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十年前side1

 十年前。

 俺は、甲斐谷京極に誘われた。目的は勿論言うまでもなく――サンタの存在を街の外に広める為。本来ならそんなバカデカイ野望に俺みたいなガキが加わるべきではないとは思うのだが、そして甲斐谷京極もそう思っていたらしいので、勧誘も軽いものだったことを今でも俺は覚えている。

「春賀彼方君、だね? 初めまして。僕の名前は甲斐谷京極といいます」

 それは俺が住むアパートの一室でのことだった。両親を失い、母方と父方の祖母祖父四人共既に他界していた俺は、補助金ということで結構な額を毎月貰っていた。十年経った今でも毎月貰っているのだけれど、とりあえず子供の頃の俺はそれを安いアパートの家賃と食費に使い、残った分の半分を貯金し、半分を両親の治療に使っていた。そりゃまあ学校にも行っていた。しかし、俺は、頭が悪かった。今でこそ笑い話で済む話なのだが、とにかく俺は記憶力が悪くて悪くて、何をしても上手くいかず、何をしようとしてもそれを思い出せなかった。

 だから、俺は。

 最終的に、自暴自棄になっていた。

「え、あの、どなたでしょうか?」

 夜十一時という非常識な時間にチャイムを鳴らしてやってきた見ず知らずの男。当時の俺は確か十二歳くらいだった気がするので、いやいや例えその時の俺が大人だったとしてもその男に抱く気持ちは変わらなかっただろうが、瞬間的に俺は甲斐谷京極と名乗る男をあやしい奴と断定した。

「いやー、ごめんねこんな時間に。僕としてはもう少し遅くてもいいかなとか思ったんだけど、これ以上遅くしたら完全に寝ちゃうかなと思ってね」

 とりあえず、まずは言っておこう。僕はあやしい者じゃない。「そこら辺を了承した上で、まずは僕の話を聞いてくれるかな」

「嫌です」

「おうっ、即決。気持ちが良いくらいの即決だね」

 条件反射的にこのニヤニヤした大人は危ない人だと判断した俺は、すぐさまドアを閉めようとした。したのだが、ドアと入口の間に男の足が挟まっていて閉めようにも閉められない。「ははは、どうだい君の力じゃ閉まらないだろう。わかったかな? わかったら僕の話を聞い」

「うおおおおお!」何だかムカついた俺がドアを閉めようとする力を底上げする際に出た叫び声。

「ふんぎゃああ!」ドアと入口に足を挟まれ悲鳴をあげるしか行動手段が無くなった男の声。「ちょ、待ってくれ、話を聞いてくれ春賀彼方君ぎィアアア!」

「うるせえ! なんであんた俺の名前知ってんだよなんであんたこんな時間に俺を訪ねてくるんだよ! どこで調べた、俺の個人情報! ストーカーか!」

「ぼ、僕は、君みたいな男の子に興味なんかあぃあああ!」

「それだとあるっぽく聞こえちゃうんだけども!」

「な、無いって! 無いよ! 僕が興味があるのは、妻と娘だけだ! だ、だから、謝るから土下座でも何でもするから力を弱めてくれああああ!」

「……わかった。弱めてやるよ」

 そうして見ず知らずの男を開放してやる俺。涙目になりながら俺みたいな子供に対して「あ、ありがとう」と真正面で謝ってくれる甲斐谷京極という男。俺は、何だかこの男を、そんなに悪い人じゃねえのかもなとか思っちまう。何なんだろうか、この男は。

「ううむ。最初の掴みが物凄く悪いなあ。君には嫌われたかもしれないけど、でもまあ一応礼儀として僕の目的を話しておこう」

 そう言い、俺の返答などお構いなしに喋る甲斐谷京極。この街の大人は皆サンタだということ。山口大津の事件を知り、それのある一部分の方法を知ることによって、事を起こそうと決めたこと。仲間を集めるにあたり、山口大津の事件による被害者の子供も誘おうとしていること。その際に、俺を含む十一人の子供の個人情報を調べたこと。山口大津の娘とやらも、仲間にいること。

