そして現在 十二
腹が空いたら飯が食いたくなるのと同じ様に。喉が渇いたら水が飲みたくなるのと同じ様に。なにもかもが嫌になったら現実逃避をするかもしくは自分だけのオリジナルストレス発散方法実行を試みるのと同じ様に。
どうやら俺は、またもや寝てしまっているらしい。何をか言うわんや、この睡眠は所謂普通の睡眠というやつとは違う。俺の場合、あのお医者さんが言ってくれたように、半分寝て半分起きているみたいなよくわからない状況になっているらしいのだ。
「キャハハハ! あー、君さ、何でここにいるんだ?」
――そして。
俺はどうやら、また夢を見ているらしい。十一年前。山口大津が巻き起こした連続植物人間化事件。その詳細を回想するという俺にとって拷問に近い行動を、俺は、無意識でやっちまっている。しかしながら先日か先々日かよくは覚えてないがそこら辺の時期に見たあの夢とは少しだけ違う夢のようなのだ。
「予測したんだよ。あんたが来そうな所を予測した。ただ、それだけだ」
そう。
前の時とは違い。
風が吹く夜の屋上という風景が俺の深層記憶から引っ張り出してくることによって完全に再現されていて、かつ、前の時――俺の両親が植物状態にされた時よりも少しだけ経った時間軸の回想をしている。
「へええ。君、もしかしてもしかして子供のくせに俺様よりも賢いのかなキャハハハハ」
山口大津のハンマーによって意識を失った両親を、救急車を呼んで病院まで連れていき、そしてその後子供ながらに涙を流しながら必死こいて調べに調べて、山口大津を待ち伏せすることに成功した時の、回想。山口大津が屋上の端にたどり着いた時、隠れていた俺は姿を表して山口大津に声をかけた。その時の回想を、夢の中で俺はしている。
「賢いとかそういうんじゃねーよ。ぼ……おれは、あんたの目的と噛み合う場所と時間をパソコンで調べて、一番あんたが来そうな所で待ち伏せてただけだ」
この時からだ。そうだ、この時からだった。俺は少しヤンキーぶった口調を使い、自分のことを指し示す時に『ぼく』という言葉を使うことを止め、『おれ』という言葉を使おうと心に誓ったのは。
両親に向けて、自分は少しだけでも間違いなく成長しているのだと示す為に。「だから、賢いとかそういうんじゃない。運が良かっただけだ」
「……うううん? なんだか君、さっきまでと雰囲気違くねーかな? あー、うんうん、まあそんなの俺様には関係ねーんだけどさー。ただ、あれだ、俺様は俺様の目的を達成したいだけなんだ」
だから、邪魔はしないでくれるかな、君ぃ。「俺様は、今日、十組の夫婦を植物状態にしたのさ。それを無駄にしない為にそうそれだけの為にと言ったらまあ間違いなく嘘になるけれど、俺様は、俺様は、ここここからととと飛び降りて、飛び降りて! 植物状態になりたいだけなんだよねキャハハハハ!」
山口大津は高らかに笑っていた。何人もの血がこべりついたハンマーを握った右手も含めた両手を腕ごとグルングルンと回し、「キャハハハ! キャハハハ!」と笑い続ける。首をぶんぶんと振り回し、その無意味な意志を振り回し、多くの人の人生を、俺の父さん母さんも含めた多くの人の人生を振り回して。今この時が幸せなんだと言わんばかりに笑い続け、俺に言う。「だからさ、だからさ! 何で君がここに居るのかはわからないけれど、邪魔をするなら俺様は君を排除するしかないんだけど、どうする! それか、あれだ! 君も俺様と同じ様に植物状態になってみるかいキャハハハ!」
「ああ、いいぜ」
その言葉を待っていた。俺は、山口大津が俺を植物状態にしてくれるという言葉を待っていた。
――両親を嫌いになった。
でも、俺は、その嫌いな両親が俺に微笑みかけてくれない世界で、元気に生き続けられるとは全く思えなかったんだ。「調べたんだ。調べたんだよ。あんたが自分を植物状態にする為に飛び降りる屋上の場所を。ハンマーなんかで自分自身を植物状態にするなんて不可能だもんなあ。だからあんたはあんた自身が植物状態になる為の方法が必要だった。それで、俺も考えた。何が一番適しているのか。失敗する訳にはいかない、植物状態化。事前に風の向きやら強さとかも調べて、ここからなら落ちてもまず間違いなく植物状態にならねえっていう場所。……そこがまさか、ここだとは思わなかったがな」
