女王陛下と庭園散策
わたくしは執務室の窓から外にちらりと視線を送る。そこからは訓練中の兵士の姿を見る事ができる。だけどわたくしの目的は兵士ではない。彼らに稽古をつけている人物。
「また、殿下を見てらっしゃるんですか?」
「ちょっと目に入っただけよ」
「ガッツリ見てましたよ」
「気のせいよ」
わたくしが否定しても宰相補佐官のハリエットはお見通しなのよね。
「でも、殿下は本当にお強いですよね」
彼女もわたくしと同じように、兵士に稽古をつけている英雄殿を感心したように眺める。
彼が兵士に稽古をつけているのは、近衛隊隊長と隊員の強い希望があったから。曰く、
『あの戦で共に戦ってからは、彼は自分達の憧れなのです。ですから、殿下さえよければ我々に稽古をつけて頂きたい』
英雄殿が承諾したらと条件を付けたが、彼は意外にもあっさりその話しを引き受けて、今ではすっかり練兵場で兵士達と汗を流す事を日課にしている。
兵士達と仲良くなるのは良いのだけど、妻であるわたくしとはまだどこかよそよそしい。すぐに仲睦まじい夫婦になれるとは思っていないけれど、もう少し打ち解けてくれないかしらね。
ふぅと思わず漏れたため息を聞き逃さなかったハリエットが「悩み事ですか?」と聞いてくる。
「ハリエット様、アンジェリーゼ様は殿下と新婚らしくイチャイチャラブラブをしたいのです」
「ああ、なるほど~」
「メアリーっ!」
わたくしが王女である頃からわたくしに仕えてくれている女官のメアリーは長い付き合いもあって、かなり遠慮なく言いたい事を言う。
「アンジェリーゼ様、今日はもうおしまいにしましょう」
「まだ、書類が…」
「こちらの書類はちょっと不明な点があるので、確認してから再度アンジェリーゼ様にお見せします。だから、今日のお仕事はもうありませ~ん」
ハリエットは執務机の上に乗っていた書類をひょいっと取り上げると、にぱっと笑う。
「今日はこの後、殿下を誘ってお庭の散策デートをする事を提案します」
「ハリエット様、グッドアイデアです」
メアリーがグッと親指を立てて、ハリエットに賛同する。
「お茶とお菓子も用意するといいと思われます」
「早速用意します」
ハリエットの提案を受けて、すぐに厨房に向かうメアリー。
「わ、わたくし英雄殿をお誘いするなんて一言も…」
「はいはい、そんな強がり言っちゃっても、本当は殿下とイチャイチャラブラブしたいんですよね」
「早く行った行った」とわたくしの背中を押し、執務室からわたくしを追い出すハリエット。
強引なんだからと思いはするけど、不快な感じはしない。きっと、わたくしがそうして欲しいと望んでいたからかもしれない。
ハリエットからの提案を受けて、わたくしは日傘を差して、英雄殿のいる練兵場を覗いてみた。彼は誰よりも熱心に訓練に励んでいて、わたくしが来ている事に気付いた様子がない。
銀色の髪とアイス・ブルーの瞳が眩しく見えて、声を掛ける事を躊躇う。ここまで来て、どうしようかと考えあぐねていると、わたくしに気が付いた英雄殿が稽古を一旦中断して、こちらへ小走りにやって来た。
「陛下、どうなさったのですか?」
「今日はもうお仕事が終わりましたの。ですから、英雄殿にお庭を案内して差し上げようと思いまして」
「光栄です。ですが、まだ訓練が…」
訓練の途中で抜ける事に躊躇いがある英雄殿は、背後で待つ兵士達を伺う。
「殿下、陛下のしかもこんな美人からのお誘いを断るなんて、野暮ですぜ」
副隊長のランバート卿が後ろから英雄殿とがっしり肩を組む。
「今日はもう終わりだ。殿下はこれから陛下とデートだからな」
ランバート卿は英雄殿と肩を組んだまま、顔を後ろに向けて部下達に今日の訓練の終了を告げていた。それにしても、そんなに大きな声でデートと言わないで欲しいのですけど。顔が赤くなってしまいますわ。
わたくしと英雄殿はランバート卿以下兵士達に見送られる形で庭の散策に出た。
