崖の下
民家を出て森の中を北西方向へ進むと、ちょっとした崖の下に出た。ナダルが皮製の鎧服に付いた木の枝や木の葉を払い落として崖を見上げる。ヤブ漕ぎをしたので、結構付いていた。
「この崖を登ると、前線基地のある洞窟だ」
カリグラも同じように鎧服に付いた木の葉を払い落とした。こちらも結構付いている。今は春真っ盛りなので、森の木々も新緑で彩られていて視界があまり利かない。この辺りには樫の木が多いようだ。
「分かった。しかし、ほとんど獣道みたいな近道だったな。よく見つけたなナダルよ」
そこへ同じようにヤブ漕ぎをして、団長のダーブルが数名の部下と共に山を登ってきた。既に初老の域に達していて、口ひげ、あごひげ共に真っ白なのだが、青い眼光の鋭さは衰えていない。
「おお。カリグラとナダルか。後方支援部隊も召集すると聞いてな。急いで登ってきた」
ナダルが慌てている。
「ダ、ダーブル団長? どうしてここに。前線基地で討伐隊の指揮を執っているのでは」
ダーブルが小首をかしげた。白いあごひげを片手でさする。
「ん? 今回の討伐指揮は副団長のプルタマだぞ。わしは今まで、砦に避難して来た村民の長と諸々の調整をしておったのだが……どうやら、情報に齟齬が生じている様子だな」
ナダルが顔を赤くしてうつむく。
「も、申し訳ありません」
ダーブルが明るく笑った。
「よいよい。オマエたちの初陣だからな。このくらいの手違いは起こるものだ。以後、注意すればよい」
そして、カリグラにも顔を向けた。青い目が若干細められる。
「カリグラも緊張しているようだな。しかし、それで良い。後方支援の役目をこなしていけば、自然と要領がつかめるものだ」
カリグラが初めて、自身の拳がかすかに震えている事に気がついた。
「あ……」
ダーブルが口元を緩めた瞬間。崖の上から二番隊の隊員が、全身火だるまになりながら転げ落ちてきた。
「!」
危うくカリグラとナダルに衝突しそうになったが、その二番隊隊員が崖を蹴って方向転換した。しかし、その方向には大岩があり、派手に衝突して片手がちぎれ飛ぶ。
思わず立ち尽くしてしまったカリグラとナダル、ガズたち。ダーブルがすぐに駆け寄って、まだ全身が燃えている二番隊の隊員にマントを被せて消火を図る。
「どうした! 崖の上で何が起きた」
「だ、団長……ダークエルフが襲撃してきました。前線基地は壊滅……です」
それだけ伝え、二番隊の隊員がコト切れた。息が止まり、痙攣も止まる。
ダーブルが隊員の亡骸を崖下に安置し、立ち上がった。
「わしはこれから前線基地へ急行する。カリグラとナダルはここでしばらく待機。逃げ延びた隊員を見つけて回収しろ。負傷者はオーガンの町のラーバス神殿に運べ。いいな?」
カリグラが震える足を叱咤しながら反論した。
「オヤジ! 俺たちも戦う!」
しかしダーブルは既に崖を猛烈な勢いで駆け上り始めていた。彼に同行していた数名の部下も、同じ速度でダーブルについて駆け上っていく。
ダーブルが少し哀しそうな目をカリグラに向けた。
「いや。今のオマエでは足手まといになる」
カリグラが反論しようとしたが、既にダーブルは部下と共に崖の上まで登り切っていた。そのまま崖の上にある森の中へ駆け込んで、姿が見えなくなる。
カリグラが両手拳を握りしめて、肩から腕まで震わせながら悔しがった。
「くそ……」
隣のガズはほっとしている様子だが。
数呼吸ほど経ってから、ナダルが崖の上を見上げた。
「逃げて来る隊員が居ないな……全滅に近い状態だと思おう。森の中には、ここまで逃げる体力のない隊員が残っているはずだ。そいつらを回収しに行こう」
カリグラもようやく激情を抑え始めていた。ナダルの提案に同意する。まだ声がかなり震えているが。