ここ。
十一年前に俺と父さん母さんが住んでいた場所で、今現在も俺が住み着いている場所。
その、屋上。
そこが一番、植物状態になりやすい場所だった。「調べた、探した、走り尽くしたさ。そんでもっておれは、あんたを見つけた」
さあ。おれを、植物状態にしてくれ。父さん母さんと同じ、植物状態にしてくれ。「お願いだ。お願い、します」
俺はこの時、頭を下げていた。この行動に信じられないと反感をかう人も居るかもしれない。それは仕方ねえことだと思う。なんせ俺は、他でもない俺の両親の仇に頭を下げているのだから。
でも。
俺は、そうするしかなかった。そうするより他に、父さん母さんと同じ状態になれるとは思えなかった。植物状態。そんな状態に俺自身もなる為には、もう、そうするしかなかったんだ。
「キャハハハ。あー、うん。笑えねえや。笑えねえよ」対して。山口大津は、突如真剣な顔になった。その顔は今までのような狂人のそれではなく、普通の大人のそれのような。「さっきのは冗談だ。言っただろ、言ったよな。俺様はさ、子供を手にかけようとはからっきし思ってねーのよ。それこそあれだ、そんなことしたら俺は自殺するぜ。自責の念にかられて、植物状態になるっつー夢のような夢を放り投げて」
「な、何を、何を勝手なこと言ってんだ、お前!」
「あー、わかってるわかってるよお。だから頼むから叫ぶな叫ぶな。そんだけは了承して、俺様の話を聞いてくれるかなー?」
口調こそは軽いが、それを言う山口大津の顔は相変わらず真面目そのものだった。その顔に、その言動に違和感を覚えたせいなのか。俺はいつの間にか何も考えずに首を縦に振っていて、それを見た山口大津が「いよいしょ! ノリがいいねノリノリだねじゃあ話すとしようかね俺様のことを!」と叫びながら屋上の端から離れ、少しだけ俺に近付いて話し始めた。
「俺様にはさ、娘がいる! そうだね、君より二歳くらい上の娘がいるのさ! そして当然、妻もいる! 俺様達は誰もが羨む所謂幸せな家庭とやらを気付いていた! だけど、だけどだ! 俺様は、俺様はあああああ、昔から! そう、昔から! 植物状態になりたかったし、したかった!」
だけど!
それと、同じくらいに! 「俺様は、子供ってのが大好きなのさ! 娘が生まれた時、俺はこの存在とこの存在を苦労して産んでくれた存在だけは何があっても守り抜こうと誓ったんだよねキャハハハ! ……だから。だから俺様は、サンタになった」
そこまで言うと、そこまで叫ぶと、山口大津は俺に背を向けて歩き始めた。その先にあるのは、屋上の端、地面、植物状態。ゆっくりとゆっくりと。山口大津は、自身の夢へと向かうその一歩一歩を、噛み締めて歩いている。
「そこで話しを終わらせんなよ!」当然、俺は訳がわからなかった。突然出たサンタという不可解な単語。当時この街の真実を知らなかった俺は、訳がわからなくなったんだ。「サンタって何の話だ! 関係ねえだろ! なあ、頼むよ、お願いだ! おれを一人ぼっちにしないでくれ! 父さんと母さんと同じにしてくれよ!」
「キャハハハ。悪いけどねえ、君ぃ。それはいささか了解しがたい要求なんだねえ、残念なことに」
「何で、何でだよ!」
「理由は二つ! 一つ、俺様は子供が大好きだ。娘と年齢が近い君を植物状態にする為に、暴力を加えるなんて出来ない相談なんだよねえ。そして、もう一つ」これが一番重要なんだよねと山口大津は続けた。俺の方を見ずに、俺の方なんか見向きもしないで。「俺様はサンタなんだ。俺様だけじゃない。この街に住む大人はぜいいん、サンタ。サンタさん、サタンさーん。そしてそして――サンタは子供に微笑まない。だけどこの街にいる子供達には……。キャハハハ、キャハハハ」
「な、なに、何なんだよ、意味わかんねえよ! もう嫌だ! 嫌ダ嫌ダ嫌ダああああ! 父さん、母さあああん!」
俺は、そうして。
風が強く吹く屋上を、全力で駆け抜け始めた。山口大津による植物状態化。それだけが希望だった。「があああ!」
なのに山口大津は、俺の希望通りに動いてくれなかった。
だったら、俺がとるべき道は一つしかない。一つしかないと、この時は思った。山口大津が俺の予測が当たらずに屋上に現れなかった時に起こそうとしていた行動。
屋上から、飛び降りる。
飛び降りて、植物状態になる――!
