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違和感と希望

 気が付くと、知らない天井が俺を向かえる。

 右腕には点滴が繋がれており、どうやら病院のようだ。

 急性アルコール中毒か? 昨日は楽しくて飲みすぎたもんな……。

 起き上がるために手をつくと、左腕に違和感があった。

 包帯でグルグルに巻かれ、薄っすらと血が滲んでいる。

 麻酔が効いているのか、特に痛みはないが明らかに怪我をしている。

 しかし、人間というものは不思議なもので、怪我をしていることを認知すると、急に左腕が痛い気がしてきた。


 ナースコールを押し、この状況を教えてもらう。

 どうやら、昨晩の同窓会の帰りに左腕から血を流しながら、歩いて病院にやってきたらしい。

 その時の俺は酷く怯えていたが何も言わなかったようで、なぜ左腕を怪我していたかわからない。

 薬のせいか? 酒のせいか? 思い出したいが記憶がない。


 数時間後、病院の通報により警察が事情聴取にやってきた。

 何かに刺されたような傷に、最初は事件を疑っていたようだ。

 だが、記憶がないため、話せることが同窓会の帰り道だったことくらい。

 あまりにも少ない情報に、警察からは「酔っ払って怪我をしただけでは?」と、次第に疑いの眼差しに変わっていく。

 深く考えたところで思い出せなさそうな状況に、不思議と不安はなかった。


 両親もお見舞いに来てくれたが、無事がわかるとそそくさと帰っていく。

 暇な入院生活。嫌なことも起こらないので飛ばない時間。

 ただ、ボーッと過ごす日々のなか、普段鳴ることのないスマホに知らない番号からの着信。


「同窓会の帰りは大丈夫だった?」


 声の主はまさかの——相見さん!?

 同窓会で電話番号を交換してくれたことを思い出す。

 番号交換したことを忘れているとは、余程、酔っ払っていたのだろう。

 ということは、左腕の怪我も忘れているだけかな?


 入院していることを伝えると、すぐにお見舞いに来てくれた。

 慣れた手つきでりんごを切る相見さん。

 良いお嫁さんになりそうだな。いや、もう結婚しているか?

 優しく微笑む彼女の姿に思わず見惚れる。


「結婚しているのか?」と、聞きかけた口を閉じる。

 聞いたところで、どうにも出来ないだろ!?

 勇気が出ない自分に、彼女の笑顔を見つめるだけで、……ただ、それだけで幸せと言い聞かせる。


 幸せな時間が一瞬で過ぎ去る。まるで、記憶が飛んだのかと錯覚するほどに。

 彼女の後ろ姿を見つめながら、「また、来てくれるかな?」と淡い期待を寄せる。

 だが、そんな期待が叶うわけもなく……。





 一週間ほどで退院し、元の生活へ戻る。

 持ち歩いていた薬が入院中に切れなかったことは救いだった。

 会社に向かうと、休んでいたことに嫌味を言う部長。

 だが、その程度の嫌味では時間が飛ばない。

 心の余裕が出来たからなのか? それとも、耐性が出来て薬の効果が薄まってしまったのか?

