#8「あるきつづけて今、たどり着いた。」
5月2日。
明日から、大都市エルスカッドでのお勤め。やることが多くて疲れるけど、ケセラさんがいつも親切にバックアップをしてくれている。だから、私もしっかり使命を果たさなきゃ。
そうだ、弱音を吐いてる場合じゃない。私は進み続けて、使命を果たし続けないといけない。それだけが、ニアのために私が出来る償い。それすら出来なかったら、私に生きる資格は無い。
ニアが呪い子と呼ばれてしまったのも、そのせいで殺されてしまったことも。元を辿れば全部、祝い子が……私が、この世にいたせいなんだから。全部、私の罪なんだから。
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「ふあぁ……よく眠れたな」
「ウソだろ……俺、5回は途中で起きちまったぞ……頭いてぇ」
「昔の寝床よりずっと柔らかいから、おれは心地良かった」
町外れの農場。その倉庫の小麦の山をベッドにして、二人は夜を明かした。
「流石に野宿は厳しいから、こっそり忍び込んで寝かせて貰ったが……俺らは町の連中に敵視されてる。バレる前にさっさとずらかるぞ」
「ああ」
二人は倉庫の戸をゆっくりと開けた。
「あっ! 二人とも!」
途端に、聞き慣れた声が横から聞こえてきた。
「ジャック大変だ、1秒でバレた」
「しかもソフィかよっ!? 急げニア!」
「あ、待って待って! ちがうの!」
怒るでも親に告げ口するでもない予想外の反応を見て、ジャックは逃走経路へ向けた足を止めた。
「あのね、あのね……みんな、お兄ちゃんのこと悪い奴だって言ってたけど! みんな、信じてくれないけど……あたし、お兄ちゃんはやさしいお兄ちゃんだと思うの!」
涙を浮かべながら、訴えかけるように言葉を紡いだ。
「ソフィ……」
「だって……あたし、お兄ちゃんと遊んで、たのしかったから……お兄ちゃんは、楽しくなかった……?」
ふと後ろを見ると、ジャックが焦らしてやるな、と言いたげに肩を小突いてきた。
真実を聞き、真実を語る。昨日、彼が言っていたことだ。それはきっと、本音には本音でちゃんと答えろということで。
だからニアは、微笑んで口を開いた。
「うん。おれも、ソフィのおかげで楽しかった。ありがとう」
それが本心だ。
自分の正体が何であろうと、この先何が待ち受けていようと。昨日のあの時、一緒に遊んで楽しかったこと──それは絶対に嘘にはならないのだと、ニアはもう分かっていた。
「んっ……」
痩せた手で頭を撫でると、ソフィは嬉しそうに目を閉じた。
「お兄ちゃん、どこか行っちゃうの?」
「ああ、探してる人がいるんだ。その人なら、あの化け物のこと、何とか出来るかもしれないから」
「そっか……ね! それが終わったら、また遊んでくれる?」
「うん。また、きっと」
小指を結んで、ニアはようやく踵を返して歩き出した。ふと振り返ると、二人が見えなくなるまで飛び跳ねながら手を振り続ける、小さな人影がずっとそこにあった。
「ありがとな、オッサン。チップも乗せとくわ」
「あいよー。次もごひいきに」
ジャックは多めの運賃を船乗りの手に置いて、木造の小舟から陸地へ飛び移った。
「すごいなジャック。あんなに大きかった湖を、もう渡ってしまった」
「ノーヒントでアーニャの嬢ちゃんを探すわけだからな。使えるもんは全部使って、超特急で移動していかねえと」
ネクタイを直しながら、ジャックが言う。
「うん……ああ、そうだ船乗りの人!」
「んあ?」
「アーニャを知らないか? えっと、金髪で目が青い女の子で、おれよりちょっとだけ背が高いんだ」
「んやー、髪と目とタッパだけ言われてもな……もうちょっと何か情報ねえか?」
「ううん……あっ、そうだ! アーニャは、祝い子って仕事をしてるんだ!」
「へー、初耳だぜ……」
ジャックは呟いた。当初は祝い子について調べるつもりでいたが、なるほど、ニアの探し人も祝い子だったのか。
「…………って、は!? アーニャの嬢ちゃん祝い子なの!?」
あまりにも当たり前のことのようにニアが言うから、ワンテンポ遅れてしまった。
「? ああ、そうらしい。昔聞いた」
「へー、あの子アーニャ様っつうのか。いや、祝い子様の本名なんかよ、俺ら庶民はふつう知る由もねえから」
「そうなのか。それで、どこにいるか分からないか?」
「あー、今はエルスカッドって都市に向かってるって聞いたぜ。こっから最寄りの町だ。あそこへ向かう祝い子様の行列を、知り合いが見かけたらしくてな」
「そうか、ありがとう船乗りの人! 急ごう、ジャック!」
「お、おう……」
ニアに引っ張られるように、ジャックはワンテンポ遅れて彼の後ろを追従した。