「なぁにやってんだ君はああああ!」
なのに。
邪魔をされた。俺が助走して加速をつけて屋上からジャンプした子供の体を、大人の体格をもってして俺の助走の分を無視して普通に跳んだ、山口大津によって。山口大津は、「笑えねえ! 君が落ちたりでもしたら、そんなにこんなに笑えねえことはないんだよねキャハハハ!」と早口で叫んで俺の体を両手で抱き寄せ、「キャハハハ!」という掛け声と共に俺をぶん投げた。そうされたことによって屋上へと強制的に戻された俺。信じられなかった。なんとか手を地面について顔の激突は避けられたけど、飛び降りて植物状態になれなかったので、俺は屋上に居て、その代わりに山口大津が落ちる。
「え?」
何が起こったのか、理解出来なかった。体を包む浮遊感。この場に自分が居ないかのような錯覚を覚える俺。「え?」
笑い声が聞こえる。「キャハハハ!」という笑い声が、どんどん下に向かっていくのが聞こえる。だけど、途中でおかしな音が聞こえた。何かが何かに激突する音。大きな車のような物体が急停車しようとする音。それによって掻き消される笑い声――、いや、違う。掻き消されてなんかない。もう、笑い声が聞こえない。聞こえるのは知らない男の人の「わざとじゃない! いきなり上から落ちてきたんだ!」と誰にでもなく弁解する声。
俺は。
恐る恐る、下を見てみた。屋上の端から体を乗り出し、下を見てみた。「え?」
瞬間、後悔した。
俺の両親を植物状態にし、他九組の夫婦を植物状態にし、街に住む大人は皆サンタだということをばらし、俺を助けた山口大津という犯罪者は――。
「死んでいた。見れなかった。俺みたいなガキが見れるような状態じゃなかった。俺は、最悪だ。父さん母さんの仇に懇願して、父さん母さんの仇に命を助けられた……そして、その仇は……!」
「いきなり何言ってんのかな、ハルカ君は。いい加減そういうの繰り返してるとヤバイ人に見られちゃうからやめた方がいいよ」
「……なんだ、友永さんか」
いきなり声が聞こえたと思ったら、友永さんだった。俺の方を向きながら俺の前に立ち、「なんだとは何さ。失敬だよ、ハルカ君」と俺に対して遺憾の意をさらけ出している。
うん?
