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そして現在 八

 気付くと目の前が真っ白に染まっていた。

 何がなんだかわからずに途方に暮れる俺だったが、とりあえずまずは現状確認をしようではないかみたいなテンションで渋々周りの確認をしようとする。

 ではでは、改めて。

 周りは真っ白に染まっていた。ただし、俺の視界の中央に映る三人だけを除いて。肝心の俺はというと気をつけの状態で直立不動しており、ただじっと、その三人を眺めている。その三人の姿を確認してしまった瞬間、即座に俺は悟った。

 ああ。

 そうか、これは俺の夢って奴の中なんだな、と。

 恐らくはお姫様抱っこの要領で俺の落下を新美教官に止めてもらった時に寝てしまったんだろう。そう考えると俺は、内心でまたかと呟く。本当にいい加減にして欲しいな、この俺の体質とやらは。そのせいで俺は今現在横になって無防備で寝てしまっているに違いないだろうし。というかあれか、もしかしたらもしかしなくても新美教官の腕の中で寝てるかもしれねえのか。ううむ。良いことの様な悪いことの様な。

 とにもかくにもどうせ起き上がった時に新美教官からのメガホンが炸裂することは目に見えているので、仕方ねえから少しでも寝ている時間を延ばす為に夢とやらに興じてみようではないかと変わり身をしてみる俺。

「カナタには! カナタには手を出さないで!」

 そうこう考えている内に夢の内容展開は始まっていた。三人の中の一人であり、寝間着の上に白色のエプロンを着た女性――俺の母さんらしい人が叫んでいる。誰に向かって叫んでるのさ的な疑問がもしこの場であがったとしたら迷わず瞬時に答えてあげましょう。

「キャハハハ!」三人の内の一人であり、黒いストレートパーマを思いきり振り回しながら右手に持つ工事なんかで使いそうなハンマーを三人の内の二人に向ける男――皆さんご存知山口大津という輩であります、はい。「あああ、大丈夫大丈夫、大丈夫だから! 俺様はさあ、あんたら二人だけを叩きに来ただけだから! 叩いて叩いて叩いて叩いて、あんたら二人が永遠に生き続ければそれでいいだけだから!」

「な、何だそれ! ふざけるのも大概にしろよ!」既にハンマーで一度叩かれたであろう頭を右の手の平で押さえながら尻餅をつきながら、必死に叫ぶ男の人。俺の父親らしいんだ、この人がさ。「何が目的でこんなことを! ふざけるのが目的なら帰ってくれ!」

「あああん、ああん? ふざけるのが目的って何イっちゃってんのあんたはさ。俺様の目的はすなわち人間の永久保存でありそして最上の贅沢の状態なんだよねーでも流石に俺様一人だけだったら寂しいからさ、幸せで幸せな二十人くらいなら道連れしていいかなあなんて、さあ!」

 さあ! さあ! さあ!

 行こうぜ至上に! イこうぜ至上に!

 でもその前に! 聞かせてあげよう俺様の想像する最高の贅沢を! 「俺様はさ、植物状態ってやつが、人間の到達すべき地点だと思うんだよねキャハハハ!」

「……何言ってんのよあんた」

 あのバイオレンスカタギリ君なんか月とすっぽんレベルに陥る程の狂いっぷりを見せつける山口大津に対して、俺の母親が俺の父親の背中を支えながら冷静に反論する。山口大津を見る母親の目は冷酷と表現してもいいくらい鋭く冷たくなっていて、俺は夢の中でこの目を見る度に母親という存在に逆らってはいけねえんだよとそこら辺を歩く誰かに向けて唐突に忠告したくなる。「植物状態が贅沢? ふざけんじゃないわよ。あんなもん残した人を悲しませるだけの病状じゃない。考えてみなさいよ、あんたも。身内の誰かがいつ起きるかどうかわからない状態になって、それをずっと看病する生活。『いつか起きるかもしれない』みたいな小さな希望にすがってさ、そんなの周りから見たらキツ」

