大浴場
風呂は気持ちいい。安全な場所であればもっと気持ちいい。
クリス・ロイド
ブラッカーズのメンバー兼医師
自己紹介をしてから1週間が経ち、有栖はブラッカーズのメンバーとなり、新しい生活を送っていた。仕事は主にマルコ達が経営している店の手伝い、運び屋、そして住民からの依頼などである。時に危険な仕事もあるがその分払いがよく、またルーク達が守ってくれるのでなんとかこなせている。今日はアルドが経営している大浴場の手伝いである。開店前の掃除以外、特にやることもなく、今は受け付けで客が来るのを待っていた。
「お客さん、なかなか来ませんね。」
有栖は受け付けの椅子に座って、退屈そうにお客を待っていた。隣にはアルドが新聞を読んでいる。
「今は昼だからな。夜になると忙しくなるが、この時間帯は暇だ。まぁ、楽にしてくれ。」
「分かりました。」
そう言われた有栖は大きく背伸びをし、深々と背もたれによりかかった。ふと、アルドが口を開いた。
「そういえば、有栖。」
「なんでしょうか?」
「君が仲間になって1週間が経った。どうだ、この街には慣れたか?」
「はい、おかげさまで。」
「そうか。何か問題に巻き込まれたら遠慮なく言ってくれ。なにせ、この街は治安の良い街ではないからな。」
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有栖達がいる街の名は『ネグル』。自治街またはドミニオンと呼ばれた国に属さない独立した街である。この街は4つの地区に分かれ、それぞれ特徴を持っている。ブラッカーズが拠点とする地区は西の『ベドウィン地区』である。ここは、昼と夜で全く異なる顔を見せる。
昼は平穏な、特に何の変わりもない街である。しかし夜になるとネオンの光が輝き、人々の喧騒と客引きの声が聞こえ、賑わいを見せる。酒場、カジノ、劇場などがしのぎを削るこの地区は正に、夜更かしする人々にとっての遊び場である。
そんな場所に何故ブラッカーズは拠点としたのかというと…。
「金稼ぎに困らない。」
と、ルークは言っていた。
(確かにお金には困らないよね…。)
有栖は納得した。夜の賑わいは人々を魅了し、財布のヒモを緩くする。酔って動けなくなった人や旅人のための宿屋もたくさんある。つまり、確実にお金を落とすシステムが、この地区にはあるのだ。
今、有栖がいる浴場も同じ。騒ぎ疲れた人々が休むための休憩所として機能している。ただ、夜限定ではなく昼もやっている。ベドウィン地区、というよりネグルにある浴場はアルドのやっている浴場だけである。それ故に、様々な客がやってくる。
ガラカラガラ…
「よう、アルド。やっているかい?」
扉の開く音がしたと同時に、クリスが入ってきた。
「おお、クリス。仕事はもう終わったのか?」
「ああ、今日は少なかった。だから早風呂しに来た。」
「そうかそうか。いいぜ、まだ誰も来ていないからゆっくりしてくれ。」
「おう、ありがとな。」
アルドに礼を言って、クリスは奥の方へ入った。
「クリスはうちの常連だ。大体仕事が終わった後ここにやって来る。」
「いつも忙しく働いていますよね。休みってあるのでしょうか?」
「一応あるよ、俺達より少ないが。でも、本人が自分で決めたことだから、大丈夫だろう。」
休む日は自分で決める、それがブラッカーズの決まり。クリスの休みは他のメンバーに比べて少ないが、自分で決めているため本人は平気である。
「さてと、俺は少し店を出る。有栖、1人になるがいいかな?」
「はい、大丈夫です。」
「何かあれば連絡を。」
「はい。」
そう言って、アルドは店を出た。残された有栖は、1人で客を待ち続けた。
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1時間経ってもアルドは戻らず、クリスは姿を見せなかった。
(長風呂だなぁ…。)
有栖がそう思った時、再び扉が開いた。
ガラガラガラッ…
「あっ、いらっしゃい…ませ。」
元気よく言った有栖だが、その姿を見て声のトーンは落ちた。
「…。」
入ってきたのは白髪に白い肌の細身の男だった。男は黙って有栖の方を見ていた。
「…やっているか?」
男は今にも消えそうな声で有栖に尋ねた。
「は、はい。やっていますよ…。」
「そうか…では、使わせてもらう。」
そう言うと、男は右の脇腹を抑えながらゆっくりと歩き、奥へと進んだ。彼の立っていたところには、血が付いていた。
(あの人、苦しそうだったなぁ…。)
有栖は男を見てそう感じた。血を流していたから、ではない。彼から出る、言葉に表せないモノを、有栖は無意識のうちに感じ取ったのである。
(まぁ、クリスさんもいるし、大丈夫だよね…。)
そう思い、有栖は再び客を待ち続けた。
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浴室はとても広く、湯気が立ち込めていた。長風呂のクリスは、1人で風呂を満喫していた。
「ふぅ〜、極楽極楽。」
普段、夜に短い時間しか入らないクリスにとって、昼間から入る風呂は格別だった。しかも一番風呂のためなお気持ちいい。ゆっくりと疲れを癒し、そのまま意識を手放そうとした時…。
ガチャリ…
扉が開き、1人の男が入ってきた。男は腰にタオルを巻き、右の脇腹を抑えていた。
ん?この男は…。
クリスは入ってきた男を見て、何か引っかかった。男の方はクリスに気づいておらず、シャワーのある方へ向かった。
「…ッ!」
シャワーを浴びながら、脇腹に負った傷を気にしていた。どうやらシャワーの湯が傷に当たったようだ。男はサッと体を洗うと、引きずった歩き方をしてクリスのいる湯船に近づき、そのままゆっくりと入ってきた。
やはりそうだ、この男は…。
記憶を思い出したクリスは、男の方に近づき、声をかけた。
「おい、アンタ。」
「!?」
突然声をかけられ、男は驚き、クリスを見て警戒した。
「誰だ?!」
低い声で、男は言った。クリスは両手で彼に落ち着くよう、示した。
「落ち着け、俺は医者だ。おまえの傷が気になったんだ。」
「医者…だと?」
瞬間、男の傷がズキリと痛んだ。男は苦虫を潰した様な顔で、傷を抑えた。それを見て、クリスが言った。
「とりあえず、上がろうぜ。」