バルザック 3
「ふぁ~~~~~~」
大きく伸びをして、久しぶりのシャバの空気を吸い込む。
いつものように冤罪による束縛から開放されたのは、その翌日の事だった。
普段なら俺の身請け人である闘技場の親父に、暇を見て弁解に来てもらうのだが今回はすぐにメリルが異議を申し立てたため、思いのほか早くに外で出ることができた。
「ごめんなさい、私のせいで」
ただ街に出て早々に頭を下げてくるメリルには、少し面食らう。
「いや、まあ先に喧嘩を売ったのは俺だし……」
普段の素行が悪いために、いつもは頭に血が上って暴力沙汰になるか、さっさと逃げるのが常だった俺にまさか謝ってくる奴が出てくるとは……
「あの……乱暴とかは……」
「いや、それは問題ない。あいつ等にそこまでは出来ねぇから」
屯所の中では割と自由が利く。
もちろん取り調べや尋問はいくつかされるが、それ以外は普通に寝るか一日に二回出される飯を食うだけだ。だから、ちょっとした休暇と思えば、割と心地の良い半日と思えた。
ただ有罪と認定されればその限りでもないが……
「本当に良かったです。ちゃんとバル君にこうして会えて……」
やや涙目の様子を見ると、本当に心配してくれたらしい。
ただそれは俺がメリルの事を忘れたのも原因なだけにこっちも立つ瀬がない。だから、俺は少しだけ話題を逸らすことにした。
「にしても、よくここが分かったな」
闘技場のある区域とは趣の違うこの辺りは、最初は中々道に迷いやすいのだが。
「はい、恥ずかしながら、道に迷ったのですけど、ちょうど親切な方に助けてもらって……」
それで無事にここまでたどり着いたのか……俺にはないような人望だな。
「この辺りはなんだか随分と街の様子が違いますね」
「ん? ああ、ここは西区だからな」
「西区?」
「ほら、この街に入る時に検問所があっただろ? 門番のいる所。あの辺りは役所とか宿屋とかが集まるんだよ」
「へ、へえー」
ん? あそこは通ってないのか……
そんな些細な疑問を抱きながらも、俺はゆっくりと足を進める。
「あぁ、メリルは貴族なのか」
過去の記憶と、今の反応を見てようやく気がついた。
あの時、俺は師匠に連れられてどこかの国の貴族の館に連れられたのだ。
そこで子守りと称されて相手をしていたのがこのメリルであり、という事はつまりメリルはそれなりの立場の人間だといえる。
だとすれば、ここに入るのも検問所のない大門を通ったのかもしれない。
しかしようやく得心のいった俺とは対照的に、メリルは目を見開いて顔を真っ青にさせていた。
「あっ……あぁ……」
「あれ、俺なんかまずいこと……」
そのメリルのあまりの形相に思わずおののく俺は、すぐさま手を引かれてその場を後にすることとなる。
「はあ……はあ……」
「大丈夫か?」
「は、はい。はぁ……ご、ごめんなさい。
突然、走り出したりして……」
「いや、それはいいけどさぁ」
結局そのままメリルに手を引かれ続け、為すがままにされる俺はその体力が尽きたのを見て足を止めた。
「俺の方こそ、なんか不味いことを言ったみたいだな」
「いいえ、それは別にバル君が悪いわけでは……」
息を吐きながら詫びを入れるメリル。それを見ながら俺はいつになく気の利く発想に行き着いた。
「まあ、このまま話すのもなんだから、どこかに入って落ち着きたいところだが」
店に入るのは別段いいのだが、ただこの辺りは……
「はい、分かりました。では近くのお店に入りましょう」
「あっ、ただここいらは……」
ある事実に気がつくも、時既に遅い。
周囲の目を気にするメリルに連れられ、やや裏にある小さな喫茶店に入った。
真新しい内装の店内には、それに見合った艶やかな装いの客が多い。
普段着のメリルは良いかもしれないが、屯所返りのボロを纏った俺は嫌でも目立つ。
そのため、選んだ席は窓際の端の方にしてもらった。
「こちらがメニューになります」
いつも通う酒場と違って、オーダー表が出てくることに内心で驚嘆しながら、何を頼むべきか迷う。メニューもさることながら、どれも随分値が張りそうだ。
「あの、お代の方は私が……」
「あぁ、頼むぜ」
金がない俺に、こんな高い店は払えない。ここは、貴族街に近いため、それだけ客を選ぶ。そんな店にすんなり入れるのはやっぱりメリスの家柄のせいか。
簡単な注文を取ったウエイトレスが、立ち去るのを見て俺は軽く息を吐く。
「はあ……」
「ご、ごめんなさい。もしかしてこういうお店は苦手でしたか?」
「まあ、それは別に気にしてないが、どっちかと言うと俺は居心地の方がな」
やはり場違いと言うか、周囲の店の視線が肌に痛い。
