第四話:スライムは娘を守るため立ち上がる
スライムに転生して四日目の朝、俺の寝床が変わった。
愛しの棺桶ではなく、養女にしてエルフであるオルフェのベッドに。
今の俺はオルフェの抱き枕になっていた
最近、暑くなってきた。ひんやりしたスライムボディは気持ちいいのだろう。オルフェは気持ちよさそうに俺を抱いている。
気を抜くと液状になるし、液状になるのが一番休まる俺としてはちょっと眠りにくい。
魔物を何体か吸収してだいぶ形の維持が楽にはなっているのだが、本音を言えば、愛しの棺桶で、でろんと液状になりたい。
オルフェの腕の中から抜け出そうかな。こう、にゅるんっと。スライムボディならたやすい。
「お父さん」
寝言だ。
オルフェの眼には涙があった。
「ぴゅい」
……しょうがない。抱き枕でいてあげよう。
寝ている間も形を維持する訓練だ。
◇
朝が来た。
やっぱり微妙に疲れが抜けない。あとでこっそり棺桶に戻って液状になろう。
オルフェは、俺の前だというのに平然とパジャマから着替え始めた。
改めて思う、オルフェは成長している。
「スラちゃん、今日の食事当番は私だよ。昨日よりずっと美味しいのを食べさせてあげるからね」
「ぴゅい!」
昨日のニコラの飯は、このスライムボディをもってしてもまずかった。
ただ、食べるだけで強くなれるのであれはあれでありがたいとも言えるが楽しくない。
それに対してオルフェは姉妹で一番料理がうまい子だ。
朝食が楽しみである。
そんなことを考えていると、どんどんっと玄関の扉が叩れる音が響く。
かなり乱暴な音だ。
オルフェがびくっとしている。
「ぴゅい」
さてと、必殺酸ビームの準備をしておこう。
娘を驚かす乱暴な来訪者は始末しないと。お父さん、頑張っちゃうぞー。
「スラちゃん、びっくりしたね」
「ぴゅい!」
返事をしておく。
この屋敷が大賢者マリン・エンライトの屋敷と知らないものはいない、来訪者はある程度敬意を持ってやってくるのが普通だ。
朝早くから乱暴に扉をたたくなんて非礼をしてくる相手には、警戒が必要かもしれない。
オルフェは俺を胸元にぎゅっと抱きしめて玄関に向かった。
◇
玄関でオルフェはドワーフのニコラと合流する。ニコラも叩き起こされたのだろう。
まだ、どんどんと扉を叩く音が響いている。
ニコラは眠そうだし機嫌が悪い。着衣が乱れている。慌てて着替えてきたようだ。
「オルフェねえ、おはよう。こんなに朝早くから、しつこく扉を叩いてくるなんて非常識なやつ。やばいポーションをぶちまけて出迎える」
物騒なことを言っている。
俺と同じ発想だ。さすがは我が娘だ。
「ニコラちゃん落ち着いて。……ニコラちゃんが応対するともめるから、私がするね」
「ん。お願い、オルフェねえ」
そして、扉を開くと、センスの悪い成金趣味のローブを纏っただらしない体の男がいた。
指にはじゃらじゃらとした指輪。
ああ、見覚えがある。魔術学会で何度か同じ場で発表したな。
名前は……思い出せない。どうでもいいやつはすぐ忘れてしまうのは俺の数少ない欠点だ。
その背後には鎧を着こんだ騎士たちが並んでいる。
「マリンのところのガキだな」
ふんっと、男が鼻息を荒くする。
その男を見てオルフェは首を傾げた。
「あなたは……どなたでしょうか?」
魔術学会にはよくオルフェも出ている。
オルフェも彼に会ったことがあるはずだが、名前を憶えていない。
オルフェも俺に似てどうでもいいやつは覚えることができないのだ。
「貴様、学会で何度か顔を合わせただろうが」
「……ううん? 面白い内容を発表した方は覚えているのですが。ごめんなさい。たぶん、あなたの研究に興味を持ててなかったです」
オルフェは頭を下げる。
成金男の顔が赤く染まり、ぷるぷる震える。
この子は、【魔術】の知識や技術は超一流だが世間知らずだし、コミュニケーション能力が不足している。
そっち方面もちゃんと教えてあげればよかったなとちょっぴり後悔。
「ふん、小娘にわしの高尚な研究がわかりはしない」
ちなみに、魔術学会での実績で言えばここ二年では俺がトップであり、次点がオルフェである。
