第6話 銀色のお兄さん
部屋に戻ったあたしの頭の中には、もうあの銀色のお兄さんでいっぱいだった。どうやって部屋まで戻って来たかもよく覚えてない。気が付いたら部屋に辿り着いてた。
廊下で会った青いローブの男の人の声は間違いなくアサルさん。獣の仮面が無くて籠もった声ではなかったけど、あのテノールの声はそうだ。一瞬目があったその瞳は夢にまで見た『あの人』と同じ藍色だった。あの優しい声も、あたしの思い出にある『あの人』のものだった。
もしかしたら思い出が違っていたのかもしれない。あたしの希望が混ざってしまっているのかもしれない。でもあの不思議な、怪我が治っちゃう力は間違いない。
王妃様の手紙にあったが「アサルは特別」っていうのは、この事なのかな? 藍色の瞳に目を奪われて本当に一瞬しか見る事が出来なかったけど、顔に酷い傷がある様には見えなかった。あたしの記憶にある『あの人』の顔だった。
じゃあなんで仮面なんか付けてるの? どうして不気味な仮面なんか付けてるの?
あたしを見ても分らないのは理解できる。あたしは小さかったし、8年前のあの時しか会ってないもの。記憶にも残らないよね。悲しいけど……
「………嬢様! イシスお嬢様!」
気が付けばルティがしゃがんで心配そうに顔を覗いてきてる。スカーレットの長い耳もペタンと垂れちゃってる。
「ご、ごめん。考え事してたの」
考えすぎててルティに話しかけられてるのに気が付かなかった。『あの人』の事になるとダメね。
「何か心配事ですか?」
「ん~ん、何でもないよ。今日は疲れちゃったからもう寝よう!」
あたしはルティの返事も聞かずにするっとベッドに潜り込んで自分のふさふさ尻尾をぎゅっと抱きしめた。後ろから小さいため息が聞こえる。
心配かけちゃってごめんね。あたしの頭の中が疑問でぐるぐる回ってて良く働いてないの。
「分りました、もう寝ましょう」
隣のベッドにルティがコロンと転がった。毛布をきちんと掛けて仰向けになって天井を見てる。
「……明日は王城に着くんですね」
隣から呟く声が聞こえる。ルティも王都での生活はやっぱり不安なんだろうね。今みたいにあたしが不安定だったらルティも不安定になっちゃうよね。あたしがしっかりしないと!
「……頑張らなくっちゃ!」
「頑張って『あの人』を見つけましょう!」
あたしを励ます言葉が聞こえてから、すぐに気持ちよさそうな寝息が漏れてきた。今日は一生懸命気を張って疲れてたのかしらね。
「ありがとね、ルティ」
『あの人』は多分見つかった。間違いはないと思う。でも、なんで獣の骸骨の仮面なんて付けてるんだろう。8年前の時はそんなの付けてなかった。あたしの知らない8年間に何があったんだろう?
もぅ、悩んでても仕方ない! あたしらしく突撃あるのみだ!
明日でもふたりっきりになった時に聞いてみよう。
「む~ねむい……」
結局頭の中で『あの人』がぐるぐる回ってて殆ど寝られなかった。瞼が重くて持ち上がらない。
「お嬢様、起きてますか?」
「お~き~て~る~」
ルティが顔を覗いて来る気配がするけど、あたしの瞼は開かないの。錘でも付いたみたい。ルティは寝ぼけてるあたしの長い髪を梳かしてる。今日もドレスじゃないから着替えるのは後なのよ。コルセットをやらなくても済むだけ楽ね。
「昨晩は寝られなかったようですが、どうかされましたか?」
「……後で話すね」
「…………承知いたしました」
その時、コンコンと扉がノックされた。
「おはようございます。朝食のご用意が出来ました」
扉の向こうからアサルさんの声が聞こえた。そのテノールの声にあたしの呼吸は止まっちゃって、頭の中は真っ白になっちゃった。心臓がいつもより真面目に動き始めて、手が勝手に動いてルティの口を塞いでた。
「は、はい、行きます!」
あたしの口が勝手に動いた。あたしがあたしじゃないみたい。我に返りルティの口から手を離すと「……お嬢様?」と首を傾げて見てくる。どうしよう、顔が熱い。
ふたりの準備が出来て扉を開ければ、そこには黒いローブ姿の獣の骸骨が空気に溶け込むように佇んでいた。「おはようございます!」と元気に挨拶をしてじっとその仮面を見る。でも骸骨の中に藍色の瞳の姿はなかった。
「昨夜はありがとうございました!」
アサルさんの声ですっかり眠気が吹き飛んだあたしは、「愛くるしい」と言われる笑顔を武器に突撃した。まずは昨晩のあの男の人がアサルさんなのかを確認するのよ!
