case2 終了対象:中堂香代/マジカルシャイン 5
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翌日、16時05分。
芸能プロダクション「ティア・ドロップ」が入ったビルの敷地から少し離れたところに車が止まっていた。
運転席には南村、助手席には洸、そしてその後ろには翔子が座り、各々視線を窓にやったり手元のスマホに向けている。
車内で付けられているラジオからは天気予報が読み上げられている最中だ。今日の夜から雨が降り、明日は曇りとDJが淀みなく読み上げている。
「来た」
洸の声に反応し翔子は社会理論の本を閉じて外を見やる。
黒い車がビルの玄関口へ滑らかに入り込む。後部座席から少女が一人降りた。
「あれが中堂香代」
「一緒に出てきた女性は母親?」
「いいや、女性マネージャーだ。名前だけ言っておくと大谷津ひさえ。他の子役のマネージャーもしている」
「ふうん。わたしが前にテレビで見た知識だけど、子役は母親がマネージャーしているもんだと思っていたわ」
「ほんの一年前まではしていたと記録にある。だけど激務だったのか身体を壊してしまって、今はほとんど家にこもってるそうだよ」
そういえば中堂香代の父親は不明だと聞いた。芸能界に入った娘の世話を一人で行わなければならず、結果限界が来たのだろう。
もしも娘がいなくなったら、母親は――と考えかけて翔子は頭を振る。そのようなことを考えては命令を遂行できなくなる。翔子は関わらない世界だ。誰がどうなろうと、翔子の生活にはなにも影響しない。
娘の死に影響されて、例えば母親も死を選ぶとしても――何も影響しない。
魔法少女喰いは魔法少女喰いとして動けばいい。どうやって殺すかのみを頭に浮かべておけば、それでいいのだから。
「…嫌な仕事ね」
つぶやいた言葉を洸は芸能界のことだと思ったのだろう。「テレビだと華やかな世界なのにね」と同意した。
「第二水曜日…つまり今日、中堂とマネージャー、そして社長は話し合いをするそうなんだ。売れっ子だから今後の方針を確認とかしているんじゃないかな。それはだいたい夜の八時まで続くそうだ」
「それで?」
「…そこを狙って、始末する」
低い声を洸は漏らした。
眉をひそめた南村の視線から逃げるように、洸は手元のタブレットの外枠を意味もなく指でなぞる。
「彼女の住むマンションはだいぶセキュリティが厳しい。それと比較するとあのビルの方が緩いんだ、防犯カメラも一時的なら遠隔で操作できる。それに夜だから残っている人もそんなにいないだろう」
「セキュリティ云々の問題かよ」
「……」
「最低でも社長とマネージャーの二人が目撃者になりかねない状況で「終了」だ? 黙っていてくれと言って黙っているようなやつらではないだろうに」
「……死人に口なしって言いますよね」
「え…」
「おい、洸!」
翔子は息を飲み、南村は洸の肩を強くつかんだ。
「お前――初耳だぞ! それ、菊池も知らないような話だよな!?」
「…すみません」
「俺が聞きたいのはそんな言葉じゃない! 誰がそんなこと言ってた!」
洸はジェスチャーで落ち着くようにいう。それから車の中を指先でくるりと一周指したあと、自分の耳を示した。
――盗聴器の存在。
表情から察するに確信というよりは懸念しているのだろう。だが、上層部ならやりかねない。この車だって前回の車と同じだ。
南村は舌打ちをしてハンドルに寄りかかった。翔子はただ唇をかみしめる。
「わたし、魔法少女喰いなのだけど。魔法少女以外にも殺さなくてはいけないの?」
「いいや。翔子ちゃんはマジカルシャインを終了させる。あとのふたりは他の人間が始末する。そういうことになっている」
「事務局、とうとう暗殺者まで雇いだしたってこと? 呆れるわね」
「うん、まあ、そういうこと。土壇場でこんなこと言って申し訳ないけれど…」
言葉をどこか濁しながらすまなそうに洸は言う。
昨日の段階では言い出せなかったのか、それともあの後に話を聞かされたのか。どちらにしろ洸はずいぶんな精神的負担を強いられていることになる。むしろ彼こそカウンセリングを受けたほうがいいのではないだろうかと翔子は思った。