「……そうだな。オマエの言う通りだ。森の中を探索して負傷者を救出するぞ」
ガズが青い顔になった。
「ちょ……! まだ戦闘中かも知れないじゃないっすか。もうちょっとだけ待った方が」
カリグラが大きく深呼吸して、ガズに答えた。
「重傷者の救助は一刻を争う。選抜された隊員はベテランばかりだけど、敵は魔法を使うダークエルフだ。炎の魔法を遠距離から撃たれたら、為す術がない」
魔法は基本的に命中する。回避するには魔法を使うしかない。
ナダルが改めて、基本的な注意点をカリグラたち十人に告げた。
「森の中は、往々にして『戦場』認定から除外される。魔法戦闘となれば、俺たちに勝ち目はない。山賊なら戦っても構わんが、ダークエルフが出たら速攻で逃げるぞ。いいな」
『戦場』とは、多数の敵味方が戦う場所だ。魔法は戦場での使用が神々の規定によって禁止されている。戦場で魔法が行使できると、その魔法を管轄する神の信者が激増してしまうためだ。他の神にとっては面白くない。
ただ、裏道というか抜け道もあるようだが……
崖の上に出たが、ここも森の木々が茂っているのでヤブ漕ぎしながら進む。ヤブが薄い場所はくぐり抜ける事ができるので、そこを通り抜けていく。
ナダルの予想通り、森の中は死体だらけになっていた。山賊の死体も多いのだが、それ以上に黒き狼団の隊員の死体が目立つ。多くの死因は刀剣によるものではなく、全身ヤケドによるものだ。
カリグラが隊員の生死を一人ずつ確認していきながら、洞窟の前線基地へ向かう。山賊の死体も改めてみるが、刀剣による切り傷の他に、全身ヤケドによる死因もかなりある。
「敵味方の区別もできないのか? ダークエルフってのは」
森の中で生存が確認できた隊員は三人だけだった。彼らの緊急搬送を部下の一番隊隊員に命じるカリグラ。これで六人が砦に向けて負傷者を担いで山を下りていく。
カリグラが彼らの背中を見送って、小さくため息をついた。
「残りは俺を含めて四人か。マトモな戦闘はできそうにないな」
森の中での負傷者探索を終えたカリグラたちが、ナダルに案内されて洞窟の前線基地に来た。村の民家を出てから一時間ほどが経過していたが、まだ午前中だ。
カリグラが絶句する。
「……何という事だ」
洞窟の入り口は真っ黒に焼け焦げていた。かなりの高温だったようで、焼け焦げた地面には焦げた骨しか残っていない。刀剣も溶けていた。
そのグニャリと曲がったロングソードを手にしたカリグラが驚嘆の声を上げた。
「マジか……これが攻撃魔法か」
真っ青な顔で震えているガズの横で、ナダルが呻く。彼の声も恐怖で震えている。
「ダークエルフは炎の魔法を使うと聞くが、これは想像以上の威力だな。しかも、避けられない」
カリグラとナダルたちは魔法に詳しくない。今も魔法と精霊魔法を混同している。
そのススと炭や灰で真っ黒に煙る洞窟の中から、ダーブルがロングソードを手にして出てきた。全身がススまみれで黒くなっている。自慢の白いヒゲも白黒のまだら模様だ。
もう一方の手には、黒灰色の髪をした浅黒い男の生首を持っている。それを無造作にカリグラたちの足元に投げ落とした。ダーブルの青い瞳が怒りと悲しみに満ち溢れているのが、カリグラにもすぐに分かる。
「仇は討った。こいつが我が隊百人を焼き殺した犯人だ。一緒についてきた山賊も討ち果たしたぞ。三十人ほどだったな」
ガズが目を丸くしている。
「へ? ダーブル団長だけで全員やっつけたんですかい?」
洞窟から、一番隊隊長のペンデがダーブルの部下に担架で運び出されてきた。大ヤケドを左腕全体に受けている。しかし止血処理はきちんとされているため、それなりに血色は良い。
「ほとんどダーブル団長だが、オレたちも山賊を斬り倒したぞ」
カリグラが安堵の表情になって、担架に横たわっているペンデに駆け寄った。
