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#11「悪いたくらみが、彼女を曇らせる。」

「ああ……ケセラ殿! もう大丈夫なのですか?」


 空には月が顔を出した。街の中央の塔に戻ったケセラに、武装した衛兵が駆け寄って尋ねた。


「ああ、出血の割には浅い傷だったらしい。しばらく安静にしていれば、すぐに現場復帰できそうだ。心配をかけたな」


 治療を終えて、右腕に包帯を巻いたケセラは、安心させるように微笑みかけてそう答えた。


「いえ! ご健在でしたのなら何よりです! そうそう、祝い子様より伝言がありまして。しばらく1人にしてほしい、と」


 では、と最後に言って、衛兵はまた走り去っていった。


「分かった…………随分にぶいな、アイツも医務室の連中も。ちょっと精巧に作りすぎたか」


 そんな独り言と、ケセラの足跡だけが廊下に響く。床に壁に天井、どこを見ても美しい造形美に飾られた石の巨塔を、上へ上へと歩いて行く。本来ひどく痛むはずの右腕を、上機嫌に揺らしながら。


「失礼します」


 やがて、目当ての部屋に辿り着いた。機嫌を損ねないよう、丁寧なノックと共にドアを開ける。


「おや、祝い子様。ご気分が悪いのですか?」


「……1人にしてと、伝わっているはずですが」


 明かりもついていない部屋の奥から、振り返ってそう言った、金髪の美少女。だがその輝きは、昼間よりも色褪せて見えた。夜空に浮かぶ半月のように、何かが心から欠落したかのように。


「申し訳ありません。ただ、どうしても心配になってしまいまして」


「そう……大丈夫です。あなたも大変だったんでしょう? でも……」


「彼がこんなことをするはずがない、ですか?」


 見せつけるように右腕を掲げて、ケセラはそう言った。


 いつも凛として余裕を持ち、笑みを絶やさないことが彼の長所だと、アーニャは思っていた。だけど今夜はその笑みも、なんだか不気味で悪趣味に見えてしまう。


「…………」


「隠す必要はありませんよ。かなり前から分かっていましたから。貴女の愛したあの少年が生きていたこと、僕も嬉しかったのですが……結果はこの通りです。あの少年はもう、呪いで悪に染まってしまった。以前までの彼とは違う」


「……それでも、処刑だなんて」


「では、如何いたしますか?」


 声を震わせるアーニャに追い打ちをかけるように、矢継ぎ早に質問を投げかけた。壁の柱が月光を遮り、ケセラの表情は途端に闇に隠れた。


「呪い子である彼を特別扱いして庇い、決定的な傷害事件を揉み消しますか? 人々はどう思うでしょう? 心の拠り所である、神聖かつ潔白かつ高貴な貴女が、悪人に肩入れしたことを知ったら」


「…………でも、私は」


「彼を助けたい、彼に幸せに生きて欲しい……ですよね。それが貴女の本心だ。うわべだけ彼を突き放した所で、隠しきれはしない。だけど、かくも運命は残酷なのです」


「……ケセラ……?」


「ですが大丈夫。今宵、その無慈悲な運命の連鎖も終わります。僕が終わらせます」


 ケセラは声と共に、アーニャに歩み寄った。


 彼女のドレスの袖に、自らの腕を通して。震える少女の体を、そっと抱き止めて。


「…………!!」


 その真っ白な首元に、一本の針を突き刺した。






「ッ! クソッ、俺としたことが3分ほど寝ちまった……!」


「嘘だ、1時間寝てたぞ。すごく暇だった」


 焦り顔で飛び起きたジャックの横から、ニアが冷静にツッコんだ。


「さっきはパニクって倒れちまったが……なに、そうすぐに処刑の準備が整うはずがねえ。その前に脱出してやる」


「……すまない、ジャック」


「ああ? 何だ今更」


「聞いたことがあるんだ。一度捕まった人は、もう普通の仕事に就くのが難しくなるって。前にやってた仕事はクビになってしまうって。ジャックは関係無いのに、おれ達の事情のせいで、ジャックの人生が台無しだ」


