転生編
「この世界はつまらない」
それが俺の口癖だった。だがそれが、俺の最後の言葉になるとは思いもしなかった──。
急な夕立が降った日だった。その日、傘を持たずに学校から帰っていた俺は、鞄で突然の雨を防ぎつつ、走って雨宿りできるところを探していた。
ついてないぜ。こういう日に限ってバスを逃しちまうなんて。
そんなことを考えながら歩道を走っていた、次の瞬間である。
俺の体に電撃が走った。
比喩ではなく、本当に、ビリビリという電撃に襲われたのだ。
俺は、雷に打たれたのであった。
そこからは、記憶がない──。
気がつくと俺は、見知らぬベッドに横たわっていた。
石造りの壁と天井が目に入る。…西洋風の建物の中なのか。
「……セーバー様!目覚められましたか!」
女の子の声が聞こえた。
うっ……
声のした方を向こうとしたが、体が重くて動かない。
なんだこの倦怠感、感じたことがない。起き上がるのは厳しそうだ。
「セーバー様、体調の方は大丈夫そうですか?」
姿はまだ見えないが、女の子は俺に話しかけているようだ。セーバー様ってなんだ?俺の事っぽいが。
何とか首を動かして声のする方を見ると、女の子の顔が見えた。
うわ、かわいい。
「セーバー様!まだお体に慣れていないのですね、まだ安静にしていてください」
声は幼く聞こえるけれど、年齢は俺と同じくらい……15、16歳くらいか。
しかし、体に慣れてないってどういう意味だ?そしてここはどこなんだ?聞きたいことが山ほどある。俺は彼女に話しかけた。
「────」
話しかけた。話しかけたつもりだったのだが声は出ず、声になるはずだった空気はスカスカと喉を通り抜けていった。
……声が出ない。
「セーバー様、あまり無理はなさらないでください。セーバー様の今のお体は、お声を出すことはできません」
今の体……?そうそう、俺は雷に打たれたっぽいんだよね。ビリビリって。よく無事だったな、俺。雷に打たれて声が出なくなっちまったってことか……?
「……セーバー様、いきなりで意味不明かも知れませんが、聞いてください。あなたは異界より転生し、魂のみが依代へ憑依している状態なのです」
え?なんですと?
「セーバー様、混乱も多いとは思いますが、説明させていただきます。セーバーとは神シガール様に認められ、異界より転生した者が務める神職です。魔を封じ、その魔の出で立ちや振舞いを民に伝聞させることがセーバーの務めです。
その務めの中で偽りが伝わらぬよう、シガール神は声と文字を取り上げたのです」
何をとんちんかんなこと言い出すんだこの娘は。異界?転生?なんだそりゃ!
しかし言い返すことも体を動かすこともできない現状では、ただ彼女の話に耳を傾けるしかなかった。
「申し遅れました、私はセーバー様をお手伝いさせていただく巫女、ステラ・オステウスです。至らぬ点も多々あるとは思いますが、よろしくお願いいたします」
この娘はステラっていうのか。そして俺魔を封じるセーバー様、と。
言われてみると彼女の服装はエスニックな感じ?の巫女って雰囲気だ。テレビゲームだと毒とか治してくれそうな感じ。
異世界なんだな、ここは。俺が異界より転生した、ってことは。……いわゆるファンタジーの世界に来ちまったと思えばいいのだろうか。無理やり自分を納得させる。
「セーバーは巫女と共に魔を封じる旅をします。剣や魔法で魔物を討伐し、行く先々で魔物を舞踊や絵画を通して民衆に伝え、その対価として食事や寝床を提供してもらうのです」
ふむ……主にやることといえば、魔物をぶっ倒すってことね。日本で普通の高校生やってた俺には荷が重いなあ。……そういえば、彼女が喋っているのは日本語じゃない。日本語じゃないのに、内容は自然に理解できた。不思議なものだな。
「旅をする、といいましたが、それは一般的なセーバーの話。ここ、王都トーフォルアに転生されたあなたは、王の勅命を受け魔物を討伐し、王都を守ることが仕事となるでしょう」
セーバーってのはこの世界にいっぱいいるのか。その中でも俺は都会スタートだからラッキー……なのかな?
