そして現在 十一
新美教官は俺が今居る病院のものとは違うナース服を着ていた。何が違うのかというと、服全体の色とスカートであーる。俺が見知ったナース服というものは全体的に白いのだが、新美教官のナース服は全体的にピンク色々なのだ。そして、何故だか、ミニスカート略してミニスカを履いている。しかもそれによって必然的に見えちまう細長い足には黒いニーソックスをはいているので、もう、あれだ、悪い気はしないんだけども、これはナースという職業に就いている人にしては些か誘い過ぎなのではなかろうか。「てか、新美教官が何でナース服着てるんですか? まさか、サンタ試験教官と看護士を兼業したりしてるんですか」
「んなハイスペックを持ち合わせる程私は出来た人間じゃねえよというか私はとりあえずお前をボコボコにしてやりたいんだけどな何でお前さんは私が伝言した甲斐谷京極との約束を無視するんだアアン?」
長々しい台詞をぶつぶつ呟いた後、一回大袈裟なため息をついて新美教官は言う。「私が何で病院なんて場所にこんな格好して居るのかっつー質問に答えるならよ、まず、私が何でお前の前に居るのかについて話さねえといけねえんだ」
「え? もしかして、ストーカーしてたとか」
「あながち間違いではねえんだよなあ、これが」
自分的には冗談のつもりだったのだがどうやら図星をついてしまったらしいとかなんとかかんとか、以前、カタギリ君と友永さんと話していた時にも同じ様なことがあった気もするが。
少なくとも、この俺に。
何度も何度も他人の図星をつくなどというクオリティーを期待してもらっても困るという訳でございまして。
俺の予想通りというおこがましい表現を何の気無しに使いながら、俺は新美教官が「まあ、よ」と注釈を加える話の前触れを聞いた。それを言う新美教官の顔は気まずい様子で、少しだけ心苦しそうだった。「前に土倉佐中受験生や片桐真哉受験生のあとをストーカーしたって話、しただろ。それと同じことを今回お前にしたって訳だ、春賀彼方受験生」
「え?」
ふいに冷や汗が額から垂れる。「てことは新美教官、俺がさっきまで先生とどんな話をしてたのかも聞いたんですか」
「そう、なるな」ポリポリとメガホンを持っていない方の左手の人差し指で頭を掻きながら続ける新美教官。「一応約束を取り付けた側として建前上ぶちギレたんだがよ、まあまあギリギリ納得した。要はお前、私が伝えた甲斐谷京極との面談の話を忘れてたんだろ? それじゃあ怒るに怒れねえわ。元々甲斐谷京極なんてどうでもいいし」
「それにしちゃあ無茶苦茶怒ってた様に見えましたけど」
「いやあ、もしかしたら春賀彼方受験生がしらばっくれてるかもしんねーだろ。まあ流石にねえとは思うが、それに備えて先に怒っておこう作戦だ。あ、今更だが言っておく。理不尽を許しちゃいけねえと世間一般ではよく言うが、私との会話に関してだけは理不尽を許せ」
「…………」
何気に酷いことをしゃあしゃあと言ってのける新美教官だったんだけど、実際のところ俺は新美教官から教えてもらった甲斐谷京極との面談を無視したのは紛れも無かったので何もいうことが出来なかった。俺のことだ。なんか言った拍子に思わず口を滑らしちまう可能性も否定出来ねえ。そしたらもう予測するまでもなけ新美教官のメガホンが炸裂することは間違いないだろう。病院の廊下に鳴り響く新美教官の怒声、それを必死で堪えながら「やめてください新美教官ここは病院です静かにしましょう!」と叫ぶ俺。誰も幸せにならねえよなあこの展開は。うーむ、やはり言うのはやめよう。その方が俺と新美教官と病院の為だ。
「ま、気張れよ春賀彼方受験生。大丈夫。しっかりばっちり前だけ見てりゃ、その内楽しいことが見つかるさ」