 サンタクロースの存在を、街の外にばらそうとしていること。

「僕らは昔からおかしいと思っていた。この街に住む大人は皆おかしいと。そして、二十二歳になった時に聞かされたこの街の不毛な真実。知ってるかい? この街の大人はね、その真実を隠す為だけに地下空間を造り、そこにトナカイを閉じ込めたりしてるんだ」

 そう言う甲斐谷京極の目は。

 見ただけでわかる程の明らかな怒りを、備えていた。「不毛なんだよ、全てが。外の街の人に隠すならまだわかるけど、なにもこの街の子供にまで隠さなくてもいいじゃないか。――サンタは子供に微笑まない。何を世迷言を。微笑めない、の間違いだろう」

 だから僕は復讐をする。粛清という名の復讐をこの街にする。その為に街の外に出ていき、サンタの存在をばらすんだ。「そうすればここまで臨界大勢でサンタの存在を隠す必要もなくなる。僕はね、君みたいな子供にも、出来る限りサンタのことを知って欲しいんだよ」

 だから、どうだい? 出来たらでいい。僕と一緒に来て、その瞬間を見てくれないかい?

 甲斐谷京極の話を聞いた後。

 俺は、少しだけ沈黙した。その間、俺は、考えた。考えに考えぬいた。何をすべきなのか。どうすればいいのか。

 ――甲斐谷京極という男がしようとしていることは、本当に正しいことなのか?

「行くよ。行ってやる」

 答えが出た。だから、甲斐谷京極に向けて言った。俺の言葉を聞くと、甲斐谷京極は「え?」と驚き、こう続けた。「な、え? 本当に来るのかい?」

「どういう意味だよそれは! まさか本当は俺を仲間に誘う気なんかなかったってことか!」

「いや、違うんだ! 誤解しないでくれ! ただ、あの事件の被害者の子供の中で誘ったのが君で十人目でね。一人しか仲間になってくれなかったから」

「……まあ、そうだろうな」

 突然見ず知らずの大人が家にやって来て、しかもいきなり「仲間にならないか」と言われるなんて出来事……完全にヤバイ部類に入るだろう。寧ろそれで首を縦に傾ける奴の方がどうかしてるのかもしれない。

 ――甲斐谷京極の作戦をぶっ潰すという目的を持った、俺みたいな人間以外だと。

 子供ながらに思った。甲斐谷京極の作戦の完遂は、間違いなくやり過ぎだと。何故かはわからない。小難しいことはわからない。でも、感覚で、そう思った。俺みたいなガキがどうにか出来ることならどうにかしようと思ったけれど、どうにか出来ないと判断したらすぐに逃げようと考えた。

「それじゃ、春賀彼方君。このアパートの屋上で待っててくれるかな? さっきさ、君みたいな年頃の男の子と喋ってたら皆に呆れられてね。先に大体集まってるから」

 それだけ聞くとなんだかこの男が俺みたいな年頃の男の子を好きな人みたいに聞こえちまうのだが、俺は無視して「わかったよ」と言い、玄関の鍵を閉めて屋上へと上がった。

 いつの間にか、甲斐谷京極の姿は見えなくなっていた。




 屋上に着き、厳しい表情で佇む大人達とその中に紛れ込む中学生くらいの女の人の姿を確認した俺は、その女の人に話しかけようとしたのだが、その女の人が「やってやるやってやる、父さんの過去を払拭してやるやってやるやってやる」とぶつぶつ呟いているのを聞いてしまい撤退した。俺の判断は間違っていなかったと思いたい。

「やあ、皆。待たせたね」

 それから三十分くらいした時だろうか。眠気を堪えながら無言で立っていると、屋上にある唯一の出入り口から甲斐谷京極が現れた。途端、「待ってねーよあんたのことなんて」「でもホントおそーい」と弛緩するこの場の空気。なんなんだこの人達。甲斐谷京極が現れる前と後じゃあ全然雰囲気が違う。

