四.トランスベイト
運転中にも関わらず煙草を吹かす山中に、岸本は眉をひそめながらも尋ねた。
「さっきの少女の事なんっすけど」
「何か気づいたことでもあったか?」
「えっと。トップという事ですが、どういう系っすか? フロッグとか、ポッパーとか」
「ペンシルだ」
「ペンシル……っすか」
意外な答えに岸本は声がつまった。真夏の炎天下。そう言われた時、可能性としてウィードの間にいるバスをフロッグやポッパーを使って音と動きで反射的に喰わすリアクションバイトを思いついた。
「ウィードの隙間は狙っていない。見たところ構造物は無かった」
「はぁ」
岸本は思わずため息が出た。ペンシルという事は逃げる小魚を追いかけさせて食わせたことになる。朝夕であれば浅瀬にあつまったアユやモロコをバスが追いかける事は考えられるが、真昼間にそこまで活性が上がるとも思えない。
「確かにおかしいっすね。その少女」
「だろ? だが俺は見た。確かにペンシルにバスは反応していた」
「そのルアーが怪しくないっすか」
一瞬黙り込んだ山中は迷ったように答えた。
「トランスベイトって知ってるか?」
「トランス…なんっすか? それ」
山中はフーと煙草の煙を吐いた。そのにおいを我慢して岸本は山中の答えを待った。悩んだ顔。何かを知っている?
「一年前、俺はアメリカのB.A.S.S.に取材に行った。日本とは比べ物にならない規模。大手スポンサーの芳醇な資金のもとに開催されるブラックバスの大会は賞金が数十万ドルに及んでいた」
(数十万ドル。およそ5千万ほど)
魚を釣るだけでこの金額。岸本は息を飲んだ。
「たかが魚釣り。日本では所詮娯楽の域だがアメリカでは完全なビジネスとしての影響力がでかい。当然のごとく、不正が発生する。ロッドやリールの改造、おびき寄せる化学物質。胃に詰め込んたおもり。数え上げればきりがないが、そこは、開催元が厳しくチェックしている為に大きな問題は起こっていない」
「トランスベイト。もしかして不正改造されたルアーってことっすか?」
「ああ」
山中はあきれたように答えた。
「催眠疑似餌。アメリカであれを見た時は驚かされた。ニコニコと笑うガイドが大きなプラグをポーンと水面に投げた。真夏の真昼間。周りには倒木もゴミも何もない。こんなところにバスがいるわけないだろうと俺は高をくくったが、その後、度肝を抜かされた。勝手に魚が食いついてきやがった」
「勝手に魚が食いついた……っすか」
「そうだ、ガイドは少し竿を揺らしただけ。だが次の瞬間、腹をすかせたバスが、やっとこさ獲物を見つけて食らいついてきた。そう思わせるほどの水しぶきが上がり、プラグは水中に吸い込まれた」
山中はしばらく黙り込んだ。岸本は呆気にとられた。魚をおびき寄せるプラグ。そんなものが実在しているのか。しかし。
「そんな高度な機械をたかが、数十万ドルの賞金のために開発する酔狂な人がいるんっすかねぇ。トランスベイト。まるで催眠術のように魚を惑わすルアー。信じられないっす」
「軍事利用だ」
「え?」
「ガイドは言っていた。これは軍の秘密実験のサンプル。本来の目的は別にあるようだ、と。そして、後で気づいた事だが、あれと同じものをあの少女が使っていた」
どういう事だ。岸本は混乱した。米軍の開発した高度な技術でできたルアー。それを日本の、こんな片田舎の少女が使っていた?
「その理由をはっきりさせる必要がある」
山中は煙草の煙を大きく吹かせた。