第6話 迷子の侍女
「湯殿まで結構距離があるのよね。う~寒い」
「そうなんですよ。水回りを集約する都合があるとかで遠いんです」
白い息を吐きながらふたりで薄暗く冷え切った廊下を歩いて行く。ここには王族とあたし達みたいな貴族と下働きの下女用の3つの湯殿がある。
当然王族の湯殿はそれぞれのお部屋から近い場所にある。まぁ当然よね。でも働いてる貴族用の湯殿はあたし達侍女の割り当てられた部屋からは遠い。湯冷めしたら風邪引いちゃうわ。
「あれ、こんな所にきましたっけ?」
ルティがキョロキョロ周りを見ては首を捻って考えてる。ここは明かりも少なくて薄暗くて寂しい感じ。どう考えても湯殿があるとは思えない。もしかして迷った?
「考え事をしていたら、どうも道を間違えたようです」
スカーレットの耳がしゅんとしちゃってる。そんなの気にしなくて良いのに。
「王城には来たばかりだし、まだまだ覚えられないわよ」
「ですが……」
「あたしが途中で気が付けば良かったのよ」
あたしのフォローにもしょげちゃってる。折角の美人さんが台無しよ。
「じゃあ一端部屋に戻ろう。ここから探すよりも部屋に戻ってから向かった方が早くつくわよ」
「申し訳ありません」
寒い中でウロウロしてたら風邪引いちゃうものね。
ふたりで部屋に向かって歩き始めた時、あたしは床の何かに足を取られて顔からベチンと倒れた。
「いったぁ~い! もぅなんなのよ!」
「お嬢様! 大丈夫ですか!」
転んだ拍子に鼻を思いっきりぶつけた。あたしって何故か転びやすい体質なのよね。1日1回は転んでる気がする。
床にぺったり座り込んで何に引っかかったのかと思って探せば、何故か石の床に釘が刺さっててちょっぴりだけ頭が出てる。
「何でこんな所に釘が出てるのよ!」
床をバシバシ叩いちゃった。もう、また釘? あたしって釘に好かれてるの?
「……大丈夫、ですか?」
座り込んでるあたしの上から声が掛けられた。「へ?」と声がした方を見上げればそこには獣の骸骨が真っ暗な目であたしをじっと見つめてる。
「ぎゃぁぁぁ!」
「うわぁぁ!」
あたし達の悲鳴が人気のない廊下に木霊した。
「治療しますので顔を見せてください」
跪いてるアサルさんに言われるがまま強かに打った顔を見せる。痛いのと驚いたので涙ぐんでる可愛くない顔だけど仕方ない。暗闇からヌッと出てくる獣の骸骨が悪いんだ。
「ちょっと待ってください。私がいても良いのですか?」
ルティが不安そうな目で獣の骸骨に訴えてる。どうなんだろうとあたしもアサルさんを見る。
「ルティ嬢はあの場にいましたので」
獣の骸骨はさらっと答えてきた。
「大分強く打ちましたね……赤くなってしまってます」
まじまじとあたしの顔を見た後にふわっと手を翳してきた。アサルさんの手からあの暖かいモノがじんわりと染み込んでくる。
あぁ、これだ。また治して貰っちゃった。気持ちよくてつい目を瞑っちゃう。
「手が、青く光ってる……」
ルティの小さく囁くような声が耳に入って来た。驚いてるのか声がかすれてる。あたしが目を開けようとしたら「終わりました」と声が掛かった。目を開けた時に見えたのはアサルさんの掌だった。よく見ると剣ダコとかマメがある迫力のある掌だ。
「ありがとうございます!」
治して貰ったんだもん、お礼はしないとね。アサルさんはあたし達の持ち物をちらっと見て「湯殿は真逆ですよ」と教えてくれた。
「あれ、まったく違う方に来てたんだ」
「女官舎といえど、ここは裏手で、夜は安全とは言いがたい所です。近づかないようにお願い致します」
