case0 佐藤翔子/マジカルシュガー 3
車が止まったのは海岸公園の駐車場だった。どおりで途中コンビニに寄り飲み物を買ったり手洗いに促されたわけだと翔子は納得する。目白からなら神奈川の海が近いが、それでも二時間はかかる。
ずいぶんな距離を走っていることを疑問に思わなかったわけではないが、洸のことは信用しているので道中そのことには触れず近況報告や最近見た映画の話をしていた。
窓の外を見ればキャンピングカーが何台か止まっているのでそういうスポットでもあるのだろう。
「少し海まで歩こうか」
「あなたってそんなにロマンチストだった?」
「実はね」
車から降りると潮風の匂いがふたりの鼻孔をくすぐった。初夏が近いため日中は暑いが、夜の空気はひんやりとしている。
用意周到なのか、普段から持っているのか、小型の懐中電灯を洸は取り出して足元を照らした。
防砂林を通り過ぎると波の音がはっきりと聞こえ、同時にぱっと視界が開ける。
月も見えない夜空と海はどちらも黒に染まっており、境界線が分からないぐらいに交わりあっている。海を見慣れない翔子は目を少し大きくしてそれを眺めた。
「何にも見えないものなのね」
「月が出ていればもう少し綺麗な光景だったかな。まあ、静かな海と言うのも乙なものだよ」
「その口ぶりだと夜の海に来たことは何度もあるってこと?」
「僕は鎌倉出身だから寺と海には事欠かさなかった。原チャリで夜中に海まで意味もなくいったりしていたよ」
「そういえば前に聞いたわね」
「そういえば前に話したね。お互いに知らないことはスリーサイズぐらいじゃないかな」
翔子はかるく洸の足を蹴る。
ふたりで並んで立ち、しばらく海の音を聞いていた。
満潮が近いのか力強く波は寄せては引いていく。
「僕は、きみに恩義を感じている」
ふいに、洸は口を開いた。
翔子は海を見たままだ。
「怪人であったときの自分が何をしたか、客観的にだけど知っている。人こそ直接傷つけなかったけれど建物を一度に五棟倒壊させたりお高い車を損傷させたり…ひどいときには歩道橋を真っ二つに壊した」
足もつきにくく、次の動きが読めない怪人でもあった。
マジカルシュガーは自身の身体特性を使いごり押しで戦ったようなものだ。他の――オリジナルの魔法少女だったなら後遺症の一つや二つは残っていただろう。
当時18歳だった洸が一体何のはずみでそうなってしまったのかは未だに分からない。ただteneburaeに魅入られてしまったことだけは確かだった。
「わたしもあの時信号機を折ってあなたを殴ったからお互い様よ」
「そんなことあった?」
「あった。前事務局長にこってり絞られたもの」
「そうだったんだ」
「ええ」
そうして自然な動作で翔子は煙草を取り出し火をつけた。彼女の本当の年齢を知らない人間から見ればぎょっとする光景だろう。
海風と紫煙が絡まり、夜の空気に溶けていく。
洸はそれを横目で見ていた。
「魔法少女でもどうにもならない怪人は、殺処分措置を受ける。そもそも怪人である間は人権も機能していないしね…それで、僕はそのリストに入っていた」
「事務局は残酷ね。終わったこととはいえそんなことを本人に教えるの?」
「いや、事務局に入ってから自分で調べた。内部からのハッキングはそんなに難しい事ではないよ」
「わるいひと」
洸は軽く笑った。
「でもきみは最後の最後まであきらめずに、僕を元に戻してくれた」
「魔法少女の存在意義がそれだもの。感謝される謂れはないわ」
「それでも、だよ」
「…何か言いたいの、洸くん。わたしは遠回りな言い方は嫌いではないけれど、このままじゃ朝が来てしまうと思う」
「ごめん」
翔子は煙草を携帯灰皿に突っ込むと、やはり顔を海の方に向けたまま洸の言葉を待つ。
洸はひどく言いにくそうに――それでもはっきりと言った。
「僕がノラ魔法少女を殺す」
ふ、と翔子は息を吐いた。
「そんなことだろうと思っていたわ。でも駄目」
「上層部の彼らが欲しいのは結果だけだ、必ずしもきみがやらないといけないわけではない」
「まずはお礼を言うわ。ありがとう」
彼女は言いながら首に掛けてあるものを服の下から取り出した。
六角柱の形をした青い石のペンダントだ。真鍮が縄のように周りを囲っている。
「人工の叡智、人為の結晶、我は人境の守護を果たすもの。…transformatio」
淡く石が光り、キラキラとした粒子がぱっとはじけた。
洸が一瞬目を閉じて開けるとそこには黒髪の少女ではなく銀髪碧眼の少女が立っていた。
マジカルシュガーだ。そこだけ別次元であるようにほんのりと光っている。
「でも、あなたは勘違いしているわ。他国では実戦部隊に投入案があったほどの、一騎当千の戦闘兵器なの」
足元にあったガラスの破片を拾い上げ、マジカルシュガーは自分の掌を切り裂いた。
血が砂浜に一滴落ちるか落ちないかぐらいの速さで傷口が修復される。洸はそれを見ても驚かない。かつて己はするどい爪で彼女を引き裂いたことがある。あれも瞬く間に治ってしまった。
「魔法少女は人間ではない」
「なにも僕だって魔法少女そのものと戦うわけではない。普通の少女であるときを狙えば――」
「無理よ。知らないの? luxは少女に加護を与える。ちょっとやそっとじゃ死なない加護を。そうでなかったらこんな不安定な小娘に頼らずにノラ魔法少女をさっさと終了出来ていたはずよ」
「……」
「あなたはもう怪人ではない。わたしは魔法少女。理解できた?」
何か言いたげな顔をし、口を数度開けては閉じたあとに彼は脱力して砂浜に座った。
「魔法少女ってずるいな」
「そうでしょう」
銀色の髪をなびかせてマジカルシュガーはバレリーナのようにくるりと回る。
変身しても変わらず抑揚の平坦な口調で彼女は続けた。
「一つの平和のためには十の犠牲を払わないと社会は回らない。人を殺すことが、けして平気とは言わないけれどこの手はもう汚れている。普通に生きていくには何もかもが遅いのよ、わたしは」
だからね、とマジカルシュガーは微笑む。
「あなたがわたしと罪を背負うと言ってくれるだけでもいいの。本当よ。それ以上わたしは望むつもりはない」
「翔子ちゃん…」
「今はマジカルシュガーよ」
「翔子ちゃんにも、マジカルシュガーにも問うよ。……これからの殺人行為にきみは覚悟はできている? やるやらないじゃなくて――きみは、どうなんだ?」
「それは」
考えて、喉の奥で何かが引っ掛かったような感覚を彼女は覚えた。気持ちの悪い異物感。
思考を巡らせてみてもはっきりとしない。
この場をしのぐ言葉でお茶を濁そうかとも思ったが、長い付き合いである洸には下手に言い訳しないほうがいいだろうと判断する。だから正直に言おうとした。
「それは、どうなのかしらね」
自分のことなのに、分からなかった。