 長々と続きそうだった俺の母親の言葉はそこで止まり。

 気を失って、白い床に横になって倒れてしまう。そんな状態になってしまった母親に、「大丈夫か! 大丈夫か、おい!」と呼び続ける俺の父親。

 ――その光景を見下ろしながら、「説教、要らない」と冷たく言い放つ山口大津。山口大津の右手には、俺程度の動態視力では見えないくらい早い速度で俺の母親の頭を縦に打ち抜いたハンマーが収まっていた。「何様? ねえ何様? キャハハハ。あー、わらえねえや。俺様に説教とか何様? キャハハハ、何様?」

 そう言いながらゆっくりとハンマーを振りかぶり。

 依然として俺の母親を呼び続ける俺の父親に、「何様?」と尋ねながらハンマーを横に一閃する。そうして、そして。俺の母親と父親は動かなくなり、横に倒れてしまった。

 ここからは駄目だ。

 ここから先は、いくら十一年経ったからといっても頭の苦痛なしに見れるような代物じゃあねえ。でも俺は見るしかなかった。何故ならその光景は俺の精神的苦痛であるトラウマという奴が見せている光景であり、俺は、十一年前に隣の部屋の布団の中で震えながら見ていたこの光景を見ないということを、選択しないなんて選択は許されない。

「駄目駄目。あんたらが植物状態になるにはさ、まだまだまだまだ叩かれ叩かれ叩かれ叩かれないと駄目駄目なんだよキャハハハ!」

 だから俺は唸りながら見た。山口大津が「キャハハハ!」と笑いながら、何回も交互にハンマーを俺の両親に振り下ろす光景を。人体の至る部分に鈍器が振り下ろされる。鈍器が俺の頭の中を震わす音が、響く。響く。響く。空虚の空間を震わしながら。俺はそれを見ながら泣いて、悲しんで。でも、それでも恐怖のせいで動くことが出来なかった。

「さああああ、次の道連れ候補の家へゴー! そうだ、京都へ行かずに植物状態になろう! オレサマさまはサンタさーん、でも少し変えればサタンさーんたキャハハハ!」

 山口大津は俺なんかに目もくれずに家から出ていった。それを見計らって「ママ。パパ」と呟きながら登場する子供の頃の俺。横たわって、意識を失っていて、呼びかけてもゆすっても何の反応も示さない

 ドクン、と。

 何かが揺れ動く音がした。

 そして芽生える感情。この溢れ出る激動を、自分でなんとか制御する為に生み出した感情。「ママとパパはぼくを置いていくの? 嫌だよそんなの。ぼくは嫌だよ。……嫌だから! 嫌だから! お願いだよ返事してよ!」

 もし返事をしなかったら「返事をせずにずっとこのままだったら、ぼくは、ママとパパを嫌いになるから!」――。




「そんな選択をした自分も嫌なんだ……だから俺は自分が嫌いで母さんも父さんも嫌いで、でも、俺は本当は、本当は母さんと父さんのことが……っ!」

「おう、やっと起きやがったか。おはよう」

「……おはようございます」そう答えると、俺は俺を包むかけ布団を押しのけながら体を起き上がらせる。

 どうやらどうやらここはアパート二階の俺の部屋の寝室らしく、俺がいるベッドの横にあぐらをかきながらメガホンをティッシュで掃除していたらしい新美教官ウィズ帽子はつまり、どういう訳だか理解不能だけども俺の家の中にいるということになる。おいおい。てことは俺と新美教官しかこの部屋には居ねえってことか。なんだそれ。どんな展開の末にこうなったんだよ。「えーと、なんで新美教官が俺の家に?」

