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第五話

「お休みになれましたか?」

 手際よく窓を開けながら、イーサはにこやかに言った。

 寝台に腰掛けた都は曖昧に答える。まさか朝っぱらから部屋に誰かが来ると思わなかった。しかも都の面倒を見る気満々なのが、その体から表情から滲み出ているのだ。

 昨夜、エミリアと共に出迎えてくれたこの老齢の女性は、庭師の兄と共にずっとラグレスの家で働いているのだと言う。六十をいくつか越えているらしいが、ふくよかな体型に似合わず軽快な動きで都の着るものを用意してくれている。

「イーサ、さん?」

「イーサでいいですよ、ミヤコさま。」

 そうは言っても年上を呼び捨てにするのも、かしこまって呼ばれることも、慣れないので落ち着かない。

「ミヤコさまはリュートさまの婚約者なんですから。」

「でも……」

「お話は伺っています。まだ学業の(こころざし)半ばだから儀式は先延ばししたと。カズトさまと同じお国の方なら、さぞかし優秀なのでしょう。」

「あ、それは全然。」

「カズトさまがおっしゃっていましたよ。ミヤコさまはご自分を謙遜(けんそん)しすぎると。」

 一体早瀬が自分をどういう風に説明しているのか(はなは)だ不安を感じるが、今は右も左も分からないのでとやかく言っている余裕はなさそうだ。

 イーサに教わりながら洗面を済ませる。もっと原始的かと思いきや水道が引かれているのは有りがたかった。けれど水の冷たさに思わず声を上げる。

「冬はもっと冷たくなりますよ。」

「雪、積るんですか?」

 季節が日本と逆というのは聞いているから、今は秋に相当するのだろう。

「その年によります。もっと北の大山脈に近い辺りは深く積もりますけど。」その山脈にぶつかった風が落ちてくるので冬は寒いのだと言う。

「守り石は見えるようにしますか?」

「あ、はい。」

 手伝ってもらって着替えを終えると、イーサがつけてくれたネックレスにそっと触れた。小さな銀でできた花の蕾がついていて、その花びらに包まれるように緑の石が()め込まれている。緑の石は古い時代の竜が化石化したもので、「一族」と呼ばれる人々の魔除けだと聞いている。控えめなほど小さいが、あまりアクセサリーをつけない都にはちょうどいいし、何よりリュートが誕生日にくれた大切なお守りなので、学校に行くとき以外は身に着けるようにしている。

 それに今日のいでたち……(えり)ぐりの広く開いたブラウスに(すそ)の長いスカート姿にも合っているので安心する。

 普段は「動きやすく」がモットーなので、こんなエレガントな格好は冴の事務所スタッフの結婚式にお呼ばれして以来かもしれない。足首をしっかり固める編み上げの靴が不安定だが、(かかと)が高くない分「大丈夫」と自分に言い聞かせる。

 そのままイーサが案内してくれたのは、離れのような温室だった。家の中と扉一枚で行き来できるが、明らかに後から付け足した部分だとわかる。

 肩に止っていたコギンが舞い上がって、先に飛んで行った。

 後を追って足を踏み入れると、見たことのない植物が並び小さな池までしつらえられた庭園のような風情。その中央に置かれた丸テーブルでエミリアが待ち構えていた。

 イーサの引いてくれた椅子に腰掛けると、少し甘く爽やかな香りが鼻先をかすめる。覚えのある香りに視線を巡らせて、テーブルに活けられた花から漂っているのだと気付く。摘んで来たばかりのみずみずしさを湛えた花びらは濃い紫色で、中心に向かって薄い色へと変わっていく。

