#20「最後のピースが、埋まらないまま。」
眠りこけたか……今のうちに、こやつの心を弄り回しておくか。遠隔では記憶や本性にまでは干渉できんが……ふむ。こやつにも微かに、他者を憎んだり怒ったりする感情が備わっている。これを増幅させておくとするか。
よくぞ戻ってきた、私が封印されしこの地へ。貴様らの悲しき宿命、この私がここで断ち切ってやろう。その後のことは……ククッ、知ったことではないがな……。
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「元々は小さな普通の漁村だったの。だけど大昔のある時、海の怪物がこの村を襲った。そして人間の槍や弓が全く通じなかったその怪物を、たった一人で倒した人がいた。それが最初の祝い子。それ以来、ここはこの国を守るための聖地になったんだって」
「そりゃ、祝い子の活動拠点にもなるか。地縁的によ」
アーニャの説明を頭で飲み込みながら、ジャックは馬車から降りて足元の土を踏み締めた。
風の中に潮の匂いが混じっている。少し暑くなってきた季節柄、砂浜へ駆け出して青い水面に飛び込みたかったが、生憎そんな状況ではない。今も目の前の門では、槍を構えた衛兵が緊張感のある面持ちで待機しているのだ。
「ニア、起きて。着いたよ」
「んっ……すまない。寝てしまった」
肩をゆすられて、ニアはようやく目を覚ました。浅い眠りに舞い戻りたい気持ちを抑え、靴を履き直して立ち上がる。
そして、馬車の外へ身を乗り出した直後。
「!」
「止まれ。一歩でも動けば、すぐにその脳髄を抉る」
彼に向けられたのは歓迎でも挨拶でもなく、無機質で冷たい鉄の一突きだった。
スキンヘッドの男は、文字通りニアの目の前に槍の先を突きつけたまま、冷酷な視線と共に彼を睨みつけている。
「……すごいな、見えなかった」
「お褒めいただき光栄、ではないな。呪い子からの賛辞など」
「でも、とりあえず降ろしてくれないか? みんな、おれのことが嫌いなのは知ってる。でも、それだけで殺されるのは嫌だな」
「減らず口を……」
「サウ! 槍を下ろして!」
アーニャの一声で、男は彼女に視線を向けた。
「そういうわけには参りません。おい、急げ」
彼の言葉に従い、他の衛兵達も一斉にニアを取り囲んでいく。サウと呼ばれたその男は、この村の衛兵長にしてアーニャの補佐官。かつてのケセラとほぼ同じ権威を持つ重役だ。
「ご無事で何よりでした、祝い子様。しかし、それとこれとは話が別。呪い子と行動を共にするなど……いやそれ以前に、呪い子と今まで交流があったなど言語道断!」
「誤解です! ニアは何もしていません。人を傷つけるようなことは決してないと、この私が誓います」
「そういう問題ではないと言っているッ!! 忌むべき呪い子が処刑を逃れ生きている、それ自体が危険で恐ろしいことだと申し上げているのだッ!!」
その怒号に、仲間である衛兵達までもおののいた。何も語らず彼を見つめ返すニア。また話通じねえのかよと、後ろから聞こえてくるジャックのため息。
「…………」
そんな鬱屈とした空気の中、アーニャは一歩前に歩み寄り。
「他にどんな問題があるの!!」
「ッ……!?」
槍を構えたサウの横から、その頬を強く叩いてみせた。
「……ニアの身は私が預かります。処遇も私が決めます。ケセラ達もここへ運ばれているでしょう? あなたはそちらに対処してくれればいいわ。ジャックさん」
「へ、へいっ」
ニアに手招かれ、ジャックは慌てて彼女の横に付いた。
「どいて! 子供に武器を向けるのが、あなた達の仕事なの?」
「え……は、はいっ」
力強くも美しいその声に、他の有象無象の兵達は従う他なかった。
「アーニャ……」
「心配しないで。行こう」
降ろされた槍の隙間から、アーニャはニアの手を掴み取って引き寄せた。狼狽える兵達の間を抜け、凛として門を抜けていく。
「い、祝い子様! サウ殿、どうすれば……」
「……ければ」
「?」
