プロローグ:大賢者はスライムに
祝! 書籍化。一巻がオーバーラップノベルス様から10/25(水)発売!
表紙を画面下部に用意しています。
病により命が終わろうとしている。延命せず、最後は住み慣れた家で安らかに眠りたいと頼んだ。
数々の伝説を残した大賢者マリン・エンライトともあろうものが、最後の望みがあまりにもありきたりで自分で自分を笑いたくなった。
我が人生に一片の悔いなし。
……とは言えないが、幸せな人生だったと思う。
こうして、可愛い娘たちに看取られながら逝くのだから。
「お父さん、いかないで」
今もこうして俺の手をぎゅっとにぎり、娘が涙を流している。血がつながっていないエルフの少女だが、本物の親子以上の絆が存在した。
この場には四人の娘たちがいる。
その全員が才能ある孤児だ。大賢者である俺が、彼女たちの才能に適した技術を叩き込んでいる。
「泣かないでくれ、オルフェ。俺は十分に生きた」
全力で走り抜けた五十年だった。
これ以上望むのは野暮だろう。
「でも、お父さんから学んでない魔術がまだたくさんある。もっと教えてください」
「甘えん坊だな。おまえも俺から【魔術】を引き継いだのなら、ここから先は一人で歩け。おまえなら俺の先を行ける。あまり、死に際で心配を残さないでほしいな」
俺は苦笑する。
三女、エルフのオルフェは、俺から【魔術】を引き継ぎ、【魔術】のエンライトと呼ばれるまでに成長した。世界最高峰の魔術士の一人。
その彼女は涙を流したままこくんと頷く。
視線を横にずらす。
「ニコラ、おまえは逆にため込みすぎて心配だ。もっと姉さんたちに甘えていいんだぞ」
「姉さんたちは頼りない。……むしろニコラが支えないといけない」
「ぷっ、おまえはしっかりものだな。俺が未完成で放り出した研究を完成させてくれ。【錬金】のエンライト」
「エンライトの名にかけて」
末っ子のドワーフのニコラは、胸の前で小さな手をしっかりと握り、俺の意思を継ぐと誓った。
彼女には俺のもてる【錬金】のすべてを叩き込み、【錬金】のエンライトとして超一流の錬金術師となった。
「シマヅ。【剣】の技術に関して教えることはない。今、おまえに必要なのは技術の先にあるものだ。戦い続け、学び続けろ。まだ先は長いぞ」
次女の狐獣人族のシマヅは平然とした表情だが、愛剣に添えた手が震えている。
俺の死を悲しんでくれているようだ。
「父上、助言感謝します。安心してください。必ず父上を越えて見せます。父上から譲り受けたこの剣に誓って」
「相変わらず、おまえはかたっ苦しいな。なにかあったら姉妹を守ってくれ。姉妹のなかで一番強いのはおまえだ」
「もちろんです。大切な家族ですから」
いつも無表情でストイックなシマヅが柔らかく微笑む。この笑顔を最後に見れて良かった。
うちに来たばかりのころは誰にも心を開かなかったのに成長したものだ。
「ヘレン。その【医術】で人々を救ってほしい。いつか何もとりこぼさなくないような理想の医者になることを祈っている。おまえならそれができる」
「はい、お父様。お父様の創り出した奇跡の御業。この力でたくさんの人を救って見せます。……そして父様と同じ病の人だって救えるぐらいにすごい医者になってみせます」
「はは、それはすごいな。向こうで楽しみにしているよ。ヘレンは長女として妹たちの面倒を見てやれ」
天使であり長女のヘレンが頷く。彼女には俺のもてる【医術】のすべてを叩き込んだ。
「オルフェ、レオナは帰ってこなかったのか」
「はい、レオナは父の試練を果たすまで帰れないって。伝言です……父に任されたグランリード王国の再建、無事果たしてみせます。それまで死ぬなって」
「無茶を言う。あの子に会えないのは寂しいけど、うれしいよ。実にレオナらしい」
人間であり四女のレオナに授けたのは、【王】として君臨する力。
俺はすべてを極めた大賢者だ。
俺の死で積み上げたものが失われるのを恐れて後継者を求めた。だが、俺のすべてを一人に受け継がせることはできない。あまりにも知識と技術が多岐にわたりすぎるのだ。
だから、それぞれの分野を一人ずつに継がせた。
【魔術】のエンライト。三女のエルフ、オルフェ・エンライト
