隊長カリグラ
翌日。黒き狼団の本部内。
カリグラが本部内の自室で起床すると、間もなくして一人の少年がノックして入室してきた。黒髪で結構な丸顔である。
「今日からカリグラ隊長の従者を務める事になりましたコズンと申します。よろしくお願いします」
続いて部屋に入ってきた少女をコズンが紹介する。
「こちらはナダル隊長の従者となるナルです」
ナルと紹介された少女が、かなり緊張した様子でカリグラに挨拶した。コズンとナルの二人ともに、まだ少年少女の年頃だ。
「は、初めまして。カリグラ隊長さま。ナルと申します。以後よ、よろしくお願いします」
カリグラが穏やかに微笑む。
「初めまして。カリグラだ。こちらこそ、何かと世話になると思う。よろしくな」
コズンとナルが目をキラキラさせてニッコリ笑った。
「はい! カリグラ隊長」
「が、頑張りますっ」
ナルはこれからナダルの所へ行くそうで、そのまま慌ただしく部屋から出ていった。その小さな背中を見送るカリグラ。
(俺も従者から始めたんだっけ……初々しくもあり、懐かしくもあるなあ。ペンデ隊長……じゃなかった、副団長の従者だったな)
カリグラが着替えて、コズンから紅茶を受け取った。
「一番隊なので何かと荒々しいが、臆せずに仕事をしてくれ。お。いい香りだな、この紅茶」
コズンが照れた。
「あ、ありがとうございます。頑張ります」
自室から出ると、厨房に接している食堂にガズが座っていた。早くも汁麺をすすっている。三杯目のようだ。
「カリグラ隊長。今日からオイラが副隊長になりやした。今後ともよろしく」
カリグラがコズンに洗い物を渡して、ガズにジト目を向けた。
「頼むからちゃんとしてくれよ」
ガズが三杯目を食べ終わって、満面の笑みを浮かべる。
「ガッテン承知でさ~」
心配になるカリグラであった。
ナダルが食堂へやって来た。ガズが食べ終えたドンブリ杯を呆れた表情で見てから、カリグラに軽く手を振る。
「よう。就任おめでとう」
カリグラも同じように軽く手を振った。
「これからも、よろしくな、二番隊隊長のナダル」
ナダルが表情を変えずに、そっとカリグラに告げた。
「最近、近くにダークエルフが棲みついたらしい。厄介な事にならなければ良いが」
カリグラも表情が引き締まる。
「そうか。魔法対策をしっかりと講じないといけないな」
(それと……)
カリグラが視線を食堂の入り口付近に向ける。そこにはナルがチョコンと立っていて、夢見心地の視線をナダルに向けていた。
(また新たなファンが誕生したようだぞ。ナダルよ)
その後は軽く雑談をしていたのだが、ガズから無理やり朝食に誘われてしまった。
カリグラとナダルもガズと一緒に汁麺を食べてみる。カリグラがビーフン状の白い細麺をすすって、目を細めた。
「お。程よい美味さだな。鶏ガラの出汁に焼き豚か。ん、これは豚ひき肉の水餃子だ。長ネギと香草の葉がたっぷり乗っているのも良いな」
カリグラの感想に、ナダルが無言でうなずく。ガズは別の汁麺を食べていた。四杯目である。
「こっちの太麺も美味いですぜ、隊長。赤くて油たっぷりの汁が良い感じっす。小さな酸っぱいミカンを絞ると、また風味が変わるっすね」
そこへ孫シェフが厨房から顔を出した。ニコニコしている。
「たくさん食べるの、良いアルネ。年寄りには雑穀粥を用意してるアル」
その年寄り二人がやって来た。ダーブルとペンデである。副団長のペンデはまだ中年なのだが……
ペンデが粥を椀に入れて、揚げピーナツと鶏ミンチ肉の甘辛煮を乗せた。野菜の漬物もたっぷり乗っている。
「今日は就任式だな。カリグラに一番隊隊長の座を譲る。オマエはダーブル団長の息子だ。立派にやり遂げてくれるだろう。オレは副団長として支援するよ」