「ああん? 何だお前、そんなことよりも何よりもまず私への御礼から会話を始めるんじゃねえのか」

「御礼? ……何に対してですか?」

「ふざけんなこの奇想天外野郎がっ!」キレるとなったらすかさずメガホンを口の前に持っていって叫びだす習慣があるっぽい新美教官。言うまでもなく俺は「ヘァッ!」と何の工夫もなしにお約束の悲鳴を叫び、涙目になりながらシャキンと意識を覚醒させられた。「まず、よくは知らねーが何の装備もなしにスカイダイビングしてたお前を私が華麗にキャッチしたことに対して! 次に、その後即座に寝始めたお前をこの部屋まで連れて来て寝させてやったことに対して! 最後に、一日の内三回くらいお前を看病に来たことに対してだ!」

「耳に響くどころか多分アパート全体に響くと思うんでとりあえずメガホンを置いてください話と指摘はそこからにしましょう!」

「なんだ、そうすりゃ春賀彼方受験生は私に御礼を言うのかあっ!」

「そりゃそうなると思いますよヘァッ!」

「よぉうしわかった置いてやるよ!」

 意外と簡単にメガホンを置いてくれた新美教官。なんだこの人、そこまでメガホンに執着心がある訳でもねえのか。それか、頼まれたから仕方なく置いたのかのどちらかか。まあどっちにしたって結局メガホンを置いてくれたんだから俺には関係ねえな、うん。そうやって合理的に且つとんとん話を進めようとする男、それが俺という存在であります。「……ありがとうございます、新美教官」

「その御礼は何に対してだ」

「メガホンを置いてくれたことに対してですね」

「そうか。じゃあ足りねえな、もう一回叫ばせて貰おうかあ!」

「ああああとあれです、あれ!」目の前の眼光から逃れる為に思わず取り繕おうとする。「新美教官が俺を助けてくれたことに対してと、俺をこの部屋まで運んでくれ……」

 そこまで勢いで言ったところで自分の発言内容に不可思議な点を見つけてしまった。

 いくら頭がパーな俺でも、鍵の開け閉めくらいはキッチリやってる筈だぞ。「新美教官。あの、どうやって鍵がかかってた俺の部屋に入れたんですか」

「ん? そんなもん言わなくてもわかるだろ。先が尖った針金で十秒くらいドアノブいじりゃあ開くだろうが」

「犯罪者ここに極まり! ちょ、ピッキングで新美教官は俺の家に侵入したんですか!」

「何だよその言い分はよ。まるで私が悪いことしたみたいに」

「間違いなく圧倒的に悪いことしたんですよ新美教官は!」

「へえ。お前、何気に度胸あんのな」俺が心から湧き出る勢いに任せて文句を言い切ると、新美教官はニタリと召喚されたばかりの悪魔みたいに笑う。そして手に取る、メガホン。「わかってるか? 私がここで「キャー助けて襲われるー」みたいな叫び声あげたら、お前は一瞬で犯罪者の仲間入りなんだぞ?」

「…………」

 脅迫がやけに生々しくてリアクションに困った。ああっと、まあ確かにこの場この時間帯で叫ばれたらお隣りさんなんかに聞こえて俺の信用はがた落ちになるかもしれねえ。あれ? というか今は何日の何時で、そして俺はどれくらい寝ていたんだ? 尚もニヤニヤしている新美教官の顔を見ながら、俺は徐々に重要な出来事の数々を思い返す。

 ツチクラの意味深な言動。

 カタギリ君がもしかしたら十年前にあの場所に居たのかもしれないということ。

 友永さんの思惑。

 そして、「……忘却の彼方に放っててすっかりさっぱり完全に忘れてたぜよ! うおいサンタ試験! うおおいサンタになる為の試験、え、今何日! 何時なんだ! ふおああヤベエ!」

