ラーバス神殿の付属病院
カリグラの意識が戻ると、そこは見知らぬ病室だった。窓からは青空と白い雲が見え、スズメや鳩といった鳥が飛び回っているのが見える。
「……ん。ここは?」
ガズの声が耳に飛び込んできた。
「カリグラ副隊長! やっと気がつきましたかっ。良かった」
カリグラの目の焦点が合うと、ベットに駆け寄ってきたガズの顔が見えてきた。一応は泣き顔なのだが、口元にクッキーの粉が付いていて、まだ口の中にバナナが丸三本入ったままだ。それさえなければ、美男子なのだが。
(うう……間違いなくガズだな)
カリグラがベッドから上半身を起こす。特に痛みや違和感は感じない。ベッドはまさに病室で使うそれだった。衣服は典型的な病人服だ。
「ガズは無事だったか。そうか、俺はダークエルフと山賊のボスに半殺しにされたんだったな。誰が助け出してくれたんだ?」
ガズが嬉し泣きしながらも、しっかりバナナ三本を腹の中へ押し込み、さらにクッキーを数枚ほど口の中へ放り込んでから答えた。
「ダーブル団長です。もうそろそろ、見舞いに来る頃合いですよ」
カリグラが両目を閉じて頭をかいた。
「そうだったのか……命令違反した上に救出されるとは。どんな罰則を食らうんだろ俺」
次第に記憶がよみがえってくる。ダーブル団長の他に、もう一人居たような。ハゲ頭で白いヒゲをした老人が……
(うーん。よく思い出せないな。かなり記憶が飛んでるようだ)
「よう。やっと起きたか。俺も一緒に罰を受けるから心配するな」
ナダルの声がしたのでカリグラが視線を向ける。と、隣の病院用ベッドの上であぐらをかいて、クッキーをかじっていた。彼もカリグラと同じく病人服を着ている。
「ナダルも無事だったか。すまんな。俺が暴走して突っ走ったせいで、こんな事になってしまった」
ナダルがクッキーを数枚ほど一気に飲み込んで、仏頂面になって同意する。大ヤケドを全身に負ったハズなのだが、その痕跡は全く見られない。ただ、髪の毛はかなり短くなっているが。
「まったくだ。危うく冥界へ片道旅行する所だったぞ。だが、俺も敵の接近に気がつかなかったから、あまり強くは言えないのが残念だ」
ガズの説明によると、ここはオーガンの町にあるラーバス神殿の付属病院という事だった。カリグラとナダルの他にも多くの負傷隊員が入院治療を受けていたそうだが、今はもう退院しているそうだ。
「カリグラ副隊長とナダル副隊長のケガも酷い部類で、ジュンパ司教が驚いてました」
ナダルがジト目でうなずいている。
「そりゃそうだろ。全身ヤケドの上に、肋骨を蹴り折られたんだ」
普通ならば全治数ヶ月のケガなのだが、治療薬のおかげですぐに治っている。治療魔法を帯びた薬なのだろう。
ガズが大真面目な表情になって、カリグラに報告した。口元はそのままだが。
「カリグラ副隊長。戦死した隊員と隊長、副団長の葬儀は、すでに終えてあります。退院したら巡礼の丘に行ってあげてください」
巡礼の丘は狼団の砦の北にある、小高い丘だ。これまで戦死や病没した隊員の墓があり、年に何度か墓参りをしている。
副団長の訃報は知っていたカリグラだったが、二番、三番隊の隊長までもが亡くなったと聞き、落胆する。
しかし、ガズから一番隊隊長のペンデのケガが無事に癒された事を知らされ、少しだけ安堵した。
「そうか……もう体は痛まないし、すぐにでも退院できるだろう。俺が何とか生き残った事を報告しにいくよ」
そして、ガズの顔を見て付け加えた。彼は既に新たなクッキーを数枚ほど口に押し込んでいる。
「山賊のアジトにガズを連れていかなくて正解だったよ。間違いなく、ガズじゃ死んでいただろうな」
ガズがリスのように頬をクッキーで膨らませながら、申し訳なさそうに短髪をかいた。
「へえ。オイラたちが運んだ負傷隊員っすけど、結局二人が精神を壊してしまって退団しました。二番隊のシーサ隊員だけっすね、狼団に残ったのは」
カリグラが素直に同情する。
「気持ちはよく分かるよ。退団した二人の二番隊隊員に今後の幸あれと、巡礼の丘で祈っておく」
ナダルは残念そうな顔をしている。
「あの二人は前途有望な若手だったんだが……こうなっては仕方がないな」
そこへウィルマが病室へ入ってきた。クッキー缶とバナナなどの果物が入った袋を抱えている。
「お。やっと起きたか。一番の寝ぼすけ副隊長め。さっさと退院してよね。でないとクッキーと果物がいくらあっても足りないから」
カリグラがウィルマからスモモを受け取って、それを皮つきのままで食べる。
「美味いなー。なかなかの果物目利きじゃないかウィルマ」
オーガンの市場では、果物は量り売りである。客が果物を選んで秤に乗せて買う。袋売りではない。