 自然と薬に手を伸ばす回数が増えている気がした。


 だが、嫌なことを忘れられるお陰で、俺は失敗が怖く無くなっていた。

 すると、そのことは仕事に良い影響を与える。

 飛び込み営業は顧客から罵倒されることも少なくない。

 そのため、今まで飛び込み営業に行っても、顧客の顔色を伺って対応していた。

 しかし、顧客に罵倒されたところで、忘れられるなら俺には関係ない。

 グイグイと営業し、それが結果に結びつき出す。


 薬が俺の人生に彩りを与える。

 嫌なことが起こると唐突に時間が飛ぶことも多かったが、徐々に記憶が飛ぶことも少なくなっていく。

 諦めていた人生に、希望の光が差してきた気がしていた。


 そんなある日、部長に呼び出された。

 派遣には三年ルールというものがあるらしい。

 例外や抜け道もあるようだが、基本的に同じ派遣先に三年以上在籍出来ないようだ。

 契約が満了になるのか? そんな不安が胸をかすめる。

 そして、神妙な面持ちで部長が口を開いた。


「間 成也さん!あなたを正社員登用します!」


 在籍期間がもうすぐ三年になる俺を、なんと——正社員登用と言うのだ。

 仕事の成果が認められたことが、素直に嬉しい。

 あんなに嫌いだった部長のことを、「一生付いて行きます」と誓いそうなほど、俺は歓喜していた。

 祝福してくれる同僚。彼らのことは今まで苦手だった。

 だが、祝福してくれる彼らを見ていると、今まで人の嫌な部分だけを見ていた気がして、自分を恥ずかしく思う。


 週末の仕事終わり、正社員登用を祝して部長が飲みに連れて行ってくれるそうだ。

 この会社での初めての飲み会。

 それも部長と二人で飲みに行くなんて、昔の自分が聞いたら驚くだろう。

 終始ご機嫌な部長。たまに小言も言われたが、今の俺は素直に聞き入れる事ができた。

 楽しかった飲み会も時間が飛んだように早く終わり、この会社で骨を埋めるつもりで頑張ろうと誓う。



 部長と別れて一人で帰路に就く。

 すると、駅前の方から叫び声に近い大きな声が聞こえてきた。


「いいだろ!? 一緒に飲みに行こうぜ!」


 酔っていると思われる男二人が、しつこくナンパしているようだ。

 どう見ても女性は嫌がっているように見える。

 男たちは女性の行く手を阻み、拒む女性に言い寄っている。

 拒否を続ける女性に、男たちの語気も次第に強くなっていく。


「ちょっと顔が良いからって調子に乗るなよ!」


 男の一人は興奮した様子で声を張り上げた。

 逆上した男たちは今にも手を上げそうなほど、怒りを露わにしている。

 周囲の人間は我かんせずと足早に去っていき、女性を助けようとする人はいなかった。


 酒で気持ちが大きくなったか? トラブルが起こっても忘れられるからか?

 よせば良いものを、俺は男たちの前に立ちはだかる。

 当然のように殴られ痛む頬。

 殴られ、罵倒され、男たちの理不尽な暴力を受け止める。


 しかし、不思議と俺は余裕があり、冷静だった。

 どうせすぐに忘れられる。次の瞬間には家か? 病院か?

 だが、飛ばない時間。

 男たちの暴力に耐えながら、「そろそろ辛いんだけど……」と心のなかで呟く。


 すると、パトカーのサイレンが駅前のロータリーに鳴り響く。

 誰かが通報してくれたのだろうか?

 そして、慌てて逃げていく男たち。


 痛む頬を抑えながら顔を上げると、綺麗な女性が心配そうに俺を見つめる。

 俺と目があった瞬間——驚いた表情を見せて少し距離を取る女性。

 そんなに驚くほどボコボコにされたのか?


「大丈夫ですか? あなたが殴られなくてよかった」


 俺は気丈に振る舞って冷静を装う。

 吸い込まれそうなほど綺麗な瞳に、俺の頬の痛みは引いていく気がした。

 女性が何か言おうとした瞬間、警察が到着して事情聴取される。


 通りすがりに、しつこくナンパされていた女性を助けたとだけ説明する。

 知り合いでもない女性を助けたことを警察に褒められ、助けてよかったと心から思う。

 女性からもお礼を言われ、「今度、正式にお礼がしたい」と連絡先の交換を求められた。

 内心、カッコつけて断ろうかとも考えた。

 だが、美しい女性を前に、体が勝手にスマホを取り出す。


 女性は “椿(つばき) ()()” という名前だそうだ。


 数少ない連絡先が追加される。

 椿さんとの出会いがあるから強いストレスと感じず、時間が飛ばなかったんだな。

 薬の効果が現れなかったことに納得しつつ、椿さんの連絡先を見つめながら帰路に就く。




 翌日。鳴り響くスマホ。

 ——『椿 真夜』という表示。


「も、もしもし」


 心臓が飛び出しそうになりながら、恐る恐る出る電話。

 緊張のあまり、上擦る声。

 震える右手をそっと左手で支えていると、スマホからは優しい椿さんの声が聞こえてくる。


「この間はありがとうございました。まだ、痛みますか?」

「いえ、全然大丈夫です! 気になさらないでください!」


 出来るだけ冷静を装って緊張に震える心を落ち着ける。

 気付けば自然と正座をして電話していた。


「見ず知らずの私を助けてくださり、本当にありがとうございました」


 終始、低姿勢で感謝を告げる椿さん。

「気にしないで」と伝えても感謝や謝罪が続き、押し問答のようになっていく。

 そんな会話を続けていると、「お礼がしたい」と食事に誘われた。

 女性と二人で食事。

 考えただけで緊張に襲われ、俺の脳みそがフリーズする。


「……ダメ……ですか?」


 不安そうに聞く彼女の声に、「大丈夫です」と返事してしまう。

 すると、「よかった」と嬉しそうに話す椿さん。

 翌週の土曜日に食事の約束をして電話を切った。


 電話を切った後も俺の心は椿さんで埋め尽くされていた。

 齢30にして、初めて女性と二人っきりの食事。

 着る服がないと慌てて服を買いに行き、初めての美容室にも行った。

 頭では「お礼のためだけ」とわかっていたが、完全に浮かれていたと思う。



 会社に行くと腫れた頬に驚かれたが、女性を助けたと話すとさらに驚かれた。

 同僚の女性にも褒められて思わず照れてしまう。

 待ち遠しい気持ちが時間を遅くする。

 そして、週末に近づくにつれて、徐々に緊張感が増していく。

 食事の前日は遠足前の子どものように眠ることが出来なかった。


11/22~11/24で全話投稿されます。


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