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第六話

「ご気分はいかがですか?」

 部屋の入り口に立ったまま、ネフェルは問いかけた。

 けれど寝台に腰掛けた相手は、彼女を一瞥(いちべつ)しただけで顔をそらす。

 (仕方ない)と心のうちで溜息をついてから部屋の中に入り、水差しを取り替える。さすがに水は減っているが、食事はわずかしか手がつけられていない。

「お口に合いませんか?」

「……」

「その……開帳(かいちょう)の直前はいろいろと制限も多くて……」一通り言い訳をするが、そもそも会話が成立していないのだから気まずいことこの上ない。

 彼が目を覚まし、けれど名前も素性も明かさぬままほとんど口を利かずに過ごしてもう二日経つ。神舎(しんしゃ)の警備を務めるゼスィも何度か彼と対面したが、ほとんど無言の睨み合いになっていた。そうして対面を終えると、部屋の外でいまいましそうにネフェルに言うのだ。

「言葉が通じないわけではないな。」

「それは……ありません。」

 ネフェルも最初同じことを考えた。だから書庫から持ってきた複数の言語の本を食事と共に置いてみたのだ。そうしてわかったのは、むしろ彼はいくつかの言語に精通しているということ。もちろんそれを生業とするネフェルほどではないが、それでも何冊かは明らかに読んだ形跡があった。

開帳(かいちょう)()が済むまでは念入りに見張っておけ。」

 そうゼスィに言われたが、常に誰か見張りの者がいるのでこれ以上彼女にできることはなかった。そもそもこの部屋にいたる階段は一つしかない上、最上階の四層目に位置するので勝手に抜け出すのは難しい。それにずっと昔、多くの巡礼者や信徒が出入りしていた頃に使われていたこの居住棟は、一部を物置として使っている以外どの部屋も閉ざされ人の出入りはない。助けを求めることすらできないのだ。

 ネフェルも存在は知っていたが、足を踏み入れたのはあの夜が初めてだった。不法侵入した彼をここに運び込む前に大急ぎで掃除をし、何もない部屋にかろうじて寝台と机を運び込むよう頼んだのだ。

 元は二人部屋だったらしくかろうじて水場がついているがそれ以外は何もなく、灰色を帯びた石がむき出しの壁は南に位置するこの地方にあっても夜は冷える。決して環境が良いとは言えない。

 唯一褒めるとすれば窓からの眺望くらいだろう。観音開(かんのんびら)きの(きし)む窓を開け放せば大地を渡る風を感じることができるし、目を下に向ければ、「空の庭」と呼ばれている中庭を一望することもできる。

 けれどそれはネフェルにとっての慰めで、正体不明の男がそんな情緒を持ち合わせているかどうかはわからない。

 でも……とネフェルはそっと振り返る。

 寝台に腰掛け本を読んでいる男が、それ以上何か悪いことをしでかすように思えないのだ。もちろん何を考えているかわからないのは事実だが、彼のまとっている雰囲気は全く知らないものでない気がする。けれどネフェルが直感を信じ切れないのは、彼がこの神舎へ不法侵入した事実があるから。もしネフェルが思い描いた人種であれば、まずここへ近づくことはないだろうし、何より黙って乗り込むことはないだろう。

 と、相手が顔を上げた。

 髪と同じ色の瞳がネフェルの視線を真っ直ぐ捉える。そして言った。

「次に来るとき、こいつの続きを持ってきてくれ。」

 男は手元の本を軽く持ち上げる。

「あ、はい……」

 かろうじて返事をすると手早く残りの片づけを終え、部屋を辞した。


 午後になってようやく書庫へ向う。

 重たい木の扉を少しだけ押し開くと、滑り込むように中に入った。

 出迎えるのは壁一面に並んだ書棚。

 先代の司祭が集めた本は、この辺りでは随一の量を誇る。それはこの地域の歴史や民族、神舎にまつわる歴史的資料が中心だが、その一方でネフェルが文字を読むのに手がかりとする古い時代の文献もあるので重宝している。もちろん修士は誰でも使うことができるが、特にこの時間はほとんど人気がないのが常で、ネフェルは一人でこの広い知識の倉庫を独り占めできることに至福を感じていた。

