二.謎の少女
「ちょっといいですか」
山中は仕事柄、人に声をかけることには慣れていた。にこやかに名刺を差し出した。
「こういうものです」
ルアーマスターズ 編集長 山中茂樹
大抵の人は山中のビジネスライクな雰囲気と名刺の社名に目を丸めて快く話を聞く。だが、今回は違った。
「あの、すいません」
山中の問いかけに釣り人は見向きもせず湖面を見つめている。深々とした帽子でその顔は見えない。
(聞こえないのか?)
えーっと、山中は頭をかきながら近づこうとした。
「そこで止まって」
小さくつぶやく声が聞こえた。
(なんだ聞こえてるじゃないか。だが、この声は?)
山中は眉をひそめたが、言われる通りそこで足を止めた。しばらくして、ふうとため息をついてこちらを向いた釣り人の顔を見て驚いた。女性、しかもまだ若い、中学、高校生か?
戸惑いながらも名刺を引っ込めた山中は、ふと違和感を感じて手に持っている竿をまじまじと見た。
(ヘラ竿?)
四、五メートル。しなやかで繊細な形状。その先端に結ばれた糸から伸びる先につながったルアーを手に握り締めている。
(まいったな。完全な素人じゃないか。保護者はいるのか?)
周りを見回し、戸惑ったように頭をかいた。
(たった一人で、しかも未成年の女の子。これじゃ俺は、ただの怪しいおっさんじゃないか)
「下がってくれません? あなたの煙草の香り、嫌がって逃げてしまうので」
少女が厳しい眼差しで山中を見つめた。
(たばこ?)
山中は慌てて服のにおいをかぎ、首をかしげながらも渋々後ろに下がった。少女はため息をついて、再び湖に目を向けた。
(どうする? 立ち去るか? だが、先ほどの事もある)
山中は戸惑いながらも少女の視線の先を見た。うだるような日差し。風一つない湖面は空の雲が映るほどまっ平に広がっている。
(まったく釣れる気配がしないな)
すでに気温は三十五度を超えている。この辺りは遠浅で水温も上昇しやすい、おそらく三十度付近。ブラックバスは、より深場や藻の奥に移動しているはず。
シュッ
その音に慌てて山中は少女を見た。先ほどと同じく、遠方をながめながら、ゆっくりと竿先を揺らしている。慌ててその先に目を向けた。竿の動きに連動して、ルアーがぴくぴくと揺れている。
(ウォーキングドッグか。それしてもひどい……)
トップウォーターは、湖面を飛び跳ねて逃げる小魚を模倣するのが普通。水面に滑らかな波紋を描きながら規則正しく左右に揺らす。その美しい動きにつられて魚は食らいついてくる。
(だが、この動きじゃ……しかも)
頭上を見上げた。
(この炎天下。バスはこの付近にはいない。どうあがいても釣れるはずがない)
次の瞬間、山中は再び度肝を抜かされた。