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#19「雨上がりの空は、また雲に陰る。」

 戦いは終わった。


 エルスカッドの街は住民達、そして地下から解放された正規の衛兵らによって復興され始めた。ケセラに雇われた裏切りの衛兵達は全員、国中の様々な町に分散して投獄された。


 ケセラ本人も逮捕されたが、衛兵らとは違い、抵抗する気配はまるで無かった。


 そして、ニアとアーニャは。


「……あの、アーニャ」


「んー……キャップ被って都会風も良いけど、ニアの綺麗な髪が隠れちゃうのはなー……やっぱりさっきのゆるめファッションが良いなー……あっ、丸メガネも足してー……」


「あの……」


 着せ替え大会を始めていた。いや、ニアは始めさせられただけなのだが。


「なぁに?」


「遊んでいる場合では、ないと思うのだけど……」


 無理やり着せられた黒のジャケットを困った顔で眺めながら、ニアはそう問いかけた。


「遊んでる場合だよー。あの後もう朝になっちゃって、君も私も眠れてないでしょ?」


「うん。そうだな」


「だったらもう、一緒に着せ替え大会するしかないと思わない?」


「うん。分からないな」


 元より言葉はアーニャから教わったのだが、そのアーニャの言っていることが今は理解できない。困ったことに。


「えー……遊ぼうよー。せっかくまた会えたし、今度はこうやってちゃんと触れ合えるんだから……」


「おれも、ずっとゆっくりしていたいけど……でも、心配なことがあるんだ」


 アーニャが差し出す手をそっと握り返しながら、ニアは膝を折って座り直した。このズボンはかっこいいけど、きつく締まって動きにくいな──なんて思いながら。


「呪い子って確か、呪いや怨念を背負って死ぬことで、悪い怪物を鎮めてるんだろ? でもおれはこうして生きてる。だったらその怪物ってやつはどうなるんだ?」


「それは……分からない。今までの呪い子は全員亡くなったことが確認されていて、失敗したのはニアが初めてだから」


 昔、アーニャが自身の屋敷に残っていた資料を読んで知ったことだ。呪い子の処刑方法は占いで決まるため毎回バラバラだが、重りをつけて海に沈めるという処刑は今回が初だった。歴代の処刑で唯一、アクシデントで生き延びてしまう可能性のある処刑方法だったというわけだ。


「そっか……なら何があっても良いように、気持ちだけでも備えないと」


 ニアは立ち上がり、部屋の窓から空を見上げた。曇天は去り、澄んだ青が広がっているが、遙か向こうには黒い雷雲が見える。濁って、晴れて、また濁って、それはまるで、この日々のようで。


「おれは自分の生きたいって気持ちが、間違いだとは思ってない。でもおれが生きてしまったせいで、悪いことが起きるんだとしたら──」


 そうして、明日を憂う小さな少年の背中。


「……ね、やめてよ。そんな言い方」


 慈愛を込めた抱擁が、その背中をあたためた。


「生きてしまったなんて、やめて。ニアは何も悪くないの。何もニアのせいじゃないよ」


 ニアより一回り大きな腕。心地よく耳を揺らす吐息。


「ニアはもういっぱい頑張ったから、もういいの。あとは私に任せて。君は生きたいように生きて、それだけでいいんだよ。私が君を守ってあげるからね」


 強く抱きながら、アーニャはそう囁いた。強く、しっかりとその手を握った。二度と彼が離れないように。二度と傷つかないように。二度と後悔しないように。そうして一生守り抜くことこそ、自分の使命だと思って。