「ごめんね皆。んじゃさ、そろそろ作戦の説明するね」

 大人達の間をぬって歩き、屋上の端へとたどり着く甲斐谷京極。俺はそこを見るのが何だか物凄く嫌で気分が悪かったのだが、甲斐谷京極は話を続ける。「いいかい。今から君たちにはバラバラにわかれてもらおうと思う。今から僕がある裏技を使ってこのアパートの下に君たちの人数分のトナカイを集合させるから、それに乗ってこの街から外に出てほしい」

 そこから色々いざこざがあったらしいのだけれども。

俺はこの屋上の端に立つ男という構図が気持ち悪くて気持ち悪くて。ずっと頭を抑えてじっとしていたら、いつの間にか周りの大人達もあの中学生くらいの女の人もいなくなっていて、気付くと屋上には俺と甲斐谷京極しかいなかった。

「気分が悪いのかい、春賀彼方君。でもそろそろ行ってくれないかな。早くしないと屋上からアパートの下に降りれなくなるから」

「どういう意味だ、それ」

「ふうむ。これも僕の裏技の一つなんだけど、君みたいな子供には教えてもいいかもだね」甲斐谷京極は俺の後ろにある出入り口を指差し、言う。「『ドアーズスルードア』だよ。もう少ししたら作動して、永遠にこの屋上には入れなくなるんだ」

「はあ?」どんどん痛くなる頭を抑えながら、冷静に徹しながら、俺は甲斐谷京極に聞いた。「なんだそれ。聞いたことねーぞ」

「そりゃそうだろう。小学生があの本を読んでたらびっくりするくらいさ」

「本?」

「うん、本。『ある一つの街の技術』っていう本。作者名が書かれてない不思議な不思議な本のことさ。それには神秘的なことが書かれていた。『機械でつくられた人間』、『三人兄弟の王家の話』、『星の鳥』、『ドアーズスルードア』。そして……ふふふ。これは流石に言えないかな。これを使ってトナカイさん達を皆動かした訳だしね」

 甲斐谷京極の話を聞き、訳がわからない俺は「なんのことだかさっぱりわかんねえ」と叫んだ。だけど甲斐谷京極は俺の言葉を無視し、「僕が造ったドアーズスルードアは時間式なんだよ」とか、「発動したら最後、僕も含めた全ての人が屋上に入れなくなる。証拠隠滅にはもってこいだね」とか、一人で語っていた。

 どうやら甲斐谷京極は自分で自分達を褒めているらしい。――「あれ? 頭が」――それ程までにすごいものなのか、――「頭が痛い」――その、ドアーズなんちゃらって――「頭が痛いんだ」――いうのは。――「頭が痛い! なんだこれ、なんで記憶のない場所を見て頭が痛くなるんだああああ!」

「え! おいおい春賀彼方君! 君、まだ居たのかい!」甲斐谷京極は自分に酔っていて俺の存在に気付いていなかった。

――そして。

俺の異変に気付く、甲斐谷京極。「もう時間がないよ! 君の分のトナカイは下に居るから! 早く出なきゃ、僕の裏技使わないとここから降りれなくな」

 ガチャン、と。

 小さな音が、夜の屋上に響いた。

 何のことだかわからずに、とにかく俺は頭痛を抑えようと切磋琢磨する。でも、おさまる気配がない。「す、すまない! また後で来る! 皆が僕を待ってるから、君は置いていく! すまない!」――甲斐谷京極の声が聞こえた気がした。な、に? もう行く、だと?

いや。

駄目、だろ。このまま行かせるととんでもないことになる。止めないと。「止めないと、止めないと!」


「何を止めるの? 甲斐谷京極の陰謀とか?」


 声が聞こえた。なんだか聞いてて心地の良い、女の人の声。聞いたことのない声だったけど、聞いていて安心感がある、そんな声。そんな声が、地面に手と足をついて顔を向ける俺の左斜め上から聞こえてきた。頭痛に抗いつつ、なんとかその声の主に顔を向けようとした。さぞ美人だろう。そう思いながら、顔をあげたんだ。