「……じゃねえよッ!!」
少しの沈黙の後、湖の船乗りの姿が見えなくなってきた頃に、ジャックは思わず叫んだ。
「? どうした、忘れ物したのか?」
「違う!! お前、祝い子を探してたのか!? なんで祝い子の本名なんか知ってる!? 俺はいくら下調べしても突き止められなかったぞ!?」
「ああ、アーニャのことか。友達なんだ、昔から。牢屋に捕まってたおれに、アーニャだけは優しくしてくれて」
「牢、屋……?」
祝い子。そして、牢屋に閉じ込められた子供。どこかで聞いた話だ。思い出せ。思い出せ。思──
「……あああああ!! お前、あれだろ!! さては呪い子だろッ!!」
「のろい、子……ああ、よく言われてた。おれはすっごく鈍臭い子供だったんだろうな」
「"のろい"違いだそれッ!! お前、なんで今の今まで言わ……いや良い! それがマジなら願ってもねえチャンスだ、これは!!」
ジャックが知りたかった、祝い子と呪い子の伝承。その片割れが目の前にいて、しかもその子がもう片割れを探している。外国にはほとんど明かされていなかった、この国の伝承の全貌を紐解くチャンスだ。
まだ見ぬ新事実を追い続けるジャーナリストにとって、これほど心昂る事態は他に無い。肝心なことを言わなかったニアへの怒りより、だんだんワクワクの方が大きくなっていくのを感じた。
「こうしちゃいられねえ!! 走るぞニア!!」
「ああ、ジャック……良かった。急に元気になってくれた」
はしゃぐ子供のように、二人は全速力で駆けた。
少しだけ時間が進み。レノ聖国を代表する大都市、エルスカッド。その中央にそびえ立つ、役所とランドマークを兼ねた巨塔にて。
「祝い子様。こちら、準備が整いました」
小さな更衣室のドアの向こうから、若い男の声が聞こえてきた。
「はい。今行きます」
白を基調としたドレスを着こなして、少女は声のした方へ歩き出す。白い手袋をした華奢な指をドアノブにかけて、ゆっくりと前に押し込んだ。
その向こうの廊下では、声の主たる白い礼服の青年が凛として片膝をついていた。
「祝い子様だなんて、やめてください。アーニャで大丈夫です。ケセラさんの方が先輩なんですから」
「いえ、僕は使命を終え、今やただの人間に成り下がった身。経歴がどうあれ、祝い子様と対等に接するわけには参りません」
そうして自分にへりくだる人を、少女は──アーニャは、今まで数えきれないほど見てきた。むしろ、そうでなかった人の方がはるかに少ない。
自分と対等だったのは、両親と祖父母。
それから、一人の小柄な少年だけだった。
「……分かりました。では行きましょう、ケセラ」
二人が塔から出ると、すでに数十人の従者がそこに控えていた。左右に2列に並び、真ん中の道を開ける従者達。その道の奥には、天井の無い華美な馬車が用意されていた。
アーニャはいつも通り、用意された車に乗る。そして2頭の美しい白馬が引っ張るその車の、中央にある玉座に腰掛けた。
「行くぞ! 進めッ!」
「はっ!」
ケセラは姫を守る騎士のように、彼女のすぐ後ろに立った。彼のに応え、運転手が馬の手綱を引く。よく訓練された2頭の馬は、従順に指示に従って歩みを進める。そうして、彼らは車を揺らすことなくアーニャに快適な移動を提供した。
そして、都市一体を巡礼する。それがこの、エルスカッドの平穏を祈っての恒例行事である。
「あ! 祝い子様ー!」
「あっこの馬鹿! 指を差したりして!」
街角を曲がると、子供が嬉しそうに声をかけてきた。すぐに親に頭を叩かれたその子に、しかしアーニャはしっかりと微笑み返した。
「ああ、なんと美しきお姿か」
「ありがたい……神の恩寵を受けた、選ばれしお人よ……」
老若男女を問わない。そこに、アーニャを嫌う者など一人としていない。誰もが羨み、尊敬し、見惚れる。
例外なくいつの時代の祝い子もそうだった。これはもう、ある種の盲信に近い。
「ありがとう。皆さんに祝福があらんことを」
アーニャはそんな言葉を投げかけた。それが狂気じみた盲信だとしても、彼らは本気で自分を慕ってくれている。だから、彼女もそれに本気で応えることにしている。
いつも通り、そうやって皆の声に応えて──そう思った矢先だった。
「……ニャ!! アーニャ!!」
「…………え」
聞き間違いだろうか。
いや。
その声を、聞き間違えるはずなどない。
「アーニャ!!」
バクバクと跳ね上がる、爆発しそうな鼓動を抑えながら、アーニャはゆっくりと横を振り向いた。
黒い髪。赤い瞳。少し低くて、可愛らしい背丈。
「…………ニ、ア」
アーニャにとって、いるはずのない人間が──しかし、確かにそこにいた。