「これ……もしかして、あのお茶の?」早瀬の家で飲んだエミリア特製お茶を思い出す。

「花びらを乾燥させて入れているのよ。エナの花は薬にもなるから。」

「エナ……人の名前みたい。」

「恋人を待ち続けた女性が花になった……という伝説があるの。」話しながらお茶を()れてくれる。

 その琥珀色の液体から立ち上る香りに都は首をかしげた。爽やかな柑橘系を含んだ、それでいて少しスモーキーな香り。まさか、と思いながらカップを手にして口に含む。

「アールグレイ?」

 なんで?と目を丸くする都にエミリアが微笑む。

「ミヤコが好きなお茶だからと、リュートが持ってきてくれたのよ。」

「いつの間に……」

「私の最近のお気に入り。」

 そんな会話を交わしているところに、イーサが朝食を持ってきてくれた。目の前に手際よく並べられる皿を見て、またもや都は目を丸くする。

 何かの玉子で作った目玉焼きに、チャパティのようなパン。それに果物を甘く煮たもの。そして極めつけは添えられていたフォーク状の物と……

「は、(はし)?」

 木地(きじ)にざっくり(うるし)をかけたシンプルなその先は、しっかり瀬戸物の箸置に置かれている。

「えーと……」

 手に取ってひっくり返すが、どう見ても普通の箸。

「カズトが持ってきたものよ。」

「そういえばカップも……お店で見たことあります。」

 先ほど手にしたティーカップとソーサーを目の高さまで持ち上げる。

「それはフリューゲルで使われていたものを、私が持ってきたの。でもこれはカズトが持ってきてくれたわ。」揃いの柄のティーポットを目で示す。

 喫茶店フリューゲルで使っているカップがアンティーク中心で同じ柄が揃っていないのは承知していたが、まさか片割れがこんなところにあるとは思ってもみない。

「ということは……もしかしてこの食事も?」

「ええ。カズトがこの家で暮らしていた時に、料理人に言って色々作らせていたの。違うわね。自分も一緒になって作っていたから、あれは実験かしら。」思い出してくすくすと笑う。そうしていると、まるで少女のような可愛らしさが垣間見える。

 暖かいうちに、と勧められて都は箸を手に取った。

「美味しい。」

 確かに風味は違うようだが、むしろ日頃食べ慣れているものより味が濃く感じる。

 いつの間にか空いている椅子に座って待っていたコギンにも、イーサが同じものを持ってきてくれた。しかも途中でパンの追加を都にねだったから、銀竜も美味しかったのだろう。

 あっという間に食べ終え、ごちそうさまと頭を下げる。

「口に合ったようね。」

「すっごく、美味しかったです。」

「だ、そうよ。」

 え?と首を巡らせると、背の高い鉢の陰から若い女性がひょこり顔を覗かせた。

「ばれてました?」

「ええ。ずっとね。」

「だって、心配だったんですもん。」明るい茶色の瞳が都をちら、と見る。

 長い赤毛は背中で三つ編みに束ねていて、腕まくりしたシャツの下は動きやすいズボン。その上から前掛けをしている姿は、パン屋の職人のようだ。

「我が家の自慢の料理人。」

「ケィン、とお呼びください。」はきはきした声で彼女は言った。

「彼女も別の国の血を引いているから、本当はもっと長い名前なの。」

「皆覚えられないので。」ケィンと呼ばれているのだと説明する。

「ミヤコより五つ年上になるのかしら。」

「でも早瀬さんの食事を作ってたって……」

「あたし、二代目なんです。カズトさまがこの家にいらした時の料理人はあたしの祖母で、あたしは小さい頃から台所でそれを見ていたから覚えてしまって。あ、でもちゃんと料理学校は卒業しました。」

「先代が病気で引退したので、彼女がそれを引き継いだの。」

「あたし頑張りますから、ミヤコさまも食べたいもの、おっしゃってくださいね。」

「あ……はい……っていうか判ってないことが多いから、こちらこそ、いろいろ教えてください。」

 もちろん!と胸を叩いてみせるケィンに、エミリアは優しい笑みを向けた。


 食事の後、都はエミリアに案内されて家の中を一巡りした。

「古いだけが取り柄」という屋敷は都の基準から言えば部屋も多いし広いが、彼女に言わせれば「小さな田舎家」らしい。外観は石造りだが、室内は木と漆喰(しっくい)で仕上げられていて、細かい柄の織り込まれた敷物があちこちに敷かれている。

 都が気に入ったのはなぜかバラバラの椅子が並ぶ図書室と、足元に広がる庭だった。エミリアの趣味と実益を兼ねた庭は綺麗に手入れされつつ自然の風情を残していて、それが外に続く丘陵(きゅうりょう)と森を違和感なく借景(しゃっけい)に取り入れている。

「あまり手入れしすぎると、銀竜たちが落ち着かなくなってしまうの。」

 そう言われて振り返れば、コギンがルーラと一緒にぱたぱたと飛び回っている。

「コギン……気持ちよさそう。」

 上昇や下降を繰り返しているのは練習のつもりなのだろう。

「向こうではこうやって飛ぶこと、できなかったから……」

「こちらでも銀竜が住みにくいところは沢山あるわ。こうして銀竜のための場所を作るのも私たちの役目なの。」

 しばらく眺めていたが、エミリアに促されて再び家の中に入る。最後に案内されたのは二階の一番奥にある部屋だった。

 一歩足を踏み入れて「あ…」と声を漏らす。

「リュートの……部屋……」

 イーサの手によって整えられているのはほんの一部で、机の周りは特に不可侵エリアになっているらしい。寝室か書斎か判らないのは東京の家と似ているが、向こうは住んでいる時間が短いので本もこれほど堆積(たいせき)してない。けれど紙切れや読みかけの本が積まれているのはそっくりだ。

 ふと、目に入ったものに違和感を感じてしゃがみこむ。書棚の下に並ぶものに目を疑い、引っ張り出してポカンとした。

「国語のドリル……それ地図帳だ。」

 そうして目を向ければ、机の上に積んであるのは国語辞典や英和辞典をはじめとする辞書の数々。

 そうか、と都は理解した。

「リュートはこれで日本語、勉強してたんですね。」

「私がそうして欲しいとお願いしたの。だってあの子は門番でもあるのだから、日本語を読むことができないと困るでしょう。箸は私とカズトが使っているのを見て、勝手に練習していたみたいだけど。」