「ヤベエのはお前だっつーの一回落ち着けやあっ!」

「ヘァッ!」

 極度の混乱により沸騰しかかっていた俺の脳の働きを新美教官のメガホン攻撃が沈めてくれる。いやいや、沈めてくれるのはいいんだ。そこには感謝したい。本当に。本当と書いてマジと読む俺の心境。でもそのせいで俺の鼓膜とかお隣りさんとの関係とか色々と崩れそうになるのだけは止めてほしいなあなんて思ったり。

「すいません、新美教官」ようやく俺は冷静になり、新美教官に一応の謝罪をする。「あの、それでですね。差し出がましいとは思うんですけど、今が何時で、サンタ試験は残り何日か教えてくれませんか?」

「その前に言うことがあるだろ」

「え、何かありましたっけ? ピッキングのやり方教えてくださいとか?」

「お前の頭をピッキングしてやろうかああんっ!」俺の冗談を聞くと、新美教官は今度はメガホンを使わずに怒鳴るだけという手段で俺に対してキレる。眼光の鋭さが今までで一番凄まじいように感じるのは俺だけなんだろか。どうやら新美教官、本気の本気で怒っているご様子。「三つ目! 三つ目だ! それに対して御礼言ったら私は何でもお前の質問に答えてやる!」

「え! じゃあラーメンを夜食に食べると無茶苦茶美味な理由とかも教えてくれるんですか!」

「真っ先に聞きてえのがそれかよお前! 人生もっと充実させろこの野郎!」

「そこまで言わなくったっていいじゃないですか!」

「ああ、もういい!」はいはいわかりましたよ答えりゃいいんだろ答えりゃみたいなことをいいたげなそぶりをした後、新美教官は立ち上がって俺の顔に新美教官の顔を近づける。近い。新美教官の顔が近えよ。「いいから早く御礼を言え。いくらお前でもほんの数分前に私が言ったことだ。覚えてんだろしらばっくれてんじゃねえぞおいおいおい」

「……ええっとですね」

 何故ここまで新美教官は俺からの礼なんかにこだわるんだろうか、という疑問はさておき。

 やっぱりここでもお約束。「先に言っておきます。すいません、新美教官。覚えてな」

「頭ピーマンで耳がちくわな奴って本当に居るんだなここによう!」

 新美教官の顔が俺のすぐ目の前にある為、大きな声も新美教官の口から吐き出される液体も全て俺の顔面が受け止める形になる。しかしながら俺は本当の本当に覚えてないんですね、これがね。「チッ、んだよ。私のかいがいしい努力は水の泡かよ」と新美教官が悲しい表情で俺から離れるのを見て少しいたたまれなくなり、「すいません、覚えてないです」ともう一度俺が言うと、「うっせえ!」という新美教官からの返事が。「もうお前黙れ。普段は物静かで温厚な少女の私も流石に勘忍袋の緒が切れた」

「あれ、一個も当て嵌まってないような」

「うっせえっつってんだろ! 黙って私の話聞いてないと次はメガホン使うぞ、メガホン!」

 それから正座だ、正座しやがれこのクルクルパーマン! と新美教官が続けたので、文句を言う暇も気力もないまま無言で床に正座する俺。つまりは新美教官が俺を見下ろす感じに。その新美教官の手にはやはりメガホンが。あれ、ここって俺の家だよな。「何で家の所有者である俺がこんな体勢に……」

「ああん! なんか言ったか!」

「いえいえ何も言ってないですだからメガホンを口の前に持っていくのはやめてください!」

「よし。わかったならそれでいい」たまりにたまっていたストレスを少しは掃き出せたのだろう。先刻よりもほんの少しだけ表情が明るくなった新美教官が俺を見下ろしながら言う。「じゃあ今から試験の教官として言わなきゃいけないことと、個人的にお前に対して言いたいことを言わせてもらう」