というか、今、どういう状態だ? さっきまで俺はツチクラの両親の病室に居なかったか? そうだよそうだ。ツチクラの両親も俺の両親と同じで、植物状態だった。その重大な事実を知って、そんで、その後の記憶がない。いやいや違うな。あるにはあるんだが、ぼんやりとしていて何もかも思い出せない。故に、そこからプッツリ記憶が途切れている状態にある。
ああ。
どうやら俺は、また、寝てしまったらしい。病気とやらだ。お医者さんが言っていた、あの病気。つまりはそのせいで、意識のない間に今の様な状況に陥ってしまったということなのか。
今の、状況。
風が少し冷たい夜の街。前方には友永さん、右手に以前見た瞬間移動装置っぼいものを握る友永さん。風によって少しなびくポニーテールを左手で抑える仕種がやけになまめかしいことこの上ない。そんな友永さんの顔には、今までに見たことがない程、真剣な眼差しを携えていた。「あと少しだよ、ハルカ君。あと少しで十二時キッカリになるから。そしたら、さっき言った通り、面白いもの見せてあげる」
「……あー」怒るだろうか。俺が、全くもって今現在の状況がわからないと言ったら、友永さんは怒るだろうか。それこそ図書館の時と同じ様に、有無を言わさず瞬間移動されるのかもしれない。だが、聞かない訳にはいかなかった。何故なら目の前に居る友永さんは世間一般でいう犯罪者という人種で、これ以上何かをしようというのなら止める必要があるし、サンタ試験のこともある。そして、何よりも、今居るここが過去の因縁の場所だったから。「友永さん。友永さんは、何をしようとしてるんだ」
「ふーん。結構陳腐な質問するんだね、ハルカ君。そんなこと聞かれなくったって、今から見せてあげるって。私がハルカ君にどんな思いを抱いてるのか。その思いを糧に、私が裏で何をしていたのかをさ」
友永さんに言われてぎりぎり思い出す俺。新美教官に貰った数々のヒント。新美教官から預かった、甲斐谷京極のボイスレコーダーを。そうだ。ぼんやりとだが、覚えがある。そういえば俺はこのボイスレコーダーの内容を余す所なく聞いたんだ。
だから俺は友永さんに接触しようとした。だけれども、午後六時かそこら辺で彼女からメールが来て、十二時前にこの場所に来るよう言われたような気がする。多分、間違っては、いないと思う。俺にしては珍しく自信があった。何故かはわからないけれど。
「なあ、友永さん」なのでまず俺は聞くことにした。いくら考えても想像の域を脱しないこの事柄についての真実を。「新美教官とは、どういう関係なんだ?」
「え? 新美教官って、もしかしてレイコちゃんのこと?」
「レイコって名前が新美教官の名前なら、多分そうだ」
「アハハハハ」新美教官の実に女性っぽい名前を知った後、俺は友永さんが笑うのを見た。いつかの時に見た、黒い黒い笑い。「うん。私とレイコちゃん……新美麗子は友達だよ。私ね、全部教えてもらったの。レイコちゃんから、本当のこと。びっくりしちゃったよ、私。だからね、本当のことを知った私はね……ハルカ君に復讐しようと思います!」
ぱんぱかぱーん! 十二時になっちゃいました!
大きな声でそう叫び、俺に見せびらかしながら堂々と瞬間移動装置を勢い良く押した友永さん。何の音もしなかった。なのに、友永さんはしたり顔になり、俺の目線の先には信じられない光景が広がることになった。
屋上を越えた前方の空中に。
浮遊するトナカイと、それに乗った一人の男の姿を視認した。「……まさかここで君が再登場するとはなあ。可能性の一つとしては考慮してたけども、まさか過ぎてリアクションのしようがねえよ」
「全くだな、春賀彼方」
トナカイの背に乗る男――カタギリ君は、珍しく少し困惑したような表情のまま、話す。「友永由里からこの場に瞬間移動させられるとは聞いていたが、まさか君が僕の目の前に居るとは」
「ああ。俺も驚いた」
気付けば友永さんの姿が見えなかった。俺がトナカイに乗るカタギリ君に気を取られた隙に瞬間移動したのだろうか。まあ、いいか。友永さんのことは後回しにしよう。
とにもかくにも。
今は、目の前に居るカタギリ君の方が先だ。サンタしか乗れない筈のトナカイの背に楽々と乗るカタギリを何とかする方が、先決だ。「カタギリ君。二つ、質問していいか」
