第8話 陛下と王妃と騎士の儀式
1章最終話です。
あたし達は近衛騎士のコルネリウスさん達と分かれた。ここから先はアサルさんが案内してくれるんだって。
「では行きましょう」
アサルさんの後に続いて王城の広い廊下を歩いて行く。とっても高い天井には明かりが沢山ぶら下がってる。おかげで廊下も明るいの。外周部は大きな窓もあって柔らかな日差しが入ってきてる。冬なのに日だまりみたいにポカポカしてるの。見る物ぜぇぇぇんぶ気になっちゃうのよ!
「すっごぉぉい!」
「お嬢様、さっきからそれしか言ってません。それと淑女はキョロキョロしませんよ」
「仕方ないじゃない、驚く事ばっかりなんだもん!」
「それは否定しませんけど……」
廊下を歩いてる人も沢山居て、あたし達をじろじろと見てくる。特にアサルさんは眉を顰めて見られてる。何でなんだろう?
獣の仮面を真っ直ぐ正面に向けながら気にせずに音も無く歩いてる。気を抜くと見失っちゃうくらい音がしないの。
あたし達はといえば好奇の目で見られてる。だって見かけた事もない顔だもんね。王城に来た事はあるけど、ホントに小さい時だったもの。あたしの顔を知ってる人なんてほとんど居ないはず。王妃様を除いてはね。
こっちを見てる人は大抵ポカーンって顔してる。あたしってそんなにおかしな顔してるのかしら?
「あたしの顔って、そんなにおかしい?」
横を歩いてるルティに首を傾げて聞いてみた。ホントに自信なくしちゃう。
「あの、鼻血が出るほど愛くるしいんですが?」
言いながら鼻を押さえてちょっと上を向いた。
「ちょっと、こんな所で何してるのよ」
「お嬢様、可愛く、です」
最後にはいつもの言葉が飛んできた。もぅ、分かってるわよ!
廊下ですれ違う女の人はみんな綺麗なの。お化粧もばっちり決まってて、うっすらとしか化粧をしてないあたしは恥ずかしくなっちゃう。だって綺麗にお化粧してる人が睨んでくるんだもん。王城なのにみっともない、とか思われてるんだろうな。こんな事ならきっちりお化粧してくれば良かった。
「あぁ、そのアンニュイな表情、反則です」
ルティは更に耳もピクピクさせて悶えてる。
「何が反則なのよ!」
もう。失礼しちゃうわ!
「まずは陛下にご挨拶して頂きます」
あたし達がいつもの言い合いをしていたらアサルさんが声を掛けてきた。やだ恥ずかしい、聞かれちゃったわ……
ひときわ大きくて彫り込みも凄い、芸術品みたいな扉の前で止まった。アサルさんは厳かにノックをする。
「アサルです。イシス様をお連れ致しました」
声を掛けてから数秒して、中から「入れ」と許しが出た。この扉の向こうに国王陛下がいらっしゃるんだ。どんな方なのかしら。怖い方だったらどうしよう。
アサルさんが振り返って少しお辞儀をしながら「ルティ嬢もお入りください」と言ってきた。言われたルティは「わ、わたしもですか!」と大きめな口をぐわっと開けて驚いてる。普通、侍女は謁見なんてできないもの。
「失礼します」
アサルさんが一声掛けてガチャリと扉の取手を回した。なんか重々しい音。一つ一つが仰々しい。
威厳たっぷりの音を立てて仰々しい扉は開いていく。部屋の中はさほど大きくはない。壁も天井も落ち着いた白なんだけど、金色に縁取られててぐっと高級感が増してる。小さめのシャンデリアが吊されてるその部屋の奥には、みるからにふかふかそうなソファに男女ふたりの人が座っている。
男の人はちょっと太めだけど、優しそうに青い目を細めてあたしを見てる。大きな三角耳がのった濃い金髪を短めに切り揃えて、清潔感ばっちりなこの人がエドゥアルト・カルステン国王陛下なんだ。
女の人はヴィルマ ・カルステン王妃様。あたしと一緒でハニーブロンドの髪に翡翠の目。ほっそりとしてるけど女性らしい体つきですっごい羨ましいの。あたしは人並みなつもりなんだけど、叔母様には勝てない。
あっと、挨拶しなきゃ失礼ね!
「お目にかかれて光栄で御座います。ウィザースプーン公爵家次女のイシス・ウィザースプーンで御座います。後ろに控えているのは侍女のルティ・ストッパードです」
あたしに続いてルティがちょこんとスカートをつまんで礼をする。ふぅ、おかしくなかったかしら?
「イシス、良く来たな。アサルもご苦労だった」
陛下が、意外にも低い良く通る声で話しかけてきた。アサルさんは深々と礼をすると部屋にある別な扉の向こう側に消えていった。
「イシスちゃん。ルティ。お疲れ様ですね。疲れたでしょう」
ヴィルマ叔母様は微笑みながらゆっくりとした口調で労ってくれた。久しぶりに見る叔母様はなんだかふっくらしたみたい。
「いえ、成人してから初めての王城なので楽しみに来ました!」
にっこりと答えると後ろに控えてるルティから「楽しみに来ちゃダメですよ!」とツッコミが入った。んもう、分かってるわよ!