アサルさんによれば、ここは厨房なんかがある女官舎の裏手になるんだって。食材とか運び入れる入り口があるから、侵入者が入ってくるかも知れない場所なんだって。もちろん鍵は掛かってるんだけどね。王城にもこんな危険な場所があるのね。
「でもそんな危険なところで何をしてたんですか?」
危険な裏手とは言え女官舎だもんね。アサルさんは特別に入れるのは知ってるけど……
「女官舎の裏手は人もいない上に薄暗くて、鍛錬をするにはちょうど良いんです」
アサルさんは立ち上がりながら答えてくれた。鍛錬をしていたら叫び声が聞こえたんだって。それで急いで駆けつけたらあたしが床をバンバン叩いてたってわけ。
あたし、恥ずかしいところしか見られてないじゃない……穴があったら入っちゃいたい。
「ルティ嬢。私のこの力の事はくれぐれも内密にお願い致します」
「は、はい……」
アサルさんは有無を言わせない強い口調だ。ルティも気圧されてる。
「湯殿はここを直進して右に曲がって行けば見えてくるはずです」
「わ、分りました」
獣の骸骨はあたし達に騎士の礼をすると青いローブを翻して薄暗い廊下に溶け込むようにいなくなった。
あの寂しい女官舎の裏手から湯殿に向かってふたりで並んで歩く。
「不思議な力ですね」
「うん。でも凄いよね」
あの力がアサルさんの特殊な力なんだと思う。いままで王国内にそんな力を持ってる人が居るなんて知らなかった。外国でもそんな話は聞いた事は無い。
あたしが物を知らないだけかもしれないけど。でも有名だったら名前くらいは知れ渡ってるよね。
「相当鍛え上げられた身体のように見えました」
ルティは顔だけあたしに向けてきた。顔は真剣だ。
「私に近付く気配すら感じさせないんです。只者ではありませんね」
「やっぱりそうなの?」
あたしは武芸とか全然分からないけどお姫様抱っこされた時に感じた筋肉は凄かったもん。それに国で一番と二番とか言ってたしね。
「アサル様はなぜ、『死神』なんて言われてるんでしょう?」
ルティは真っ直ぐ前を向きながら呟いた。
「死神?」
「先程私が湯浴みしている時に聞いたんです。王城の侍女達にアサル様が『死神』と呼ばれていたんですよ」
ルティはスカーレットの髪をかきあげた。
「あの獣の骸骨のせいかしら?」
「そもそもあの仮面を何故付けているか、ですよね」
結局はそこに行き着いちゃう。あの骸骨の下にある顔を確認もしたいし、髪の毛の色も見たい。
「ふふ、でも都合よくアサル様が現れましたね。まるでお嬢様の騎士みたいでしたね」
ニヤッと笑ったルティがイヤらしい目で見てくる。
「あ、あたしは嬉しいかったわよ!」
ほっぺが熱くなるのがわかっちゃう。きっと顔も赤いわね。
「それと、夜に鍛錬をしてるのも分かりましたね」
今度のルティは意味深な笑みだ。あたしにはイマイチ理解できない。
「どういう意味よ!」
「鍛錬にタオルと水を持って押しかけてみたりとか、どうですか?」
ルティは腕を上げながら「ちょっとずつ仲良くなろう作戦です!」と叫んだ。
「でも夜は危険とか言ってたわよ。あたし一人じゃ襲われたらどうにも出来ないわ」
「そのための私ですよ!」
今度はニカッと笑って力こぶを作った。ルティの表情がコロコロ変わって面白いわね。
「でも……」
確かにルティは武装侍女だけど、そんな事のために護身術を身に付けた訳じゃない。万が一の時のためであって、危ないところに行くためじゃないの。
「大丈夫ですって! これでも私はそこらの騎士よりは強いんですから!」
そんな事をふたりで話をしていたら湯殿に着いちゃった。会話をしていたおかげで寒さも感じなかった。
お読みいただきありがとうございます。