#4「見たこともない、光にも触れて。」
日記 5月1日
ニアがいなくなってから数日。
パパとママに心配かけたくないし、国のみんなのためにも、祝い子として頑張らなきゃいけない。どんなに辛くたって、世界は待ってはくれない。時間は止まることなく進んでいく。だから、今日からお務めに戻った。
今日も、私の言葉で涙してくれる人がいる。私の聖なる術で、喜んでくれる人達がいる。そして言う。私は救世主だって。
ごめんなさい。私は救世主なんかにはなれない。
私は好きな男の子ひとり救えない、ただの無能な子供だったんだから。
明日も朝早い。もう寝よう。
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「よし、もうすぐ町だよな? 楽しみだ」
上機嫌に鼻を鳴らしながら、ニアは広い草原の向こうを見据えていた。
未知の場所。知らない人達。牢屋の中からは見ることができなかった、鮮やかな景色達。その全てが、ニアの心を掻き立てる。ワクワクが、楽しさが、嬉しさが、止まらなくて仕方ない。
さあ、新しい世界を見に行こう──!
「おいちょっと待て」
──という気分にはなれない人物が、ニアの隣にいた。
「何今の戦闘をサラッと流そうとしてんだ……聞きてえことが多すぎんだよ。なんでお前は怪我ひとつしてない? なんだあの力? なんであの獣は死んだ後、お前に溶け込むように消え去った?」
「ジャック、駄目だぞ。質問に質問を重ねると、相手が困る」
「だぁーーーうるせえガキ!!」
「うごごごごごごご」
頭を左右からグリグリされて、珍妙な声を上げるニア。
「ごごご、えっと……おれにも分からないんだ。全部わかんないし、アーニャから何か聞いた覚えもない。ただ、なんというか……ああやったら、あいつを倒せる気がしたんだ。そうしたら、おれにはあの凄い力があった」
「んだよそれ……まあ、取り敢えず良い。お前が言うならマジで知らねえんだろうよ。とにかく助かったぜ」
「ああ。もっと褒めて良いぞ」
「へいへい」
めんどくさそうに答えながらも、内心ではニアを見直し、感謝もしていた。だからジャックは、彼の頭を撫でてやることにした。彼は子供らしく可愛らしい微笑みで、それに応えるのだった。
「…………なんか、手が硬くて嫌だな。アーニャの手の方が良い」
「ッ!! そうか、こうが良いんだな!?」
「うごごごごごごご」
「まずいぞジャック。おれの頭、ちょっと凹んでしまったかもしれない」
「はいはい大変だ大変だ。ほれ、見てみろ」
「?」
頭を抑える手を下ろし、ニアはジャックが指差した方を見据えた。
草原の向こう。太陽が沈もうとしている場所。立ち並ぶ家々、駆け回る子供。
「あれが……町か……!!」
「あっ、おいっ」
ジャック止めるのも間に合わず、ニアはすたすたと駆け出した。だんだん慣れてきたのか、下り坂でも転ばない。そのまま草原を抜けて、町へ続くあぜ道を踏み締めて進んでいく。
ジャックもやれやれ、と彼を追った。
「って、止まんのかい」
急勾配の下り坂の向こうで、ニアは足を止めていた。
「どうした?」
「いや……おれは、あの町にいても良いんだろうか」
「あ? 駄目なことねえだろ。行きたきゃ行けばいい」
周囲には獣避けの柵と出入り口の門がそびえているだけで、関所や門番の姿は見当たらない。現にこうしている間にも、町では老若男女さまざまな人が門から出入りしている。
「でも、おれがいると、みんなは……」
アーニャもジャックも、なりゆきでいつの間にか仲良くなっていた。
だからニアは知らない。自分から、人と関わりに行く方法を。自分から誰かと関わって、相手が自分を受け入れてくれるという自信が無い。
「おにいちゃん達っ!」
「え」
代わりに、人に関わってもらう才能が、ニアにはあったのかもしれない。
「何してるのー? お祭り、もう始まっちゃうよ!」
ニア以上に小さな少女。10歳にも満たなさそうな子供が、町から駆け寄ってきた。
「祭り?」
「うん! 今日はお祭りー! だから行こっ!」
