反乱
コンスタンチノープルから北西に約一千キロ離れたところに、ハンガリー王国のモハーチが有る。この地で、ハンガリー王国がオスマン帝国のスレイマン一世と決戦をしたのは、ほぼ一世紀前だ。その後イングランドとサファビー朝ペルシャの連携に敗れ、オスマン帝国は瓦解した。
今再びコンスタンチノープルを攻略奪還したムラト四世は、次の標的を西に求めるか東にするかで迷っていた。西に向かいスレイマン一世の偉業を回復したいのだが、まだ東には新たな帝国を認めない都市が点在している。
「ヤスべ」
「はい」
「狩りに行くぞ」
ある日ムラト四世は、ヤスべと少人数の供を連れただけで、狩りに出かけた。
だが、その留守が狙われ、首都で反乱が起きた。
首謀者はムラト四世の弟バヤズィトと、その副官や仲間達。首都を守るべき歩兵常備軍イエニチェリの一部も含まれていた。
イエニチェリはかねてより昇給を訴えていた。だが聞き入れられず、その不満をバヤズィトがうまく利用した。さらに異教徒のヤスべが改宗もしないで、何故あんなに重用されているのかと、たきつけた。
キリスト教徒の若者を誘拐して改宗させ、訓練を施し軍隊として活用したイエニチェリは、長い帝国の歴史の中で次第に変化していった。帝国内での存在感が増してくると、戦争時に略奪を行うのはもちろん、勝手に住み着いて、その土地で支配階級として振舞ったりするようになる。支配した都市では横暴に振舞い、市民たちの支持も失っていくのに、政治にも介入しだす。そして次第に帝国内での実力と発言権を高めて行き、皇帝をも脅かす存在になる。
特に首都ではしばしば反乱を起こし、ときには宰相を更迭させたり、君主を廃位したりするほどの実力を手にしだした。
この反乱でも、イエニチェリの軍団は街を襲い、主に異教徒の商店で略奪を働いた。宮廷内にも乱入、宦官や宮女たちは逃げ惑った。
知らせは狩りをしていたムラト四世の下に届けられる。
「ヤスべ、付いて来い!」
「はっ」
だが、安兵衛は気配を感じた。
「ん!」
振り向くと、視界の端に弓を引こうとしている者が一人、
刺客!
とっさにムラト四世に体当たりすると、矢は安兵衛の脇腹に刺さった。スルタンの護衛に刺客が紛れ込んでいたのだ。矢を射られた安兵衛と、取り押えられた刺客が目に入ったムラト四世は声を掛けた。
「ヤスベ!」
「大した事はありません」
さほど深くはなかった矢を引き抜く。弓を射た者はその場で斬り殺された。
ムラト四世と共に安兵衛は馬に鞭を入れる。
反乱軍は宮殿周りの館にも火を放って略奪をしていると言う。
そこにはミネリマーフの待つ、安兵衛の館もある。
馬を走らせやっと宮廷に着いた。安兵衛は居合わせたイエニチェリの暴徒を何人か切ったのだが、
「くっ!」
身体が思うように動かない。矢に毒が塗ってあったのだ。
安兵衛の周囲を囲み剣を振り上げる者達が居る。
だが声が掛かった。
「待て、そいつはおれに任せろ」
ふらつく身体を何とか立て直して見ると、見覚えのある顔だ。
「サムライの腕を見せてもらおうではないか」
あのバヤズィトと一緒に居た男。
「ふん」
男はせせら笑うと剣を必要以上に振り回して迫って来る。
「野郎!」
早くも男の剣が振り下ろされた。
かろうじて受け止めるも、やはり力が入らない。
額を切られた。
何とか突き放したが、まずい事に、流れ出た血が目に入って来る。
「なんだ、サムライ、お前の実力はその程度か」
勝ち誇った男の声が響く。
三度目は無い。次の一撃が全てを決める。安兵衛は刀を顔の横に引き寄せると、目をつぶった。
それを見た男は戸惑ったようだが、
「この野郎!」
だが、飛び掛かって来た男が剣を振り下ろす間は無かった。
「イエエーー」
龍神の力を得て創られた刀は、男の身体を見事に切り裂いていた。
その直後、
「安兵衛殿!」
「安兵衛」
日本より一緒に来た侍達の声がいくつも聞こえたのだが、そのまま倒れてしまう。その後の記憶が無い。ムラト四世は、駆けつけたサムライ・イエニチェリと共に宮廷に入る。暴れていたイエニチェリ達に命令を出した。
「今すぐ反乱を止めて宮殿に来い。言い分を聞こう」
イエニチェリ達は、バヤズィトとその副官の制止を聞かず宮殿に向かう。
「お前たちの訴えはよく聞いて対処する。だが、首謀者達は許すわけには行かない」
バヤズィト達を捕らえるようにと、命令が下された。