さっきから、他の席からは身なりの良い男女の嘲笑にも似た笑みを浮かべている気がする。それはまだ慣れているが、なによりここに居る自分が少し恥ずかしい。
「まぁ。メリルが良いなら構わないけどさ」
半分は自分に言い聞かせるように、そう言って俺達はいよいよ本題に入る。
「久しぶりだな、メリル、あぁいや、あの頃は『泣き虫メリル』だったな」
「そ、その呼び名は今は少し恥ずかしいです。
でも本当に良かったです、バル君が私の事を思い出してくれて」
「いや、そのロケットのおかげだぜ。
もしそれがなかったら絶対にメリルの事を思い出せなかったかもな。あっ……」
それは、遠回しにメリルの事が印象に残っていないと言っているようなものだ。
案の定、メリルはしょんぼりと落ち込んでいる。
相変わらず泣きやすい奴だな。
「に、にしてもよくあんな昔の事をよく覚えていたな」
「それは……当時は、同い年の知り合いなんてバル君だけでしたから……」
「友達いなかったんだな。貴族も大変だよなぁ」
失言しないようにと気を付けたつもりだが、何分育ちが悪いせいでつい余計なことを口走ってしまう。やっちまったかとチラッと正面を見ると、メリルは落ち込むことはなかったが驚いた顔を向ける。
「え、えぇ……あれ?」
小さく、頷きながらメリルは小首をかしげた。
「そういえば私、貴族って言いましたっけ?」
あぁ、そんなことか。よかったぁ。
「俺も当時は何も感じなかったが、後で思い返して色々と分かったさ。そもそもあんなでかい屋敷に住んでいる時点で気づくだろ。
屋敷の外に出るときはいつも騎士みたいなのが付いてきていたわけたし」
「……」
どうも隠していたつもりなのか、メリルはすぐに顔を真っ赤にした。
そんなひた隠しにするものなのか。思うに貴族は、制約の多い生活を送っているらしい。
しかし、それは別に良い。
分からないのは執務室でメリルが言っていた護衛の件についてだ。
そもそも、貴族であるメリルがなぜ今一人でいるのかも不明だし、なぜ名のある色付き剣士でなく、ただの幼なじみの俺に護衛を頼んでいるのか……
分からないことづくめだ。
ただ、かと言って迂闊には聞けない。
「あ、あの……」
「ん?」
「どうして私がここにきたのか聞かないのですか……」
フォークを皿の上に置いて、不安げな顔を浮かべるメリル。
それは、今から怒られるのを待つ子供の様でもあった。
「それはまあ、聞きたいとと言われればそうだが、ただ聞けば後に引けなくなるかもしれないだろ」
ここに一人で来たというなら、真っ先に思いつくのはなにか宮廷内で問題があって逃げてきたということか。まあ、なんにせよ良い話ではないはずだ。
そんな貴族のいざこざに俺みたいな奴が絡むとそれはもう命がいくつあっても足りない。
家の没落、貴族間の抗争、民衆の反乱
貴族の夜逃げの理由なんて数えればきりがない。
「はい……やっぱりそうですよね……」
メリルもどうもその辺りは分かっているらしく、すぐにシュンと俯いた。
そんな反応をするという事は、やはり面倒事か。
「はあ~~~~」
俺は大きくため息をついた。
それは別に、メリルに対してのものではなかったのだが、目の前の少女は必要以上に肩をビクビクさせ、もはや涙目だ。
流石に数少ない俺の普通の知り合いにそんな顔をもうさせられない。
若干、腹を括るような気持で俺は質問をしてみた。
「もう一度確認で聞くけど、とりあえずメリルは貴族ってことでいいのか?」
目を大きく開いて、頷いて見せる。
「は、はい、私はここからずっと西へ向かったところにあるカーマイルという国の……貴族です」
「カーマイルか……やっぱり聞いたことはある気はするが」
「あっ、えっと、その、歴史だけは古い国なので……、それと私と会ったのもその国なのでバル君は来たこともありますよ」
「そうだろうな」
どこか焦ったように、弁明するメリルに俺はとりあえず納得してみせた。
そっかやはり行ったことあったのか。
「そ、それでその……国の方の政治が上手く立ち行かなくて……」
「亡命してきたと」
「……はい」
短く答えるその口調からは、とても悲し気な様子がうかがえる。どうもここに来るまでに大変な苦労をしたのだろう。確かに、没落貴族の身の上話はろくな落ちがない。
女であれば、その身を売ることになり、男であれば劣悪な環境の下で死ぬまで働かされる。
運が良く別の貴族に召し抱えられたとしても、政治の道具にされるか一生居心地の悪い目を見るかだ。だとしたら、そのどれでもない今の現状というのは……
「なるほど……まあなんとなくは分かった」
これ以上の追及は流石にもう無理か。
俺はそうと悟って、もう何も聞くことはしなかった。
だとしても国を追われて、こんな見ず知らずの所まで来て、そして……ん?
