003.白雪とスポーツタオルと
白雪視点.
*3年前の私,色々文章抜け過ぎぃ……(2017/11/23)
この世界に転生して、驚かされたものは幾つもあった。
前世の世界は、魔法こそあれど科学技術などという類のものは、殆ど発達していなかった。電気などというものはなく、灯りといえば灯籠の炎か魔法の光で、移動手段は基本、徒歩か馬、魔法が使えるのなら転移魔法くらい。
ある程度成長して自分の足で動き回れるようになり、初めて自動車や飛行機を見た時には、とても驚いたものだわ。私は水晶を通して世界を見ていたためか、遠くの風景を映すテレビなどにはそう驚くこともなかったのだけれど、鉄の塊が物凄い速さで走っていたり、青い空を飛んでいたりする様には吃驚した。今でも事故が起こった時を想像すると、とても恐ろしいわ。
あと、この国は食事が美味しい。お母さんがお料理上手だということもあるのだけれど、基本塩か砂糖かといった簡単な味しかない世界からこの世界に転生した身としては、味の種類が豊富な食事に感激した。
特にお出汁の存在と、クリームの類ね。文明が違うと、ここまで食事に差が出るのかと。
チョコレートに似た食べ物はあったのだけれども、ふわふわなスポンジと色取り取りの果物でできたケーキはなかったのよね……甘味といえば、ザ・砂糖菓子みたいなところがあったから。和菓子もしっとりとしたものが多くて、とてもとても美味しいのね。
初めて頬が蕩けるような複雑な甘みに直面した時は涙が零れそうになり、周りには不審な目で見られたものだったわ……
このように、この世界に転生した私は驚かされる日々だった。
だったけれど…………ここまで驚いた日はなかったと思う。
差し出されたプリントに、私は顔を上げて――――我が目を疑った。
目の前に立っていたのは、黒髪をした綺麗な男の子だった。どちらかというと細身で背が高く、高校生とは思えないくらい整った顔立ちをしている。私と同じ赤い上履きを履いているから、多分彼も1年生。
それよりも私が惹き付けられたのは、彼の深い闇色の瞳。底のない深淵のように見えて、刃のような鋭さを持っている。得体のしれない、けれどまるで黒曜石のように美しい瞳。
その瞳に蒼い瞳が重なる。
「勇者――――?」
懐かしい気配と高鳴る鼓動に、気が付くと私はそう言っていた。
「……お前、今」
見開かれた漆黒の双眸に、私は自分の失言に我に返る。初対面で勇者発言はない。何でもないと、私は首を横に振った。訳もなく熱くなる目頭に、俯いて顔を隠す。
あの世界から私は転生して来たけれど、彼までそうとは限らない。もし同じ世界に転生したとしても、そう簡単に出逢えるとは、私には到底思えなかった。
あの世界でも、出逢うことができたのはたった1度だったのだから。
「あ、ありがとう……」
何とか礼を言ってプリントを受け取ろうとした私は、なかなか手を離さない彼に訝しんだ。聴こえなかったのかと思ってもう一度礼を言うと、やっと生返事が返ってくる。
ちょっとだけむっとして、私はプリントを引っ手繰った。淑女には有り得ない仕草だけれど、幸いなことにここは王宮ではなくて、日本にある普通の公立高校。宮廷のように、礼儀作法に左程気に留める必要もない。ふんっとそっぽ向いてやったわ。
けれど彼の視線は、私から逸れない。さっさと立ち去ってしまおうかとも思ったのだけれど、残念ながら臆病者の私はそこまで気が強くない。
見た目には無表情でも、内心ではびくびくしながら言葉を探す。
「な、何よ?」
漸くそう口にできた私は、次の瞬間思いっ切り頬を左右に引っ張られた。
「うみゃっ!?」
淑女に向かってなんてことをするのかしら! むにぃってなったわっ!
私は痛む両頬を押さえて、この失礼な男を睨み上げた。彼は呆然と自分の手を見下ろしている。どうやら、自分の行動に驚いているみたいにも見えたのだけれど……
「悪い。何かむかついて」
その台詞は全く以って聞き捨てならないわ! むかついたからって、普通は人の頬を引っ張ったりなどしないわよ!
