ナツユキ
真紅に染まる空の下、それはひらひらと、まるで踊るように舞い降りてきた。
「まじ、かよ……」
先ほどまでうだるような暑さが放課後の学校を夏のそれにしていたが、今は突き刺すような寒さが辺りに充満している。
息も白く上がり、見上げた空には紅と白のコントラストが出来ていた。
「さむ……さっさと帰ろ」
部活で温まっていたはずの体には、いつの間にやら鳥肌がたっていた。それもそうだろう。夏用の制服でここを歩くのはとても厳しいものがある。
俺は空の両手で肌を摩りながら視線を落とす、と。校門の前に見慣れた人影を見つけた。
「なーにやってんだ、ユキ」
ユキはぼんやりとした表情で空からこちらへと視線を下ろすが、俺と目が合うと柔和に微笑んだ。
「なっちゃん……」
俺は手を軽く上げて挨拶すると、ユキと同じように校門に背を預けて空を仰いだ。
「もうすぐ残暑って言っても、まだまだ八月なのに雪だぜ? この先の日本が不安になってくるよな」
ユキは俺の顔を見つめていたがクスリと笑うと、そうだねと言って俺に習うように空を見上げた。
「でも、私は好きだな……八月の雪」
「……まぁ、雪に悪意はないからな。確かに綺麗だし、俺だって好きだ」
ユキは何それ、とか言いながら笑いかけてくるが、俺は万物に対する悟りだとかなんとか適当なことを言いつつ、恥ずかしい発言と今の状況を思い出して頬が熱くなるのを感じていた。
俺とユキは幼馴染でずっとやってきた。でも最近になって意識してる自分がいる。昔はそんなこと一度もなかったのに。
手が触れたって、飯を一緒に食ったって、二人で外を歩いたって微塵もそんな感情はわかなかった。なのに、今はそれら全部が気恥ずかしい。今だって、胸の高鳴りを何もしなくったって感じる。
ユキは空を見惚れるように見つめているが、俺はこの沈黙が耐えられなくて思わず口を開こうとした時。
「なっちゃんは、雪女ってどう思う?」
そうポツリと独り言のようにユキは呟いた。
「雪女って言うと、正体を隠して結婚した夫に無理に風呂に入れられて、ただの氷になったりとかするあれか?」
「そう。いくつもある逸話の一つがそれ。他にも色々あるんだけど、私はこう思うんだ」
ユキは思いを巡らせるように目を瞑ると俯き、そこでうっすらと瞳を開けて口を開いた。
「雪女は、報われないなぁって」
「報われない?」
なんのことかよく分からず、俺はオウム返しに言葉を紡ぐ。
するとユキは視線を俺に投げかけ、ひとつ頷いた。
「雪女は、寂しかったんじゃないかなって思うの。だから、人の前に出てきてその人を助けたり、あるいは結婚したりする……例えばの話、この雪も雪女の仕業だとしたら、どうする?」
ゆらゆらと降り続く雪の中、ユキは俺を一心に見つめながらそう言った。
「この雪がか? ……そりゃあ八月に雪が降るなんておかしいけど、雪女の仕業とは到底思えないなぁ」
「それは、普通ならそう思うかもね。でも、私は雪女がここに来ていて、それで雪が降っていると思うの」
ユキの発言に、俺は思わず口を挟む.
「なんで、雪女がここにくるんだ?」
するとユキは俺を横目に、そしてうっすらと頬を染めながら、
「きっと、好きな人に会いに来たんだよ」
と言った。
「す、好きな人に?」
俺はそんな単語に狼狽したが、けれども、
「そう。報われないお姫様の、それでも願わずにいられない幸せを掴むために」
ユキの寂しそうな呟きに、俺の焦りもどこかへ消えていた。
俺はこの空気を払拭するために、口を開こうとした、その時だった。
「え」
頬に冷たい感触。目の前にはユキの横顔。
不意に離れる感触。目の前には頬を真っ赤に染め上げながら俯き加減なユキの顔。
「えあ、や、えっと」
またまた狼狽する俺に、ユキは。
「……ぷぷ。ぷぷぷぷぷ」
頬袋を膨らませながら口に手を当てて笑っていた。
「て、てめえ!」
足を踏み込んだ俺から、ユキは踊るように離れ、
「あはは、もう時間だから行くねー。じゃ、少年。頑張れよー」
そう言って門を抜けていくユキ。
「あ、待て!」
俺はすぐさま後を追ったが、そこにユキの姿はなかった。
「は、早すぎだろ」
と、立ち尽くす俺に。
『チャララララーン』と、暢気なメロディが俺を引き戻した。
「はぁ。誰だよ」
携帯をポケットから出してみれば、そこには母親の名前。
俺は頬に残った感触を摩りながら、まるで夢見心地な感覚で携帯を開いた。
「あいつ、なんでいき……な……」
時が、止まった。
携帯のディスプレイに映ったその文字は、ユキが5時ごろに交通事故にあって意識不明という内容。俺は、校舎の時計を見上げる。そこには、6の字と重なる短針と長針。
「そんな、だって」
雪が止んだ紅い空の下、そこだけ雪がぽつんと積もった、ユキが先ほどまでいた場所を俺は呆然と見つめていた。