安兵衛は館に運ばれていた。気が付くと心配そうなミネリマーフの顔がある。侍女や使用人は無事で館も焼けてはいなかった。
「貴方は二昼夜も唸り続けていたの」と言って、安兵衛の顔に浮かぶ汗を拭う。そこに医官を届けてくれた、ムラト四世が現れ、側に歩いて来る。
上体を起こそうとする安兵衛を、ムラト四世が制した。
「動くな、そのまま横になっていろ。そなたには命を助けられたな」
安兵衛はとっさの事とはいえ、スルタンに体当たりしたという非を詫びた。
ムラト四世の安兵衛に対する信頼が深まった。
首都を逃げ出そうとしていたバヤズィトやその仲間たちが逮捕され、ムラト四世の下に連れて来られた。反乱に加担した軍団の中に、サムライは一人も居なかった。逆に治安を維持しようと駆けつけて来たのだった。安兵衛はそれを知ってほっとする。
「何か言い分があるか?」
「…………」
ムラト四世の前に引き出され、死を覚悟した反乱者達は、こうべを垂れて無言だった。
宮廷の中庭に五人は並ばされ、建物の二階から見下ろすムラト四世が居る。指示を仰ぐ執行官にうなずいて見せた。
四人は斬首され、皇帝の系譜に連なるバヤズィトはオスマンの血を流してはならない、という戒律によって処刑人に紐で首を絞め殺された。
イエニチェリの棒給増額は約束される事になる。
ムラト四世はコンスタンチノープル攻略から三年後、未だ帝国に従おうとしない都市バクダード侵攻を決意する。
「ヤスべ」
「はい」
「お前に見せたいものが有る」
ムラト四世が見せたのは、二頭立ての馬車に機関銃を載せた戦車だった。日本より取り寄せた機関銃は既に百丁を超えている。
馬には発砲音を何度も聞かせて慣れさせてあり、出撃時には防弾具を着せる。もちろん機関銃の射手も、防弾装備で守られる馬車だ。
戦車を考案した者には報奨金を与える事も考えられた。だが、この戦車は試作段階で消えていく運命にあった。防弾の装備で重くなり過ぎたのだ。馬や車体に鉄板を組んだ防具を備え走らせてみると、実戦には向かない事が分かった。
結局機関銃の台座に直接車輪を付ける簡単な案が採用された。それなら射手二人で十分押して移動出来るし、防弾の盾を機関銃の左右に取り付ける事も可能だ。
しかし機関銃の活用方法を真剣に検討するスルタンを見ていると、安兵衛の胸中は複雑だった。遠く日本を離れて、この戦場での活躍を夢見て来たのだが、ここでも飛び道具が主役になろうとしているではないか。
「秀矩様」
「佐助さん、今日はどうなさいましたか?」
大阪城の一室に、佐助は布でくるんだ物を抱えてやって来た。
「今日はふぁっしょんのお話に参りました」
「ふぁっしょん?」
「はい。以前に、あの方と一緒にいらした、結菜さんを覚えていらっしゃいますか?」
「もちろん覚えています」
佐助はその結菜さんから、未来の服装の話を聞いているというのだった。
「あいふぉんで、大勢の未来の女性達を見せて頂きました」
「…………」
どうやらしゃしんという絵図で未来の服装を見たようなのだ。それを紙に書いて保存してあるという。寺子屋の大掛かりな物を建てるという事は、既に分かっている。
佐助はその学習の一環で、女性たちにふぁっしょんを学ばせようと考えているのだった。
「それはいい考えですね」
「秀矩様は武器や弾丸を輸出すると仰ってますが、ふぁっしょんを商品とする事は出来ないでしょうか?」
秀矩はびっくりする。そんな事は思いもよらなかった。
やはり学習処で人材を育て、様々な考え方を得る事がいかに必要かが、これではっきり分かる。
「それはとても良い事だ。ぜひ佐助さんも手伝って下さい」
「はい、もちろんです」
「それから学習処なんですが、学びに行く処、学行と名付けることにします」
学行は次々と建って、全国より集まる若者は数百人規模となる。やがてその数は千人単位にまで膨れ上がり、寄宿舎も建てられた。生活費は全て、秀吉の蓄財によって日本一潤っている豊臣家が、責任を持って面倒を見る事になっている。
学行は男女別々で、寄宿舎も別となった。それまで寺子屋で行われていた授業もそのままで、さらに武器弾薬の作り方から、製鉄、南蛮貿易、航海術、東アジアから中東、西洋事情、ふぁっしょんまで、学ぶ範囲は多岐に渡った。さらには武道の習得も合わせて行われる事になり、学行は多くの若者の熱気が渦巻く場所となるのだった。