【錬金】のエンライト。五女のドワーフ、ニコラ・エンライト
【剣】のエンライト。二女の狐獣人、シマヅ・エンライト
【医術】のエンライト。長女の天使、ヘレン・エンライト
【王】のエンライト。四女の人間、レオナ・エンライト
俺が鍛え上げ、そして想像以上に成長し、いずれは俺を越えていく愛しい娘たち。
……隠し子もいるのはこの子たちには秘密だ。あの子は闇に潜むことに意味があるし、実は昨日一足先に見送りに来てくれた。
「死ぬ前におまえたちの顔を見れて良かった。おやすみ。それから、オルフェ。前にもいったが俺の死体は……」
「わかってます。お父さんが安らかに眠るように作った霊薬が満ちた棺桶にですね」
「ああ、頼む。これが最期の言葉になる。……おまえたちのおかげで俺は幸せだったよ」
意識が遠くなる。
今、意識を手放せば二度と目を覚ますことはないだろう。
娘たちが必死に笑顔で見送ろうとしながら涙を流してる。
……やっぱり、幸せな人生だった。
◇
エルフの少女、オルフェ・エンライトは父の言いつけどおり、父が作ったという霊薬がたっぷり注がれた棺桶に亡骸を沈めた。
粘性の液体が死体を飲み込んでいく。
オルフェは愛おしそうにその頬を撫ぜて、その唇を見つめて……顔を赤くし、ぶんぶんと顔を振った。
名残惜しそうに蓋をしめる。
「さよなら、お父さん」
大賢者マリン・エンライトの生涯は幕を下ろした。
◇
棺桶に満ちた霊薬は、大賢者マリン・エンライトの肉体と魂を溶かし吸収していく。
この霊薬の正体は、大賢者マリン・エンライトがその生涯をかけて作り上げた試作品。魂を持たず、すべてを吸収し、【無限に進化し続けるスライム】。
大賢者マリン・エンライトはただ穏やかに死を受け入れたわけではない。
新たな命への可能性を残した。魂のない器に己の魂を移す。
そのために、もっともすぐれた器として、魂がからっぽで無限に進化し続けるスライムを選んだ。
無限に進化するということは、無限に適応力があるということだ。なんでも受け入れるし、なんにでもなれる。そう、大賢者の思考能力と魂でさえも吸収して身に着けることができる。
大賢者の魂と肉体を溶かし吸収しきった空っぽのスライムは大賢者の魂を得た。
そして、命が宿る。
どくんっ、棺桶に満ちた霊薬が脈打つ。その動きはどんどん大きくなり蓋をはじきとばした。
そして、中身がはい出てきて一か所に集まる。そして立派な人の頭大のスライムになった。
『ふう、いやあ、やってみるものだな。まさか成功するとは。こうなるように調整したとはいえ、成功率はよくて三割だからな』
スライムは思考する。
その思考は大賢者マリン・エンライトのものだった。
彼はこの研究を娘たちに言ってはいない。
そもそも成功率が低すぎて余計な心配はさせたくない。いくら延命のためとはいえスライムに身をやつすことを嫌がるかもしれない。
……なにより、あの子たちが先に行くには親離れが必要だ。これ以上は自分の存在が彼女たちの歩みを邪魔する。
『それに、そろそろ俺も自由がほしいしな』
好きなことを好きなようにやりまくっていると、自然に権力者に目をつけられたり、ありとあらゆる分野の専門家たちから嫉妬をされまくったり、変な義務感にかられて、わりとしんどかった。
娘たちは可愛いし、教えるのは楽しかったが、それはそれ、これはこれである。
肉体はリフレッシュ、若返って精力が充実している。
これからは新たな人生を楽しくて生きていこう。いや、スライム生か。
鏡の前にいく。そして己の姿を確認した。
『俺、スライム』
あえて思考に出して確認する。
完全にスライム。すべての英知を注ぎ込んで作った【無限に進化するスライム】とはいえ、まだまだほとんど素体状態。
さっさと、いろいろ吸収して強くなろう。
今のままだとまずい。魔術回路の構築を試みるが弱すぎてそれすらおぼつかず、ろくな魔術も使えない。低級冒険者にすら一撃で殺されかねない。
まずは……。
『ひと眠りだ』
夜は危険だ。外とかでると魔物がたくさんうごめいている。
新たな人生、もといスライム生を思い描きながら、大賢者は棺桶にもどりぐっすり眠った。