data1 調査対象:????/マジカルソルト 2
「帰省? 翔子ちゃんが?」
目をしばたく洸を前に、翔子は失言だったと気づく。
…洸には、帰る家がない。
怪人となってしまった彼は、実家から縁を切られている。もうずいぶん地元にも戻っていないそうだ。
「…たまにはね」
はぐらかす言葉も浮かばず、視線を逸らして彼女は小さい声で答える。
そっと洸の表情を見ると、どうやら気にはしていないようだ。その様子を見て翔子は少しほっとする。
「変な時期に行くね。大学の夏季休業が始まってそれなりに経っているし、盆も終わっているし…」
「お盆は…親戚が集まるからわざと行かないことにしているのよ。面倒だから」
表向きは失踪した母親、幼い容姿のままの翔子。
たまに集まる親戚たちの会話としては絶好のネタだ。しかも酒が入ると制御が利かなくなる血筋なので、なおさらタチが悪い。そのあたりは遺伝しなくて良かったと翔子は思っている。
「ああ、そうなんだ…」
「三年前、とうとうおばあちゃんがキレてしまったのよ。孫をいつまで悪くいうつもりだって」
大学進学を考えていると零したとき、「その背丈ならもう一度高校に入り直してもバレないのではないか」と笑われた。
酔っぱらいの戯言だと、愛想笑いで流そうとする翔子の横で、祖母が立ち上がったのだ。
「相手もいい年をしたおばさんだったんだけど、引き下がれなくなったみたいでね。しまいには酒の席でキャットファイトよ」
「うん?」
「ビール瓶が倒れる音をコングとして、蝉の声をBGMに負けられない戦いが始まったわ。ああいうのを苛烈な戦いって言うんだなと私は思ったわね」
「話の方向がずれてきたぞ」
「母親は親子喧嘩で勝ったことがないと言っていたけど、確かにあれは勝てないでしょうね。反則技のオンパレードであれが身内の集まりじゃなかったら警察沙汰よ」
「いったい僕は何を聞かされているんだ」
「そういうわけで、まあ、火種の原因のわたしは気まずいし、いい機会だと思ってそれから顔は出していないのよ」
「あ、そうなんだ…」
「謎は解けたかしら」
「一応はね…」
翔子は二本目の煙草に火をつける。
三度吸って、あとは燃えるに任せる。紙がじわじわと焼かれて灰になっていくのを見守った。
リンリン先生はヘビースモーカーだった。だから、煙草は翔子にとって身近な存在だったのだ。彼女は酒は飲めないくせに、煙草は吸えた。
顎をあげて空に向けて煙草を吐きだす母の姿が、格好良くて翔子は好きであった。今の翔子は同じようには吸えない。同じようにしようとすると身体が固まるのだ。深層で拒否しているかのように。
だから翔子は少しうつむきがちに紫煙をくゆらす。
「それと…調べたいことがあってね。考えていたら居てもたってもいられなくなって、帰省しようってなったの」
「なにか考え事があったんだ?」
「ええ」
ぽろりと先端の灰が落ちた。地面にぶつかると音もなく潰れて沈黙する。
それが、マジカルガーネットの最期に被って見えて翔子は目をわずかに閉じる。
「…わたしが魔法少女喰いになったことは、もしかしたら…荒唐無稽かもしれないけど、仕組まれているのかもしれないって思っているの」
笑い飛ばされるだろうか、と反応を待ってみるが何も返ってこない。
翔子が洸の顔を見上げると、不思議そうな顔で見つめ返している。
「…仕組まれている? 誰に?」
周りには誰もいない。盗聴器の有無は不明。
念には念をと思い、翔子はつま先立ちをして唇を洸の耳孔に近づける。
「リンリン先生と局長」
とうに佐藤凛子のことは洸に話している。話さなくても、情報管理課なのだからいずれは知ることになっていただろう。なんといっても国際手配を受けているのだから。