「ここの庭は本当に素晴らしいですね」
わたくしに左腕を貸して、エスコートしてくれる英雄殿はわたくしに歩調を合わせてゆっくりと歩いてくれる。そんな彼が感心したようにしみじみと感想を漏らした。周りを薔薇の生け垣に囲まれた庭は上から見ると、複雑な幾何学模様をしていて見応えがある。
「まさに薔薇でできた迷宮ですね」
「わたくしもそう思いますわ」
薔薇の迷宮はどちらを見ても自分達の身長より高い生け垣に囲まれていて、今自分がどこに向かって歩いているのかわからなくなりそう。小さい頃は迷ってしまう事もあったけど、この迷宮は別れ道に目印になる物をちゃんと置いてあって、それさえ覚えていれば迷う事はない。
「この先にとっておきの場所があるんですのよ」
わたくしがそちらの方へ英雄殿を誘うと、彼は素直に連いて来てくれる。緩いカーブになっている小道を歩いていると、急に視界が開けたその場所は今が盛りの満開の薔薇に囲まれた休憩用の東屋があった。
そこにはすでにメアリーがお茶とお菓子の用意をしていて、準備万端で待機していたわ。
さすが、メアリーね。ここがわたくしのお気に入りの場所だから、わたくしがここに英雄殿を連れてくるってわかって、用意してくれているのだもの。
彼女がお茶を用意してくれているテーブルへわたくしが英雄殿をエスコートすると、メアリーが椅子を引いてくれる。すると彼はわたくしを椅子に座らせると、椅子の位置を調整してくれた。
「ありがとうございます」
わたくしがお礼を言うと英雄殿は「いえ」とはにかむように笑い、わたくしの正面に座った。
わたくし達が席に着くとすかさずメアリーがお茶を淹れたカップを前に置いていく。「ありがとう」とメアリーに言ってからわたくしと英雄殿はカップに口をつけた。
やっぱり、メアリーが淹れてくれるお茶は最高だわ。香りも味もわたくしの好みを知り尽くしたメアリーだからこそ淹れる事ができるお茶ね。
「英雄殿はこちらの生活には慣れまして?何か不便な事などは?」
文化や生活習慣が違う異国で暮らす苦労は当人でなければ、なかなかわからないものだし、もし不便があるなら改善して差し上げなければと思っているのだけれど。
「充分良くして頂いてます。最初は何をしていいかわからなかったので、兵士達の訓練に誘って頂けたのはありがたかったです」
兵士達との訓練を楽しんでいるその様子に、ひとまず安心と言ったところかしら。
「話しは変わるのですが」と英雄殿が話題を変える。
「実はここの庭に見覚えがありまして、十二、三年くらい前にこちらで国外からお客様を招く、大きな式典などはありませんでしたか?」
「十二、三年前と言うと、その頃確か父の即位十周年を祝う式典があった筈ですわ」
わたくしが答えると英雄殿は「ああ、やはり」と呟き、次いでふふっと笑いを漏らした。
「何か思い出がありまして?」
わたくしが尋ねると英雄殿は「ええ」と首肯する。
「その式典に父と兄と共に参加したのですが、如何せん自分もまだ子供でしたので退屈して、庭に遊びに出まして…」
「それで、どうなりましたの?」
「ある程度想像してらっしゃると思いますが、見事に迷ってしまって、皆さんに探されてました」
「昔の話しですが、お恥ずかしい」と笑う彼につられて、わたくしもつい笑みを漏らす。
「父と兄にひどく怒られました」
その時の事を思い出しているのか、彼は口では「散々でした」と言っていても、表情は柔らかい。彼の中ではいい思い出になっているのは想像に難くない。
「わたくしもこの庭には色々思い出がありますの。英雄殿もこの庭の思い出をお持ちだなんて、嬉しいですわ」
自然と浮かんできた笑顔と共に正直な気持ちを英雄殿に伝えると、彼もわたくしに微笑んでくれる。
ハリエットの言う通りにしてよかった。ありがとう、ハリエット。
わたくしは心の中でハリエットに感謝を伝えつつ、お気に入りの庭で久しぶりにゆっくりとお茶と英雄殿の会話を楽しむ事ができた。