data1 調査対象:????/マジカルソルト 4
店と家は繋がっており、ウッドビーズののれんを潜り抜けるとそこはリビングだ。
小さなテーブルを囲み男女三人が座っている。
「角煮美味しい」
「そりゃあ圧力鍋で作ったからね。もっと食いな」
顔こそしかめっ面のままだが、典子の声にはわずかに喜色が浮かんでいる。
「悪いけどわたしそんな食べれないよ」
「若いんだから食べなきゃだめだぞお、翔ちゃん」
「おじいちゃん、若くても限度というものがあるよ」
一見すればなんてことのない団らんの風景だろう。
その実、国際手配された娘を持つ老いた夫婦と、いつまでも変わることのない魔法少女である孫だ。
「じいさんは最近しょっぱいのばっか食べてねえ」
「高血圧になるよ」
「もうなっているから大丈夫だぁ」
「…どのへんが大丈夫なの?」
翔子の祖父母は、めったに言うことはないが、リンリン先生こと凛子――自分の娘が何をやらかしたかについてはそれなりに知っている。と、いうより知らされている。
魔法少女管理事務局に務めていたことも、孫を被験体として利用したことも、そして国際指名手配を受けていることも。
実の親ということもあり、リンリン先生と接触がないか国家から見張られているそうだが――それはありえない話だ。佐藤典子と春夫は、一人娘ととうに縁を切っている。
「ああそうだ。翔子の部屋のクーラー直しておいたぞ」
「わ、ありがとう。すっかり忘れてた」
「あの部屋は風通りが悪いから、クーラーがないと死活問題になるのが問題さね」
一時期、国際手配犯の親として大変だったこともあったらしい(マスメディアに公表されなかったことが救いだろう)。だいぶ苦労していたらしいことを翔子は二人の言葉の端や、人づてに聞いていた。…ちょうどその時期、翔子は入院していたので外で起きていることについてほとんど知らない。
典子と春夫も何も話そうとせず、翔子もまた聞こうとはしなかった。
「おばあちゃん、お醤油とって」
「ん」
抜け落ちたパーツが目立ち、いびつな形ではあるが、それでも佐藤家は家庭として機能していた。
〇
風呂から上がり、タオルで髪を拭きながら翔子はリビングを覗く。
祖母が一人で晩酌していた。手元には小型のDVDプレイヤーがあり、韓流ドラマが流れている。
「お風呂あがったよ。おじいちゃんは?」
「寝た」
「変わらず早いね…」
祖母と二人きりになれるのは都合がいいのではないかと思い、翔子は唾を飲み込む。
祖父が居ても問題は全くないが、話の内容によっては二人から責められてしまうかもしれない。そうすると、一対一の時よりもダメージが大きい。
大切なふたりに否定されるようなことはしたくないが、そうも言っていられない。
翔子はただ帰省をしたわけではないのだ。
リンリン先生のこと、そして先代の魔法少女食い・マジカルシュガーについて調べに来た。すこしでも痕跡があるなら、それを辿りたかった。
「おばあちゃん、あのね」
言いながら、なにか自分が悪いことをしているような気分になり翔子は俯く。
「あのね…」
「翔子。こっちへ来な」
言われるがまま、翔子は祖母の前に座る。
焼酎とペットボトルの緑茶をグラスの中で混ぜながら典子は言う。
「おまえはひとりで考えすぎなんだ。結果的に煮詰まって、二進も三進もいかなくなるんだから」
「…よく分かるね」
「あたしはあんたが猿みたいな顔して生まれた時から知ってるよ」
それはひどいんじゃない、と翔子は薄く笑った。
「…ねえ。リンリン先生――おかあさんのこと、話してもいい?」
典子は煙草に火をつけて煙を天井へ向けて吐きだした。
母親と似た吸い方だと、翔子はぼんやりと見る。
「そんな怯えた顔するんじゃないよ、あたしは怒るつもりなんてないんだから」
「うん…」
「好きなように話してみ」
翔子は、伊達眼鏡を外す。
そのフレームを弄びながらぼそぼそと口を開いた。
「…おばあちゃんは、リンリン先生のこと嫌い?」
「嫌な奴ではあるね。あいつが逃げている限りは、あたしも真っ向から話そうとは思わないさ」
「まあ、国際手配だし…」
「逃げているっていうのはそういうことじゃない。あの娘のことだから帰りたいって思えばあっさり帰ってくるだろうよ」
「そうかなあ…」
そんな近場のラーメン屋に行くような感覚で帰国できるのだろうか。
「翔子から逃げ続けていることが、あたしは気に入らないんだ」
「わたしから?」
「この七年、あいつから謝罪の言葉はあったかい?」
翔子は黙る。
そもそも、やり取りすらしていない。どこにいるかが分からないので。
「あいつが怖いのは捕まることじゃなくて、翔子に責め立てられることだと思うよ」
「……」
「国際手配を受けたから海外逃亡なんて理由をつけて、結局のところ娘のそばにいるのが恐ろしいんじゃないか?」
スケールが大きすぎてよく分からなくなった。
一方が国、一方が子。
恐ろしさの天秤にかけたら、沈むのは圧倒的に国ではないかと翔子は思わずにはいられない。
「そんな…繊細かなあ、あの人。『ごめーん』で済ませてきそうだけど」
「『ごめーん』で終わらそうとしたら指の骨全部折るんだよ。ちゃんと納得のいく謝罪が出るまで痛めつけてやれ」
「親に拷問するのはちょっと趣味ではないので…」
いざとなったら本当にやってしまいそうなので、あえて祖母をたしなめておいた。
「それに、リンリン先生がもう二度と日本に来ないかもしれないし…」
「いずれ来ると思うよ、あたしは。トラブルいくつか引っ提げて、そのトラブルのどさくさに紛れて謝罪してきてもおかしくない。あの娘はそういう頭がよく回るからね」
レプリカの魔法少女になる日まで、母と過ごしていた翔子は一概に否定は出来ずにいた。
一周まわって清々しいほどのずる賢さが回るひとだった。
「その場合はどうすればいい?」
「腕の骨を折ってやりな」