第6話 あの日の空
一年前——。空が真っ赤に染まる夕空の下。
カシューが、森にほど近い大草原で訓練をしていた時のことだ。
「俺は強くなる——俺は強くなる——」
つぶやきながら、自分に言い聞かせながら。
カシューは狂う様に夜狼の群れに短剣を振って突貫する。
夜狼は本来夜行性で、昼間は60%ほどしか身体能力を発揮することができない。が、——60%で普通の狼程の敏捷なのだ。
夜狼がすれ違いざまに振るった牙や爪に対し、カシューは構えた腕を【弾性変化】させて弾く。短剣で、脳髄を貫く。
群れは五匹いたため、かばえきれずに腕や足に傷を負いつつ、続けて短剣を振おうとし——
「急所を狙うんです」
カザキリ音とともに、銀閃が閃いていた。
振り向けば、クラプト神父が血濡れの直剣を片手に持っており、カシューの背後からとびかかっていたのであろう夜狼を血の海に沈めていた。
カシューは両目を見開く。
夜狼の首に走るのは、浅い一本の傷。しかし、あふれ出る血の量と勢いはすさまじく、夜狼はすぐに息絶えるだろう。
「クラウ——」
「相手の攻撃に集中して。【弾性変化】した腕を動かして防御するのではなく、【弾性変化】する箇所を変えるのです」
「——‼」
カシューは言われて、夜狼と接敵中であることを思い出した。
振り返った時には——目の前に爪を閃かせてとびかかる夜狼がいて——。
カシューはなすすべもなく、目をつむった。
「まあ、いきなりは無理でしょう」
カザキリ音。
遅れて目を開いたときには、すべての夜狼が血の海に沈んでいた。
クラウプト神父がその中心で満面の笑みを見せる姿が、その時だけは不気味に見えた——。
訓練からの帰り道——。
徐々に暗くなっていく街道。
「なんで、夜狼に挑むような無茶な真似をしたんですか?」
「だって、だって——‼」
カシューは歯を食いしばる。握りしめた拳がギチギチと軋んで、左目から一筋の涙がホロリと流れる。
「自分を責めないでください、カシューくん。誰かを守るために使いなさいと教えたのは、確かに私です。ですが…守れなかったからといって、自分を責める必要はありません。…あなたが、修羅の道に進む必要はないのです、カシューくん」
——
ダルシュらが協会を去ったあと。
子供たちがすやすやと寝息を立てる空間をカシューは、できるだけ足音を立てないように歩く。
最奥の十字架——の横を通り過ぎ、その奥にある石壁に触れる。
カシューはそっと、全体重をかけて石の一つを強く押す。本来、大人じゃないと出せないような怪力で。
ガクンと、突然石が引っ込み、カシューは石壁に突っ込みそうになりながらも、ギリギリ踏みとどまる。
静かな音を立てて十字架が真っ二つに割れ、真っ赤な絨毯をしいた床ごと左右に開いて、先の見えない地下へと続く石段が現れた。
「ここを初めて見つけたのは……五年前のことだったか……」
ゴクリと、カシューは喉を鳴らす。
トイレに行きたいと目を覚ましたカシューは、異様な違和感を覚えて、協会広間へと足を進めた。
そこには、真っ二つになった十字架と地下へと続く階段があって——。
「夢だと思ってた。けど、そうじゃない気もして。根気よく探し続けたら——開いちまったんだよな」
スイッチとなっているすぐ右横の石を同じように押し込めば、この階段は再び閉じる。
カシューは、この階段の先に何があるのか見たことがないのだ。見たいとも思わないし、何を隠しているとしても、クラウプト神父をカシューは信用していた。
「けど…今は…」
カシューは、深く息を吐きだす。
心を落ち着け、自身の装備を確認し、自身ができる回避行動や戦闘行動を頭の中で反芻する。
「…いこう‼」
カシューは心を決め——一歩を踏み下ろした。