青の夜明け
惑星“青”。
今、私はその惑星で、夜明けを待っている。
海ばかりが広がる、静かな星。住民ははるか昔にこの星を見捨てて他星に移住し、残った者も、もはやいない。わずかばかりあった資源も採り尽くされた。今この惑星にあるものは、静寂。そして、海。ただ、海。
ざ、ざざあ、あ
ざ、ざ、あ、すあ
夜が全てを包む。
頬が冷えている。呼吸をするたび、鼻の奥が少し痛い。
ざ、ざざざ、さ、あ
あ、あああ、あ
昔から私は、何かあるとこの惑星にやって来て、一人で夜を過ごし、夜明けを待った。初恋が破れた時。最初の進路につまずいた時。両親が亡くなった時。親友を失った時。最愛の人との別れを迎えた時。
一人でこの惑星に降り立ち、夜を過ごし、夜明けを待った。
ざ、あああ、ざざ
ああ、ざ、すあ、あ
なぜこうも、この惑星にこだわってしまうのか。私にはわからない。私はさほどロマンチストというわけではなく、“青”の住人を祖先に持つわけでもない。なのにどうして、人生の転機に差しかかるたび、この惑星に来てしまうのか……。
ざ、ざあん、ざさ
ざざ、すああ、あ
波が打ち寄せる。
夜を歌い、
私を包む。
ざ、ざ、ざ、ざざあん
ざ、ざざざああ、あ
* * *
水平線を抱く空が、わずかに明らむ。
夜を歌っていた海が、夜明けの風を感じてざわめく。
ざざざ、ああああああ
ああああああ、ざ、ざざん
私は顔を上げた。水平線の彼方がばら色に染まり、風が光をおだやかにはらんで頬を打つ。濃紺からばら色と金色に染まり、青、水色、紫と、刻々と色を変えてゆく空。そして海。
海……。
ざざざああああん、ど、どど
ざ、ざああん、どどどざざざざ
熱が生まれる。
太陽の、光と熱が。世界に。海に、命を与える。
空と同じく金に、銀に、ばら色に、藍色から紫まで。色彩を乱舞させ、海は白波を次々と産み出す。産み出された白波は、うねりとなって見る間にあふれ、あふれ出し、走り出す。一斉に。
ど、
ど、
ど、どどおおおおおざざざ
ざざざあああどどどおおおおおおお
海は歌う。海は叫ぶ。命を。熱を。
力強く、狂気めいて。優しく、破壊と創造の歌を。
生命。
ただそれだけの、峻烈ですさまじい叫びを。
住民がはるか昔にいなくなった今でも。
夜明けの光と風を受け。力強く声を上げる。
どどどどおおおおおお……
圧倒される。その大きさに。そのすさまじさに。
知らず、涙が出た。
私はこれを見に来たのだ。
* * *
個人でレンタルした小型の宇宙船に乗り、帰りの航路を自動設定する。すると宇宙船の人工頭脳が、遠距離の通話が来ていると告げた。件名と発信者を確認すると、この二期ほど、私の補佐をしてくれている部下だった。昨夜から何件も送られている。何かあったのだろうか。
通話に出る事を人工頭脳に告げると、ほどなくして、若々しい青年の顔がスクリーンに出た。
『ああ、つながった! 良かった、やっと出てくれたんですね!』
いかにも安堵したという表情を見せた彼に、わたしは眉をひそめた。
「どうかしたのか、そんなに慌てて。何かあったのか?」
『いえ、そうじゃないんですが……その』
言いにくそうに口ごもってから、彼は答えた。
『心配だったんです。お一人で、その、辺鄙な惑星に行かれたと聞いて』
「自殺でもするんじゃないかって?」
苦笑して言うと、彼は顔を赤らめた。
「心配しなくとも、私は自分で自分を殺したりはしない。そんな可愛らしい事ができるような人生は送ってはいないよ」
『は、いえ、その』
「彼が死んだのは、寿命だ。お互い、納得済みの事だよ。彼が再生を断った時から、覚悟はできていた」
私が七日前に死んだ連れ合いの事を口にすると、部下の青年は顔を歪めた。
『ですが……あなたも、次回の再生を断ったと聞きました』
「なんだ。あのドクター、誰彼かまわず吹聴してるんじゃないだろうな? 確かにそうだが、それがどうかしたか?」
『再生を断ったら……あなたは、あと、数期もたたないうちに、』