「ペンデ隊長! ご無事でしたか。良かった」
そのペンデは申し訳なさそうにダーブルに謝った。
「申し訳ありません、ダーブル団長。二番隊隊長のティアンと、三番隊隊長のウクランを敵に拉致されてしまいました……。プルタマ副団長と共に戦ったのですが、この有様です。それで、プルタマ副団長の容体は……?」
ダーブルが目を閉じて、静かに首を振る。
「残念だが、プルタマは息絶えた。奮戦しての名誉ある戦死だ」
絶句したペンデが担架で運び出されていった。カリグラとナダルも衝撃を受けて茫然としている。
そんなカリグラたちに、ダーブルが紙切れを見せた。羊皮紙の小片だ。端の辺りが血に汚れて赤くなっている。
「ペンデが話した通り、指揮官二人が山賊に捕まった。その身代金を要求する置手紙だ。わしはこれから砦に戻り、身代金の確保をする。
オマエたちは、ここの隊員の遺品を回収して砦に戻れ。まだ山賊やダークエルフが残っている恐れは充分に考えられるから、ここに長居は無用だぞ」
カリグラとナダルからの返事を聞かずに、ダーブルが手下の部下を連れて下山していった。残ったのはカリグラとナダル、ガズと二人の一番隊隊員だけだ。
いち早く我に返ったナダルが、カリグラを小突いた。
「おい。ダーブル団長の命令に従うぞ」
ようやく「はっ」と反応するカリグラ。
「そ、そうだな。ガズと残りの隊員は、遺品を回収して砦へ戻れ。俺とナダルはもう少し森の中を探索してみる。山賊の残党が居るかも知れないからな」
そしてナダルと少し話してから、ガズに追加の命令を出した。
「先に下りた部下と合流して、負傷者をオーガンの町へ送ってくれ。ウィルマがテレポート魔法書を持っているハズだ。それを使え」
ガズが即答した。今にもここから逃げ出したい気持ちで溢れているのが丸分かりである。
「わかりやした! 隊員章を回収すればいいんですよねっ」
ガズが予想以上にテキパキと二人の隊員を指揮して遺品の回収を始めた。
それを見て、自身のロングソードの刃筋と目釘の確認をするカリグラに、ナダルが警告する。
「おい。オマエ、まさか山賊のアジトへ乗り込むつもりじゃないだろうな。死ぬぞ」
カリグラが剣を鞘に納めて、鋭い視線をナダルに返した。
「俺がもっと強かったら、そうするけどな。初陣の新人傭兵だと理解はしているさ。
オヤジは身代金を山賊に渡すだろうけど、同時に強引に武力で取り戻す作戦も採用するハズだ。その際、敵のアジトの内部情報を知っていれば、効率よく隊長二人を救出できると思わないか?」
ナダルが呻いた。
「むう……確かにその通りだが、かなり危険だぞ。オマエまで死んだら、ダーブル団長は大いに悲しむ。その事をきちんと考えての事だろうな?」
カリグラが不敵に笑う。
「もちろんだ。狼団の鉄則は厳守するよ」
早くもガズが二人の隊員を引き連れて、山を駆け下りていく。その後ろ姿を見送ったナダルが、軽く肩と首を回した。
「分かった。ダーブル団長の命令に反する事になるが、俺も同行するよ。シーフ技能のないオマエでは、トラップや迷路に対処できないだろうからな」
しかし……山賊が仕掛けた森の中のトラップや迷路は、かなり巧妙だった。まんまと引っかかってしまい、森の中を延々とさまよう羽目になってしまうカリグラとナダルである。
カリグラが全身に枝葉を付けてヤブ漕ぎしながら、ジト目をナダルに向けた。
「おい、ナダル……」
ナダルは仏頂面でひたすらヤブ漕ぎを続けていた。
「文句はいいから、今は進め」
カリグラとナダルが森の中で迷っている頃、ダーブルはオーガンの町にある冒険者ギルドに居た。彼もテレポート魔法書を使って転移したのだろう。そのギルドの応接室で、ハゲ頭の老人と話している。