ダーブルも粥を椀に入れてきた。魚のカマボコの甘露煮に野菜の漬物を乗せている。漬物の種類はペンデとは違っていた。
「我が息子カリグラよ。一番隊隊長の仕事は戦闘、討伐が主になる。オマエがここまでなってくれた事、父として、わしは嬉しく思う」
そう言って、粥を食べ始めた。かなり上機嫌である。
「憶えているか? オマエを連れて放浪した日の事を。隊員とはぐれ、父子だけでさまよった洞窟を。そして山賊に襲われた村からの、住民の少女の救出を」
カリグラが汁麺を食べ終えて、少し畏まりながらうなずく。
「はい」
カリグラは当時子供だったので、戦闘には参加できずにダーブルの戦いを見守るだけだった。
ダーブルが隣のペンデと視線を交わしてから、カリグラに顔を向けた。
「あの時助けたウィルマも、立派な傭兵になった。そしてオマエはさらに立派に。わしは嬉しいぞ。一番隊隊長としてオマエの実力を十二分に発揮してくれ。
昼休みにオマエたちの就任式を行う。シェフには料理をたくさんつくってもらうから、楽しみにしてくれ」
ガズが真っ先に目を輝かせて反応した。
「楽しみにしてますです!」
思わず頭を抱えるカリグラであった。
「ガズ~……」
そこへ村人が二番隊隊員に案内されて、本部内へ駆け込んできた。かなり焦っている表情だ。案内してきた二番隊隊員がナダルに告げた。
「ナダル隊長! 隣村にゴブリンの集団が襲撃を仕掛けてきたと報告がありました」
村人がダーブルにすがりつく。かなり必死の形相をしている。
「ゴブリン駆除の緊急依頼を申し込みます! 急いでくださいっ。このままでは食糧庫が空になってしまいます」
ダーブルがすっくと立ちあがった。カリグラとナダルに顔を向ける。もうすっかり傭兵団長の厳しい表情だ。
「狼団の仕事を増やすために、モンスター駆除も受け付けていたのだよ。オマエたちの就任式は少し遅れる事になるか。
わしが直接担当するから、オマエたちは通常業務をしてくれ。今は新しい仕事に慣れる事が最優先だからな」
副団長のペンデが了承する。
「分かりました、ダーブル団長。カリグラとナダルは、本部に残って仕事をするように。オレもここに残る。ゴブリン駆除なので、新人隊員の訓練に使えそうですな、ダーブル団長」
ダーブルが軽くうなずいた。
「そうだな。数人ほど用意してくれ。では、わしは村へ行って詳細を長に聞いてくるとしよう」
そう言って、ダーブルが村人と二番隊隊員を連れて本部から駆け出していった。続いて、副団長のペンデが新人隊員の選抜をしに出ていく。
それを見送るガズ。実にのんびりした表情である。
「ゴブリンですか……新人隊員の練習台には手ごろですね~。オイラも新人の頃は何匹も駆除しましたよ」
カリグラとナダルも落ち着いた表情で同意している。ゴブリンは粗末だが刀剣を扱って攻撃できるので、人間の盗賊団相手の練習台に適しているのだ。
一方で、孫シェフだけは目を吊り上げて興奮していた。
「ゴブリン許さないアルネ! 食糧庫の干し肉を空にされる困るアル!」
ゴブリンは害獣扱いで攻撃力も弱く、村人でも駆除できる相手だったりする。駆除を行った村人が負傷する事も少ない。
しかし農作業に支障が出るので、こうして駆除依頼を出す場合が多い。今は春真っ盛りで、野菜の作付けも最盛期だ。ゴブリンごときに人手を使う余裕はない。
今回もそのケースで、ダーブルが依頼を呼びかけていたのだろう。
干し肉やチーズなどの村の備蓄食糧をゴブリンに食い荒らされては成功報酬が下がるので、急いで駆除をする必要がある。なので隊を分ける時間もなく、ダーブルが自ら新人隊員を数人率いて洞窟へ向かっていった。