いずれノヴァの母親のように身体を壊してしまう。
「すっきりしない話ではあるが俺たちでどうこうできる話ではない。今、俺たちができる話をしよう」
「そうですね」
「そうね」
重い空気を切り替えるようにラジオのボリュームを上げた。
「20時に解散するということは、その時間帯を狙えばいいの?」
「社員が退社する時刻は17時30分。もちろん残業する者もいるだろうけど…大部分は帰る。労基に一回睨まれたことがあるそうだから。そこからこの辺りは人通りが多くなり、落ちつくのが19時以――」
洸の説明が止まった。
「警備員が怪しんでる。声かけてきますね、あれは」
「ああ」
翔子は社会理論の本を隠して女子中学生が愛読しているファッション誌を膝の上に広げた。洸もガイドブックをドアポケットから取り出して適当なページを開いた。
洸の予想通り、警備員は3人の乗る車に近寄ってきて運転席の窓をノックする。南原はおとなしく窓を開けた。
「ここ、駐車スペースではありませんよ。さきほどからずっとここに居るみたいですが…」
「いやすいません、道が分からなくなってしまって」
苦笑いで応える南村の後ろで翔子が高い声で話しかける。
「ねえおじさんっ! おとうさんがね、渋谷に行きたいんだけど迷っちゃったんだって! ねっ、お兄ちゃん!」
「ちゃんと座ってろって。…はぁ、だからカーナビ買えばよかったんだよ」
不機嫌そうに洸はガイドブックの地図を広げる。
「だって東京ってこんなに分かりにくいもんだとは思わねえだろ…」
「あーっ、おとうさん言い訳してる!」
「ちょっと静かにしていなさい。…まあ、そんなわけなんですよ。方向だけでも教えてもらえると助かるんですが…」
マスコミ関係ではないと警戒心を解いたらしい。
警備員は「あちらにいってこの道を…」と説明する。何も知らないふりをして南村は素直に頷く。
「分かりました。ご親切にありがとうございます」
「いやいや。家族旅行ですか?」
「そうなんですよ。たまには水入らずの時を過ごしたくて」
「ははは、楽しんで」
「どうも」
窓を閉めて言われた方向へ車を走らせる。
しばらくしたあとで、翔子が喉をさすりながら元の平坦な声で聞いた。
「中学生って、あんなテンションでよかったかしら」
「いいんじゃないかな。僕はあんな声だせるなんて知らなくてちょっとびっくりした」
「たまに猫被らないといけないときがあるのよ」
よその事務局に行った際、14歳を演じたほうが円滑に行く場合もある。そういうときに演じている。
疲れるので普段はしない。
「もともとの姿を見慣れているとすさまじく違和感しか覚えないな」
「あら、じゃあ普段からあのテンションで話しかけてあげましょうか? 一向にわたしは構わないわよ」
「謝るからやめてくれ。で、洸。どうするよ?」
タブレットを開きビル関連の資料を呼び出して、洸は難しい顔で画面を見つめた。
翔子は後ろから画面を覗き込みながらマメだなと感想を持った。魔法少女の個人情報だけならともかく、こういった細かいことも洸はあらかじめ調べてきている。
殴ってから考えようとする翔子とは正反対だ。
「あそこの警備は17時で交代なので、その後ならまた近づいても怪しまれずに済みますかね…。イレギュラーとして、中堂たちの会議が早々に終わらなければいいのですが」
「そればっかりは本人たちの都合だからな」
「その時その時で考えていきましょう。多少の無理なら大丈夫よ」
洸は薄く笑いながら「ありがとう」と呟いた。
どんなに調べてもイレギュラー一つ起こるとそれまでの計画が瓦解する。洸にとっては恐ろしいことに違いない。
「そうだ、洸くん。マジカルシャインの戦闘動画があれば見せてほしいのだけど」
「もちろんいいよ。ただ、一部消去されているから分かりにくいかも」
「…何者かによって手が加えられているのね」
「だろうね。ここまで手厚く守られていると、ちょっと羨ましくはあるよ」
前に、洸が実家と絶縁されていることを聞いた覚えがある。
怪人となってしまったばかりに。彼の両親は彼を守るどころか突き放した。
必死で守られる中堂香代が、言葉通り羨ましいのだろう。
「ええ、分かるわ」
翔子はタブレットに表示されたマジカルシャインを、ぼんやりと眺めた。