第二十六話
「ダールさん、帰ったんですか?」
「マーギスさまの伝言を伝える役目付きでね。」
昨日保護された天井の低い食堂で、都はクラウディアのお茶に付き合っていた。
朝から言付ける手紙を書いていたのでようやく一息ついたところだと、クラウディアは説明する。
「そっちは落ち着いた?」
「はい。一応眠れたし……でもコギンはまだ不安定だから、フェスと一緒にアルに預けてきました。」
「そう。」とクラウディアが頷いたところにリュートが顔を覗かせた。
都を認めるとそれが当然のように、身体をかがめてそっと彼女の頬に唇を触れる。
「そ、そうだ。」都は思い出して斜めにかけたカバンを引っ掻き回す。
「昨日渡すの忘れてたから……」
差し出された懐中時計をリュートは受け取った。
「ハンヴィクさんの銀竜が悪戯したんだって。」
都は腕を持ち上げ、上着の上に巻いた時計を覗く。今まで気にしていなかったが、文字盤の日付はすでに三月が残り僅かなことを表示していた。
「それ、父親の腕時計か?」
「うん。時間は自己管理だからってマスターが貸してくれたの。」
そうか、と頷き竜頭を巻いて時計の針を調整する。
二つの時計が同じ時を刻む。
たったそれだけのことなのに、都はひどくほっとした。
「俺も、返しておいたほうがいいな。」
目の前に青いビニールカバーの手帳が差し出された。
「生徒手帳?でも手紙は処分したって……」
「それは手紙。これは手帳。ただの預かりものだろ。」
「そ、そういう解釈なんだ。でも……いっか。」
「睦まじいとこ悪いけど、」クラウディアが声をかけた。
「ミヤコ、今日はネフェルと一緒にもう一度地下に付き合ってもらうわよ。」
「さっきマーギスさんに言われました。調書の確認っていうのも言われたけど……」
「それは俺が付き添う。」
「字が読めないのに確認もへったくれもないわよね。昨日だってミヤコが残した絵を解読するのに苦労したんだから。」
前日の朝、薬師の家を出るときに書き残した絵のことだと思い当たる。字がわからないので歩く人を描いたつもりだったが……
「あれは散歩のつもりで……」
「行き先が書いてなかったじゃない。」
「そんなの絵じゃ描けません!」
クラウディアは肩を竦めた。
「ミヤコがいないと思ったらコギンも飛び出して行っちゃうし、それが遺跡の方向だって気付いたまではよかったけど……どこに繋がってるかわからない地下通路なんて、推測するしかないじゃない。オーディが神舎に先回りしたほうがいいって言うのが当たって良かったわよ。」
「そういうのはダールの得意仕事だな。」
「マーギスさまが滞在してたから中に入ることもできたし。」
都が開帳で姿絵を見ている間、クラウディアが古い知り合いに会ったというのは聞いていた。それがマーギス司教で、ダールが竜でコギンを追いかけるのと平行して、クラウディアがマーギスを訪問する名目で神舎に潜り込んだのだと、昨日、都はコギンを回収した後に聞いた。そうして自分の部下と共にリュートの元を訊ねたマーギスがゼスィの刺青を見つけ、待機していたダールを巻き込んでの騒動になったのは周知の通り。ちょうどその頃、クラウディアはマーギスの部下カフタを案内に地下通路へ通じていると思われる「光の庭」に降り立ったところであった。同時に聞こえた緊急を報せる笛の鋭い音にカフタが気付き、続いて物凄い勢いで降下してくるコギンにクラウディアが気付いたのだ。その先に追い詰められた二人の少女の姿を認めたのと、ダールの繰る竜を降下してきたのがほぼ同時だった。
「間に合って何より。それに前の日に中を見ておいたのも役に立ったわ。」クラウディアはにっこり微笑む。
そんな会話を交わしているところに、ネフェルが小走りに駆け込んできた。
「調書の確認、終わったの?」
はい、とネフェルは頷く。
服装は昨日と同じだが、髪は襟元にかかるほどゆったりした編込みにしてるので印象はずっと柔らかい。
「ねぇ。」クラウディアがネフェルに問いかける。
「素朴な疑問なんだけど、どうしてミヤコの手紙をリュートに渡してくれたの?」
マーギスに見せてもらった調書では、たまたま都から彼のことを聞き、軟禁されている男のことだと気付いたから……としかなかった。
ネフェルはちらりと都を見る。
昨日調書を取る際、マーギスは「自分の言いたくないことは無理に言わなくても良い」と言った。それを受けて、二人はお互いの「言いたくないこと」=「記録に残したくないこと」を申し合わせたのだ。
都は当然日本語を記したものは見せたくなかったし、ネフェルは自分の出自を言いたくないと言ったのだ。だから二人の調書にはネフェルが拾った紙片は騒ぎのどさくさで紛失した事になってるし、ネフェルが都に協力した理由もそれ以上書かれていない。それはリュートも同じで、「手紙は受け取ったが処分したと」証言したことを聞いていた。