初めは俺の助手ぐらいに見られていたが、独自の研究を始めて評価され、いまでは一人の魔術士として認められている。
高尚な研究と成金男は言っているが、俺が覚えていないことを考えると大した人物ではないだろう。
オルフェのほうが魔術士として優れている。
「はあ、ご用件はなんでしょうか?」
「この屋敷と、この屋敷にある研究成果すべてはわしのものになった。すみやかに出て行ってもらいたい。もちろん、この屋敷にあるものを持ち出すことは許さん。まあ、わしも鬼ではないから生活用品ぐらいは許してやる。きっちり持ち出す荷物はチェックさせてもらうがな」
そういって、男は一枚の書状を突き付けてくる。
その書状には王家の紋章が刻まれていた。
……おかしい、この屋敷はきっちりとオルフェに相続した。
法的な手続きもきっちり終わらせている。通常の手段では奪うことはできないはず。
「こんなの……うそ」
オルフェがその書状を読んで体を震わせる。
彼女の腕に抱かれている俺は、こっそり書面を覗いた。
……やってくれる。
「小娘、この手紙に書いてるとおりだ。大賢者マリン・エンライトの研究は我が国にとって非常に大きな意味を持つ。かの大賢者の発明は我が国の生命線だ。マリン・エンライトの遺産及び、手がけた研究を無にするわけにはいかん。だからこうして、この大天才ヨブク・ハイゼルセンが王命を受けて、彼の研究と資産をすべてを引き継ぎ、やつの研究を完成させる任を受けたのだ!! これでわしの名前は歴史に残るぞ!」
そういって、成金デブ。もとい、ヨブクが哄笑する。
書状には、ヨブク・ハイゼルセン公爵が屋敷の資産および、研究を引き継ぐと書かれていることから、こいつは公爵なんだろう。
そして、その権力を使って、俺の残したすべてを奪おうとしている。
「その必要はありません。父の知識と技術はすべて、私たち姉妹がすべて引き継いでいます。余計なお世話です」
「笑わせるなよ。人もどきが、人間の高尚な魔術をエルフごときが理解できるはずがないだろう。魔術の深淵を極めるのは、この、ヨブク・ハイゼルセンだ。そう国が認めたからこそ、この書状がある。なんなら、国に逆らうか? 国家反逆罪でつかまるぞ。がはははははは」
ヨブクは、憤るオルフェを見て気分が良さそうだ。
酸ビームを出したい気持ちを必死に抑える。
こいつを殺したところでどうにもならない。
「……私たちから、お父さんの思い出を奪わないでください」
「聞けないなぁ、これは国益のためだ。……んっ、よく見ると可愛いじゃないか。わしの愛人になれば、この家に住むことは許してやるぞ。たっぷり可愛がってやる」
嘗め回すように、オルフェを見る。
オルフェは恐怖で体を震わせ、俺をぎゅっと抱きしめて不安をおさえようとする。
調子に乗った成金デブは、オルフェの顔に触れようとしたので、口を開けて威嚇した。汚い手で娘に触るな。殺すぞ? この豚。
「愛人なんて、そんなこと……」
「まあ、今日一日ゆっくり考えることだな。まったく、王家のかたがたはお優しい。一日、荷造りのための時間をくれてやるとはな。明日の朝、もう一度来る。それまでに着の身着のままこの屋敷を追い出されるか、わしの愛人になるかを考えておけ。こっそり、研究成果を持ち出せると思うなよ。見張りの騎士どもがいるし、荷物検査もするからな。そっちの娘もかわいいのう。将来が楽しみだ。おまえが愛人になるなら、そいつも住ませてやる……明日からわしのものになるこの屋敷にな」
そういい終わると高笑いしながら、ヨブクが去っていく。
オルフェが扉を急いでしめて、そしてその場で膝をついて、女の子座りになる。
「なんで、お父さんの思い出を奪おうとするの! こんなのひどいよ」
「……許せない。あいつを消す。こっそり発信機をつけた。あとを追える。今日の夜、あいつの屋敷ごと吹き飛ばす。地形を変えるぐらいのとっておきの爆薬がある。大丈夫、痕跡は残さない」
ずっと黙っていた。ニコラが口を開くなり、物騒なことを言う。
この子はいろいろと、やることが極端だ。
目がどこまでも冷たい、本気でぶち切れている。
「あの人を殺しても、別の人がやってくるだけだよ」
「それでいい。別の人がやってきたらまた吹き飛ばす」