自分の考えの中にある疑問を見つけた。
「そういえば、メリルはどうやって俺の居場所を?」
確かに俺とメリルは顔なじみではあるが、今俺が闘技場に居ることはそう誰もが知る話ではない。
だとしたら……
俺のその問いかけにメリルは明らかに顔をしかめた。
今まで見た中でも、最悪の部類に入る居心地の悪そうな顔だ。
「あ、あの、ごめんなさい。ここまで身勝手なお願いをしながら自分の事を話せないでいて……」
「申し訳ないと分かっていながらも、言えないことなのか?」
「……ごめんなさい」
俯き加減に、メリルは頭を下げる。
その目には僅かにだが、光るものが見てとれた。
(少し、イジメすぎたか)
必死で涙をこらえるその顔に、なけなしの良心というものがチクリと痛む。
「悪かったよ、別にそんな顔をされるほど聞きたい話でもないし。構いやしないよ」
「でも……」
「別に、言えないことがあるのはメリルだけじゃないし……」
「えっ?」
「俺だって、人を問い詰められるほどの人間じゃねえから。この髪とかな」
自分の焦げ茶の髪を撫でながら、俺は自嘲的な笑みを浮かべる。
「あの、それって……」
困惑を露わにするメリルに、何も言えない俺。
そんな二人の間に微妙な沈黙が流れ、何とも居心地の悪い空間が広がる。
まあ、最初からこうなることは分かってはいたが、何も再開して次の日にやる話でもなかったな。俺だって、旧知の仲の人間との再会には多少は心も躍る。
そして、そんな中でわざわざ仲たがいをしようと思う程、痴れ者でもないつもりだ。
とりあえず会話の方向を変えなくては。
しかし、俺の中に年頃の女と華やかな会話が出来るほどの会話力はない。
はてさて、どうしたものか……
「んで、さっきの雇われの話だが……」
そこまで考えた時、俺の思考はプツリと断ち切られた。
ドポポポポポ……
頭には不愉快な液体の滴る感覚。
それが後頭部を伝って、肩から上半身に流れ込み、そして体中にその不快さを伝播させていた。どうも頭から何かをぶちまけられているらしい。
「バ、バル君!」
驚いたような声を出すメリルに反応したのか、背後の人間は耳障りな声を上げる。
「あれぇ~~~、どうしてこんな所に、貧民街の、それも『紋なし』のハグレモノがいるんだぁ~~?」
「通りで臭いわけだ。それもこんな女所帯の店で女々しく茶などとは……」
わざと、大声をあり上げて周りの空気を乱していく。
特に『紋なし』という言葉に、周りの人間もざわめきだした。
普段なら、嫌味の一つでも垂れて喧嘩になるか、面倒くさくなって足早に逃げるのがいつもの俺だが、今日はこの場違いな対応に救われた。
慇懃無礼な態度でそれに応じる。
「どうも、ご苦労様です。憲兵の方々~、それよりもいいんすか? こんなとこで職務放棄してて」
「はっ、こうしてお前のみたいな罪人の予備群を見張るのも俺達の役目だ」
「そういうことだ、分かったのならとっとと店から出ていけ」
その提案には依存はない。ただ、こいつらに言われっぱなしも癪だったため反論はしておく。
「ここは、貴族街じゃないはずだ。俺がいようと……」
「発令が出たんだよ、最近ここに越してくる貴族様が増えちまって貴族街だけでは手狭になった。だから、この辺りも次期に貴族街に昇格される」
「次期にってことは、今はまだだろ」
「俺達は勤勉だから、仕事が早いんだよ。いいから、ととっと失せろ。この賊剣が」
完全にただの嫌がらせだろうが、もうこの店に居れないのも確かだ。
周囲では『紋なし』という言葉でざわつき始めている。
俺は素直にその場を立ち上がり、大人しく店から出ようとした。その最中で
「外で待ってる」
メリルにだけ聞こえるようにそう言って静に店を後にした。
ほんの少しの間待っていると、すぐにメリルはやってきた。
「あの、あれは……」