毎日毎日洗顔と保湿と手間がかかっている私のお肌に、このような暴挙に出るなんて! このような無礼者が勇者な筈がないわ!
思わずそう叫びそうになった私は、はっと我に返って口を閉ざす。私たちのやり取りを見て、先程から他の生徒たちが、変な顔をして通り過ぎていることに気付いたから。
このようなことしている暇があったら、クラスのひとと仲良くなりたい。
先生に用事を頼まれた帰りだからここにいるけれど、今は昼休み。早く教室に戻って、今日こそはクラスの女の子たちに一緒に食べようって――――
言えなかった。
「まだ入学して1週間も経っていないというのに、どうしてああも見事にグループが出来上がっているのよ……っ!」
教室に戻ると、女の子は皆そこここで机を寄せ合って、楽しそうにお喋りをしながらご飯を食べていた。ひとりふたりならまだしも、不特定多数の中に紛れ込むことのできない私は、なんだか尻込みしてしまって。
お弁当の包みを持ったまま立ち竦んでいるところを先程の彼に引っ張られ、そのまま無言で空き教室まで連れて来られた。
めそめそとしながら仕方なくお弁当を広げる私の頭に、慰めるように大きな手が乗せられる。
「ずっと独りだったのか?」
「…………だって、ひととの接し方がわからないのだもの」
ひとの輪に加わるには、独りでいる時間があまりにも永過ぎた。
かつての『私』は、どうやって話をしていたのかしら。
『エヴァンジェリン』が王女の時は、まだよかった。お母様はお父様の側室のひとりでしかなかったけれど、魔王級の魔物は総じて人間に比べ個々の能力が高過ぎる為に繁殖能力に乏しく、王の子どもは私しかいなかった。お父様は魔王でありながら穏やかな性情の方であったから、一人娘であった私を可愛がってくれた。
それにお父様の友人である、エルフ族の大賢者ソフィアが時折城に訪れて、旅の途中であった様々なことを教えてくれた。世界をもっと知りたいと我が侭を言った私に遠見の水晶をくれたのも、彼女だった。
お母様はあまり身体の強い方でなかったから、私が幼い頃に亡くなってしまわれたけれども、お父様とソフィアがいてくれる、それだけで十分だった。
けれど不審死でお父様が亡くなられて私が即位してからは、宰相のジーザスしか話し相手がいなかった。
元々ソフィアはエルフであって魔族ではないから、10も過ぎていつも傍にいて欲しいと、我が侭を言うわけにはいかなかった。ジーザス伝に届く誕生日の贈り物に、大丈夫だと私を慰めた。
大した権限のない女王に、元々お母様を敬遠していた侍女たちは必要最低限にしか関わってこようとせず、側近たちからは嘲笑される日々。
それでもと、自分を護るために自我を保とうとした。私を消されてしまわれないように、次第に無表情でいるか、自嘲気味に嗤うかになった。
気が付くと、私は歪な笑み以外を知らなかった。
『白雪』に転生して、初めてそのことに気付いた。どれ程両親が話しかけて来ようとも、笑いかけて来ようとも、私は冷めた気持ちでしか接することができない。上手く笑えない。
その為にとても明るい性格のお母さんが寝込んだことも、一度や二度ではなかった。
ぽたり。
「――――ぁ、れ……ぇ?」
最初、スカートの上に落ちた透明な雫が何か、私にはわからなかった。どうして桜色の布地が、濃い赤色の斑模様になっているのか、わからなかった。けれど無言で差し出されたスポーツタオルに、頬を伝う雫に、自分が泣いているのだとわかった。
素直にタオルを受け取って、目元に添える。
「紅くなるから、擦るなよ」
「……ん」
隣でお弁当を広げていた彼は黙々と箸を進め、特に何かを言ってくることはない。必要以上に干渉してくることはなく、ただ傍にいてくれる。ただそれだけ。
けれど私には、それが何よりも嬉しかった。それは私が恋い焦がれて、けれども決して手に入れることのできなかったぬくもりだ。
タオルからは、仄かな柔軟剤の、いい匂いがした。