#18「雨には傘を差して、一緒に夜明けを見て。」
「今更お前なんかが、勝てるわけないだろ?」
そう言われた時、ほんの少し思ってしまった。
確かに勝てない、と。
「……黙れ。黙れ黙れ黙れぇ!!」
だけど、降参するので許してください──などと言えるケセラではなかった。
彼はもう、悪の道に落ちた。全てを破壊してでも世界を変えると、覚悟を決めたのだ。今更、止まることなどできない。
ここで諦めては、彼女に合わせる顔が無い。
「無理なんだよ……祝い子と呪い子は寄り添えない!! 分かり合えない救われない!! それが世界の運命だ!! お前達もどうせそうなるんだ!!」
「…………ケセラ……」
有り得ない、有り得ない、有り得ない──心の中で繰り返しながら叫ぶケセラに、少年は憐れむような視線を向けた。
「忘れていた。あなたにも、同じ時間を生きた呪い子がいたんだよな」
「……!!」
その視線が、分かったような言葉が、ケセラには我慢ならなかった。
あってはならない。コイツが救われて、彼女が救われないなんて──!!
「ああ……うああああああああああああ!!!」
否定しなければ。奴らを殺して証明しなければ。祝い子と呪い子は皆、救われない結末を迎える運命なのだと。
怒りと必死な使命感以外、ケセラの心には無かった。全てを憎むような怒号を上げながら、周囲の石も木もレンガも全て巻き込んで、でたらめで巨大な無機物の塊を頭上に作り出していく。そこには、優美も高潔さも無い。
「……アーニャ。終わらせてくる」
「うん。"付加"」
そんな彼すら、救われてほしいと願いながら。
それでも世界のために、自分達のために。
ニアはアーニャの身体強化の術と、自らの黒いオーラを組み合わせ、右手に纏わせた。
「過ぎたことを、恨むな」
「死ねええええええええッ!!!」
巨大な質量が、高速でこちらへ飛んでくる。
だけど、敵じゃない。ニアは地面を蹴って駆け出した。
「!?」
「あなたにだって……ちゃんと、未来があるじゃないか!!」
勢いのまま、拳で巨大な無機物を破壊した。そのまま突っ込んでケセラに迫る。
「はあああああああああッ!!!」
拳が、届く。
その刹那──少年に、彼女の姿が重なった。
美しい黒髪を揺らして、いつも微笑んでいた、彼女が。
「………………カルナ?」
それが最後。顔面への鈍い痛みの後、ケセラは力尽きた。
「はぁ、はぁ……10回は死にかけた……」
男が1人、膝から血を垂らしながら歩いていた。ケセラを引きつけて時間稼ぎをしていたのだが、流石に一般人が出来ることには限界がある。異能を持つ怪物を抑え続けてはおけず、途中で逃げて身を隠していたのだ。
「……ニア?」
ジャックは目の前の景色を見て、足を止めた。
「あっ! 良かった、無事だった。動かないでください。"廻帰"」
「おっと……悪いな」
先に気づいて駆けつけてきたのは、アーニャだった。治療の異能によって、みるみる傷が塞がっていく。
その傍ら。ニアは、倒れたケセラの隣に座っていた。
「ソイツ、死んだのか?」
「大丈夫、寝てるだけだ。アーニャが今、能力でおまじないをかけてて……朝になる頃には、もうあの異能は使えなくなるらしい」
「そうかい」
縄で縛られたケセラを、頭上から白い光が照らしている。"おまじない"と言うやつだろう。とにかく、全ては終わったらしい。
「…………寝ていなかったら、どうする?」
「!?」
予想外の声に、3人の体が飛び跳ねるように反応した。
「お前……!」
「冗談だ。貴様のせいで、もう動けん」
地べたに寝転んだまま、ケセラは相変わらずの馬鹿にするような笑みと共に、そう話した。
「アーニャ。良かったら、治してやってくれないか?」
「待て待て。俺もう囮やりたくねえよ」
「また悪さをするようなら、またおれが倒す。それに、多分もう大丈夫だ」
「うん」
アーニャは頷いて、ケセラの体に手を伸ばし、治療を始めた。2人だけは知っている。彼の狂った瞳の奥に潜んでいた、深い悲しみを。
「……本当に頭の悪い奴らだ。甘っちょろくて、夢ばかり見て。そのくせ、ちゃんとその夢を叶えたのだから憎たらしい」
「ケセラ……どうして、こんなことを。私の何があなたを怒らせてしまったの?」
「お前じゃない。お前を含む、世界のすべてだ」
憐れむようなアーニャの瞳すら鬱陶しくて、ケセラはすぐに目を逸らした。
「…………僕も、恋をしていた。僕と同じ世代の、呪い子に」
僕が12の時だ。彼女と──カルナと、あの洞窟で出会った。
