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004.白雪と罪と

白雪視点.


*2017/11/25 色々.

 どれくらい、そうしていたかしら。名前も知らない、今日出会ったばかりの、しかも異性の前で泣いてしまったことに、私は今更ながら恥ずかしくなった。もしかしなくても、『白雪』になってから初めて人前で泣いたかもしれない。

 彼のタオルを握り締め、私は顔を隠した。


「…………ありがとう」

「ん、もう大丈夫か?」

「……ええ」


 もう大丈夫。大丈夫だけれど…………流石に泣き顔を晒すことには躊躇いがあるわ。ハンカチは教室の鞄の中だし。顔を洗いに行くとしても、どうしたものかしら。

 私はタオル越しに彼を見た。私が泣いている間に、もう殆ど食べてしまっている。


「言いたいことがあるなら言え」


 ぶっきらぼうな言葉だけれど、そう言われてしまっては、言うしかない。私は固唾を呑んだ。なけなしの勇気を振り絞る。


「こ、これ、借りてもいい……?」

「別にいいぞ」


 随分とあっさりとした返事に、逆に私は戸惑った。本当に借りてもいいのかしら……?

 物を借りるような、気兼ねせずにいられるような関係の人物なんて、両親以外には殆どいない。祖父母でさえ、躊躇ってしまう。


 悶々と悩んでいた私だったのだけれど、昼休みが終わると言われて慌ててお箸を動かした。

 その間ずっと、彼から向けられる視線の種類が気になって、なかなか食べ進めることができなかったのだけれども。


 前世から他者の感情には――――悪意には特に――――人一倍敏感なの。だけれど、彼から向けられているのは悪意とは異なるもの。


 無表情なのに……痛みを堪えているかのよう。痛みを堪えるような懐古の色が滲んでいて、古傷を思い返す老人を思わせた。


 何処かで見たことのある表情。あれは……そう、『私』が王位に就く前のこと。お父様とソフィアが『友人』を偲んで、お酒を呑んでいた時だったわ。

 その『友人』は人間の冒険者で、とても永い時を生きて来たお父様とソフィアとは、もう何百年も昔に死別したと聴いた。種族や立場を気にしない、とても気さくで優しい方だったのだと。


 でも『私』は知っている。ジーザスが言っていたわ。おふたりの『友人』は、本当は真実だけではない嫌疑をかけられて、処刑されたのだと。


 当時の世界は『私』が生きていた時よりも不安定で、種族間の争いが絶えなかったそう。いつも世界の何処かで誰かの命が消え、村や街……国が生まれては消え、消えては生まれを繰り返していた時代。

 常に死と隣り合わせで、明日に希望の抱けない、寂しい時代。

 多種族と仲の良い『友人』は異端者と見なされ————同じ人間の手によって処刑された。


 何故死なねばならなかったんだと、お酒が入って王としての顔を崩したお父様が、悔しそうに零していた。


 その時のお父様の眼差しと、今目の前にいる彼の眼差し。似ているようで……似ていない。

 だってお父様は、悔しがってはいたけれど、こんな責めるような瞳ではなかった。こんな、咎める色ではなかった。


 『私』はまるで糾弾されている罪人の様。でも、なら……『私』の罪って、なに……?


 私の視線が気に障ったのでしょう、彼は一度お箸を置いた。咀嚼しながら何かを考えている風だったのが、嚥下と共に解けて消えていく。


「置いて逝く者と、置いて逝かれる者――――さて、気分はどちらの方がましなんだろうか」

「え……な、なに……?」


 どういう意味……? 唐突な彼の言葉に、『私』は困惑した。

 その間にも、『彼』は滔々と独り言にも似て語る。その闇色の双眸に、蒼い瞳がちらついた。


「待てと言ったのに、勝手に死んで逝った。身体は冷たくなっていた癖に、綺麗な貌して満足そうに笑っていた。やっと自由にしてやれると思ったのに…………あの時程の喪失感を、俺は知らない」