ダーブルが率いる駆除部隊の出撃を見送り、ペンデの下で通常の仕事を始めるカリグラ、ナダルとウィルマ。一番、二番、三番隊も今はペンデが監督をしている。
本部の食堂の隣が事務仕事部屋になっているため、カリグラたちもそこで仕事をしている。ガズとバクダティスも来ているが、カリグラが心配した通りガズの仕事ぶりが思わしくない。
しかし、ナダルがカリグラに大いに心配顔を向けてきた。
「おい……ガズよりも書類の記述ミスが多いぞオマエ。大丈夫か?」
はっと我に返って、ミスだらけの書類を見るカリグラ。赤みがかった茶髪をかいて反省の弁を述べた。
「おおう……いかんいかん。なぜかオヤジの事が気になって……どうも落ち着かない」
ナダルが小首をかしげた。
「たかがゴブリンだぞ。村の子供でも駆除できる連中だ」
実際その通りなので、うなずくカリグラ。しかし不安は払拭できない様子だ。
「そういえば、さっきダークエルフが近くに棲みついたとか言ってたよな。そいつらが関わってる恐れはないのか?」
ナダルが仏頂面になった。
「ダークエルフがゴブリンの手先になるなんて、聞いた事がないぞ。逆もだ。前回みたいに人間の山賊に用心棒として協力する程度だろう。これも金のためだろうしな」
ペンデもナダルに同意する。事務仕事は彼も得意ではなさそうだ。
「信仰する神も違うしな。ダークエルフは精霊神ヴォール、ゴブリンは確か……繁殖の神ベイバロンだったか。一般に死神バギムと共に邪教と呼ばれる宗派だな。
神と神とは基本的に仲が悪いものだから、同じ洞窟に二つの祭壇を設ける訳にはいかないさ」
そう言われてみると、ラーバス神殿、騎士団詰所、シーフギルドでは祭壇は一種類だけだった。魔術ギルドでは魔法の分野が多岐にわたるため、暗黒神ゼヴァと知識の神ラーバスが一般的に信仰されている。
ちなみに先ほどのナダルとペンデの話は、半分ほど正解だ。彼らは傭兵なので、こういった事に疎いのは仕方がない。
例えば、ダークエルフがゴブリンを使役する事は普通にあり得る。また、神々の派閥もあり、冥界の神バギムの影響下に暗黒神ゼヴァがあり、その下に繁殖の神ベイバロンが配されている……という事に表面上はなっている。しかし、基本的には合議制だ。
カリグラが陶器製のコップに水を注いで一気飲みした。
「そうですね。仕事が慣れていないのをオヤジのせいにするのは良くないですよね」
しかし、書類ミスはその後も頻発してしまった。ウィルマがついに切れた。
「あーもう! カリグラ隊長は散歩でもしてきて! ミスの修正で手間が倍増するのよっ」
ガズにまで忠告されてしまった。
「そうですぜ、カリグラ隊長。いったん外の風に当たってきた方が良いですぜ」
ショックを受けるカリグラであった。ガズの顔をマジマジと見て、ガックリと肩を落としながら席を立つ。
「そ、そうか……おおう……」
トボトボと自室へ戻って、ベッドに横になるが……すぐに起き上がった。
「いかん。どうも胸騒ぎが収まらないぞ。どういう事だ?」
ロングソードを手にして、普段着のままで本部の外に出る。そして、建物の陰で素振り稽古を始めた。ダーブルもそうなのだが、ひたすら攻撃を重ねていく剣術だ。敵に反撃の機会を与えないまま、叩き殺すというものである。
騎士からよく卑下される傭兵の戦場剣術だが、戦場での斬り覚え技なので実用性はかなり高い。実際にカリグラもこの剣術でこれまで生き抜いてきた。
いつもは稽古をすると疲労感と共に気持ちが落ち着いてくるのだが、今日に限ってはそうならなかった。反対に不安感が増すばかりである。さすがに深刻な表情になるカリグラだ。
「オヤジの駆除隊を見に行くか……ゴブリン駆除なのに、我ながらどうかしてるけど」