「それが自然だろう」
私は静かに言った。
「私がどれだけ生きているのか、知っているか? 最初の処置を受けたのは四百年前だ。連れ合いを失うのもこれで三度目。もう生き飽きたよ」
『主任。でも僕は、あなたに死んでほしくありません!』
顔を真っ赤にした部下の青年に、私は苦笑した。
「……君は、若いな。だがもう決めた事だ。私は再生による延命はもうしない。頼むから、年老いて寿命を迎える権利を私から奪わないでくれ」
宇宙船が惑星“青”を離れる。海に覆われた惑星がスクリーン一杯に映る。
その姿が遠ざかる。
……遠ざかる。
命は続く。どのような形になるのであれ。若い時には若い姿で。年老い、活力を失ったように見えても、その時その時の姿で。すさまじく、胸を打つ姿で続くのだ。
若さをもてはやす世界が、薄っぺらなものに思えるようになったのはいつからだったか。
老化遅延の処置が発達した現代、『老化』や『死』は忌むべきものとして扱われる。口にする事すらはばかられ、人々は過剰なまでに老いる事を恐れる。生きる者は常に若くあるべきとする風潮は、老いを避けられなくなった者に自殺をすすめるほどだ。そしてそれを、誰も疑問に思わない。
金銭に余裕のある者や、特別に何かに貢献したと認められた者は、定められた年数に達した時、再生処置……クローニングによる、新しい肉体を受け取り、若返る。
私の最初の連れ合いは事故死した。次の連れ合いは今の風潮に従い、薬物による自殺を選んだ。
三番目の連れ合いは、二百年近く生きた青年だった。けれど彼は最後に、自然に老いて死ぬ事を選んだ。
多くの者が彼を愚か者呼ばわりした。だが。
老いてゆく彼と暮らし、衰えてゆく肉体とは裏腹に、鋭さを増す感性と深まってゆく知性、複雑さを増して磨かれてゆく人間性の美しさに、私は驚きを禁じ得なかった。弱り切った体をゆっくりとひきずるような日々を過ごしながら、彼の日々は喜びに満ちていた。日々、彼は美しいものを見つけた。日々、世界にある美しいものを見つけた事が、うれしいと喜んでいた。
『命が限られているからこそ、愛おしいと思える。そこにあるものが美しいと、感動できるのだよ』
そう言った彼を私は、あの海のようだと思った。
彼の最後は、人々には醜く、耐えがたいものに見えたようだ。それはそうだろう。体の自由がきかなくなり、話す言葉が不明瞭になり、排泄も自分一人ではできなくなり、ついには眠ってばかりになった。はるか昔に製造を中止された医療用の介助マシンを資料から作り上げると、それに頼って彼は生きた。若い肉体をもてはやす人々にとってそれは、正視に堪えない姿だった。友人たちは一人減り、二人減りして、ついには誰も、彼の所を訪れる者はいなくなった。
それでも彼は、日々を豊かに生きた。他の誰よりも。そうしてある朝、静かに息を引き取った。
葬儀に参列した者は少なかった。私への義理で来てくれた者も、一様に顔をしかめていた。葬儀屋に至っては、遺体が美しく見えるよう、分解して若いころの形に再構成してはどうかとまで言った。
だが。
「四百年も生きればもう十分だ。次の愚か者になってみるさ」
私は微笑んだ。ああ、と思った。私は。この決意を新たにするために、あの惑星に行ったのだ。
ありがとう、惑星“青”。
生きよう。したたかに、そしてすさまじく。堂々と生きよう。老いて、なおも深まる知性と人間性を育てよう。こうあるべきとの風潮に逆らい、とことんまで。人々が目をそらそうとしても、そらせないほどに。
そのように生きてやろう。生きてみせよう。
彼のように。
あの海のように。
場違いだったらどうしよう。
SFな気分だったんですよ。書いた事なかったんですが。でもこう、宇宙! 惑星! 良いよね! という気分になってしまい……。
短編ならごまかせるか。
そういうわけでSFモドキ作品です。最後まで読んで下さってありがとうございました。