 そこには。

 トナカイが居た。「トナカイが、トナカイが喋って、え! えええ!」

「何よ、そんなに驚かなくたっていいじゃない。私が『変身』出来るのがそんなにおかしい?」

「へ、変身?」

「そう、変身。私は変身出来るの。生物限定だけどね」

「…………」

 世の中には不思議なことがあるとは思っていたが、まさかトナカイが喋るというシュールな出来事に出くわすとは思ってなかったので、少しの間だけポカンとする俺。

「よく来てくれたね! さあ、行こうか! 僕の目的と、君の目的を果たす為に!」

「……うん。行こっか、甲斐谷」

 そう話すと、甲斐谷京極の元へと近付こうとするトナカイさん。ちょっと待て。トナカイってことは、空を飛べるってことか。

 だからこそ出来る、屋上の隔離。

 だったら逆に、トナカイさんがいなかったら、甲斐谷京極はこの場所から動けなくなる。

 そうすれば、甲斐谷京極の作戦を潰せるんじゃ――!

「ま、待ってください、トナカイさん!」

 無我夢中だった。いつの間にやら俺は叫んでいて、トナカイさんは「え? トナカイさんって私のこと?」といってこちらを振り向いてくれる。その表情はトナカイが故によくわからなかったが、なんだか悲しそうな表情をしているような、そんな気がした。「貴女はなんで甲斐谷京極に力を貸そうとするんですか! 外の人にサンタの存在をばらす、そんな危険なことに、『変身』なんて凄いことが出来るのに、何で協力しようとするんですか!」

 俺の叫びを聞いた甲斐谷京極が「え、な、春賀彼方君! それどういうことだい! 僕の邪魔をするつもりだったのかい!」とうろたえていたのだがそれを完全に無視した。無視をして、俺と甲斐谷京極に挟まれた位置にいるトナカイさんをじっと見つめた。

「何もないの、私には」俺の方を見ずにトナカイさんは言う。「私に笑いかけてくれる親もいない、友達もいない、生きる目的もない。一年前、私は全てを失ったの。だから、私に生きる指針を与えてくれるなら、私はそれについていくの。例えそれが、悪い方向へ進む指針でも」

「な、んですか、それ……」

 いきなり、だった。

 ――頭が軋む。

訳がわからない、痛みによって。何によってこの痛みが生じているかはわからない。眠い。物凄く眠たい。昔から唐突に眠ることがあったような気はするんだけど、これはそれとは違う症状だった。

 目を背けろ、と。

 頭の中でガンガンと声が響く。ガンガンと。ガンガンと。訳がわからない。でも、響く。目を背けろと、頭の中で。

 意識が朦朧とする中、何も言わなくなった俺に向けて「ごめんね」と言い、トナカイさんが甲斐谷京極へと歩み寄っていく姿が見えた。甲斐谷京極の「まあ、いっか。元はといえば無理矢理押しかけた僕が悪かったんだし、あとで助けに来るよ」という声も微小ながらに聞こえてきた。

 何してる。

 俺は、何をしてる。

 こんな所でうずくまってる場合じゃねえだろ。何もない? 生きる目的もない? 指針があったら、どんな方向でもついていく? ――だったら!

「俺が指針を出す! 俺がトナカイさんの、指針になる!」頭の痛みに堪えながら、睡眠の欲求に抗いながら、俺は立ち上がった。「トナカイさん! 今から、俺と一緒に甲斐谷の作戦をぶっ潰して欲しい! お願いだ! お願い、します!」

「え?」というトナカイさんの戸惑った声が聞こえた。

「そんなの許す訳ないだろう!」という甲斐谷京極の少し焦った声が聞こえた。

 構うもんか、と俺は思った。

 出来るだけのことをしよう。出来るだけのことを言おう。出来るだけ、自分の何かに抗ってやろう。それくらいしか、俺に出来ることはないから。

「選んでください、トナカイさん! 俺についてくるか、甲斐谷京極についていくか!」

「なに言ってんだい春賀彼方君! 彼女は僕についてくるに決まっているんだ!」甲斐谷京極はトナカイさんに向けて叫ぶ。「なあ、そうだろう? 君は僕に会うまで壊れかけていた。だが、僕に会うことによって変われた。だから僕についてきた。なあ、そ」

「違うよ、甲斐谷」

 甲斐谷京極の話を遮って、トナカイさんは言う。「壊れかけてる私なんかに指針を与えてくれる人がいなかったから、貴方についていこうって決めたの。でも、決めてた。私、もし貴方以外に私の指針を決めてくれる人が現れたら、その人についていこうって決めてたの」

 で、貴方は私にどんなことをしろっていうの?

