prologue 前
黄ばんだ壁にA4のポスターが貼られている。
【届け出よう!魔法少女 ――ひとりで戦わないで。みんなと共に立ち向かおう】
スローガンの下に、学生服の女の子のイラストとアイドルのような恰好をしたイラストの女の子が並んで描かれている。そして、「突然の魔法少女。ひとりで抱えず不安だなと感じたら」という文章のあとに電話番号が続き、一番下には『魔法少女管理事務局関東支部まで』と小さな文字で締めくくられていた。
全国――いや、世界各地で魔法少女というのは珍しい存在ではない。
同じように、怪人の存在も特別なものではなかった。
いまだ人類の踏み込めない地底の奥から滲みだしてくる不可視のエネルギー・tenebraeに精神汚染による人格変貌と身体変化を強制され狂暴化した者を『怪人』と呼ぶ。適合者は老若男女問わず多岐にわたる。その力は尋常ではなく、コンクリートの壁をたった一発の拳で粉砕してしまう。
一方で、天から降り注ぐ不可視のエネルギー・luxにより身体変化し、怪人に対し優位な力を持つことができる者を『魔法少女』と呼称する。その適合者は十代の少女に限られている、というのがまた不思議な部分だ。
魔法少女が怪人の破壊を阻止し、ルークスの力によりテネブラエをすべて放出させると怪人は元の人間へと戻る。早くて三ヶ月、遅くて二十四ヶ月かかる。
親が子供に怪人と魔法少女を説明する言葉を借りるのならば「悪い力に操られた人を良い力の女の子が元に戻す」だ。
存在自体は珍しくはないが、怪人と魔法少女の両者がぶつかり合うのはおおよそ現実的な光景ではないだろう。どちらも並の人間の力と耐久性ではなく、下手に戦えばビル一つが更地になってしまう。
一回の戦闘でビルを壊されてはたまらない。時に人命を脅かしかねない危険を伴っている。
そのため、怪人及び魔法少女の存在が確認された百五十年ほど前に各々の国で、世界的に統一された七十年前に、魔法少女の管理及び教育と怪人の起こした被害を調査・報告することを目的とした『魔法少女管理事務局』が世界各地に創立された。
ほぼ意思疎通ができない怪人はともかく、魔法少女の思考や精神は変化しない――つまるところ、まだ管理しやすい。被害を軽減し、また危険に立ち向かう少女のサポート及びカウンセリングをし、引退後も健やかな人生を送ることができるようにする。そのような思想に基づいた組織だ。
…表向きは。
ポスターを、自動販売機横のベンチに座り缶コーヒーを啜りながら少女が無表情に眺めていた。
幼い顔つきには不釣り合いな隈が目の下で存在を主張している。黒い細縁の眼鏡が顔をぼやけさせる。膝の上には緑のマーカーで線を引かれた社会学の教科書。澱んだ瞳からは何の感情も見出すことは出来ない。
ふいとポスターから目をそらし少女は教科書に視線を戻した。
そこへ男性が駆けてきた。息を整え、わずかに緊張した面持ちで少女に話しかける。
「あの、佐藤さん。局長と支部長がお呼びです」
「今行く」
「…佐藤さんって、結構前からいますけど、いったい何の――」
少女は無言で教科書をしまい、缶コーヒーを飲み干した。そして、何事か呟くと手の周りを一瞬青白い光が灯り、そのまま潰す。
スチール缶が一瞬で変わり果てた姿になるのを見て男性は「ひっ」と息を飲んだ。
「余計な詮索は命を散らすわよ。この事務局が生易しい場所ではないと知っているでしょう」
低い声で言い放つ。
ゴミ箱に変形した缶を捨て、少女――佐藤翔子は迷わぬ足取りで目的の部屋を目指した。