呪い子は人の形をしていない、化け物だと教えられていた。だから、それが同年代の女だなんて、あまりにも予想外で。そしてあまりにも、彼女は美しかった。
お前が好きで好きで仕方ないソイツと同じ、黒い髪と赤い瞳をしていたよ。地面に付くほど長い髪を肩の辺りで切ってやったら、随分可愛らしくなって──おい、聞け。恥ずかしがるな。いつまでソイツを引きずってるんだ。
……ソイツと同じで、好奇心旺盛だったな。僕も彼女に言葉を教えて、それから毎日、夜更けから朝日が昇るまで話をしていた。
だけど、その日々はずっとは続かなかった。もう病気で死んだが──僕の先代の祝い子。彼は未来予知の異能を持っていた。その力で僕らの脱出計画が暴かれたんだ。そんな力を持っていただなんて、僕は知らなかった。
従者の生死を振り切って洞窟に向かったが、すでにカルナの処刑が始まろうとしていた。よりによって火刑だ。戦って阻止しようとしたが、呪い子の瘴気で錯乱しているだなどと言われ、不意打ちで気絶させられて僕は屋敷に連れ戻された。止めることが出来なかった。
縛り付けられた彼女は僕と目が合うと、いつものようににっこり笑っていた。泣き言も恨み言も言わなかった。だけど僕が気絶する寸前、火が一気に燃え広がっていく音と、すすり泣く声がずっと微かに聞こえていた。
せめて、僕のせいだと憎んでくれれば良かった。それなら僕は、死んで償えた。だけど彼女は何も憎まなかった。だから僕は、怒りと悔しさの行き場を失った。
そして無気力になって何年も過ごした後──アーニャ。お前が次代の祝い子として、やって来たんだ。
「初めて知った時は驚いたよ。お前も僕と同じように、呪い子を救おうとしていると。そして、呪い子と思われる人間が処刑を経てなお生きているという事実を、アーニャとの再会を目論んでいるという噂を、独自の情報網から知った」
いつのまにか夜が明け、太陽が登ろうとしていた。ケセラは、東の曇り空の隙間から差す光に向け、手を伸ばし。
「それが、我慢ならなかったんだ」
握りつぶすように、その手を握りしめた。
「カルナと違ってニアは生き残れた。ニアは愛する祝い子と再会できた。そんなシナリオ、あってはならないと思ったんだ。だから全力で阻止した。祝い子と呪い子を夢半ばで殺してやりたかった」
「何故、そんなことを……あなたもカルナさんを失って、愛する人が死ぬ悲しみを知っていたのに──」
「だからだよッ!! げほっ、ごほっ……」
アーニャに向けて叫んだ途端、傷が疼き出した。ケセラは痛みに顔をしかめ、それでもなお、口を開いた。
「……運命だと思いたかったんだ。祝い子と呪い子は結局、寄り添うことなんて出来ない運命なんだと。そう思いたかった。だけどお前達は再会を果たし、わかり合い、僕にも勝った。お前達は僕と違って、運命に勝ったんだ」
それなら──そう続けるケセラの声は、震えていた。
「それなら、カルナが死んだのは……運命は覆せるものだというのなら、カルナが死んだのは運命のせいなんかじゃない……ひとえに、僕が無能だったせいってことじゃないか……!! 運命を変える力が、僕に無かったせいじゃないか……!!」
氷が溶けて露になるように、涙がこぼれた。心がどっと溢れ出すように、嗚咽が喉から漏れた。
「カルナが死んだのは、僕のせいだ……僕はただ、無様に責任転嫁をしていただけの……情けない、生きてる価値なんて無い人間なんだ……!!」
今更何にもならない後悔が、言葉になって滴り落ちる。
ああ──このまま死ねたら楽なのに。どうしようもなく、この身は健やかだ。心臓はちゃんと拍動している。全身に温かい血が巡っている。守りたかった彼女にはもう、そのどれも残っていないのに。
「そんなことはない」
それでもそんな絶望の中に、手を差し伸べる者がいた。
「あなたはカルナのために怒れるし、涙を流せる優しい人だ。それがカルナにとってどんなに嬉しかったか……全部とは言わないけれど、半分くらいはおれにも分かる。おれも同じ、呪い子だからな」
寄り添うように、ニアは彼の手をぐっと握った。
「大丈夫。きっとカルナは、いつまでもあなたの味方だ」
「……ふっ。よりによって、お前に慰められるとはな」
涙はいつのまにか途切れ、その顔には笑みが浮かぶ。
だけどその笑みにはもう、邪悪さは無かった。
「……くだらねえ」
ジャーナリストは1人、舌打ちしながら踵を返した。
「誰も悪くねえ悲劇なんざ、新聞にしても誰も読みたがらねえよ」
それでも。この事件は、確かに終わりを告げた。