 俯きながらニアが言った。自分が痛めつけられるのには慣れていても、大切な誰かが酷い目に合うのは、どうしても我慢ならなかった。


「んなこと気にすんなよ、俺は気にしてねえ。逆境で必死に頑張ってるダチを逆恨みするような奴の人生だったら、台無しになっちまった方がマシだ」


 だから──ジャックはそう続けて立ち上がり、右手で横の髪を掻き分けた。その中から、光沢を浴びた金色の細い棒が顔を出す。


「ヘアピンをしてたんだな……あっ!」


 ニアは声を漏らした。そのヘアピンは随分細くて──ピッキングなんて出来そうだったから。


「へっ。任せな、直ぐに解き放ってやるよ」


 ジャックは再び座り込んで、ニアの腕を縛る鎖の錠にヘアピンを突っ込んだ。


「それとな。あのケセラって奴は、自分の権威を利用して周りを騙しやがった。真実を追うジャーナリストとして、それが許せねえ。だからぶっ飛ばしてやらねえと、気が済まねえよ」


「そう言えば、ずっと言っているな。偏見が嫌いで、真実を語りたい、って」


 出会った時からそうだった。冗談じみた小さな嘘は付いても、悪意で人を騙すことは決してしなかったのだ、彼は。


「弟に誓ったんでな。そういう人間であり続けるって」


「弟……?」


 ニアは聞き返した。なにせ、彼に弟がいたことすら聞いていなかったから。


「そういや、話してなかったな……昔のことだ。10年ほど前に死んでる」


 小さな金属音をカツカツと鳴らしながら、ジャックは語り始めた。


「そうか…………ごめん」


「謝んなよ、俺から始めた話題だろ。俺達は田舎の村の、一般家庭の出でな。裕福ではなかったが、毎日それなりに楽しくやってた。俺ら兄弟はよく約束してたな……2人で偉い人になって、いつかうんと贅沢な暮らしをしようぜ、って」


 だけど、運命はそう上手くは行かなかった。


「必死に勉強したのが報われて、もうすぐ都会の良い学校に行けるってなった頃……弟は死んだ。たまたま村を訪れてた貴族の馬車が、整備不良のせいでバランスを崩して、重い荷車ごと倒れたんだ。それに巻き込まれて押し潰されて……打ち所が悪くてよ」


「そんな……ことで」


 ニアは死を、物語の中の話でしか知らない。だけどいつか主人公が死ぬ物語を聞かされた時、アーニャが涙ぐんでいたのを覚えている。


 だから理解は出来る。その辛さを。そんな他者の過失で大切な人が死ぬ、その理不尽さを。


「だが……その貴族は、整備不良を無かったことにした。弟が勝手に馬車をいじくり、その末に勝手に事故を起こして死んだと、そうシナリオを書き換えやがった。司法のお偉いさんに金でも渡したんだろう」


 痛む胸に追い打ちをかけるような、ジャックの信じ難い言葉。両腕が自由だったら、耳を塞いでしまっていたかもしれない。


「俺はその時知った。真実ってのは時に、大きな力で押し潰されちまうほど脆弱なんだってな」


「……それでも、真実を知らせるジャーナリストになったんだな」


「ああ……そこで諦めちまったら、弟の……ナルの死が無駄になっちまうと思った。だから俺は、どれだけ権力者の圧力に揉まれようが、意地でも真実を追い続けることに決めたんだよ」


 それは、弔い合戦のようなものなのだろう。


「……そうか。やっぱり、ジャックは良い人だ」


「ああ、そうさ。俺は人格者で、その上キレ者で男前だ。だからよ」


 そう言った直後、カシャンと最後の金属音が鳴った。全ての枷から解き放たれた少年と共に、ジャックは立ち上がった。


「そんな俺が協力してやるんだ……最後までキッチリ見せてくれや。お前の願いの行く末を」


「ああ。ちゃんと付き合ってもらうぞ、ジャック」


 無意識に伸ばした2人の手が、ガッチリと握り合った刹那。






 ドゴォォォォォォォッ!!!


「あぁ!?」


「何だッ……!?」


 突如、外から聞こえてきた轟音。まるで大地が割れたかのようだった。


 ジャックは慌てながら、牢屋の壁にある格子から外を見渡した。背丈の届かないニアも、格子のフチに手をかけてジャンプし、顔を出した。


「…………おい。あの塔よぉ、あんなデカかったか!?」


 牢屋からでも、そのダイナミックさが分かる。アーニャがいるはずの、白い巨塔だったもの。


 それは内側から食い破られるように形を変え、歪な巨城へと姿を変えていた。

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