#14「おれのこの手を、彼女は拒むけど。」
「まず聞きたい。いつから目を覚ましていた?」
アーニャは数歩距離を置くと、バルコニーの手すりに手を添えながら口を開いた。
「ほんの数分前です、毒の治療が終わったのは。そこからは寝たフリをして、あなたが一番油断するタイミングを見計らっていましたが……民への攻撃には対処しないわけにはいきませんでした。あなたと違って、私は彼らを大事にしていますから」
「そうか、君の治癒の能力か。だがここからどうする? 僕は今にでも、大砲で君を砲撃できるが? ああちなみに、コイツの攻撃では僕はダメージを受けない。そういう風に作っておいたからな」
ケセラはすぐに冷静になった。焦る様子は無い。多少のイレギュラーなど織り込み済み。むしろニアが予想していたほどの強さではなかったので、退屈していた所だった。
「大砲? ああ、これですか。低俗ですね……もう少し建築学や美術を学ぶべきだと思いますよ。我が国には良い職人が揃っているのですから」
だが、冷静なのはアーニャも同じ。彼女は微笑んでそう言い切ると、手すりを掴んでいた右手に力を込めた。
ガラガラと音が響く。アーニャの右手はそのまま、手すりを握りつぶして粉々にした。
「……ほう?」
これは予想外だったらしい。そのまま連鎖するようにひび割れ、崩れているバルコニーから、ケセラは身を翻して飛び降りた。
地面に着地して見上げると、石の巨人は悲鳴を上げるように身をよじらせていた。その抵抗も虚しく、余分な砲塔は崩れ落ち、その形状は元の巨塔へと戻った。
「そういえば、それも君の異能か。回復、反射、拒絶。外からの干渉を無に帰す、そういう能力を持っていたな、君は」
「神様から頂いた、我々祝い子の異能。自分が特別だと思っているみたいですが、あいにく私もあなたと同格の力を持っています」
アーニャの方も、無事にバルコニーから降りてきた。語りながら着地し、ケセラから視線を移して民衆達に目を向ける。
「ご心配をおかけしました。私はもう大丈夫」
「い、祝い子様……」
微笑みかけると、民衆達の表情がほんの少し緩くなった。安堵して涙を流す者もいた。しかし、困ったような顔は相変わらずだ。
その困惑の理由が、彼女には分かっていた。
「……呪い子のことは、いずれ必ず説明をします。だから今は何も聞かないで。さあ、急いでここを離れてください」
「しかし、呪い子ですぞ!?」「あなたの宿敵です!」「あなた様を呪い子や、そこの裏切り者と一緒にいさせて、我々だけ逃げるなど……」
「大丈夫。皆さんは私を信じてくれるでしょう? 私は負けませんから。さあ」
その声色は、心を安らげた。その言葉は、思わず従ってしまいたくなる、不思議な魅力を秘めていた。否、最早魔力と言うべきか。
「は……はいっ!」
先程まで命を脅かされていた少女1人に全てを任せ、一目散に駆け出す大人達。そんな奇怪な状況が成立するほど、少女は強く気高く、そして民衆は無力だった。
そんな無責任な人間に、部外者のジャックがなれるはずがなく。
「……おいおい。嘘だろ、アイツら」
彼は呆れるような表情で、逃げる彼らを見送った。
「よし、今のうちに……おわっ!?」
「あなた達はダメです。後でお話を聞きますから」
下手な計らいなど、祝い子には通じない。混乱に乗じて逃げ出そうとした裏切り者の衛兵達は、一瞬で捕らえられた。アーニャの不思議な力によって、光り輝くクリスタルのような封印空間にまとめて閉じ込められた。
「これで邪魔するものはありません。この国を獲りたいのなら、ここで私と正々堂々戦いなさい」
「だから、僕の目的は掌握ではなく破壊なんだが……まあいい。やろうか」
2人の距離が近くなっていく。麗しい容姿の2人には似合わない黒い殺気が、夜風に乗り、刃物のような肌触りで頬を撫でる。
「待ってくれ、アーニャ!」
だからニアは、そんな所に彼女をいさせたくなかった。
「……」
後ろから聞こえた呼び声。しかし聖女は振り向かない。
「……民を守ってくれた功績と、被害者があの裏切り者だったことを加味し、暴行事件は無かったことにします。君の正体もうまく誤魔化しておきます。分かったら早くこの街を去って」
