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#22「そのガレキの下に、彼女の涙があったから。」

「……に、あ…………」


 目を開けても、周囲の光景がよく見えなかった。ふと目をこすると、視界はクリアになり、指には雫が残った。


「ああ、お嬢さん。よかった、目ぇ覚ましたな」


 ふと上を見上げる。ジャックの顔がそこにはあった。さっきまで買い出しに出ていたからか、買い物袋が脇に乱雑に投げ捨ててある。


「ぐっ……"廻帰(ヒール)"」


 まだ腹には痛みが残っていた。アーニャはそっと自分の腹に手を添えて、術を放つ。


「すまねえな。俺もそれ、使えれば良かったんだが」


「包帯だけでありがたいよ。これが無きゃ、起きる前に失血死してたかも」


 アーニャはゆっくりと起き上がりながら、無理に微笑みを作ってそう言った。


 自分のことはどうでも良い。それよりニアだ。アーニャは未だふらつく足取りで、彼の行方を追った。壊されて外は開かれた、部屋の奥の壁。暴れた状態のニアが去って行ったとしたら、きっとあそこだ。


「衛兵達は……?」


「肩を預け合いながら逃げてくのを見かけた。なんか尋常じゃねぇことがあったみたいだな……ま、腕吹っ飛んだアイツ以外は軽傷で済んだみたいだったぜ」


 アーニャを後ろから追いながら、ジャックはそう語った。


 二人で裏庭を抜け、岩でゴツゴツとした道をよじ登るように歩いていく。春の心地よい風が、少し汗ばむ体を癒す。出来れば平和な時に、彼と二人で歩きたかった──そんな願望を飲み込んで、アーニャは足を動かし続けた。


「で? どうしちまったんだ、アイツは」


「分からない。でも、私のせいかも」


 なんとなく彼に投げかけた言葉。"怒りも苛立ちも我慢しなくて良い"。それが、悪い方向に引き金となってしまったのだとしたら。


「それは無えよ。アイツは馬鹿だし抜けてるが、お嬢さんが悲しむことを進んでやったりしねえ。そのくらいアンタにゾッコンだぜ、アイツは」


「ぞっ……う、うん。そうだよね」


 クスクスという笑い声に、ほんの少し機嫌を損ねながら、アーニャは先を急ぐ。


 昨日からほぼ寝ていないせいで、流石にかなりの疲労感を感じるが、神からのフィジカルギフトがある。多少なら無理もできるはずだと、彼女は足を止めずに進み続けた。


「あぁ、結構砂浜まで近いんだな……お、おい! あれ!」


「ニア……!!」


 海の方を向いていて顔がわからないけれど、その黒い服と黒髪を見間違えはしない。岩肌を滑り落ちるようにして降りると、アーニャ達はニア目がけて砂上を駆けた。


「……アー、ニャ」


「良かった! 落ち着いた? 怪我してない?」


「あれは……おれが、やったのか?」


 顔を上げてアーニャと向き合う。その瞳は震えていた。出会ったあの日の、何も知らず、何も分からず、何も信じられなかった、あの頃の瞳に似ていた。


「おれ……おれは、アーニャのために……でも……おれは、あんなこと、を」


 だけど、あの頃とは違う。


「ニア!」


 アーニャは迷わず、ニアの小さな体を抱きしめた。


「よしよし。大丈夫。私のために怒ってくれて、ありがとう」


 アーニャにはもう、迷いも躊躇も無い。昔とは違う。今は手が届く。今は分かち合える。同じ場所に立てる。もう、何があっても大丈夫。自分に言い聞かせるようにそう思いながら、アーニャはぐっとニアを抱きしめ続けた。


「……だめ、なんだ……来る……!」


「来る?」


「おい……おいおいおいおい!! 何だこれは!!」


 1秒遅れて、ようやく異常に気が付いた。アーニャはすぐさま、曇天の立ち込めた海洋へと視線を移す。


 浅瀬とは思えない規格外の大渦──否、そこには異常なほど深く、暗い大洋が出現していた。


「……見たことがある……全ての始まり、あの言い伝え……荒れ狂う海洋から顔を出すのは……」


 禍々しい超常現象に拍車をかけるように、真っ黒なオーラが目の前を覆い尽くす。広がる。蠢く。


「……呪いの根源。怪物、リーンカース」






 ニアには、親がいない。幼児の頃、浜辺に打ち上げられたように倒れ、眠っていた所を村民に拾われた。


 翌日、その村民は妻もろとも事故死した。体のあざと合わせて、それがニアを呪い子だと決めつける理由になった。


 それからずっと、親の愛を知らずに生きてきた。自分にも親がいるはずだというのは、アーニャに教わったことだ。それからずっと、アーニャといつか二人で暮らすのと同じぐらい、自分の親といつか再会することを楽しみにしていた。それを願っていた。


