表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/29

#3「知らないかげに、追われながらも。」

 岸を離れて、草原を歩き、森を抜ける。そうすれば、夕方には最寄りの町に着ける算段だった。


 だったのだが。


「うぐっ」


「お前、またかよ……」


「すまない。坂を歩くのは難しいんだな。新しい発見だ」


 もう何十回目か分からない。つまずく石も無い道で繰り返し転倒し、そのくせ怪我は全くしない。そして。


「あっ……見てくれ、ジャック! これはてんとう虫ってヤツだよな!? 初めて見たぞ!」


「うっせえな、いちいち」


 何かを見るたびにこの反応。空にも鳥にも木の実にも、その辺の草にすら感動して、『初めて見た』だなどと言う。呑気にそうしているせいで、全く予定したペースを守れていないのだ。


 ジャーナリストのジャック。正直、同行したのを後悔する気持ちが3割ほど湧いてきている。


「ったく……ペース上げんぞ。遅れたらもう置いてくからな」


「そ、それは困る……そうだ!」


 ニアはすたすたと駆け寄ると、ジャックの手袋をした手に自分のか細い指を重ねた。


「手を繋いで引いてくれ、ジャック。それなら足を止めずに済む」


「お前……もう14だろ……」


「?」


 呆れながらも、まあいいか、とジャックは歩き出した。草をかき分けるふたつの足音と、春風の吹く音を聞きながら進む。


「あっ」


 ジャックが肩にかけたかばんを見て、ふと声を漏らしたのはニアだった。


「ジャックのかばん、本がたくさん入ってるんだな。ジャックも物語が好きなのか?」


「これか? 物語の本じゃねえよ。自分が書いたノートと取材の資料だ。新聞書いてる身なんでな」


「新聞、知ってる! みんなに色んな出来事を知らせる紙だ! 見て良いか?」


「ダメ。見てたら絶対転ぶだろうが」


「むむう……」


 ニアは不満げな声を漏らしたが、それ以上は何も言わなかった。実際さっき転んだので反論のしようがないのだろう。


「本、好きなんだな」


「ああ。おれが前いた場所では、それしか出来ることがなかったから、たくさん読んでたんだ」


(マジでギャングに軟禁されてたのか……?)


 しかし、なるほど。やけに丁寧な口調は、本の主人公の真似なんだろう──ジャックの中で、謎だったニアの正体がほんの少し、掴めた気がした。


「ん? ジャック、あれは何だ?」


「またかよ……へいへい、今度は何だ」


 何度目かも分からない呼びかけにやれやれと応えて、ジャックはニアが指差した方に目を向けた。


 案の定、その先にいたのはただの動物。黒い毛の丸々とした、小さめのマンモスのような動物が、のそのそと遠くを歩いているだけだった。


「……おい。ありゃ何だよ」


 だが、今度はジャックも目を見開いた。


 黒い毛、で済ませて良い生き物ではない。漆黒──というより、暗黒そのもの。色素を吸収されたかのように、周りの草木まで色褪せて見えてしまう。


 暗黒の獣はゆったりと歩みを進める。その歩みはやがて軌道を曲げていき、こちらに向いた。


『シネ』


「ッ!?」


 ジャックは、腰に携えた拳銃を素早く構えた。そうしないと、何か身を守る術が無いと殺される。そんな気がした。


 動物は言葉を発さない。故に、今聞いた言葉はジャックの幻聴でしかないはずだ。それなのにその言霊は、人間が実行する勇気も無いのに言い放つそれとは全く違った。喉元が掻っ切られたように錯覚する、そんな本気の殺意。


「こっちに来る。道を開けた方が良いんだろうか」


「……お前、ビビらねえのかよ」


「? ちゃんと注意はしてる。でも、怖くはないな」


「そうかよ。大したもんだ」


 駄弁りながらも、獣から目は離さない。


「……なっ!?」


 目を離さなかったのに、反応が遅れた。


 獣はこちらを向く──まあ、目が体毛に隠れて見えないが──と、突如凄まじいスピードで駆け寄ってきたのだ。丸々とした体型からはとても考えられない、チーターのようなスプリント。その予測不能ぶりが、ジャックの判断を鈍らせた。