「リンリン先生が…?」
なぜ洸はそこまでキョトンとした顔をするのだろう。
「だってあの人…ロシアに行っているし、指名手配食らっているし――局長と協力し合うほど仲はいいの?」
「わたしはあの二人の子供じゃないかって噂されているぐらいよ。一時期でもそんなころはあったと思うわ」
「……。それでも、リンリン先生が娘の手を――汚させるようなことを、するのかな」
「やけにあの女の肩を持つわね」
今度は翔子が不思議そうな顔をする番だった。
母親の顔を思い出そうとしたが出来ない。ぼやけた輪郭と、ノイズ交じりの声だけだ。
「佐藤凛子は、自分の娘が拷問まがいの実験に連れていかれるのを表情一つ変えずに見送った女よ。いまさらわたしが人をひとりふたり殺したところで、特にどうってことはないんじゃないかしら」
自然と言葉に怒気が混じっていくことに気づいて、翔子は深呼吸をする。
「ごめんなさいね。どうしてもムキになってしまうわ」
「いや、いいんだ。僕もいらないことを言ってしまった」
翔子はそこに関しては何も言わない。
リンリン先生に、よりにもよって洸が肩入れとも言える発言をしたのが気に食わなかったのだ。
「ともかくね、私が魔法少女喰いになったのは必然ではないか、という問題提起をしたの。おそらくこの謎が解ければもろもろの疑問も解けると思うから」
先代のマジカルシュガー。マジカルソルト。局長の思惑。母親の目的。
『魔法少女』が絡んでいるこれらのパーツは、どこか一か所でも共通するものがあるのではないかと、翔子は推測している。
見事なまでにバラバラであったら笑うしかないが。
「…僕も実は、魔法少女喰いについて調べたんだ」
「あら。知っていたのね、先代の魔法少女喰いのこと」
「…うん」
やはり情報管理課だからだろうか、と思うも、それは多岐にわたりすぎている気がする。
少しばかり、不自然だと感じた。
「それでね、マジカルイーターは…五人、魔法少女を殺したんだ」
「へえ」
「そのあと彼女は……」
洸は何かを迷って、堪えたらしかった。
「失踪した。元の少女がどうなったかも、分かっていないらしい」
「わたしの調べ方が悪かったのかもしれないけど、そんな詳しい情報初めて聞いたわ。いったいどこから手に入れたの?」
「伝手を使ってね」
「いい伝手ね。良かったら教えてほしいのだけど」
かなり本気だ。
センセーショナルな話題となりかねないのに、マジカルイーターのことは雑誌でもネットでもほとんどヒットしない。まるでわざと隠されているように。
情報が枯渇している現状、どんなものでも欲しいというのが今の心境だ。
「ごめん、ちょっとそれは無理だ。けっこうデリケートな関係だから」
「…そう。なら仕方ないわね。また情報を寄せられたら教えてくれる?」
「うん、もちろん」
翔子はスマホを取り出して時間を見る。
「ちょっと煙草を吸うつもりがこんな時間ね。洸くん、仕事は大丈夫?」
「別になんてことないよ。というか、たまにはサボらせろっていうんだ」
「ふふ、頑張りすぎないでね。では、また何かあったら連絡ちょうだい」
「ありがとう。じゃあ、また今度」
翔子は帰宅の道へ、洸は事務局の裏口玄関へ。
守衛に会釈して事務局の敷地内から出る。
事務局には、遠目からでも分かるように建物の上部には『魔法少女管理事務局』と看板がつけられている。少しダサくもあるが、その看板のおかげで迷いにくいというのも事実だ。
ここまで目立ちながら事務局への道が分からないというのは、道案内に見せかけた勧誘や募金等のたくらみがある人間ぐらいだろう。
イヤホンを耳に差し込み、音楽を聴きながら翔子はふと気づく。
「洸くん、なんでリンリン先生がロシアにいるって知っているのかしら」