「そんなことをしたら、国と私たちの戦争だよ」
「シマヅねえと、ヘレンねえ、レオナねえを呼び戻す。五人なら勝てる」
ニコラの言葉には気負いもなにもない。ただ、当たり前に勝てると言い切った。
オルフェが目を見開く。
そして震える声で諭すように言葉を紡いだ。
「……それだけは絶対ダメ。私たちが揃うと、本当に勝っちゃうから。私たちだけでこの国を滅ぼしちゃう。たしかにお父さんの思い出は守れるけど、関係ない人がいっぱい死んじゃう」
エンライトの姉妹がそろえば、この国と戦争しても勝てるというのは誇張でもなんでもないのだ。
【魔術】のエンライト、エルフのオルフェ・エンライトは、この国では彼女しか、なしえない大規模破壊魔術を連発できる。
【錬金】のエンライト、ドワーフのニコラ・エンライトは、凶悪な戦略兵器を作り出す。
【剣】のエンライト、狐獣人のシマヅ・エンライトは、剣一本で千の騎士を切り伏せる。
【医術】のエンライト、天使のヘレン・エンライトは、空気感染し、治療が不可能な死の病を国中に蔓延させることができる。
【王】のエンライト、人間のレオナ・エンライトは、特別な能力はもたないが、姉妹たちの能力を完璧に把握し最善手を打ち続けるだろうし、外交能力にも長けている。
この五人がそろってしまえば、たかが国の一つや二つ滅ぼすことはたやすい。
「なら、どうする? このままじゃこの屋敷だけじゃない、父さんが作り上げたすべてが奪われる……そしたら、父さんが恐れたように、この国が世界の覇者になって独裁が始まる」
この屋敷には、俺が生み出した無数の研究成果がある。
その中には、強力すぎて表に出せないものが隠されていた。
禁忌の発明を手にすると、危険性を理解できる頭がない連中は、その禁忌の発明を使い嬉々として破滅の道を突き進むだろう。調子にのって、世界統一なんて言い出すのは序の口だ。
オルフェは涙をぐっとこらえる。そして、ぎゅっと俺を抱きしめて顔をあげた。
その眼には覚悟があった。
「お父さんが残した研究成果、今日中に全部廃棄する。それから逃げよう。あの人に渡すぐらいなら、全部ないことにしちゃう。無関係な人をたくさん殺して、思い出を守るより、お父さんもきっとそれを望んでる。焼いちゃったお父さんの研究成果も、私たちならいつか、自分たちの力でたどり着けるから……屋敷と思い出は帰ってこないけど、そこは私たちが我慢すれば、済む話だから。それに、ちゃんと心の中に残ってる」
誰よりも、その選択で胸を痛めるオルフェがそう言い切った。
感動の涙がこみ上げてくる。
俺が思っていたよりずっとオルフェは成長していたようだ。
「オルフェねえ。わかった……私たちは誇りあるエンライト。危ない研究物を纏めて廃棄する準備をはじめる。それから旅の準備を」
「あと、ニコラ、このことは」
「わかってる。シマヅねえとヘレンねえには秘密。たぶん話したら大変なことになる。私以上に、あの二人は血の気が多い。単独で暴れかねない。レオナねえにはしっかりと全部話す」
「だよね、屋敷が無くなること、なんて説明しようか」
「研究費が足りなくて、売っちゃった。てへっ。って手紙で書いておく」
「……私たちが殺されちゃうよ」
「ちょうどいい、ほかの国に旅に出よう。おもに、シマヅねえとヘレンねえから逃げるために」
そそくさと、危険な研究成果の廃棄と、逃げるための準備を二人は始めた。
二人の判断は父親としてうれしい。
だけど、それ以上のハッピーエンドを、このスライムボディと俺の知識なら提供できる。
さて、娘を助けるとしよう。きっと、そのために俺はオルフェの使い魔になったのだから。
「ぴゅぴゅーい(大丈夫、お父さんがついてるよ)」
「どうしたのスラちゃん?」
オルフェが首をかしげている。
さて、さっそく娘たちを守るために行動するとしようか。
ついでに二人を悲しませたあの成金デブにもしかるべき報復の用意を。
俺は、娘を泣かせるやつが世界で一番大嫌いなのだ。
……それと禁忌の発明のいくつかはちょろまかそう。うん、シャレにならない面白おかしいものがたくさんある。このスライムボディと組み合わせれば、史上最強のスライムにもなれるだろう。