過去に縛られる奴なんて世界中に山ほど居る。春賀彼方受験生だって、土倉佐中受験生だって、片桐真哉受験生だって。この私でさえそうだ「でも、だ。私も含めて、お前らは内面がボロボロでも表面上はピンピンしてやがる。だったら、多分、大丈夫だ」
そう言いながら俺の肩を左の掌で軽く叩く新美教官。そう言う新美教官の顔はとても穏やかで、今までに見たことがないくらい輝いていた様に見えた。
これは新美教官が過去を少しでも払拭したからだろうか。
それか、新美教官がナース服を着ているからだろうか。――いや、無いな。これは多分ない。うん。
俺は。
「んじゃまあ今度は私から話させてもらおう。今度こそ忘れんなよ。なんせ春賀彼方受験生が大好きな土倉佐中受験生からの伝言なんだからな」と、言う新美教官を。
「すいませんがちょっと待ってください」と言って制止し、「な、何だよ」とうろたえる新美教官の目を真っすぐに見て、発言する。
「ありがとうございました、新美教官。おかげでちょっと楽になった気がします」
過去にとらわれているせいで病気になっていると宣告された先刻から、俺は少しだけナーバスになっていた。否、違うのかもしれない。そうだ。白状すると、俺はかなりナーバスになっていた。
十一年前。
山口大津という犯罪者に植物人間にされた父さんと母さん。その二人に対して俺が選んでしまった選択。
そして。
――俺が山口大津を殺したことにもよる、精神的苦痛。ストレス。トラウマ。
それら全てがお医者さんの宣告により、重くのしかかってきた。別にたいしたことじゃないよと誰かが言ってくれればいいのだが、たいしたことだから俺は苦しんでいた。何しろそのせいで他の人達に迷惑という迷惑をかけていたのだから。だから俺は苦しんで、苦しんで、苦しんで。もがきあがきわめこうともせずに、ただただぼうっとその場をやり過ごそうとしていた。
「ありがとうございます、新美教官」
だが、新美教官は。「ナース服に着替えて変装するくらいなんですもんね。本当は俺の前に現れる気なんかなかったんでしょ。それこそ、ツチクラの時やカタギリ君の時の様に」
それでも新美教官は俺の前に現れてくれた。甲斐谷京極との約束をはごにしたとかいう、今日の昼にでも言えばよかった――取って付けた様な大義名分を掲げて。
俺の言葉を聞きながら、新美教官はなんだかもじもじとしていた。
それでも俺は、新美教官に言いたかった。今の俺の気持ちとやらを。「頑張ります、サンタ試験。そんでもって合格してやります。楽しみにしててください、新美教官」
「ふははひっ」俺が思い出したら即刻沸騰しそうになるほどこっ恥ずかしい台詞の連鎖を言った後、新美教官は人間が用いる言葉とはまた違うものみたいな声を出して、こう言った。「あはは、あははは! あー、もうよ、もうよ、なんだかもうよ、お前のそういうところがもうなんだかなって感じだなー、おい!」
先走ってんじゃねーよ!
と。
病院に居るのをお構いなしに腹を抱えて高らかに笑いながら新美教官は喋る。「ぶっちゃけた話すんぞ! 私がナースに変装してるのは、ただの趣味だ!」
「趣味なんですか!」意外と新美教官がコスプレイヤーだった事実に驚愕しつつも、俺は軽く考えた。「え、じゃあ、何で新美教官は俺に話しかけてきたんですか! 俺を慰めてくれに来たとかそんなんじゃないんですか!」
「そんな訳ねーだろ! てかそもそも私は土倉佐中受験生や片桐真哉受験生をストーカーした時も、ちゃんと最後には私がストーカーやってましたってネタバレしてるからな! お前だけが特別じゃねーんだよ!」
まあ、いいよ! お前はそれでいいんだよ!