「そ、それってもしかして愛の告」

「ちなみに春賀彼方受験生が無断でくだらないことを喋った場合、殺す」

「リスクが高すぎてすかさずゲームオーバーになっちまう俺!」

「ああ、喋っちゃったー。さーてとっ、どうしてやろっかなー」

「心なしかこれまで聞いた中で一番新美教官の口調が明るい気がするのは何でなんですか!」

 窮地に追い詰められた俺が幾度になる土下座を決行しようとしたが、ツチクラの台詞を思い出した。じゃあ次に普通の謝罪をしようとしたら、友永さんの台詞を思い出す俺。ヤバイぞこれ。土下座も普通の謝罪も出来ねえ。八方塞がりじゃねえかこの状況。どうしろってんだ。

 俺がそうやってまあまあ真剣に悩んでいると、新美教官が俺の頭を右手でポンポンと叩き、「反省してくれりゃそれでいいんだ」と柔らかく言ってくる。その目は慈愛に満ち溢れており、何だか逆におぞましいと感じてしまう俺は間違っているのだろうか、いやない。「だらっしゃー反語系バンザイ!」

「リアル半殺しを二回繰り返すとどうなると思う」

「リアルに死んじゃいますね俺が! すんません先に進みましょう先に!」

 冷や汗が額を伝い死を覚悟した俺が話を促すと、「ったく、少しだけ見直してやったのによう。次はないと思えよ」とだけ言い捨て、新美教官の本題に入る。ようやく。ようやく、だ。何だかここまでくるのに物凄く時間がかかったような気がする、いやそんな気はしない。そう思うことにしようかみたいな。

「えー。まず、教官としてお前に言わなきゃならないことを言わせてもらおう」そう言いながらどっこいしょと床に座る新美教官、再びあぐらをかく状態に。動きだけ見たら完全におっさんなのだが俺は絶体にそれを言わねえと心の中で誓う。「どうだ、春賀彼方受験生。サンタになる為の試験は突破出来そうか」

「……出来る訳ないでしょう、あんなの」

言われて思い出すサンタ試験の内容。白髭の老人に変身しろというサンタ試験の内容。「変身なんて普通の人間には出来ませんよ。どうしろってんですか」

「まあそう愚痴を言いたくなるのはわかる」

 言いながら陽気に笑いだす新美教官。「変身なんて芸当が出来る奴ぁ、お前が知ってる中では一人くらいしか居ないもんな」

「な……っ!」

 ――今になって思い出した。

 てか何で俺はこんな重要なことを忘れてたんだよ。あそこまで衝撃的な史実を忘れるとか、とうとうここまで来たか俺の頭は。

 目の前に座る女性、新美教官。

 彼女は――『十年前』という本を書いたかもしれない人物で、イコール、十年前にあの場に居たかもしれない人物なのに。

「……新美教官。新美教官って、何者なんですか」

「んん? 何者って聞かれて堂々と答えられるくらいの大層な称号は持ってねえよ。史上最年少でサンタになって、昔、私の父親が起こした事件の償いに奮起するしがない女だ」

 そう言うと、豪快に新美教官は笑ってみせる。新美教官はわかっているんだろうか、知ってるんだろうか。俺が、新美教官の父親――山口大津によって両親を病院送りにされた被害者の一人であるってことを。「……って、あれ? 新美教官と新美教官の父親の名字が違うのは何でなんですか?」

「ああ、そりゃ簡単だ。あの野郎はあの事件を起こす前に私の母さんと離婚したんだよ。そんでもって私の名字は母方のもんだ。母さんは「あんたと私に出来る限り迷惑かけないように私と離婚したんだよ、あの人は」とか言ってやがったが、どうなんだが」

 一気にここまで言うと、「ん?」と一瞬言葉に詰まり、新美教官は恐る恐る俺に聞く。「お前、私が山口大津の娘だって知ってたっけか」

「…………」

 さあここでどう答えるのが得策なんだろうかと悩み始める俺だったのだが、悩んだらとりあえず何も考えないでゲロっちまおうというのが俺の隠れたポリシーってやつなのかもしれない。最終的に俺は少しの躊躇いの後、「『十年前』って本。読ませてもらいました」と新美教官の目を見て素直に答えていた。