政治も司法も立法も、祝い子にはある程度自由な介入の権利がある。どちらの約束も、彼女なら簡単に果たせるのだろう。
だけどそれは、もうニアと関わる気はない、ということで。
「待って……こっちを向いてくれ! おれの目を見て話してくれ!」
「……ッ」
彼女はそれきり、ニアを意識の外へ追いやって、走り出した。
「おやおや、喧嘩別れとは! やはり幼稚で愚鈍だな、貴様らはッ!!」
ケセラは石の地面を、強く踏みつけた。
「"錬成"!」
無機物の操作。それが、彼が神に与えられたギフト。
石の塊が地面から飛び上がり、ケセラの右手の下で瞬く間に一つとなって、その形を変えていった。
固まる。伸びる。尖る。そうして生まれた美しい造形の片手剣を握りしめ、立ち向かうアーニャを迎え撃った。
「はあああっ!!」
「邪魔!」
横一線に繰り出したケセラの斬撃に、怯む様子は無い。アーニャはそのまま突っ込み、左手を迫り来る剣に向けてかざした。
砂が溶けて落ちるような音。刹那の合間に剣は元の石に戻り、粉々になって姿を消した。
「一瞬か……厄介な」
「そこっ!!」
「ぐっ」
空振って隙ができたケセラの脇腹目がけ、アーニャは強く回し蹴りを放った。鈍い音の直後、えずくような声と共に吹き飛び、ケセラは土の露出した地面に膝をついた。
護身かつ精神修行のために習った武術。だがその蹴りは、少しかじった程度の少女が繰り出せるそれではなかった。
「ドレスでよくやる……フィジカルにまで神の恩寵を受けていたか。同格どころか、ともするとお前の方が能力の格は上かもな」
「……ごたくを並べていないで、素直に言ったらどうですか? 手加減して、と」
「ハッ! だがやはり愚かだ!」
膝をついたまま、ケセラは指を鳴らした。地面を引き裂き、何かが突き出てくるような音──正体を悟ったアーニャはすぐさま振り返り、両手を目の前に掲げて構えた。
「"無化"!」
予測通り、2本の石剣が突進するように地面から飛び出し、彼女の首元へ迫っていた。だが再び、その手に触れた瞬間に力を失い、ボロボロの石片に戻っていく。
「ほーら、よく見ろ!」
「くっ……ああっ!?」
息つく暇も無い第二波が、今度はすぐ下の足元から迫る。飛び退いて回避したが、一本の剣の切先が一瞬、アーニャの真っ白な右足を掠めて赤に染めた。
「経験と技量では僕が上だな! 僕は祝い子を務めながら、国家衛兵隊の総督も担っていたんだ。"ゴルト海岸の戦い"、家庭教師に教わっただろう? 大規模な海賊団を、我が国が退けた防衛戦……あれの指揮を取っていたのも他でもない、この僕だ!」
「アーニャ!! くそっ……ぐっ」
寝てる場合じゃない──そう思いながらも、ニアは立ち上がれずにふらついて膝をついた。
「無理すんなニア! 頭の出血は、他より体に響くんだよ!」
「でも……!」
駆けつけたジャックに肩を貸されて、ようやく立ち上がった。だけど、無理をしないわけにはいかない。ゆっくりと一歩ずつ、痛みに顔をしかめるアーニャの元へ歩もうとした。
「ん? 貴様らまだいたのか。そうだアーニャ、ニアの手を借りたらどうだ?」
「そうだ、アーニャ! おれを頼ってくれ!」
「…………」
「アー──」
彼女が傷つくのが耐えられない。頼って欲しい。力になりたい。それ以上に、どんな理由でもいい、肩を並べて一緒にいたい。
「……"固化"」
「アーニャ!!」
それなのに、返答は拒絶であった。裏切り者の衛兵達を閉じ込めたのと同じ、クリスタルの牢獄が、ニア達2人を閉じ込めた。
「安心して。石がぶつかった程度で、その防壁は壊れませんから」
「優しいな……そいつに親切にして、惚れられて承認欲求を満たしたいだけなのだと思っていたが……やはり協力を頼んでみろよ。死ぬまで盾になってくれるぞ、あれは」
「ふざけないで。ニアにこれ以上、苦しい思いなんてさせない。何より」
再び無数の剣を呼び起こすケセラに相対しながら、アーニャは臆することなく、その胸に手を当てて息を吸った。
「私はニアに殺されて、罪を償うの。あなたなんかに、私もニアも殺させはしないよ」
「…………え?」
おれが、アーニャを、ころす?
言葉の意味を飲み込めないまま、ニアは呆然と彼女を見ることしかできなかった。