 トナカイさんは俺にそう聞いてきた。頭が痛む中での、問い掛け。よく頭が回らないので、良い指針が思い付かない。どんなことを言えば彼女がついてくるのか、わからなかった。甲斐谷京極が「えええ! どうしよう二人寝返っちゃうって悲し過ぎる!」と叫んでいるのが聞こえる。それをバックに、トナカイさんが、俺に近付いてくる。無言で、俺の前にやってきた。

「なんでもいいんですね、トナカイさん」

「なんでもって訳じゃないけど、甲斐谷のより良さそうだったら、私は貴方の言うことを聞くよ」

「……わかりました」俺は大きく頷き、山口大津の事件によって芽生えた感情とその流れで生まれた一つの夢を、叫んだ。「十年後! 俺と一緒に、街の外に出ませんか!」

「へ?」

 トナカイさんが意味わかんないというような首の傾げ方をする。「どういう意味?」

「俺は、両親とサンタが嫌いなんです! 俺だけ放って、勝手に植物状態になって! 揚げ句の果てにサンタだった! サンタってなんだよ! 意味わかんねえ、訳わかんねえ! 何でそんな重大なこと隠したまま、俺を放って、植物状態になんかなったんだよ!」

「……私と同じ」

「え?」

「あ、え、てことは、君は、サンタとかこの街のことを恨んでるからこの街を出たいってことなのかな」

「そう、です!」若干トナカイさんの口調に乱れが生じたような気はしたが、気にせずに勢いに任せて喋る。

「じゃあ」依然首を傾げながら、トナカイさんは俺に尋ねる。「何で、十年後なの?」

「十年ありゃ考えが変わるかもしれないでしょうが」

「え? どういう……」

 どういう意味?

 そういう風に聞こうとしたんだろう、トナカイさんは。俺に向けて。でも途中で聞くのをやめてくれた。その後じっと考えて、「そっかあ」と納得してくれた。羞恥で顔を俯ける、俺を見ながら。

 十年あれば、人間なんて変わると思うんだ。

 父さんや母さんやサンタが嫌いなんていうこの馬鹿げた考えも、いつの間にか風化して、どうでもいいことになっていると思うんだ。

 だから、それまでは。その感情を手に入れるまでは、生き続ける。――そういう『指針』を示せば、トナカイさんはきっと何も目的がない状態で生き続けるなんてことはしなくなるんじゃないのか、と。

 ただ。

 俺は、思っただけなんだ。

「いい、と思う」

 トナカイさんはいつの間にか俺の左横に居て俺と同じ方向を向いていて、つまりは、完全に甲斐谷京極と対峙する体勢になっていた。「少なくとも、甲斐谷のよりいい。全然いい。私、貴方についていくよ」

「え、え! ちょっと待ってくれ、僕を置いてかないでくれ!」甲斐谷京極がトナカイさんに向けて焦った口調で叫ぶ。「僕の分のトナカイは用意してないんだ! というか、僕の分までトナカイが残ってなかった! だ、か、ら! 今、君に離反されると非常にマズイんだよ!」

 なんだか本気で焦る甲斐谷に対し。

 トナカイさんは、「アハハッ」と返した。

「ふっふーん。寝言は寝て言おうね、おじ様」

 じゃあ、行こうか。私の背に乗って。

 トナカイさんにそう言われたので、俺は言われるがまま茶色い毛だらけの背中に頑張って乗った。もじゃもじゃするなあおいと思った瞬間、俺ごと浮遊する。「うわあ!」「大丈夫大丈夫。安心して私の背中の毛を掴んでて」というやり取りをした後、俺とトナカイさんは屋上から街の空へと飛び出た。徐々に見えなくなる屋上。自然、頭痛がおさまってくる。甲斐谷京極のあたふたしながらこちらを指差す姿が見える。俺とトナカイさんはそれを見て、笑って。