ウィルマがちょっとだけドヤ顔になって、クッキー缶を三個追加して机に置いた。その横に果物を入れた袋を置く。早速ガズが手を伸ばしてきたので、ハエを追い払うように数発ほど平手打ちを見舞っている。
「うちの狼団って大食いばかりの癖に、変に舌が肥えてるのよね。ダーブル団長のせいだろうけど」
そう言ってから、少しだけ気の毒そうにカリグラとナダルに微笑んだ。
「出費が多いから、治療費も限界まで節約したけどね」
ナダルがクッキーをさらに数枚食べながら、渋い顔になった。
「治療魔法による治療ってのは高価だそうでな。俺たちには使ってもらえなかった。治療薬だけだったそうだぞ。この方が安く済むからな」
ガズが視線をカリグラから逸らす。
「一番隊のペンデ隊長は、治療魔法をかけてもらったそうですけどね。骨まで焦げていたらしくて、治療薬だけじゃかえって高くつくという理由だそうですよ」
この付属病院では、治療薬を使った治療が主に行われている。治療魔法を使う場合は、症状に対応する治療魔法を使える神官を呼ぶ必要があるそうで、その際には専用の施術室を使っている。祭壇などが設けられているそうだ。
ただ、これは神殿側の説明だ。単に金儲けのための方便という可能性もある。
カリグラとナダルもヤケドを負ったのだが、即座に血の池で消火したのが良かったそうだ。なので、ヤケドは深刻にならずに済んだ。
内臓への損傷が無かった事も幸運で、折れた肋骨もダーブルによる治療魔法書で急場をしのげた。しかし、それでも完治させるには魔法書よりも効果のある治療薬が必要になった。
ナダルが仏頂面でクッキーを飲み込んだ。
「全身ヤケドも表皮と髪の毛だけで済んで、骨も数本が折れたままだった。まあ、治療薬だけで何とかなる状態ではあるな。気絶するほど痛かったんだが」
カリグラがクッキーを手に取る。ライ麦粉のクッキーだった。
(それもあるだろうけど、敵は俺たちを人質にしようとしてたような気が。殺してしまっては人質にならないから、手加減したのかも)
「治療薬だけでも凄いと思うけどな。あ。もしかしてヤケドの後遺症とか残るのか?」
ウィルマがクスクス笑う。
「髪の毛は燃えて、半分くらいに減ってるかな。またそのうちに生えてくるって。ハゲてる部分はないから、安心安心~」
カリグラがキョトンとした顔になり、自身の髪の毛を触りながらナダルに視線を向けた。ナダルも仏頂面で「その通りだ」と機械的に告げる。
ここでようやくカリグラの顔色が青ざめていく。
「マジか……半分って……」
ダーブルがジュンパ司教と共に病室へ入ってきた。カリグラが起きているのを見て、ダーブルが安堵している。
「おお。起きたか我が息子よ。ジュンパ司教のおかげだな。改めて感謝を申し上げる、ラーバス神のビショップ」
ダーブルがジュンパ司教の手をとって頭を下げた。しかし、ジュンパ司教は微妙な表情のままだ。彼も初老の男で、白くてかなり癖の強い髪と口ヒゲ、あごヒゲをしている。偉い人のようで、彼の後ろには数名の神官が秘書役としてついている。
「それは良かったですな。では明日にでも退院してもらいましょうかの。あんまり儲けが出ないものでな」
ダーブルが申し訳なさそうに、真っ白な口ヒゲをかく。
「傭兵稼業には保険屋がなかなか付かないものでな。冒険者であれば、ひと儲けできたかも知れんが」
ジュンパ司教が素っ気なく同意する。
「そうですな。十人、その中でヤケド患者三人。金貨五百枚は固い収入でしたな。診断書次第ではさらに倍になったでしょう」
カリグラがベッドから降りて立とうとしたが、まだ足に力が入らないようだ。仕方なくベッドに腰かけて、ジュンパ司教に聞いてみた。
「ジュンパ司教様。冒険者はそんなに優遇されているのですか?」
ジュンパ司教が少々面倒臭そうにしながらも、丁寧に説明してくれた。
「そうじゃな。王国政府から支援を受けておるからな。身分も保証されておるから保険が効くんじゃよ。クレリックが仲間になっていると、病院の世話になる機会が減る」
ジュンパ司教がカリグラの髪の毛を見ながら、話を続けた。
「お前さんのケガも、クレリックの治療魔法で治る類のものじゃ。表皮だけのヤケドと、折れた肋骨数本ならばシリアスワンズで治る。
内臓を痛めておれば、その上のクリティカルワンズが必要になるじゃろうけどな。
ちなみにペンデ君は重症じゃと聞いたので、さらに上の治療魔法が必要かと、わしが出向いてきた。彼の場合は骨が焦げているという、初診をした神官の診断じゃったのでな。
しかし、思ったより重症ではなく、クリティカルワンズで間に合った。これもクレリックが使う治療魔法じゃよ。わしはその二階級上のビショップじゃがなっ」
一般的に聖職者の階級は以下のようなものになっている。下級の神官がクレリック。中級以上の神官では、待祭がプリースト。さらに上級の神官では、司祭や司教がビショップだ。この下層世界での最上位は枢機卿となる。