「ああ。まあいいだろう。君のことだ、僕が過去に間違いなく言った事柄であろうとも、忘れている可能性が否めないからな」
「その憎まれ口も久しぶりだなあ、カタギリ君よう」出来るだけ真面目な表情をつくりながら、俺は右手の指を二本立てる。「一つ、カタギリ君の目的は何か。そして、もう一つ、カタギリ君と甲斐谷京極にはどんな関係性があるのか。この二つに答えてくれると助かる」
図書館で。
カタギリ君と友永さんは、俺の質問に対してはぐらかそうとした。
「いいだろう。答えてやる」トナカイの手綱をしっかり握ったまま、カタギリ君は言う。「僕の目的は、甲斐谷さんの目的の完遂――すなわち、全世界にサンタクロースの存在を広めなおすこ」
「とか言うように、友永さんに指示されたのか、カタギリ君」
俺がカタギリ君の言葉を遮って言うと。
カタギリ君は、何も言えなくなって無表情のまま固まった。すかさず俺が、「嘘、つかないでくれ。俺さ、大体予測出来てるんだよ。カタギリ君には少しだけ甲斐谷京極と関係性がある。でも、少しだけだ」とカタギリ君に向けて言うと、カタギリ君は「何なんだ君は。なんだか僕の知っている春賀彼方とは別人のようだぞ」と驚嘆した。「確かに僕にはこれと言った目的はない。数日前に友永由里と接触し、『十年前』を返すついでに言われた友永由里の指示に従っているだけだ」
だが。
甲斐谷さんとの関連性と聞かれるならば、僕はちゃんと胸を張って答えられる。「十年前、僕は両親を恨んでいた。貧乏で何も買ってもらえない。だから僕は、クリスマスの日にだったか、家を飛び出してうずくまっていた。体操座りで行儀よく。そうしていたら、あの男――甲斐谷さんが僕の前に現れて、こう言ってきた」
――「僕はね、僕が上手くいかない時、僕が悪いんじゃなくて世界が悪いと思うようにしているんだ。君はどう思う?」
俺は、甲斐谷京極がそんなことを言ったこと聞いたことがなかった。記憶がなくなっていたとしても、記憶がなくなっていなかったとしても、とにかく俺はそんな言葉を聞いたことがないという自信が何故だかあった。十年前のクリスマスは強烈な出来事のしかなかったからな。病気の俺でも忘れているとは考えずらい。実際に俺は九年前のことを覚えていなくても、十年前のことは覚えている訳だし。
「甲斐谷さんの問い掛けに対して、僕はわからないというような返答をした覚えがある。そして僕は甲斐谷さんに誘われた。もし十年後にサンタを恨んでいるのなら、仲間に加えてくれる、と」
今、もし、聞かれたら。貧乏な家庭を築く親のようなサンタを恨んでいるかと聞かれたら。聞かれ、仲間に加わらないかと誘われたら。「僕は、迷わず否定する。拒否する。十年前のクリスマス、夜遅くに帰った僕を泣きながら抱きしめてくれた両親を、恨むなんてことは有り得ない」
「……そっか」
一気に喋ってくれたカタギリ君の過去と真意を聞き、俺は一先ず安心した。
カタギリ君はサンタを恨んでいなかった。
サンタクロース。
つまり。両親。
俺とは違って、その二つの存在を、恨み、嫌ったりすることはしなかった。友永さんの指示に従っているだけでカタギリ君自身に悪意は全くなかった。それさえわかれば、充分だ。
「ありがとな、カタギリ君。俺なんかに本当のこと言ってくれて」
「俺なんか、などという表現を使って自分を下にさげるな、春賀彼方」カタギリ君は尚も無表情のまま、俺に言う。「今の君、本気の君、本当の君……。どんな表現でもいいが、君はどうやら僕が前々から思っていた人物とは違うようだ。……春賀彼方。君はもしかして、本当に甲斐谷京極に会ったことがあるのか?」
「おう。あるぜ」
「あるのなら、教えてくれないか。君と甲斐谷京極との関係性を」
「……わかった。わかったよ」
そうだ、な。カタギリ君には言ってもいいのかもしれない。少しでも甲斐谷京極と関係性があるカタギリ君なら。今まで誰にも言ってこなかった、変身が出来るあの女性しか知らない真実を。「前に言ったよな。『十年前』って本に書かれてた内容は嘘っぱちだって」
俺は、知っていた。実際に見たから。甲斐谷京極の思惑が最後の最後で失敗するところを、実際に見たから。
「十年前。――俺は、甲斐谷京極の思惑を最後の最後で潰したんだ」