data1 調査対象:????/マジカルソルト 9
灰桜中学校。
市内でも特に部活動に力を入れており、公立の学校でありながら私立を打ち負かすほどの実力をキープしている。
特に野球部、バスケ部、サッカー部はいずれも入学先の高校でエースとして重宝されることが多々あるという。指導者が良かったのか、たまたま所属していた生徒たちに素質があったのか。そこまでは翔子も知らない。
翔子の住んでいたところは灰桜中学校の学区外であり、母親と同じ学校に通うことはなかったものの幼いころはよく散歩に訪れていたものだ。
来るたびに、リンリン先生は遠い目をしてグラウンドを眺めていた。ここではないどこかを懐かしむように。
何を思っていたのだろう。誰を考えていたのだろう。
かつて学び舎に共に通っていた志生野ユウとの在りし日をグラウンドで遊ぶ生徒と重ねていたのだろうか。フェンスをきつく握りしめていたのは、翔子の生まれていない遥か昔に戻りたいと願っていたのかもしれない。
「…勝手な空想だわ」
中学校の屋上の縁、そこに腰かけて足を揺らしながらマジカルシュガーは独り言ちる。
遠くの方でこの地区の魔法少女と怪人が戦っているのが見えた。
先ほどから観察しているが、安定した攻撃を繰り出し勝負も優勢だったので手助けをするのはやめる。そもそも、マジカルシュガーは非公式の存在だ。ひょいひょいと出ていっていいものでもない。
魔法少女になった少女には大抵正義感が芽生える。その正義感を押しのけてまで目立つ気はさらさらなかった。
深夜ということもあり中学校に人気はない。
静まり切った学校というのは、魔法少女の活動として何度も訪れるものの慣れることはない。
昼間の賑やかな物音を吸い込み静寂と無機質を内包したコンクリートの建物は下手な廃墟よりも不気味だ。
探し物を早く終わらせてしまおうと立ち上がって屋上のドアの前に立つ。
ドアノブを捻る。熱帯夜にあてられたぬるい温度。鍵がかかっている硬い感触。予想はしていた、というか防犯にうるさいこのご時世に無施錠だったら不味い。このように不法侵入しようとする魔法少女もいるのだから。
無理やり開けるのも手っ取り早いが、犯罪を重ねるつもりはない。小前田局長の耳に入るような行いは避けたほうがいい。
「洸くんにピッキングの方法を聞いておくべきだったわね…」
ふう、とシュガーは意識を吐き出して集中する。
「ドーナツ・リング」
手首のブレスレットが外れてシュガーの手の中に納まる。青白く輝く糸が垂れた。
その先端が生き物のように蠢く。そしてドアの隙間に入り込んだ。全自動というわけではなく、シュガーの意思も必要になる緻密な作業だ。
目を閉じてドアノブの鍵を探る。恐らくはこれだろう。あとは力を入れて外せば――
「シュガーちゃん?」
集中力が崩れた。糸は力を失い、呼吸が乱れる。
いや、それよりも――ここで聞くとは思っていなかった声が、後ろから聞こえたことにシュガーは信じられない思いだ。
ばっと振り返るとそこにはマジカルパーピュアが立っている。
きょとんとした顔で紫色の魔法少女はシュガーを見つめていた。
「パ――パーピュアなの?」
「うん、わたしだよシュガーちゃん。しょーこちゃんのほうがいいかな?」
「今は…シュガーでいいわ。それよりあなた、どうしてここに」
行き場所など伝えていない。むしろ、いつ実家へ行くのかも教えていない。
そんな個人情報まで教えることはないと考えていたからだ。
他の魔法少女を感知できる能力があったとして、いつものビルの上からこの中学校までいったい何人の魔法少女がいる? そこまで高度ではないはずだ。
警戒レベルを上げるシュガーとは対照的に、パーピュアは無邪気に言う。
「シュガーちゃんに、あいたかったから」
「わたしに…? いつもの場所にいなかったから、ここに来たというの?」
「そうだよ」
「どうやって?」
「いつものところにいったけどいなかったから、こまったなあってなったの。それでシュガーちゃんのところにいきたいっておもったら、ここにきてたんだ」
舌足らずに彼女は説明する。とはいえ、その言葉をうまく納得できるように理解することが出来ない。
分かるのはパーピュアが何らかの力を使ってシュガーの下に現れたこと。
それは場合によっては脅威へと変わる。
「あなたはどうやって、ここに」
先ほどと同じような質問を口にするシュガーを無視してパーピュアはドアを指さす。
「そこ、はいりたいの?」
「…ええ、そうよ」
「そっかぁ」
ブーツの踵を鳴らしてシュガーに近寄ると、パーピュアはその手を握った。
驚いた顔でパーピュアをみると、相手はにっこりと笑ってみせる。
「どあのむこうね」
確認するように呟くと、妙な浮遊感に襲われてシュガーは足元を見る。
糸のように身体がほぐれていく。
あ、と思う間もなく景色が崩れ落ち、気付いた時には――ドアの内側に立っていた。
「え?」
『瞬間移動』という単語が頭に掠める。
魔法少女である以上、ファンタジーな能力があってもおかしくはないが――。
そのような能力を使う魔法少女は否が応にも目立つはずだ。ここまでマジカルシュガー以外認識していなかったということは、瞬間移動の能力をごくごくわずかにしか使ってこなかったのだろう。
使いこなせていないというよりは、使いどころを理解していないというべきか。
「…パーピュア。なにを考えたら、ここに移動できたのかしら?」
「え? むこうにいきたいっておもっただけだよ。シュガーちゃんといっしょにね」
あまりにも単純であるが――シンプルである分、使用者によって大きく善悪が左右される能力だ。
今のところ、マジカルパーピュアはごくかわいい願いのためにしか使っていないようだが。いつそれがひっくり返るとも知れない。
早急に何とかしなければいけない課題に頭を痛めながら、シュガーは階段下に目をやった。
窓から差し込むわずかな光のみ。だが、魔法少女の視力と重ねると十分歩ける明るさだ。
「ここはどこ?」
「灰桜中学校よ」
「がっこう?」
「そうよ。…せっかくだし、ついてくる?」
「うん!」
「ならいいわ。段差に気を付けて」
結果としては協力してもらった形なので無碍な態度で扱うことは出来ない。
それに、ひとりで行くのは心細いのもあった。
あまりにも利己的な理由でパーピュアを付き合わせていることに胸の中で苦笑いしながらふたりは階段を降り、廊下を歩いていく。
リノリウムに足音を響かせながら四階、三階を見て回る。ここは教室が主のようだ。母校ではないが懐かしい感情を覚える。
二階、職員室を過ぎ去ったところに目的の場所はあった。
「ここは、なんのおへや?」
「図書室よ」
ドアを開けようとするも、ここも鍵がかかっている。もともと開けるつもりだったとはいえ
予想外のイレギュラーではあったがパーピュアが気まぐれを起こして現れてくれたことに感謝するしかない。
「としょ…?」
「本がたくさんあるところ」
「ほん、よみにきたの?」
「そんなところね」
どことなくざわついた気持ちを隠すようにしながら、マジカルシュガーは言う。
「卒業アルバムを探しに来たの」