコーダーを奪いとり、「うおっ」と反応する俺を無視して「お父さんお父さんお父さん!」と叫びながらボイスレコーダーを耳にあてていた。
甲斐谷京極。
友永由里。
二人の繋がりは、『ある一つの街の技術』という本だけだと思う人もいるだろう。確かにそうだ。これだけみたらそう思うのも無理はない。
しかし、十一年前と十年前の繋がりがある。山口大津と甲斐谷京極という一見したら何の繋がりも見つからなさそうな関係性。
けれども、二人には、れっきとした繋がりがあった。
それは――二人共既婚者であり娘がおり、二人共なんとか家族に迷惑をかけないよう犯罪に手を染めようとしたっていう繋がりだ。
まず初めに行動を起こしたのが山口大津だった。妻と離婚し、娘の名字を母方のものにする。そうすることによって世間の軋轢から逃れさせようと思い、結果として完全には無理だったが影響を弱めることは出来た。そこで現れたのが甲斐谷京極という男。山口大津のやり方を知り、これだと思ったのだろう。妻と別れ、娘とは離ればなれになった。
『だから、これをあの子に届けて欲しい。由里に届けて欲しい。届けた上で、このボイスレコーダーを再生して欲しい。聞こえてるかい、由里? じゃあ言うよ。お父さんの話をよく聞きなさい』
娘は、そして。
甲斐谷由里ではなく友永由里として、この街で生きている。耳にボイスレコーダーをあてながら、地面に膝をつきながら、時折「届いてるよ父さん! ハルカ君ちゃんと届けてくれたよ!」とか、「うんうん聞くよ! お父さんの話、何でも聞くよ!」と叫んでいる。涙を流しながら、嬉しそうに友永さんはボイスレコーダーの先にいる相手と話していた。
その様子を見ながら、すっかり安心しきった俺達。
「なんというべきだろうか」
「そうね。どうましょうか、この状況」
「ううむ。ま、あれじゃね」
カタギリ君。
ツチクラ。
そんでもって、俺。
三人勢揃いで、こう呟いたのだった。
「サンタ試験、どうしよう」