俺が素像を絶する恥ずかしさのあまり病院の廊下をうおおおおと叫びながら走りまくりたくなる強迫観念を無理矢理抑えようとしていると、新美教官はふっと真面目な顔になった。周りには相も変わらず沢山の人が。そういやここ病院の廊下じゃねーかやべえよ騒ぎすぎたと思った直後に、新美教官は言う。「春賀彼方受験生! お前はそれでいいんだよ! 昔のトラウマとか、病気とか、甲斐谷京極との因縁とか、気にすんな! 全部ひっくるめてお前だ、春賀彼方受験生!」
そう叫ぶと少しだけ俺と距離をとり、ポケットから何かを取り出して投げてくる新美教官。危うく取りこぼしそうになりながらもなんとかキャッチした俺は、その黒い物体を見た。
それは、手の平サイズのボイスレコーダーだった。
「甲斐谷京極からの送りもんだ。本当だったら昨日お前が手に入れてた代物だよ。それを今日の夜くらいに聞いて、甲斐谷京極からの指示に従ってくれ。そうすりゃ道は開ける筈だ」
「な、え、どういうことですか新美教官! 俺に何をしろってんですか!」
「またまたぁ、しらばっくれるねえ春賀彼方受験生。私はわかってるよ。お前、もう大体わかってんだろ? 誰が嘘をついていて、誰が本当のことを言っていないのか」
「……何のことかさっぱりわかりません」言いながら俺は額から垂れる冷や汗が増えるのを感じた。
さっきまでの温和な雰囲気とは一変した。
何だ、この人。
俺の考えをどれだけ見通してるんだ。「とにかく、俺は、目の前のサンタ試験のことだけで精一杯なんです。だから」
「だから、友永由里が何者なのかとか、片桐真哉受験生が何者なのかとか――土倉佐中受験生が何者なのかとかを考えたり推測したりする暇もないってか?」
ぐうの音も出なかった。
この人、多分だけど、俺の考えを大体予測している。
「私はな、ヒントをあげてるんだ。そのボイスレコーダーの内容と、あとは、私と友永由里の本当の関係性さえわかりゃあ、おおまかな真相にはたどり着く」
なんせお前は、一番際どい部分の過去を見たんだから。「私が単なる優しいコスプレ好きのメガホン持ち教官だとは思わない方がいいぞ。何故なら私は、一度は私を殺しに来た友永由里と組んで、友永由里に十年前の『真実』を教えてやった人間なんだからよ」
ニヒヒッ、と。
口の端を歪めて、いかにも悪キャラな雰囲気を醸し出して新美教官はそう言う。俺は何も言わずにただ立ち尽くして、新美教官が「あ、そうそう」と言い出すまで新美教官のことをじっと見つめていた。「春賀彼方受験生へ、今さっき私が会った土倉佐中受験生から伝言だ。「漫画は持って帰ります。ごめん、やっぱりあんたに私の弱った姿なんて何があっても絶対にこれ以上見られたくない。四階の五号室に行ってください。じゃあ、また明日」だそうだ。伝えたぞ。記憶したか?」
「……はあ、まあ」
新美教官の姿に圧倒されながらもなんとか声を出して返答すると、「そうかそうか。じゃあな春賀彼方受験生。さっきのお前の選手宣誓、忘れねーからな」と言ってすたこらさっさと新美教官は去っていった。本当に去っていきやがった。こんだけ俺の心情に波風たてといて。嵐か、あの人は。
えっと。
とりあえず整理しよう。運良く新美教官の言葉は大体記憶しているので、新美教官が最後に言ったツチクラからの伝言を頭の中で再生してみる。ううむ。つまりはツチクラはもう帰っていて、俺に一人で四階の五号室に迎えやと遠回しに命令しているのか、あいつは。謝罪しながら人の行く先を指定させるとか。やはりというかなんというか、半端ねえな、ツチクラは。
まあ、なにはともあれ。
――これで、新美教官と会話をしていたらすっかりツチクラのことを忘れていたことをごまかせる。
「そうだなあ、父さん母さんは後回しにするか」
静かになった病院の廊下を、患者さんや看護士さんがさっきまで無茶苦茶うるさかった俺を冷たい目で責めてくる病院の廊下を歩きながら、じっくりゆっくり考える。俺の父さんと母さんの部屋は五階にあるからな。先にツチクラの指令を果たすとしよう。
エレベーターを使わずに、階段でのらりくらりとあがって、そして四階までたどり着く。息も絶え絶えだった。そりゃそうか。病気宣告されるし新美教官から笑われるし新美教官から見抜かれるし階段をあがるし。疲れることが重なり過ぎてる。もっと気苦労しない日々を送りたいもんですねえと、夏場の田舎に住む蛙が思いそうなことを思ってみる俺。
そんなこんなで。
四階の病院の廊下を歩き。
五号室の前に、着いた。
「な……」瞬間、俺の口から驚嘆の声が出る。「嘘、だろ」
五号室の入口には。
『土倉清次、土倉小百合』と書かれたプレートが設置されていて。
――五号室の中には、俺が見知った状態下にいる二人の男女の姿があった。
横になって、鼻や口にはチューブが差し込まれ、点滴が刺さっている。
土倉清次というらしい五十代くらいの男性。
土倉小百合というらしい四十代くらいの女性。
二人が二人共、隣り合わせでベットの上に居る。「嘘、だろ」
――植物状態。
ネタばらし。
俺にずっと隠していたこと、俺が気付かなかった何か。
ツチクラは。あの、いつも強気でいつも俺にドギツイ言葉を放ち、俺に漫画を貸してくれたりなんやかんやで俺とよく喋って、大学の卒業式の後で唯一話しかけてくれた、ツチクラは。
十一年前。
俺と同じ様に、山口大津によって両親を植物状態にされた被害者の一人だった。