ジャックの問いかけに、金髪の子供は元気よく答える。なるほど、向こうで忙しなく出入りしている人々は祭りの準備中か──些細な情報も逃さぬよう、ジャーナリストは遠方で入り乱れる人影をじっと見つめた。
「おやおや。どうもすみません」
かたや、奥から歩み寄って来た男性が、ニアにそう言った。子供と似た色味の金髪。父親なのだろう。
「もしお暇でしたら、ぜひいらして下さい。歓迎しますよ」
「良いのか? おれは、その……あまり、人に好かれないと思うんだ」
「またまた。もう好かれているではないですか」
父親に指さされながら、少女はニアの手を握って微笑んだ。温かい小さな手は、昔に彼を救ってくれた、あの少女の手に似ていた。
「そうかな……分かった、ありがとう。ジャック、行ってもいいか?」
「ってか、元々今日泊まるつもりの町だったしな。さっさと宿取って遊ぼうぜ」
ニアの肩を叩きながら、ジャックは賑わう町へと歩き出した。
「……うん」
祭りの喧騒の中で、銃声が鳴り響いた。一発、二発。間を置いて、よく狙って三発。
「はいハズレー! お兄さん、これ残念賞ね」
射的屋の男が差し出した小さな飴玉を、ジャックは不満げに受け取った。
ここの射的は、数字が書かれた景品札に弾を当てるだけ。それだけで良いのだが、彼がおもちゃのライフルに込めたコルク弾は、全弾景品札の間をすり抜けた。射撃は出来ても射的は不得手らしい。
「クソッ、リボルバーと勝手が違え……おっさん、自前の銃でもっかいやらせてくれ」
「やらせないよ!? 物騒なもん持ってるなぁ!?」
「ウソウソ。んなもん持ってるかよ」
まあ、本当は持っているのだが。こういう楽しい場所で、冗談でもおもむろに取り出していい代物ではないので、かばんの奥の奥に隠しておいた。
「おいニア、他いくぞ他。こんなもん当たるわけ──」
「おっ! やったぞ、5個目!」
「よーし、お前今日から番兵か猟師始めろ。じゃあな」
そうか、こんなぽけーっとした子供に完敗したのか──笑顔の裏に涙を隠して、ジャックは踵を返した。銃使いとしてのプライドが、雫になってこぼれ落ちているような気がした。
「あっ、駄目だぞジャック。ちゃんと最後まで見ててくれ」
「お兄ちゃんすごいねー! 全部当たってるねー!」
「ソフィのお陰だ。撃つのが上手いんだな」
先刻の少女──ソフィは、ライフルを構えるニアの脇の下に潜り込み、引き金を引いていた。ニアが狙って、ソフィがファイアするわけである。
「ううん! お兄ちゃんが狙うの上手いんだよっ!」
「いやいや、ソフィが」
「いやいや、お兄ちゃんが」
「ソフィがすごい!」
「お兄ちゃんがすごいの!」
「「……えへへ〜」」
(なんだコイツら……)
置いてけぼりな気分で、ジャックは二人を見ていた。
「ジャックも、ありがとう」
「あ?」
「こうやって楽しいことが出来るのも、それにソフィとで会えたのも。ジャックが、あの浜辺でおれを助けてくれたお陰だ」
寄りつくソフィの頭を撫でながら、ニアはジャックの方に向き直った。
「んだよ、改まって……こんな所で言うことでもねえだろ」
「すまない。でも、ちょっと言いたくなってしまった。俺は今、すごく嬉しいから」
そう言って、彼は笑った。屈託のない純粋な笑み。今ここにある喜びを、ひたすらに噛み締めるような笑顔。
『兄貴っ! 俺、すっごい嬉しいよっ!』
「…………ナル」
それは、彼によく似ていて。
「なる……? ごめん、何だ?」
「あ、ああ……なる……なるべく早く済ませちまえよ。こっちは、あー、腹減ってんだ。さっさと飯食いに行きてえからな」
ジャックは適当に誤魔化して、「早く撃て」と手でニアに伝えた。
「分かった。よしソフィ、残りも全部当てるぞ」
「はーい!」
ニアはソフィと共に、ジャックに背を向けて、また獲物を狙い始める。
そんな後ろ姿さえも、彼に似ている気がしてしまう。
「……ったく」
よそう。物騒なリボルバーと同じだ。あの思い出は、こういう場所には似合わない。
「なあ、俺のこと怒るかよ。遊んでる場合じゃないだろ、って」