「ははは、さすがヴィルマの姪っ子だ」
陛下が愉快そうに笑ってる。その横では叔母様が「どういう意味ですか?」とほっぺを膨らませてる。「はは、冗談だよ、冗談」といって頬にちょっぴり触れるくらいのお詫びのキスをしてる。「もう人前で!」なんて言いながらも嬉しそうな叔母様。
あたしの目の前には政略結婚で嫁がされた叔母様なんて居なくて、幸せそうな夫婦の姿があるだけ。というかスイート過ぎて見てるのも恥ずかしいくらい。どうなってるの、これ?
あたしが呆れて見てると、陛下が「うぉほん」とワザとらしい咳払いをした。
「詳しい事はこの後に侍女長のヴュステマン女史から説明があるわ。その前に伝えたい事があってね、疲れてるところ申し訳ないんだけど来てもらったの」
叔母様は眉を下げてあたしに語りかけてくる。王妃様なんだからそんな事気にしなくていいのに!
「うむ、アサル」
「御意」
いつの間にか黒から青いローブへと着替えた獣の骸骨があたし達のすぐ後ろで空気に溶け込んでいた。ローブの前が空いていて、青い騎士服が覗いてる。その横にはちっちゃいヴァジェットさんもいて強張った顔をして立ってた。
ふたりは音もなく陛下に近づくと、すぐ傍らに直立不動で控えた。空気が張り詰めてピシって音が聞こえてきそう。
「コウンカルエム伯爵が3男、親衛騎士アサル・コウンカルエムです」
周囲の空気が避けて見える程滑らかに騎士の礼を行う獣の仮面の騎士。頭が起き上がってくる瞬間、窪んだ骸骨の眼底には藍色の宝石が見えた。
「親衛騎士の従者ヴァジェット・ホルアクティです」
陽炎みたいに気配を感じさせない小さい従者が深々とお辞儀をしてきた。スミットの街で見たお辞儀とは比べられないくらい流麗なお辞儀だ。
あたしもルティも見惚れてて声も出ない。
「あの身のこなし。相当の使い手ね……」
あたしの後ろから、かすかな呟きが聞こえて来た。
「今から申し伝える事は他言無用だ。決して口外してはならない」
今までの優しい笑みが嘘みたいにきりっとした陛下が語気を強めて言い切った。
「無礼を承知で申し上げます。私はただの侍女でしかありません。お聞きする立場には」
「いいえ、むしろ聞いて欲しいの」
凛としたルティの声が響きわたる前に王妃様の強い言葉が覆いかぶさった。後ろからはハッとする気配が伝わって来る。
この部屋は誰も音を発せられない状況に襲われた。空気が皮膚に刺さるみたいで、怖い。
「イシスよ、そなたをアサルが持つ特殊な能力で護衛する特級護衛対象とする。その対象となっているのは、余とヴィルマ、そしてお前しかおらん。努々(ゆめゆめ)口外することが無いようにな」
陛下の言葉と同時に獣の骸骨が空気からするりと抜け出たみたいにあたしの前に恭しく跪いた。
な、なんなのコレ?
アサルさんはあたしの右手を優しく包むように握って来た。あの暖かくじんわりとした波紋が手を伝わって身体中に広がっていく。髪の毛の先まで伝わって身体中が暖かくなる。
左手でぐっと獣の仮面をずらすと、あたしの手の甲にふわりと唇を落としてきた。一際強い熱波があたしを襲い、ゆっくりと手は離されていった。
仮面を戻して青いローブの中から長剣を取り出し、刃の部分をしっかりと掴んであたしに柄を向けて来る。
これって騎士の儀式? あたしが任命するの?
差し出された長剣は微動だにせず、あたしが握るのを静かに待ってる。ちらっと陛下と王妃様を見れば、小さく頷いた。唇をぎゅっと噛んで覚悟を決める。
よくわかんないけど、これでアサルさんはあたしを守ってくれるんだ! 喜ばなきゃ!
差し出された柄を両手でぎゅっと握る。思った以上に重くてふらつきながらも、ぐいっと持ち上げた。アサルさんは右肩を手前に出し、剣が置かれるのを待ってる。短く息を吸い込んでアサルさんの肩に狙いを付けると、トスンと音を立てて剣は肩に落ちた。
「アメンの神に誓ってイシス様をお守りいたします」
淀みのないテノールの声が部屋に木霊していった。
これであたしはアサルさんに守られる事になった。どうしてなのかは王妃様も教えてくれなかった。分からない事ばかり。
でもあたしに顔を寄せて「初恋はね、実ったりもするのよ」と囁いてきた。
ハッとして見つめるけど、にんまりとしたヴィルマ叔母様はそれっきり何も教えてくれなかった。
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