治療薬と呼ばれているものはライトワンズ程度、上級治療薬の場合はシリアスワンズ程度の治療効果という話だった。
今回、カリグラらに使われたのは上級治療薬になる。そして、効果が上がるほど当然、値段が高くなっていく。
目を点にして聞くカリグラたちだ。さすがにダーブルだけは知っている様子だが。
「ほ、本当ですか……凄いですね」
ジュンパ司教がドヤ顔になった。秘書の神官たちも同じようにドヤ顔をしている。
「さよう。君たちも我がラーバス教団の信者になれば、下級の神官になれる可能性はあるぞ」
治療を司る神は何柱もあるが、クレリックが使うような治療魔法では特に宗派間での差異はない。が、プリースト以上の段階になると、その宗派固有の魔法が使えるようになる。
それでも治療魔法としては、愛と美の女神フローディアの加護により使用できるピースフルくらいだろうか。これは複数の状態異常を一度に回復する治療魔法である。
バイシャ教団やメザー教団では戦闘補助の魔法が多くなる。バギム教団では暗黒攻撃が追加されていく。
ダーブルがジュンパ司教に、カリグラとナダルの退院を明日にすると告げた。
軽くうなずいたジュンパ司教が、同行している神官に事務処理を始めるように命じた。それを終えてから、軽く肩と首を回す。
「やれやれ……これで全員が退院じゃな。先ほどは、他の患者や神官が居る手前ゆえああ言ったが、今後も負傷者が出たらすぐに搬送するようにな。
オーガンの町が戦火を被らなかったのは、黒き狼団の活躍あっての事なのでな。首都地方北部にあったメランジートルのような酷い有様にならずに済んだ。病院の儲けにはならんが、いつでも治療を受けに来るがいい」
ダーブルが素直にうなずく。
「うむ。そうしてくれると、とても助かる」
ジュンパ司教が「ポン」とダーブルの肩を叩いて、他の病室の巡回に向かった。
「だが、ケガ人の数は減らすように心がけろよ。死人だけは治せないのでな。では」
入れ代わるように秘書の神官が病室に入ってきて、早速、請求書をダーブルに渡した。それを見て、軽く両目を閉じる。
「まあ、差し引きでもそれなりの収入にはなった……ラディエス師のおかげだな。山賊討伐の依頼は達成できたのでな」
ウィルマがほっとしているのを見てから、カリグラが聞いてみた。
「オヤジ……いえ、団長。ナダルも同意見なのですが、あれは本当に山賊だったのですか? ダークエルフが二人も居る山賊は、聞いた事がありません」
ダーブルが渋い表情になって肯定した。
「いまだ確証はないが、少なくとも山賊を上回る戦力だったな。強敵だった」
そう言う割には、ラディエスと一緒に無双して山賊を圧倒していたようだが……
ダーブルが今回の山賊討伐での被害を話してくれた。
それによると、山賊討伐隊として選抜されていた計百人の一、二、三番隊員が九割ほど戦死。一番隊隊長のみが生き残り、二、三番隊隊長、副団長は戦死。
隊員はベテランばかりだったので、かなりの戦力低下となる。隊員数はまだ五千人ほどいるが。
ダーブルと共に救援に来た老人は、オーガンにある冒険者ギルドのマスターを務めるラディエスという人だと話す。しかしカリグラとナダルは当時意識がなかったので、彼を覚えていない様子だった。
「ラディエス……様ですか? すいません、覚えていません。団長とは、お知り合いなのですか?」
ダーブルがカリグラの質問を聞いて、軽く腕組みをした。
「うむ。ラディエス師は、わしが若き日に剣術などの手ほどきを受けた方だ。それよりも、これからの事だが……一番隊は、この仕事を請ける前にカリグラ、オマエに任せるつもりだった」
カリグラがキョトンとした顔になった。
「お、俺が隊長に? しかし、今の隊長は?」
ダーブルが腕組みをしたまま答える。
「あやつには副団長になってもらう。それよりも二番隊と三番隊だ。二人も指揮官を失った……ナダルよ」
ナダルがピンと背筋を伸ばした。さすがに今はクッキーを食べていない。
「は!」
「オマエを本日より二番隊隊長に任命する」
ナダルがカリグラと同じような顔になっているのを放置して、ダーブルが次にウィルマに顔を向けた。
「そしてウィルマよ」
「はい」
「オマエを本日より、三番隊隊長に任命する」
「あたしが?」
ウィルマもキョトンとした表情になってしまった。
ダーブルが少し困ったような表情を浮かべながらも、巌とした口調で話を続ける。
「二人とも頼むぞ。就任式は三人合同となるが盛大に行おう。とにかく、皆ごくろうだった。被害は出たが、オマエたちが無事で良かった。一応は仕事も成功だ。就任式は退院後、近日中に執り行うとする」