衛兵の一人が、俯くサウの口元に耳を傾けた。
「狂ってしまわれた……救わなければ……正さなければ……!」
うわごとのように呟き続けるその姿は、意志なき人形のようであった。
そうして、アーニャの屋敷へ帰ろうとしたのだが。
「祝い子様! よくぞご無事で!」「流石でございます、逆賊を自ら討ち取られるとは!」
「うん。ありがとう、みんな」
ただの友達3人の帰り道すらも、このお祭り騒ぎである。アーニャは声をかけ、深く頭を下げてくる村民達一人一人に、几帳面に挨拶と微笑みを返した。
「ごめんね、騒がしくて」
「悪い気はしねえさ。俺まで偉くなった気分だ」
ジャックがそう答えた。やけに爽やかな笑顔を取り繕いながら。やけに姿勢良く歩きながら。
「しっかし、どいつもこいつもアーニャ様だな。お嬢さんの人柄が良いんだろうけど」
「ケセラさんの頃も、こんな感じだったよ。この国の平穏も豊かさも発展も、全部祝い子がみんなに与えてるものだって信じてるの」
「んだよそれ。こいつらいい歳こいて、十代の子供に依存してやがんのか」
「そんな言い方しないで。みんな、私に期待してくれてるだけ。それに、祝い子としてもてはやされるのは苦手だけど……私はみんなのことも、みんなのために頑張るのも好きだよ」
「なら良いけどよ……」
彼らはそうやって、祝い子という光の面しか見えていない。見ようとしていない。きっと彼らも衛兵と同じで、ニアが呪い子と知ったら──それは言うべきではないと思って、ジャックは一連の言葉を飲み込んだ。
「この辺りの人達は、槍を向けて来ないんだな。良い人達だ」
「良い人のハードル低すぎだろ」
「普通の人達は、ニアの顔を知らないからね。呪い子だとは思ってないんだと思う」
こっそりと、アーニャがそう囁いた。実際ニアには、見ない顔だなー、などという軽い言葉しか飛んで来ない。
「ま、武器向けられるよりはこっちのがマシだろ?」
「ああ。さっきのは、すごくむかついた」
「だよなー……え? むかついたのか?」
「? そうだけど……どうした、ジャック?」
「あー、いや」
どうした、と改めて聞かれると、明確に言葉には出来なかった。だけど、ジャックは確かに感じた。ニアの今の物言いに、違和感を。
「大丈夫? ほら、もう着くよ」
そう言ってアーニャが指差した先。人混みを抜け出したその向こうに、白い壁と青い屋根の大きな屋敷がそびえ立っていた。三階建てで横にも大きく広がるその建物は、もはや小さめの城と言っても差し支え無い。
「アーニャ!! ああ良かった、元気そうで何よりだ〜!!」
「あっ、パパ。うん、ただいま」
屋敷のドアを開ける前に、向こうからやって来た男。アーニャの父らしいその男は丸々と肥えていて、その上指にも首元にも耳にも高級な黄金のアクセサリーを身に付けている。成金という言葉を、そのまま絵にしたような男であった。
「ママは出かけているが、夕方には帰ってくるよ。そちらが呪い子君だな?」
「うん……え、えぇ!? パパなんで知って……う、ううん、違うよ!? ニアはただの友達で……」
「ははっ、誤魔化さなくても良い。話は衛兵から聞いたが、俺は差別などせんよ。お前が心から信頼する友達なら、誰だろうと大歓迎さ。さあ、紅茶を淹れて招待しなければな」
「パパ……うん、ありがとうっ!」
アーニャは珍しく子供らしい笑顔で言うと、父の隣を歩き始めた。
「ありがてえが……すげえ格好の親父だな。やっぱ祝い子って、稼げる仕事なのかね」
同意を求めるように、ジャックは視線を落としてニアに目を向けた。
「……おれを下に見てるだろ……くそっ……」
だけど彼は、想像していたようなほんわかとした顔はしていなかった。
「おい、ニア」
「! えと……どうした?」
「どうしたはこっちのセリフだ。お前アレだな、寝不足でピリピリしてんだ。ほら、さっさと入ってさっさと寝るぞ」
「わっ……離せよ、ジャック!」
「へいへい。ほら、早よ早よ」
妙に抵抗するニアを無理やり引っ張って、ジャックは屋敷へと急ぐのだった。