 対して。

 新美教官は「ああ。あー」とだけ唸り、「そうか、あれを読んだか。今年の一月に三十部くらいしか売れなくてすぐに絶版になったやつなんだが……」と言う。顔に手を置き、何だか恥ずかしそうだった。やっぱり自分で書いた文章を読まれるのって恥ずかしいことなんだろうか。というか、あれか。「三十部くらいしか売れなかったから読まれるのが恥ずかしいんですね」

「ううう。否定は出来ねえ」意外と何の反論もなしに俺の言葉を受け止める新美教官。「まあ内容が内容だったからな。あんな本を普通の書店で置いたら即刻子供にばれるし、かといって街の外で売る訳にはいかなかったからやむなくネットでこっそり販売したんだが……。よく見つけたな、あの本。希少価値があるぞ、正直」

「あ、いやいや俺が買った訳じゃないんです。友永さんっていう同年代の人が持ってたのを読ませてもらっただけで」

「友永……? ああ、友永由里か。あいつは持っててもおかしくねえな」

「はい?」

 新美教官の言い方に違和感を覚えつつも、「いかんいかんまた話が逸れてる。間髪入れずに言わなきゃいけないことと言いたいことを一気に言わせて貰うぞ」と新美教官が身構えたので、流されやすいタイプの俺は「あ、はい。お願いします」と言うしかなかった。何で新美教官が友永さんのことを知っているんだろうか。まあ、いいかどうでも。

「まず、教官としてお前に言わせてもらうこと。――『トナカイはおおっぴらに飼われている。基本的に小屋の中に居る』。理解したか? じゃあ次、私が個人的にお前に言いたいこと」

「ちょ、ちょっと待って下さい。何の話ですか、それ」

 突然告げられて頭がついていかねえ。えっと、何だっけ? トナカイがおおっぴらに飼われていて、小屋にいる? 当たり前、だろ。トナカイ小屋ってことだよな、この家から歩いて二十分くらいの場所にある。

 そんなの。

この街に住んでりゃ誰だって知ってる一般常識に過ぎねえじゃねえか。

 なのに何故、新美教官はそれを改めて言ってきたんだろうか。教官として言わなきゃならねえこと? 注意事項ってことか。もしくは、試験のヒントってことなのか。あああ、わかんねえ。

「すまねえな。反論も質問も受け付けねえつもりだ、私は。とりあえず言っちまうから後は自分で考えろ。んじゃ、次」そう言うと、俺の困惑などお構いなしに、これまた一方的に新美教官は続ける。「『友永由里と片桐真哉が昨日の昼、接触』。『片桐真哉と土倉佐中が昨日の夜、接触』。『友永由里と私が、昨日の深夜、接触』。そんでもって、『お前のアパートは屋上まで昇れる』ってことだ」

「……は、はあ?」

 何のストップもかからずにこんなにも膨大な情報量を手放しで渡されたのは久しぶりのことだったんで、俺はしきりに戸惑いまくった。その様を見ながら「まあゆっくり考えろ。お前がしっかり理解出来たら、もう一つだけお前に言わせてもらうからそのつもりでな」と平気で言い放つ新美教官。鬼かこの人。これ以上俺を苦しめて何を楽しむってんだよ。

 畜生。

 とにかく俺には、新美教官の言ったことの内容を理解するしか俺の周りで起こっている色々な不具合を解消する方法の道標はたてられないみたいだ。何もいわないで、何をいうでもなく、考えさせてもらおう。

 まず、友永さんとカタギリ君が昨日の昼に接触したことについて。……と、考えようとし始めたところ、即座にこれは考えなくていい内容だということに気付く。律儀と思われるカタギリ君のことだ。大方のところ、『十年前』を友永さんに返しに行ったんだろう。「……というかですね、新美教官。一気に言われてスルーしちまいましたが、何で新美教官がこんなこと知ってるんですか」