この町の公式名称は『魔法都市オーガン』なのだが、住民たちは『オーガンの町』と呼んでいる。
応接室といっても実に簡素で、無骨な机が一つ置いてあるだけだ。イスも負けじと無骨で飾りなどは一切ない。テーブルクロスすらかけられていない机には、水が注がれた陶器製のコップが二つ置かれているだけである。
ダーブルが歴戦の勇者にふさわしい貫禄の漂う青い瞳を鋭く光らせて、目の前に座っている小柄な老人に頭を下げた。
「お久しぶりです。ラディエス師」
ラディエスと呼ばれた老人が答えた。彼も真っ白な口とあごヒゲを伸ばしており、眉毛も白い。頭はすっかり禿げ上がっていて丸坊主だ。
「久しいのうダーブル。して、わしに何の用事じゃ。戦場帰りでもしたばかりのような雰囲気じゃな」
ダーブルが知らず知らずの間に発散させていた殺気を慌てて引っ込めた。それと共に、この応接室の空気が和らいでいく。
「実は……」
今請けている依頼の事を話した。
「……という次第です。どうやらダークエルフが一枚噛んでいる様子で。師の団体には、この手の問題を解決する専門家が多く居ると思い出したのです。報酬は当然お支払いします。ご協力願えませんか?」
ラディエスが軽い口調で答えた。
「よかろう。他ならぬダーブルの頼みじゃ。わしが自ら赴こう」
ダーブルが目を瞬く。
「師、自らがですか? しかし、それは……」
ラディエスがようやく真面目な口調になる。
「なんじゃ。わしが老いて衰えたとでも言いたいのか?」
ダーブルが慌てて手を振って否定した。
「いえ、決して。ただ、師自ら出陣となりますと、報酬の額が……」
ラディエスが再び軽い口調に戻った。
「安心せい。他の連中なら数名ほど派遣せねばならぬが、わしなら一人で充分じゃ。その分安くなるわい」
ダーブルが安堵の表情を浮かべる。
「お心遣いありがとうございます」
ラディエスが再び少しだけ真面目な口調になる。
「して、人質を助けるだけで良いのか?」
ダーブルが口ごもった。今や、この部屋に来た時の雰囲気は全く無い。
「う……我らとしては、山賊と賊に関与しているダークエルフを討たねば仕事は失敗になります。が、そこまで師に頼むわけには」
ラディエスがこれ以上ないほどの気楽な口調になった。ほとんど、日向ぼっこして猫でも抱いているような人の口調だ。
「な~に、気にするな。ダークエルフが暗躍している事は、我らとしても黙認できぬでのう。ついでぢゃ」
ダーブルも多少は、その雰囲気に流されているようである。
「では、そちらもお願いしますが……報酬の方は」
ラディエスが苦笑した。
「お主。少しせこくなったのう。内乱が終わったから、傭兵団を維持するのが大変だとは思うが。ダークエルフを討つのは無料ぢゃ。オマケぢゃ。心配せんでええぞ。では出発するかのう」
これまた、犬を連れて堤防でも散歩するかのような口調である。
「ん。そうじゃ。一応断っておくが、ダークエルフが人質をすでに殺害していた時の事も考えておいてくれ。奴らの事じゃ。殺害後に身代金を要求している可能性もある」
ダーブルが背筋を伸ばす。
「承知しております。が、もし生きている場合は……」
ラディエスがうなずいた。
「承知した。で、この後はどうするんじゃね?」
ダーブルが視線を北に向ける。
「魔術ギルドのパラスミ先生に面会し、身代金を借りようかと考えています。既に内諾は得ていますので、調達はすぐにできるでしょう」
ラディエスが軽く肩をすくめて笑った。
「そうか。まあ内乱時に奴の命を二十回は助けたからのう。あの研究バカはどんなに危険だと言っても聞きやせん。こういう時くらいは力になってくれても良かろう。
せっかくぢゃ。わしも同行しよう。その方がカネをせびる手間が早く終わるじゃろう」
ダーブルが頭を下げた。
「ありがとうございます」