「んじゃさ、どうやって甲斐谷の作戦を潰そうか」

 ――肝心の話へと、移ろうとした。

 考えはあった。大体予測しているから。恐らく甲斐谷京極はあの場から動く裏技とやらを持ち合わせている。焦ってはいたが、多分あれは演技だろう。いや、もしかして本気なのか。ううむ。そんなことは流石にないとは思うけど、甲斐谷京極のことだから有り得るかもしれない。

 まあ、とにかく。

 トナカイさんにやって貰いたいことを、言わないと。「今から、俺を何処かに降ろしてください。そんでもってその後に、お祖母さんが乗ったトナカイに『変身』して欲しいんです」

「なにそれ、どういうこと?」

「恐らく甲斐谷京極は少ししたら俺達と同じように上にあがってくるでしょう。そして街の外へ出て、仲間のあの人達と鉢合わせする。そしたらもうおしまいです。彼らは一斉に、街の外へと出ていくでしょう」

「うん」

「だから、先手をうつ」

 この時、俺は頭の端で何かが迫ってくるのを感じていた。それは、屋上の時にいた時に聞いたガンガンという音を響かせながら、迫ってきていた。

 強制的な睡魔、というやつなのかもしれない。前々から突然意識が途切れることはあったけども、こうして前兆をはっきりと確認できたのは初めてだった。「先手をうつしかない。多少の犠牲は仕方がないです。多分、もう避けられない。だったら、被害は最小限にするべきです」

「……そっか。貴方が言いたいことがわかったよ、私」夜の空の風を感じながら、電気がパラパラと灯っている街を見下ろしながら、トナカイさんは言う。「先にサンタの嘘の正体をばらしちゃうんだ。お祖母さんみたいにそんなに動けない人がサンタっていう風になったら、サンタの名を借りた偽物が現れなくなるもんね」

「ありがとうございます、理解してくれて」

「却下」

「うええええ!」てっきり今の流れは承諾の流れだと思っていたので、睡魔もドン引きするくらいの驚愕を覚えた。「え、駄目ですか! 結構良い作戦かなって思ってたんですけど!」

「うん、作戦自体はいいよ。もっと他にも良いのがあるかもしれないけど、もう時間ないから思い付けないし」

 でもね、そういうんじゃないの。そういう意味じゃないの。「年頃の女に対してお祖母さんになれっていうのは、ちょっと失礼じゃない?」

「…………」

 もう沈黙するしかなかった。この土壇場でいきなり何を言い出すかと思ったら、何のこっちゃ。年頃の女がトナカイに変身するのはよくても、プラスアルファでお祖母さんに変身するのは駄目なのか。「あー、じゃあ白髭のお祖父さんでお願いします。それも若作りしたお祖父さんで」

「オッケー、それならいいよ。最年少の国家錬金術師みたいに真っ赤な服着たお祖父さんプラストナカイに変身したげる」

「ありが、とう、ござい……」

 緊張感が途切れたから、だろうか。

 さっきまで遠ざかっていたと思っていた睡魔が、ガンガンと音をたてながらやってきた。や、ばい。このままだと寝ちまう。駄目だ。駄目、だって。ちゃんと、御礼を言わないと。俺はまだ、この人の名前も知らないんだぞ。

「ねえねえ。貴方、春賀彼方っていうんだよね? じゃあさ、カナタって呼んでもいいかな? いい? ねえ、カナタ。あれ? カナタ?」

 何だかトナカイさんの声が遠く聞こえる。今、俺はどこにいるんだろうか。上空か、地上か。それすらもわからない。ガンガンという音が酷くなってきた。

 俺は。

 とにかく、伝えたかった。「サン、タのこと、お願いします。また、会いま、しょ……う……」

「え、また会いましょう? うーん、わかった。でもすぐ再会じゃつまんないよね」

 何か言ってる。

トナカイさんが何かを言っている。


「じゃあ私、五年くらい経ったら、決まった間隔で私が嫌いな漫画を貴方に貸すね」


 なんでそんな虐めみたいなことするんですか、と聞こうとした。

 聞こうとしたけど、聞けなかった。


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