「セーバー様はこれからこの神殿を住処として、私と共に生活をしてもらいます。身の回りの世話は私におまかせください。この神殿は結界に守られていますので、弱い魔物や小動物は入ってきません。安心して生活してくださいね」
うおっ、この娘と共同生活なのか。こんなかわいい娘と二人っきりなのかな、ちょっとドキドキ。
「まだ依代の体にも慣れずお疲れでしょうから、どうか無理はなさいませんように。しっかりと休んでくださいね」
そう言うと彼女は視界から消えていった。
確かに今は少し休んだほうがよさそうだ。俺はゆっくりと目を閉じた。
──異世界に転生、か。今までの生活には飽き飽きしていたんだ、ちょうど良かったのかもしれない。
刺激のない世界で、刺激のない生活。そんな現状から抜け出したいと思っていたんだ、ちょうどいいじゃないか。
しばらくすると、体を動かせるようになっていた。手を見てみると、見慣れた自分の手より少しゴツゴツしていた。腕もいくらか筋肉質なようだ。
……転生、したんだな。
今見ている手は依代になった人の体で、元々の俺の体じゃない。元の日本の高校生だった俺の体はどうなっちまったんだろう。……死んだのかな。
この体に俺の魂が入ってるってことは、元のこの体の持ち主の魂はどうなってるんだろう。脳死とかで死んだ人の体を借りてんのかな。
体を見てみて、これが冗談だったり夢の中の話じゃない確証を持てた。いや、夢の中である可能性はまだあるが、ステラの話を信じるには十分過ぎた。
ベッドの上で体を起こしてみた。部屋は普通の家の中という感じで、ステラが言っていた神殿、という感じはしなかった。
目につくものといえば、壁に立てかけられた剣と、あれは……画材、か?
セーバーの仕事は魔物を倒して絵を描く事って言ってたもんな、セーバー様の仕事道具というところか。
「セーバー様!もう起き上がれるようになったんですね!」
扉が開き、ステラが入ってきた。お盆に食器を載せて持ってきたようだ。
「お食事を持ってきました」
ステラはお盆をベッドのすぐ近くにあるテーブルに置いた。いいにおいがする。
みたところシチューにサラダ、雑穀のおかゆのようなもの、そして食器はスプーンとフォークだった。どうやらここは異世界だが、文化は知ってる世界に近いらしい。少し安心した。
さっそくスプーンを手にとってシチューを食べてみる。なかなかのアツアツだ。味はなんとも普通にうまかった。まろやかでクリーミーな…安心するシチューだ。
「お口に合いましたか?」
ステラにそう聞かれて、「美味い!」と口に出そうとして、また声が空転した。そうそう、喋れないんだった。この料理が美味いことを、喋らずにどうやって伝えたらいいんだろう。あたふたしたが、とりあえず笑顔で親指を立ててみた。
「ふふっ、よかったです」
通じたみたいでよかった。ハンドサインとかは文化の違いで意味が全然違うかもしれないな、今度から気をつけて使わないと。
食事を始めてから気がついたが、俺はひどく腹が減っていた。依代の体は、おそらく長い間食事をとっていなかったのだろう。俺はあっという間に食事を平らげてしまった。
「おかわりもありますよ」
俺は器を差し出して、シチューのおかわりをもらった。ステラは甲斐甲斐しく働いてくれる。メシも美味い。なかなかいいところじゃないか、異世界も。
しかし、喋れないのは思ったよりも不都合が多かった。料理のお礼がしたくても、「ありがとう」を伝える術がない。歯痒いもんだ。……そうだ、『アレ』でお礼をしよう。なんてたって俺は『天才』だもんな。
ステラは食器を片付けて、しばらくしてからまた部屋に戻ってきた。
「セーバー様、ご気分は…えっ!?」
ステラに差し出したるは、彼女そっくりの似顔絵である。
「すごい!私、こんな綺麗な絵に描いてもらったの初めてです!しかもこんな短時間で…」
ふふふ、喜んでる喜んでる。何を隠そうこの俺は、『天才絵師』なのだ!
「あの、セーバー様!絵をリクエスト、してもいいですか?」
俺はこくりと頷く。
「私の全身像を描いて欲しいんです!正面から見たのと、横から見た絵をお願いします!」
また俺はこくりと頷いて、ステラに少し離れたところに立ってもらった。
「正面からはこんな感じでいいですか?」
ステラに横を向くように指示を出す。手をくいっくいっとやって。
「え?まだ正面からの絵描いてないのに横向いちゃっていいんですか?」
いいんです。『天才』たる所以はそこにある。俺は対象を一瞬見ただけで画像を記憶し、絵に描くことができる。一瞬でいいのだ。
俺はキャンバスとパレットを手に取り、小瓶に入った粉の絵の具を水に溶き、色を作り始めた。使ったことのない絵の具だが、そこはなんとかなる。天才だから。弘法は筆を選ばず、だ。あ、ステラさんはもうポーズ解いていいですよ。
「もしかして全部記憶で描いちゃうからモデルは静止してなくても大丈夫なんですか?すごい!描くところ見ててもいいですか?」
ステラは俺の横に来てキャンバスを覗き込んだ。なんかいい匂いがした。
天才である俺の絵は、上手くて早い。正確に描くだけでなく、女の子は可愛く美しく描くのだ。なんてったって俺は、女の子の絵を描くのが大好き絵師だからな。
あれよあれよと言う間に、ステラの全身像の絵が仕上がった。
「すごーい!あっという間にこんな綺麗な絵ができちゃいました!」
できた絵はステラにあげる。これが俺からの、ほんのお礼だ。
「ありがとうございます!宝物にしますね!」
ステラは輝くような笑顔をみせた。
俺はこれから始まる異世界生活に希望を感じ、ちょっとワクワクし始めていた。