 けれど今日は珍しく先客がいるらしい。

 法衣をまとっているが見慣れない顔に、そういえば来客があるという司教の言葉を思い出す。

 会釈(えしゃく)をして、ネフェルは目的の書棚に向かった。

 自分が必要としている本と男に頼まれた本。他に彼が興味を引きそうなものがないかと背表紙を辿る。そこを糸口に何か聞き出すことができれば……と考えたのだ。

 目当てのものを見つけ、爪先立ちで背伸びをする。

 と、背後から伸びた手がそれを引き出してくれた。

「ありがとうございます。」

 ネフェルは自分より頭ひとつ分背の高い老齢の男に頭を下げた。

「遺跡にご興味がおありですか。」

 青みがかった灰色の瞳が笑みを向ける。頭は地肌の面積の方が広いが、こめかみ辺りに残っている分から察するに赤毛だったのだろう。

「いえ、私の興味は文字で……その、仕事で必要なので。」

「信徒ではないのですか?」

「はい。ここの手伝いを……古い神舎の記録をまとめているところです。」

「では語り部?」

 はい、と頷く。

「ゲルズ司教さまが痛みの激しい古い記録をとどめておきたいと……けれど膨大な量なのでなかなか進まなくて……」

 なるほど、と相手は頷く。

「それは素晴らしいお仕事ですね。ああ、申し送れました。わたしはマーギス。普段はガッセンディーアの教区に勤めていますが、開帳の儀に立ち会いたくて本日こちらに来ました。しばらくご厄介になる予定です。」

「ネフェル・フォーンです。あの……司教さまだとお聞きしていましたが……」

 明らかにそれより下の地位の服装に首をかしげる。

 マーギスは自分の姿を見下ろした。

「ガッセンディーアの繁華街を歩くときはいつもこの格好です。あそこでは権力や地位を見せびらかすことは何の得にもなりませんから。それにこの格好なら、誘われてそのまま一杯付き合うのもたやすいでしょう。」

「そんなに危険なところなんですか?」

「場所を選べば問題ありません。北の街にいらしたことは?」

 ネフェルは首を左右に振る。

「私この辺りを出たことがなくて……でも話はいろいろ。それに、いつか聖堂(せいどう)を見てみたいと思ってます。」

「聖堂……一族の、ですか?」マーギスは小さな目を見開く。

「英雄ガラヴァルの残した記録が残っていると聞きます。私、彼が記した文字を読んでみたいんです。もちろん写したもの、本になったものは何度も目にしています。だけど本物の文字は、もっと力を持っているはずだから……」そこまで言ってネフェルはハッと気付く。

「すみません。」

「いえいえ。本当に読むことがお好きでいらっしゃる。それに竜と英雄の時代の文字も習得してらっしゃるとは……」

「母に教わりました。母はどんなものでも丁寧に読んで……例えばそれがお菓子の作り方とか他愛ない手紙でも、文字のかすれた具合や(にじ)んだ具合、それに汚れたシミも歴史そのものなんだと言っていました。」