「ありがとう。でも大丈夫」


 だけど、彼はその手をそっと離した。


「もう少しだけ頑張るよ。これから何が起きるのか分からないけれど……この先にはきっと、おれがやるべきことがあるんだ」


「ニア……」


「アーニャの仕事みたいに、おれにもおれにしか出来ないことがある気がするんだ。それをやり遂げられたら、おれはやっと胸を張って生きられるようになるんだと思う」


 だから大丈夫。そう言って、あとは振り返り微笑むだけだった。


 彼がいたい場所は、彼女の腕の中ではなく、彼女の隣だったから。


「……もう。こんなに大きくなっちゃって」


「? あんまり背は伸びてないぞ」


「違うよー」


「?」


「もうっ……ふふっ」


 アーニャも呆れてくすりと微笑んだ。大人になったようで、やっぱり子供のままかもしれない。


 それは、彼女自身にも言えることなのだが。






「ところで……ジャックさんは、ドアの側に立つのが趣味なのかな?」


「!!」


 部屋のドアの向こう側から聞こえた、微かな足音。慌てたせいか、壁に肘をぶつけたような音が続けて響いた。しばらく無言で待つと、観念したようにドアの開く音がした。


「その……邪魔しちゃ悪いと思ってよ」


「ありがとう。でも祝い子は五感もバツグンなのです」


「ジャック、どうかしたのか?」


「おう」


 街の役所で借りた白いシャツに着替えたジャックは、細かく字の書かれた羊皮紙を二人に見せた。


「衛兵からの伝言だ。"ラクシアへ帰る馬車を出すから、三人一緒に乗ってくれ"ってさ」


「ラクシア……」


 ニアは当然知らない地名。ジャックもどこかで聞いた覚えはあるものの、うろ覚え。アーニャだけが、その海辺の村を知っていた。


「……分かりました。行こう、二人とも」






「しっかし少しも揺れねえな。馬と乗り手とどっちが優秀なんだ?」


 "ラクシア"へ向かう途中。無音無震の快適な馬車の中、緊張感に耐えかねたジャックが、同乗した隣の衛兵にそう尋ねた。


「どちらもです。なにせ神の祝福を受けし祝い子様をお乗せする車ですから、実現可能な最高の条件をご用意しなければ」


 無論、私の腕も一流です──などと、衛兵は軽口を挟んだ。


「ジャック殿は祝い子様のご友人として招待するよう、ご本人から命じられております。あなたにも、最大限のおもてなしを約束しましょう」


「へー、こんな異邦人に高級ディナー食わしてくれるってのか」


 口では抑揚をつけてそう言いながらも、その表情は晴れやかではなかった。


「その親切心を、ほんの少しでも分けてやるべき相手がいたんじゃねえか?」


 そう言って、ジャックは向かい側で眠りこけるニアに目を向けた。その隣でアーニャが「抑えて、抑えて」と指し示している気もしたが、無視した。


「……ほう。ジャック殿は邪気と血にまみれた猛獣が人里に降りてきたら、ご馳走を用意して歓迎すると?」


「ああ、気分によっちゃありだな。ちょうど今俺の隣に、熊も満足しそうなガタイの肉塊が座ってるしよ」


「おやおや、これは手厳しい」


 うわべだけの笑顔を浮かべて、受け流すように衛兵が言った。


「ジャックさん、その辺にして。あなたも、良い加減にしなさい」


 両者を宥めるようなアーニャの掛け声の後、再び口を開いたのは衛兵の方だった。


「まあ、祝い子様のなさった選択です。尊重いたしますが……くれぐれも、その呪い子にはお気を許さぬよう。少しでもそやつが怪しい動きを見せれば、我々は容赦致しませんのでね」


「うるせえ。そりゃこっちも同じだよ」


 ぶっきらぼうにそう言うと、「もう話すことは無え」とでも言うように、ジャックは横に目を逸らす。


「……そういや、ラクシアってどんな所なんだ?」


 だけど、それを聞きそびれていたのを思い出して、アーニャにだけ顔を向けて尋ねた。


「ごめんなさい、言い忘れてたね。あれだよ」


 アーニャは自身の後ろに備えられた窓に目を向け、その先の景色を指差した。


 白い砂浜。空を投影したような青い海。その手前にそびえる、巨大な岩山。美しいその景観は、しかし形容し難い妙な不安感と威圧感を放っている。


「あれがラクシア村。私とニアが出会った場所だよ」


 祝い子と呪い子の運命は今、始まりの場所へと還って来た。

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