data1 調査対象:????/マジカルソルト
湿り気のある熱い夜風が翔子の前髪を揺らす。
眼前の交通量の多い道路を見下ろしながら、マジカルシュガーの時と変わらず彼女はビルの淵に腰かけていた。
ほどなくして彼女の後ろに紫色の魔法少女が現れた。まるで一本の糸から生まれるかのように、指先とつま先から姿を形作っていく。
もう会うのも何度目となるだろう。たわいもない話を交わしてきたが、これまでに得た新しい情報は、一切ない。
というのも、パーピュアは自身の置かれた環境について無知すぎるのだ。
本名も、家も、住所も、家族も、何一つとして答えらしい答えは出てこない。最初は隠しているのではないかと翔子も疑っていたが、反応を見るに本当に知らないらしい。
そして、そのことに少女は疑問を抱く様子もなかった。
「あれ? あなた、だあれ?」
『翔子』の姿を見てマジカルパーピュアは首を傾げた。
魔法少女と本来の少女の姿は大きく異なっている。
一般人はまず同一人物だと気づけないが、それは魔法少女も同じことだ。たまたまチームを組んだ魔法少女同士が、しばらくして同じクラスの同級生だったと気づくことも珍しいことではない。
翔子は立ち上がり、パーピュアの前に立つ。
この行為が何らかの危険を孕んでいるとは理解しつつも、確かめたいことがあった。
段階は十分に踏んだはずだから。
「こんばんは、マジカルパーピュア」
「?」
「マジカルシュガーの本来の姿、佐藤翔子よ」
「シュガーちゃんなの?」
「そう。あなたの元々の姿も知りたいと思って、ほら、そうなるとまずはわたしから明かすべきじゃない?」
恐ろしく情報不足な言葉だなと翔子は胸の内で失笑する。
言い方すらまるで詐欺師だ。
どうして元の姿を知りたいのか。どうして翔子の姿で待っていたのか。
答えは簡単だ。魔法少女での姿で一致するものが無かった。だから、次は元の姿で調べようとしたのだ。
果たしてどこまで調査できるかは洸も約束できないと言っていたが――まずはデータを手に入れなければ何の進展もない。ただ妄言を言っているだけの少女か、被虐待児かもいまだ判断に迷っている状況なのだから。
そのためには翔子の姿として待つことで警戒心を解かせ、パーピュア自身も変身を解くようにさせるという、日本人特有の同調圧力をかけようとする作戦だった。
ちなみに、同調圧力は多数対少数で効果があるものである。そのことを翔子は知っていることは知っている。ただ人数が足りないだけだ。
「ふうん。いいよ」
人を疑うことを知らないらしい少女は、一歩足を踏み出した。
まるで脱皮するかのように、本来の少女の姿が現れる。
翔子は、わずかに目を見開いた。
真っ黒な、飾りのないワンピース。首元には黒のチョーカー。
それだけなら翔子は驚きもしなかった。問題は、少女自身だ。
華奢な手足。折れてしまいそうな首。それらを傷一つなく覆う、初雪のように白すぎる肌。
くるぶしまで伸びる髪は銀髪を通り越して白髪であり、まつげも同じく白、こぼれんばかりに大きな瞳は朱色をしていた。
――間違えようもなく、彼女はアルビノだった。
翔子もその存在自体は知っていたし、写真も見たことがある。
だが、自分の目の前に立たれるとさすがに驚愕してしまう。
ここが現実ではないようだ。自分が今何を見ているかも信じられない。
『カミサマ』と呼ばれていることも、もしかしたら嘘ではないのかもしれない。
「これでいい? ええと…しょうこちゃん」
「…ありがとう。わたしは、あなたを何と呼べばいい?」
「『カミサマ』でいいよ。みんな そうよんでるから」
「そう…そう。分かったわ、カミサマ」
やはり『カミサマ』しか名前はないらしい。抵抗のある名前であったが、別の名前を与えるというのも妙な話だ。
名前を別のものに変えてしまうと――少女そのものが変質しそうな気がして。
もしカミサマという呼び方をしたくないならパーピュアという選択肢もある。
「しょうこちゃん」
「何?」
「うふふ。なんだか、おともだちみたいね、わたしたち」
絵画の世界に出てきそうな容姿の少女にそんなことを言われると、翔子はむず痒い気持になる。