「素晴らしい母上ですね。今も?」

「いいえ。母は二年前に病気で亡くなりました。」

「それは……申し訳ない。」

 ネフェルは首を左右に振る。

「母のことを話すのは私の誇りです。それにこうして司教さまのお役に立てるのも母のおかげですから。」

 真っ直ぐな少女の言葉に、マーギスは優しい笑みで頷いた。

「では、我が神舎で語り部が必要になったら、ぜひお願いするとしましょう。」

 ぜひ、と言いかけたその時、名前を呼ばれた。

 思わず息を呑む。

 振り返ると、書庫の扉を半分押し開けたゼスィがネフェルを見ていた。

 彼女はマーギスに会釈をすると、慌てて彼のところに駆け寄る。

「あれは誰だ?」囁くような、けれど強い口調で彼は言った。

「ガッセンディーアの司教さまだそうです。」

 ふん、と鼻を鳴らす。

「それよりあの男が何をしていたか、聞き出せたか?」

 ネフェルは首を振る。

 ゼスィは舌打ちした。

「名前も何も言いません。ただ……」

「なんだ?」

「遺跡に関する本を置いたら、続きが読みたいと言われました。」

「遺跡か。」面白くなさそうに鼻の上に皺を寄せる。

「それと言葉の感じが……ずっと北……ガッセンディーアかアバディーアのような気がします。」

「思っていた通りか。他に気がついたことがあればまた報告しろ。」言い捨てると、ネフェルを振り返りもせず足早に書庫を出て行く。

 ネフェルは息を吐き出した。

 と、

「今の方は?」

 いつの間に来たのか、傍らにマーギスが立っていた。

「神舎の……司教さまの……警護です。」

「だから黒の制服なのですか。お名前は?」

「カランダニア・ゼスィ。」

 けれどそれが本当の名前なのか、ネフェルは知らない。

「若いのに大した殺気です。」

「え?」

 聞き間違えたのかと思いマーギスを振り返る。

 にっこりとマーギスは微笑んだ。

「修羅場を経験したことのある人なら珍しくありません。きっと優秀な警備をなさるのでしょう。」

「そう……なんですか?」

「ええ。我が神舎にも欲しい人材です。」

 本気とも冗談ともつかぬマーギスの言葉に、ネフェルは目を丸くした。


「ゼスィ、開帳の儀の時の配置ですが……」

「急ぐ用がある。後にしてくれ。」

 同じような黒い服の男に答えて、ゼスィは足早に回廊を歩く。

 質素な木の扉を開いて中に入ると、甘い香りが鼻先をくすぐる。立ち尽くしたまましばし目を閉じ、それからゆっくりと辺りを見回す。

 薄暗い室内には小さな明かりが無数に並べられていた。けれどその明かりはどれも頼りなく、ほのかな光が正面にある祭壇をゆらめかせている。人が二十人も入ればいっぱいになってしまうほど狭い礼拝所だが、天井には神の世界が、そして床には地下世界を象徴する柄を織り込んだ敷物が敷かれている。

 そしてその上に座しているのは白髪に法衣をまとった男。

「珍しく気が立っているようだな。」

「あの男……」

「男?」

「ガッセンディーアの司教とか言う。」

 ああ、と相手が振り返る。皺の刻まれた表情はたおやかな笑みをたたえ、茶色の瞳は優しくゼスィに頷きかける。

「その通り。州都ガッセンディーアの司教マイゼル・マーギス。長年の功労で祭礼に立ち会うことを所望(しょもう)したらしい。それと書庫の閲覧を以前から申し出ていた。話しておいただろう。」

「あまり司教らしくない、と。」

 ふっと相手の口元が緩む。

「お前が誰かを気にするなど珍しい。」

「気にしているわけではありません、ただ用心するに越したことはないと……」

「確かに田舎の司祭とはわけが違う。だが彼は修士の頃から真面目で学究熱心だった。書庫を見たいというのもその辺が理由だろう。」

「彼をご存知ですか……」

「狭い世界だ。互いの話はどこかで通じる。それより例の男はどうだ?」

「ネフェルが言うには、遺跡に興味があるらしいと。」

「やはりリラントの遺跡か。世の中には竜を研究する(やから)もいるというが……」

「竜を繰る奴ら……」

「連中は大抵守り石を身につけているし、別の宗教施設に足を踏み入れることもしない。それに……開帳まではどうすることもできん。」

「そのまま様子を見守ります。」

 ゼスィの言葉に男は頷いた。

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