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メタセコイア

作者: 桂螢

メタセコイアの並木道を歩いている。自ら命を絶った夫に思いを馳せながら。


夫はガラス細工職人だった。初対面の頃から、自分は元々は不器用だと、謙虚に自己紹介をしていた。交際を始めて、家事に取り組む様子などを見ていると、確かにそのとおりで、彼の話には嘘偽りがなかった。それでいて、仕事場では一心不乱に細部まで気配りをして、真夏は汗をびっしょりにかいて、作品を作り上げる。そんな一途な姿に、出会った当初から惹かれていた。心もガラス細工のように、純粋無垢で繊細で素直で、混じり気がなく透きとおっていた。


彼は若い頃、樹木医を目指していた時期もあって、植物マニアでもあった。元気だった頃は、住まいでガーデニングに熱中し過ぎて、庭をちょっとした植物園と化してしまった。ベランダに桜の樹を植えたのは彼で、毎年五月には、深紅のさくらんぼを実らせ、私たち夫婦を愉しませてくれた。プロポーズされたのも、青々としたメタセコイアの樹下だった。


私たちは、メタセコイアが生える、精神科病院での断酒会にて知り合った。私たちはアルコール依存症の患者だ。互いに、家族との関係性の問題など、筆舌に尽くしがたい苦しい半生を歩んできた。生き方が下手な者同士ゆえ、波長が合い、何回目かの会で、打ち解け合った。親しくなって数カ月後、彼は自分は依存症だけでなく、バイセクシャルでもあると、カミングアウトしてきた。私を信用し、他者に話しがたいことも打ち明けてくれたのだと感じ、すごく嬉しかった。


入籍後しばらくして、彼は鬱病になった。彼のガラス細工の師匠と、彼のかつての同性の恋人を、ほぼ同時期に亡くし、ふさぎこんでしまった。私自身、彼のバイセクシャルな一面を、気に留めなかったといえば嘘になる。おそらく、まるで腫れ物に触らないように、同性愛の話題を避ける私に、負い目があり、イライラしていたのは、間違いないと思う。日常のささいなことで、互いの気持ちがなかなか通じないことにいら立ち、衝突する場面が増えていった。彼も私もひどい言葉を言い放ってしまった。それでも彼は、私の知る限りは、浮気など裏切ることは、一度たりともしなかった。


鬱病と診断されて一年後、彼は瀬戸内海を渡るフェリーから、入水自殺を遂げた。


結婚前に、初めて贈った誕生日プレゼントの藍染めのジャケットを着ていた。海に飛び込んだ際、妻のことがよぎったのだろうか。


フェリーに残された鞄の中から、私への遺書が見つかった。最期を覚悟していたのだろう。字が普段より丁寧な書き方だったが、震えていた。


「バイセクシャルの俺を受け入れてくれただけでなく、結婚までしてくれた。けれど、俺のせいで、お前の人生は乱されている。どんなに病に苦しめられている時も、お前の優しさだけは、心底信じることができた。俺がこの世の幸せを独り占めできた夫でいられたのは、他ならぬお前のお陰だ」


彼を唐突に失って数カ月後、私は再び歩み出した。もう意地で、という気持ちも大きいが。私同様、家族を自死で亡くした当事者の会に、何回か足を運んだ。それなりの良き出会いもあったが、それでも彼と共に長生きをしたかった。彼は私を純粋に愛してくれた。私も彼を純粋に愛した。この殺伐とした冷たい世の中で、純な愛を与え与えられた関係性は、稀で貴重なものだと思う。愛とは無縁の人生と比べたら、よほど恵まれている。と、どんなに自分に言い聞かせても、つらく哀しい気持ちは強固すぎて、命尽きるまで拭えそうにないが。彼がくれた思い出や言葉は、私の中で育んでいきたい。プロポーズされた時と変わらない、メタセコイアの青葉を揺らすそよ風が、まるで優しかった亡き夫を思わせるように、気落ちしている私を慰め、背中を押してくれているように感じた。

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