「ストーキングしたんだよ」

 ピッキングにストーキングってどんな犯罪者だよ、と深く突っ込むことをやめた俺の選択は間違っていなかったと思いたい。

 次に、カタギリ君とツチクラが昨日の夜に接触したってことか。ううむ。こればっかりは何とも想像しがたい。まさかあの二人が逢い引きの為だけに会うとは思えねえし。いや、もしかしたらそういうことなのか? いやいや、そんな訳ねえ。はっはっは。あー、考えるのをやめようアッハッハ。

 というか、あれ?

 昨日って、いつだ? 「……新美教官。俺って何日くらい寝てましたか」

「おお。ようやくそこに突っ込んでくれたか……てか遅すぎるだろお前……大丈夫かホント……。あー、お前がスカイダイビングしたのが一昨日の昼だ。で、今はそれから二日くらい経った昼だな」

 つまり、今は、サンタになる為の試験四日目ってことになるのか。うわあ。何にもしてねえぞ俺。明日くらいに漫喫行って忍者漫画全巻読むしかねえのかもしれねえなあ。

 まあ、何はともあれ。

 新美教官は二日間俺を看病してくれたってことになるな、多分。

「ありがとうございました、新美教官。俺なんかを看病してくれて」

「お、おお! おおお!」俺が感謝の言葉を伝えると、明らかに朗らかな感じになる新美教官。「は、はは、何てこたあねーよ看病くらい! ははは、どういたしましてどういたしまして!」

 ハッハッハ、何だよお前ちゃんと御礼言えるじゃねーか!

 そう言いながら新美教官は俺の右横に近寄ってきて背中をバンバンと何回も叩き、また立ち上がって本の位置に座り直した。そこまで嬉しいのか、御礼を言われると。メガホン女性が代名詞だと思われた新美教官も案外良い人なのかもしれないとかなんとか上から目線になって思ってみる。

 ああ、そうこうしている内にまた話が逸れた。戻そう戻そう元の話に。

 ――友永さんと新美教官が接触したということについて。

 こればっかりは張本人が目の前に居るから聞いた方が早いだろうということで、「新美教官は友永さんとどういう関係なんですか」と聞くと、「ちょっとした宿敵って奴だったよ、昨日まではな」という答えが返ってきた。

 ナンダソリャ。ナンノコッチャ。

 やばいぞこれは。

 結局のところ、新美教官が提示してくれた内容についてわかったことがほんの少ししかねえ。

 特に、これだ。このことをわざわざ俺に言う必要性が感じられない。「俺のアパートは屋上まで昇れるってことを何で言ったんですか、新美教官。いつの話しですか、これ」

「ん。ハハハッ、あーそうかいそうかいしらばっくれちゃうんだな、お前」

 そう言って、今までの笑顔が一変。

 真剣な表情の新美教官が、俺に言う。「『十年前』を読んだならわかってんだろ? 私は知ってるんだよ。お前が十一年前の事件の被害者の家族で、十年前――それがキッカケで甲斐谷京極に目をつけられたってことをな」

 背筋が凍った。有無を言わさず、俺の言動が縛られる。新美教官の全身から発せられる、無言のプレッシャーによって。

 俺は何も言えなかった。新美教官が「私の父親が起こした十一年前のあれはすまねえな。まあ、今更謝られたってしょうがねえよな。とりあえずそれはおいおい話し合うとして――十年前のことについて、だ」と俺に対して柔らかく言ってきても、俺は、何も言い返すことが出来なかった。

 だから。

 新美教官が「じゃあな。試験、頑張れよ」と言って俺の部屋を発つ前に告げたことに対して、何も考えることが出来なかった。

「春賀彼方受験生。明日の昼、もし時間があるなら刑務所に行ってくれねえか。甲斐谷京極がお前に対して話しがあるらしいんだ」


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