「……っ!?」


 走馬灯の如く脳裏を駆け抜けるのは、最期の記憶。


 松明の明かりに浮かび上がる薄暗い玉座。

 この首を掻き切った、重い鈍色の短剣。

 飛び散った真紅の鮮血。


 そして最期に『私』を映した、蒼い瞳。


 彼は憶えているのだわ。あの世界のことを――――魔王(エヴァンジェリン)との出逢いと別れを。


「ゆうしゃ、アルノ……?」


 声が震える。思い違いでは、なかった。


 かつての恋い焦がれたひと。密かに想い慕っていた、けれど決して交わることの許されなかったひと————勇者アルノ。


 死に際の願いが思いも寄らない形で叶った『私』は、その事実に言葉を失った。




「やっぱり、お前は『魔王』だったんだな」

「……っ、ゆう、しゃ……」


 彼の端正な顔に、夢の中の精悍な面差しが重なる。彼は蒼い瞳だったけれど、今目の前にいる彼は漆黒の瞳。それでも、色は違ってはいても、鋭く強い意志を覗かせる綺麗な瞳には変わりない。


 吸い込まれそう。見惚れてみっとも無く呆然としてしまった『私』は、けれど不意に伸びて来た彼の手に気付いて、反射的に身を引いた。


 舌打ちする彼の、感情の見えない瞳が――――何故だか怖い。


「どうして、あなたがここにいるの……?」

「転生先が、この世界のこの国だったからだ。それ以外にどう説明しろと?」


 そ、そうかもしれない……私だって、どうしてと訊かれても、そうとしか応えられないかもしれない。


 ただ……訊かれることは、無に等しいのだけれど。




 食事を終えたらしい彼は、手早く弁当を片付けると、席を立った。


「タオル、今度でいいから」

「っ、待って!」


 『私』は慌てて『彼』を引き留めた。縋り付くように————ううん、縋り付くために、『私』から手を伸ばした。


「信じられない……本当に貴方が勇者なの? 『私』を倒しに来た、あの勇者アルノ?」


 ぴくりと、彼は動きを止めた。彼が止まってくれたことに安堵したのも束の間、『私』の背筋を冷たいものが滑り落ちていく。

 緩慢に振り返る彼の、『私』を見下ろしてくる闇色の瞳が、鋭く煌めく。


「ゆうしゃ……?」

「————『俺』は、『魔王』を殺すために『お前』の前に現れた訳じゃない」


 低く唸る声。絞り出された言葉の意味がわからなくて、『私』は呆然と闇色の瞳を見返すことしかできない。



 彼が勇者だった。彼が『私』を憶えていた————なのに、嬉しい気持ちが霧散していく。



 『彼』の放つ雰囲気に呑まれて、魔王と呼ばれ人々から恐れられていた筈の『私』は、『彼』の得体の知れなさに畏怖してしまった。かつて無邪気に恋心を抱いていた相手の、その表情の意味がわからない。

 伸ばした手から力が抜け、『私』はその場に立ち尽くす。無情にも、彼はそのまま教室から出ていった。



 去っていく背中を、『私』は追いかけることはできない。

 『私』には、許されていない。



 ひとり残された空き教室。彼がいなくなったことにより、急速に寂しさが湧き起こって来た。

 先程の『彼』の言葉が、動けないでいる『私』の頭の中を廻っている。


『待てと言ったのに、勝手に死んで逝った。身体は冷たくなってた癖に、綺麗な貌して満足そうに笑ってた。やっと自由にしてやれると思ったのに…………あの時程の喪失感を、俺は知らない』

『俺は、魔王を殺すためにお前の前に現れた訳じゃない』



 そう言えば————最期に見た『彼』の顔は、泣きそうに歪んでいた。



「なによ……どうして『わたし』に、『あなた』の気持ちがわかるっていうのよ……」


 『私』の気持ちなど、『貴方』は知らなかったでしょうに。

 『私』が死を決意するのにどれ程悩んだか、『貴方』は知らなかったでしょうに。


「人々の希望の癖に、この『魔王(わたし)』を助けてくれようとしたの……?」


 有り得ない言葉なのに、口に出してみるとこの上なく切なくなった。

 口元を抑えて、かたかたとみっともなく震える。視界が滲んで、止まっていた筈の涙が、次から次へと床に水溜りを作っていく。

 スポーツタオルを握り締める手が白くなって、ひゅっと喉が鳴る。


 なら……なら、自ら命を絶って『私』は。『彼』の前で精一杯の虚勢を張っていた、偽りの言葉の数々は。


『置いて逝く者と、置いて逝かれる者……さて、気分はどちらの方がましなんだろうか』


 置いて逝ったのは『エヴァンジェリン(わたし)

 置いて逝かれたのは————


「『わたし』は、『わたし』の死は……『あなた』を、傷つけたの……?」




 去り際に『彼』が放っていた感情。それは怒りだった。





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