あたしの言葉にアサルさんの大きな耳がピクっと動くのが見えた。腕が静かに動いて、獣の骸骨の口の先に立てた人差し指がふれた。
あ、あの時の仕草と同じだ! 顔が勝手に緩んでいっちゃう。
「アサル様。お嬢様に何かなさったのですか? 返答次第では只ではおきませんよ」
いつもの5割増しくらい怖い声でゆらりとあたしの前に入って来たルティがスカートをたくしあげ、腿に括り付けてるナイフに手を添えた。スカーレットの耳はピンと立って戦闘態勢に入ってる。
「いえ、特には」
獣の骸骨はゆっくりと左右に動いた。
「本当ですか?」
ルティは首だけあたしに向けて詰問してくる。
「守って貰ったの」
あたしは笑顔で答えておく。まだルティには話をしていないものね。
アサルさんは一礼すると黒いローブを翻して、音もなく廊下を歩いていった。
「本当は、何があったんですか?」
ルティの首がコテンと傾けられる。
「ふふ、あとでね!」
昨晩のあの男の人はやっぱりアサルさんなんだ。間違いない!
後はあの仮面の下の顔を確かめなくっちゃ! 頑張っちゃうんだから!
朝食を済ませて支度が済んだら出発だ。王都まではこの国を横断してる交易路を走るんだって。雪もどかされてて走りやすいみたい。
今日の護衛はコルネリウスさんと部下の近衛騎士ふたりの3人だけ。アサルさんは先行しているのか姿が見えない。
「なんだぁ……折角お話しが出来るって思ったのに」
護衛してくれないのかぁ……あたしって第1級の護衛対象じゃなかったのかしら。寂しいなぁ。心なしか尻尾もしょげてる気がする。
並走してる近衛の騎士さんは爽やかに笑ってるけど、お腹は真っ黒さんかも知れないから信用しないの。副団長のコルネリウスさんもそうなのかなぁ? にこやかに馬を操ってる姿からは想像できない。
「ふわぁ~~」
なんか眠くなってきちゃった。アサルさんがいないから緊張の糸が切れちゃった。
もう瞼が重くて開かない。もう開かないよ……
「……嬢様、そろそろ着きますよ」
「むにゃ?」
ルティに揺り起こされて寝ぼけながら起き上がった。馬車はゴトゴト動いてるけど、窓からの景色が変わってる。周りには馬車が沢山走っていて、交通量も多い。人も一杯歩いていてザワザワしてるの。
道はすっごい幅広くなってて地面も石畳に変わってる。馬車の揺れも少なくなって快適! これならよく寝れそう!って寝ちゃダメよね。でも結構寝れたからか頭はすっきりしたわ。
「……正面には王都が見えますよ」
御者の声に誘導されるように窓から乗り出して正面を見れば、左右に広がる灰色の巨大な壁と、その奥に聳え立つこれまた巨大な真っ白い城が見えてきた。白いとんがり帽子の高い塔が日の光に包まれてキラキラ輝いている。
「すっごぉぉぉい!」
思わず絶叫よ! だってスケールが凄いんだもん。
「交易路を囲う様に建設された王都セネドとその城下町です。人口5万人を誇るカルステン王国最大の都市です。3重の城壁に囲われた難攻不落の要塞でもあります」
御者からの声が説明してくれる。
「へぇ~凄いんだ~って、あれ?」
聞き覚えのある声に御者席を見てみれば、そこにいるのは獣の仮面を付けたアサルさんだった。獣の骸骨が白い息を吐き、手綱を握りながらあたしに教えてくれていた。
あれ、朝はいなかったわよね?
「アサルさん、いつからそこに居たんですか?」
「……最初からおりました」
獣の骸骨はさらっと答えてきた。
あら、あたし寝ぼけてて見落としてたのかしら。御者として乗ってたんなら隣に座っちゃえばよかったなぁ……そうしたらいっぱいお話しも出来たかもしれないのに。あぁ、勿体無い事した!
「なんで教えてくれなかったんですか?」
ぷぅと剥れたあたしの問いにアサルさんは「目立たないようにしていましたので」と答えてくる。そんな不気味な仮面を付けてて目立たない訳ないじゃない!
確かに周りの視線は気味の悪いアサルさんに集中してる。でもあたし達の馬車も近衛騎士が3人も並走してて、しかもウィザースプーン公爵家の紋章が入ったがっしりとした馬車だもの。あたし達は良く目立つわよね。
ちなみにウィザースプーン公爵の紋章は牛の角と太陽円盤。由来は知らないけどね。
「お嬢様、はしたないのでそろそろ中に入ってください」
ルティから不機嫌そうな声が聞こえてきた。あたしがアサルさんと話してるのが気に入らないみたい。うーん、後でちゃんと訳を話そう。そうしたら協力してくれるはずよ!
あたしが馬車の中に入って座りながら外を眺めてると近衛騎士が嫌そうにアサルさんを横目で睨んでるのが目に入った。何なのかしら? 『あの人』を睨むなんて失礼しちゃうわ!
もう近衛騎士なんか信用しないんだ! ふ~んだ!
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