「…まあ、知り合いにはなったでしょう。わたしたち」
「ともだちじゃ ないの?」
「あー…、うーん」
そもそも、翔子自身友達が少ない。
14歳までは引っ込み思案な性格もたたって一握りほどしか友達と言える存在はいなかった。それ以降は――翔子から避けていた。
友好関係を広げるほどに、魔法少女管理事務局へ弱点を晒すことになる。事務局は、翔子を従えるためなら同級生の命や立場すら利用するから。だから日常生活に支障のない人数としか付き合ってこなかった。それも浅い付き合いだ。
三久のことは――よく分からない。入学式でいきなり声をかけてきて以来の付き合いだ。たぶん友達だと思う。
ともかく、翔子は経験不足ゆえにトモダチというものがよく理解しきれていない。
それはおそらくカミサマも同じなのだろう。
あいまいな考えでもいいのかと思いながら翔子は小さく頷いた。
「じゃあ、友達になりましょうか」
「いいの?」
「なって困ることはないわ」
どうせ、事務局もこの深夜の逢瀬については関知していない。
所在も分からぬ少女を友達にしたとて、事務局も手を出しようがないだろう。
逆に洸だけに頼るのではなく、事務局に頼ったほうが発展は早い気はするが――どうにも嫌な予感がするのだ。
未登録の魔法少女を発見すれば必ず事務局は登録をさせるためにカミサマの実家へ赴くはずだ。カミサマは外に出ていることを秘密にしている。だというのに、外にいることがバレてしまったら――どんな目にあわされてしまうのか。そのとき、魔力が暴発してしまったら?
確実に恐ろしい事態を招くだろう。その引き金には、なりたくない。
カミサマ本人もluxの力でここに来るために自分の家がどこにあるかを知らない。
当の本人かそういうのだから、赤の他人である翔子はもっと不明である。
だから今は地道に家を探して、目星がついたらマジカルシュガーとしてカミサマを連れ出すほかない。どんなに心配していると言っても、行為としては誘拐だ――。他に良い方法があったらそちらを選ぶ予定だ。
「じゃあ、わたしたち、これから ともだちだね」
「ええ。よろしくね」
風が、長い白髪と短い黒髪を弄んで揺らした。
〇
翌日。
魔法少女管理事務局、東関東支部、喫煙室。
煙草を吸う翔子と、飴を舐める洸は横並びで話していた。
「めっちゃ見つかりそうなもんだけどね、アルビノなら…」
「わたしもあの後調べたのよ。たくさん写真は出たけど、あの子に似た子はいなかった」
「…この情報化社会に、ねえ」
「この情報化社会に、よ」
洸は思案気に顎を撫でる。
「ご両親がアルビノの彼女を保護という名の監禁をしている?」
「ありえそうね。学校にも行かせていないし、外にも行かせていない。過保護通り越して犯罪だわ」
「そうなると『みまわりさんがくる』はなんだろう」
「話し込んでいてもふと気づくとそんなこと言って慌てて消えるのよね。よほど恐ろしい存在みたいよ」
別れの挨拶もそこそこにパーピュアは戻ってしまう。
戻るまでのどのくらいのラグがあるかは不明だが、一刻も早く帰らないとならない存在らしい。
「おまわりさんってことかな?」
「そのままの意味で『見回り』じゃないかしら」
「彼女が部屋にいるかを見回る人間がいるのかな」
「だとしたら、とんでもない家ね…。しかも子供を『カミサマ』呼ばわりよ? まるで宗教みたいだわ」
「…まるで、じゃなくて宗教団体かもね」
洸は難しい顔でうなった。
「…洸くん。無理はしないでね。わたしの過ぎた好奇心であなたに危ない道を歩かせたくはないわ」
「僕もわきまえているから大丈夫」
本当だろうかと翔子はジト目で見る。
洸は慌てたように首を縦に振る。
「しょ、翔子ちゃん、次はいつごろに事務局に来る? イレギュラーな依頼だといっても締め切りがないとだらだらしちゃうからさ」
「一週間以上はのんびりしていていいわよ。わたし、しばらく事務局には来ない予定だから」
終了命令が入らなければだが。
「どこか行くの?」
「ええ」
翔子は短くなった煙草をスタンド灰皿に捨てた。
洸は飴を噛む。小気味のいい音がした。
「帰省しようかと思って」