「いくらこの中を案内したって言っても、信用していいかどうかなんてわからないでしょ。」
「だが彼女は一族に傾倒してる。英雄の記も暗唱してるし……」リュートが言った。
はぁ?とクラウディアが素っ頓狂な声を上げる。
「あんなもの、学校で嫌々覚えるものでしょう。いくら語り部だからってわざわざ覚えるもの?」
「それは……自分でも驚いています。」ネフェルは言った。
「母から教わったのが随分前だったから……ちゃんと覚えてると思わなくて。」
「そもそもガッセンディーアほど需要がない場所で英雄時代の文字って役に立つの?」
「それはそうかもしれませんが……」
そう言って目を伏せるネフェルの横顔に、クラウディアは首をかしげる。
「どこか……別のところで会ってないわよね?」
「同じこと言うな。」
「やだ、リュートも同じこと言ったの?」
「それとダールさんにも……」消え入りそうな声でネフェルは言った。
リュートとクラウディアは顔を見合わせる。
妙な空気を破ったのは都だった。
「ネフェル、リュートとクラウディアさんは信用して大丈夫だよ。」
「ミヤコ……」
「だってネフェルは悪いことしたわけじゃないんだし、空の同胞のこともわたしより詳しいし、今日だってここに飛んでくるまでの間、すっごく楽しそうだった。」
「でも……」
「それに『一族の血を引いたことは誇りに思ってる』って言ってたでしょ。」
「そうだけど……」
「ちょっと待ってよ!」クラウディアが割り込んだ。
「あなた達、一体何の話してるの?」
「一族って……じゃあ君は……」と、リュート。
都は頷く。
「ネフェルは十年前に亡くなったお父さんに似てて、そのお父さんが一族だったって……」
「あー!」という声が重なった。
その声の大きさに都とネフェルは目を丸くする。
「そうか……」
「確かによく似てるわ……」
二人で顔を見合わせ声を揃えて言った。
「スゥエン・オーロフに!」
「あなた方の教官?」
「教わったのは一度きり。祭の隊列を組んだとき……」
ああ、とマーギスが微笑む。
「ガッセンディーア名物。空の行進ですね。」
頷きながらクラウディアは足を組み直す。
マーギスが執務室として占拠した書庫で、机を挟んで二人向かい合う形で座っていた。それ自体はよいのだが目の前には束ねられた紙、そして目を転じれば天井までの本棚。そして極めつけは目の前の司祭服のマーギス。まるで学生時代に戻ったような落ち着かなさにクラウディアはそっと溜息をつく。
「あたしとリュートが初めて参加したとき、指導してくれたのがスゥエン・オーロフだったんです。けれどその祭のすぐ後に亡くなって……」
「その忘れ形見がネフェルでしたか。」マーギスは深い息をついた。
そう聞けば、なぜ彼女があんなにも英雄の記にこだわっていたのか、聖堂に行きたいと切望していたのか納得できる。
「そのことを私に話してよいのですか?」
クラウディアは肩を竦めた。
「父が常々申しておりましたもの。マーギスさまは敵に回したくないお人だと。それに司教様はそれを文書にするほど無粋な方じゃありませんでしょう。」
「クラウディアお嬢様にそう言われては、否定するわけにはいきませんね。けれど私はあなたのお父上……アデル商会の大旦那様ほど策士ではありませんよ。」マーギスは苦笑したが、すぐに真顔になる。
「ですがネフェルを気にかけているのは私も同じです。このままここにいて良い影響があるとも思えません。」
「同感です。オーロフ家は英雄の血を引く古い家柄なのでどう出るかわかりませんが……少しでも良い返事がもらえればと思っています。」
わかりました、とマーギスは頷く。
「それまで彼女は私が責任を持ってお預かります。夕方にはお戻りに?」
「ええ。ミヤコの立会いが済んだらガッセンディーアに戻ります。伯母が首を長くして待っていますから。」
背後で重たい扉の開く音がした。
「マーギスさま!よろしいでしょうか?」
息を切らして飛び込んできたのは、マーギスの部下カフタだった。
「地下道の検分は進んでいますか?」
頷くが、その表情は明らかに困惑している。
「ネフェル・フォーンもミヤコ・キジマの行動もほぼ確認が取れたのですが……」
「どうかしましたが?」
「それが……天井の隠し部屋について、ミヤコ・キジマが妙なことを言い出して……」
「妙……ですか?」
「できればマーギスさまに立ち会っていただきたいと……」
マーギスとクラウディアは顔を見合わせた。
ようやく、プロローグにつながりました。
そして、残り三回の更新になります。