「お箸、使えるんですか?」

「ショウコに習ったわ。」

宮原(みやはら)……笙子(しょうこ)……先生?」知った名前が出てきて都は驚く。

 早瀬の同級生で宮原医院の小児科医には、都も随分世話になっている。さばさばした性格で面倒見のよい笙子は、確かにリュートの母親と知り合いだと言っていた。

「ミヤコもショウコに助けてもらったそうね。」

「仲良くしてもらってます。」

「彼女は元気?」

「それはもう。」

 そう、と頷くと一瞬考えて切り出す。

「リュートは……」

「はい?」

「あなたをちゃんと大切にしているかしら?」

「ええと……多分……っていうか、そういうの、よく判らなくて……」いきなり言われて返答に困る。

「あなたが思った通りに言えばいいのよ。男女のことなんて、答えがあるわけじゃないんですもの。私とカズトのことは知っているわね。」

 都は頷いた。

「世界が違うことや子供が先にできたことで周りには迷惑をかけてしまったけど、一緒になったことに私もカズトも後悔してないわ。だからこの先リュートがハヤセの家を選ぶことになっても、私はそれで構わないと思っている。」

「それは……」

「あの子が契約のときにどう説明したか知らないけれど、ミヤコが望むのなら無理にこちらで暮らす必要はないのよ。」

「で、でも……」

「私、あそこが好きなの。」

「あそこ?」

お店(フリューゲル)も、カズトのお父様が淹れてくれたお茶も。あの家に滞在していたのはわずかだったけれど、何もかもが優しくて私には宝物のような時間だった。」

「それ……なんだか判ります。わたしもフリューゲルにいると懐かしくてあったかくて、優しい気持ちになるから。」

 ええ、とエミリアも同意する。

「だから、もしそれを守るとあの子が言い出したら、それはそれで嬉しいと思うわ。」

「本気……ですか?」

 優しい笑み。

「でもそうなったら、あの子はひどく悩むでしょうね。だから……その時になったら傍にいて、話を聞いてあげてちょうだい。」


 夕刻になってセルファがやって来た。

「リュートが訪問した先へ行ってきました。どうも予定外の寄り道をしているようです。」

「リュートに会えたんですか?」

 セルファは首を左右に振る。

「さすがにこれ以上は私も時間を割くことができません。」

「仕方ないわね。」エミリアは息をつく。

「それにむしろあなたには、こちらにいてもらったほうがいいのかもしれないわ。」

「その代わり、明日はクラウディアが足取りを追う予定です。」

「私の姪。セルファの双子の姉よ。」都に説明するようにエミリアが言う。

「さすがに銀竜が何も言ってこないのはおかしいし、時間は彼だって把握しているはずです。」

「まして以前と違って、今のあの子には大切な人がいるのだから。」

 それが自分のことだと気づいて都はひどく恐縮してしまう。けれど……。

「心配ですか?」

 顔色を見抜かれて都は小さく頷く。

「もしあなたが望むのであれば、クラウディアに同行することもできます。」

「ミヤコはこの国に来たばかりなのよ。」エミリアがあからさまに嫌な顔をする。

「だから彼女が望めば、と言ったでしょう。第一、この家で待っていても落ち着かないのではないですか。」

 口を開きかけた都を遮るように、エミリアがセルファに向き直った。

「契約が成立している以上、ミヤコは私の義理の娘。何かあったらどうするの?」

「クラウディアを信用してもらうしかありません。それに、決めるのはミヤコ自身です。」

「迷惑に……なりませんか?」おずおずと都は口を開く。

「それはあなた次第です。」

「そ、そうですよね……」

「もちろんじっとしてもらえるなら、その方がありがたい。何しろこちらのことを何一つ知らない、文字も読めないのだから。」

 すみません、と都は消え入りそうな声で言う。

「けれど、契約相手が心配だという気持ちはわかります。その気持ちを抑えて待つことができますか?」

「もう少し優しい言い方ができないの?」エミリアが甥をたしなめる。

「本当の事を言ったまでです。」

「まったく……あなたは自分の奥方以外の女性には興味も慈悲もないのだから。ミヤコは一人でこちらに来たのよ。ただでさえ不安な気持ちを煽ってどうするの?」

「良いことも悪いことも、むしろ考える材料があった方が判断しやすいでしょう。それができないほど彼女は愚かではありません。それに彼女には銀竜(ぎんりゅう)がいる。まだ幼獣(ようじゅう)とはいえ、いざとなれば主人(あるじ)の身を守るくらいはできるでしょう。」

 どうしますか?とセルファは首を傾ける。

 都は手元に視線を落としてしばし考える。

 そしてゆっくりを顔を上げると口を開いた。

「わたしは……」

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