 だから、認めたくないのに。


 どうしても、理性の及ばない本能の領域で分かってしまう。


「…………あれが、おれの親」


 闇よりもさらに濃い、黒の体。細長い手のような、尖った両足。水面から浮き上がるグロテスクなその巨体は、内臓がそこらじゅうから飛び出した烏賊(イカ)のよう。おまけに、巨大な一つ目がうようよと上下左右を奇妙に見渡している。


 認めたくなかった。この化け物が、自分の親だと。


「親に向かって"あれ"とはなんだ、呪い子……いや、"ニア"と呼んでほしいか? くくっ……愚かな我が傀儡よ」


 年老いた男のような声。だけど、その声色は邪悪そのもの。ケセラやサウの、人を嘲笑う声よりももっと邪悪で、聞くだけで体が震え上がるような声をしていた。


「ニア、どういうことだ!? あれがお前の親? 馬鹿言ってんじゃねえぞ!」


「まだいたか、人間よ。最初に忠告したはずだ……首を突っ込めば、運命の犠牲になると」


「運命の、犠牲……はっ!?」


 ニアと出会ったあの朝。あの時に、同じ言葉を聞いた。同じ声色の声を聞いた。


 奴はきっと、最初から全てを見ていたのだ。ジャーナリストの頭脳と直感が、ジャックの中でその推理を導いた。


「そう、私が怪物リーンカース。忌まわしき祝い子の宿敵にして……歴代全ての呪い子、その生みの親である……!!」


「おれ、の……親……じゃあ、おれは」


「お前は、いやお前達呪い子は我が分身。100年前に封印された私は、残った力で地上に分身を解き放った。人格を持った分身だ。初めは何もできぬ無能で、その薄気味の悪さから人々に蔑まれ、ある時殺された」


「…………初代呪い子、カスタ・ロロイ」


 アーニャが呟いたその名は、祝い子と呪い子の伝承の中で出てきた名であった。


「だがその無能も、死ぬ時に良い物を遺してくれた……怒りと怨念だよ。それが、水底深くに封印された私の体へと還元され、私に力を与えた。これは使えると思った……だから私は、分身をさらに醜く、恐ろしく作った。ある程度力が戻ってからは、村民の一部に微小な暗示をかけ、その分身を睨み拷問するようにも仕向けたよ」


 それがエスカレートしていった結果が、今なのだろう。大半の村民が呪い子を自動的に嫌い、容赦無く拷問する。


「先代、いや誰かがカルナと呼んでいたか? あの女は特に良い働きをした……そしてニア! 貴様だ! 貴様の代で怒りや怨念、すなわち呪いは開花し私を蘇らせた! 貴様ら呪い子が人々に呪われていたのではない! 貴様らが世界を呪っていたのだ! それが貴様らの存在意義だったのだ!!」


 くく、ははは、はーははは!! リーンカースは大声で歪に笑ってみせた。全てが上手く運び、憎き呪い子達の怯える顔を拝むことができる。これほど嬉しいことはない。彼がもし人型の怪物なら、嬉し涙でも流しながら笑い転げていただろう。


 だが。


「…………ふざけないで」


 彼にとってはおかしなことでも、それを不愉快極まりないと感じる者もいた。


「あなたが……お前のせいで、ニアは苦しんできたのかッ!!」


 そんな姿は未だ誰も見たことがなく、そんな声は未だ誰も聞いたことが無かった。


 それもそのはずだ。今、優しき聖女アーニャは生まれて初めて、心の底から誰かを憎んでいるのだから。


「やはり私の前に立ち塞がるか、祝い子……ククッ」


「……してやる……」


 もう、足のふらつきは無い。余計な思考も無い。


「殺してやるッ!!」


 らしくない言葉と共に立ち上がり、アーニャは最後の敵をその目で見据えた。


 


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