 だが、敗北につながるほどの隙は晒さない。世界中を飛び回って、それなりに命の危機も何度も迎えてきた。


「くたばれッ!!」


 それらを経て学んだこと──結局、こういう科学的暴力がこの世で一番強いということ。


 木の持ち手と金属の銃身で構成されたリボルバーから、四発の銀の弾が放たれた。


 肉を切り裂いて貫く音と共に、獣の頭から黒い血が勢いよく溢れ出した。その足は急速に止まり、あらゆる能力と生命活動を奪われた肉塊は、どすりとその場に崩れ落ちた。


「ジャック、大丈夫か?」


「っぶねー……ん?」


 気のせいか、と思った。


 というより、気のせいであって欲しかった。


「なあ、ジャック。生き物って死んだ後も動くのか?」


 不思議がって数歩近寄ったニアが、ジャックに尋ねた。


「んなわけねえだろ!」


 ただ、実際に目の前で動いている。頭を何度も撃ち抜かれたはずの肉塊が。


「何でまた立ってんだよ、ボケがッ!!」


 混乱しながらも、ジャックはすぐに残り二発の弾丸を再び放った。


 命中。驚異的な射撃力も虚しく、その攻撃も時間稼ぎにしかならなかった。また死体になって、そしてまたすぐ蘇る。熱心な宗教家が見たら泡を吹いて倒れそうな、命の冒涜じみた光景は、ジャック達にとっても脅威そのものだった。


「────!!」


 やかましい叫びにも、静寂にも聞こえる不気味な鳴き声と共に、獣は再び突進してきた。


「ニア!!」


 だがその殺意の矛先は、攻撃を仕掛けたジャックではなく。


「くっ……!?」


 何故か、ニアに向けられている。


「ぐああっ!?」


 直撃だ。避ける間もなく、ニアの腹目がけて獣の巨体のの突進が。質量による暴力が、ねじ込まれた。


 即死しなかったのは奇跡か、それとも彼がタフなのか。確かな事実は、ニアがその直撃を受け、大きく後ろへ吹き飛ばされたことだ。


「ニア! クソッ、どうする……!?」


 すでに獣は、ニアに二度目の突進をかけるべく体制を整えつつある。


 銃は効かない。かといって、肉弾戦でも勝ち目は薄い。あのスピードで追ってくるのなら、逃走も難しい。絶望的な状況の中、それでもジャックは思考を回し続けた。


 一方のニアは、くらくらした頭の片隅で、ある物語を思い出していた。


 『ウサカメ競走』。アーニャが読み聞かせてくれた本の一つだ。カメがウサギと勝ち目のない競走をするが、カメを大きく引き離したウサギは勝利を確信し、つい居眠りしてしまう。その隙にカメが勤勉に少しずつ追いつき、追い越して勝ってしまう話。


 この状況は、ちょっと似ていないか──ニアは思っていた。奴がウサギで、自分がカメ。


 こちらは転倒し、相手は次の攻撃を仕掛けてくる所。あの獣は思っていることだろう。ニアは手負いで、自分が圧倒的に有利だ、と。


 ただ一つ誤算がある。


「実は、ピンピンしてるぞ。おれは」


「!!」


 危険を感じたのか、獣は一瞬身を震わせた。だが猛スピードで駆け出してしまった以上、すぐには停止できない。


 対峙するニアは、素早く上半身を起こした。最短で。最速で。右の拳を構えて、前に突き放つ。


「はあああああっ!!」


 刹那、ジャックは見逃さなかった。


 彼の右手に、邪悪とも言える黒い炎が宿っていたのを。


 その拳が、敵の獣の暗黒すら凌駕する、呪いじみた何かを纏っていたのを。






 永遠のようでも一瞬のようでもある、そんな命のやり取りの後。


「……やりすぎた、すまない。でも、先に襲ってきたのはそっちだぞ」


 立っていたのは、ニアだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