「あぁ、あれか。なあ、その話の前にちょっと付いてきてくれないか?」
そう言って、俺はある場所へと彼女を連れていく。人の肩と肩がギリギリすれ違う程の大通りから人の数は少しずつ減り、さらに路地裏に入っていよいよ人の影がなくなった頃、俺達二人は目的の場所に着いた。
それまでにメリルは一言も発することはない。
たどり着いた先の、小さな井戸のある広場。
そこで俺は、先ほどの紅茶で水浸しになった上着を脱ぐ。
「メリル、さっきの雇うとか雇わないとかの話だが、あれは俺には無理なんだ。
なぜなら俺はこの街から出られないんだ、いや、出ることを許されていない」
「そ、それはどうしてですか? バル君は何も悪いことなんて……」
慎重に、しかしやや焦るようなその口調に俺はゆっくりと答える。
「なあ、メリル『紋なし』って知ってるよな?」
その問いにメリルはこくんと頷く。
「『紋なし』っていうと、この世界で誰もが授かるはずの『血紋』を抱けないこの世界の理から外れし人のことですよね」
「ああ、もう分かってるだろ? 俺はその『紋なし』なのさ」
「……はい、知っています」
「そっか、分かってた上で誘ったのか。それもそれでなんか複雑だな」
俺みたいな立場の人間はどう頑張っても普通の人間と同じ扱いを受けられない。精々、使い勝手の良い消耗品だと簡単に捨てられる。別段メリルがそんなことをするとは思えないが、ただ俺の中の『紋なし』根性がそれを素直に受け入れさせてくれない。
「あの、私はでもバル君のことはたとえ『紋なし』であろうと……」
「なあ、メリル、この前の路地裏での事を覚えているか?」
不意の俺からの質問にメリルは恐る恐る首を縦に振る。
「あそこの印象はどうだった? 世辞にも良い所とは思えなかったろ。人も建物も」
恫喝も暴力も当たり前のように起きる、あの場所。
あまり思い出したくはないであろう、その風景にメリルは無言で応じる。
「あの場所に居るのはほとんどが『紋なし』の連中だ。理由は人それぞれだが、総じてあそこらの人間には人としてのまともな生活が出来ないようになっている」
この国はまだ、『紋なし』には寛容だ。
国によっては『紋なし』を忌み子や天災の前触れとして、真っ先に浄化と言う名の処分をしたり、奴隷として人がとても生きてはいけない僻地でボロ雑巾のように使いつぶされることもある。
だとすれば、まだ普通に生きていけるこの町は幾分かは住み易いのだが、それでも『紋なし』
に対する偏見や差別がないわけではない。そしてそれは俺も同様である。
「そ、それでも騎士様のあの行為は、あまりに酷過ぎです」
「まあ、そう思うよな」
井戸から追加で水を汲んで俺は一人思う。
しかして、あいつらの気持ちも分からないでもない自分がいた。
特に騎士なんかは、一際俺をを卑下している。
「まあな、でもあれは別に『紋なし』という理由だけじゃない」
「え?」
「俺はこの町で剣を使うことを認められている数少ない『紋なし』だ」
『獣戦』の後始末の要因として、職務上剣を使わざる負えない俺は部分的にだが剣の佩刀を許されている。それは、旅の剣客や街を防護する騎士を除いては俺だけの特権だといえる。
「だから、あいつらは俺を敵視している。
俺が剣を使っている以上、あいつらと俺の立場は対等に近くなるからな。
俺みたいな『紋なし』が誇り高い騎士様の肩書きに泥を塗っているようで嫌なんだろな」
というのが建前だが、実はこれも小さな要因にすぎない。
本当の理由はさらにある。
軽く上着を洗い終えると、俺はその際たる原因を見せるべく頭に水を被った。
ザバーン
水の流れと同時に先ほど頭にかけられた紅茶と、それと黒い染め汁も流れ落ちた。そして俺の本当の髪色が明らかになる。それ見てメリルは息を呑んだ。
炎の様に燃える紅い髪。
それはこの世界で唯一『剣神』と奉られる者と同じ髪色だった。